スタッフ日記[2023]
[文 / 益田(制作)]
- 12/6
喜怒哀楽。人間の基本的感情を大別して言うのだが、出典は中庸であると言う。 喜びと楽しみを区別しているところなど、秀逸なものである。 仏教用語の四苦(生老病死)も老いと病を区別していたり、昔の人は聡明だと思わされる。
喜びと楽しさの違いなど、現代でもよく分かっていない人が多いのではないか。 ここまで書いて、私も調べてみた。二者が一般にどう違うとされているのか。
大意としては「喜びは達成によって得られ、楽しみは外部からの刺激による」などと解説しているものが多い印象だが、いまいちピンと来ない。 まあ確かにそうではあるのだが。
私の解釈としては、喜びは生存についての安堵で、楽しみは自律性による。 楽しみの方がより高次の感情で、喜びは感じられても楽しさは感じられない人が多い。 喜びは生存環境の磐石化に起因するが、楽しさを追及することは、下手すると生存を脅かす。 喜びは、人間以外の動物では感じているはずだ。
私は、楽しさの追及なら応援したいが、喜びの追求を応援するつもりはない。 勝手にやったらよろしい。
楽しさは自律性に立脚する。責任回避の性向の強い者は、所詮その生涯、喜びぐらいしか感じられない。 生存を最優先すると言うのは、広い意味では性犯罪者と変わらない。
- 12/5
少子化がほとんど世界同時進行的に進んでいる。 アフリカの貧困国とかそういう例外を除いて、人類は減少トレンドにあるらしい。 欧米は無論のこと、東アジアでも日本・中国・韓国など、軒並み少子化。北朝鮮までその傾向にあると言う。
少子化対策は功を奏さない。 日本でもそれ用の省庁までこさえて予算を割いているが、少子化は進行する一方だ。 異次元の対策とか現内閣が言い出したけど、おそらくまた変わらない。 どれだけ浪費しようと事後の総括もしないし、誰も責任を取らない。
ハンガリーは国を傾けるほどの対策を行ったが、ほとんど効果が無かった(周辺国との有意差が見られなかった)と言われている。 これは一つの答えではないか。
人類は滅びようとしているのかもしれない。 それは大袈裟だとしても、少なくとも現在の個体数は適正でないということなのかもしれない。 トキが、公金で保護センターまで作って繁殖させようとしても個体数をほとんど増やせないように、役割を終え、滅び行く運命にあるのかもしれない。 神の意志であるから、小手先の対策などでこのトレンドを動かすことができないのかもしれない。
コロナ騒動を眺めて見ても、人類の中でもとりわけこの日本人は、自ら滅びようとしているように見えてならない。 タダの風邪に怯え取り乱し、文明に逆行(経済・文化を破壊)し、数百兆規模と言われる公金を溶かし、死亡者を現在進行形で激増させている。 滅びるに相応しい愚かさだ。
あんまりバラ色の想像ではないが、よくよく考えても、この可住地の少ない日本列島において、一億数千万の人口は如何にも多すぎる。 人口500万人くらいだったと想定されている鎌倉時代においてだって、日本では土地争いが絶えなかった。
適正な数に落ち着こうとしているだけなのであれば、そこに至るまでこの少子化は基本的には止まらないだろう。
- 11/28
「短大生、30年間で84%減少 少子化進展、閉鎖相次ぎ経営苦境」
↑こんなニュースを目にした。 やはり少子化の影響は各大学均等に受けるものでなく、大学は大学でも短期大学などはダメージが大きいらしい。 四年制大学が全入の時代に、短大に行く人はほぼいないってことか。
人が減っている。 日本では顕著だが、世界中の先進地域では軒並み同様の現象が見られる。 つまり人類共通の現象。 人間集団は、ある地点(それが文明なのか人口密度なのか、そういうのは不明だが)を境に、その個体数を減少に転ずる生き物らしい。
神の意志ではないか、と言う疑念は拭い難い。 人類は種としてその役目を終えつつあるのか、あるいは今の個体数を維持することが合理的でないのか。 分からないけど、人口減のトレンドは、今後短期的には止みそうも無い。 少子化対策をすべきでない、とまでは言わないが、コストに見合う効果があるかは怪しい。 今の日本社会の課題としては、どちらかと言うと、この人口減を所与として、制度・社会構造をそれに合わせたものにシフトしていくことだろう。
- 11/25
ほとんど話題に上ることが無いが、今日本では死亡者が激増している。 ここ二年くらいのこと。
原因はハッキリしていない、とされているが、「ワクチンが関係しているのではないか」と言う疑念は拭い難い。 推進した者は責任を問われたくないし、受け入れた者(接種した大多数の日本人)は過ちを認めたくない、被害者と加害者の思惑が一致しているので、疑惑は大きなうねりとならない。 ならないから傷は深まる一方だ。
抗いたい気分を持ったところで、激増する死亡数は留まるところを知らない。 事象が出来している以上、原因はあるに違いないのだが、それを究明しよう動きさえ見られない。 ワクチンについては、引き続き接種を推奨していくらしい。高齢者は無料なのだと。 頻回の接種こそが危険性を増幅させているような気がするのだが、ここについても政府は止める気がないらしい。
「保身こそを行動原理とする者を、安易に信用してはならぬ」。これは世間知だと思うが、今の日本は、そういう人らで溢れ返り過ぎていて、その原則が忘れられつつあるのかもしれない。 愛こそを信ずると言うのは、人間の根源的・本能的な機微であると思うのだけど。 誰かを愛すると言う気分を持たぬ者は、愛の不在に気付くことさえできないらしい。
現内閣、閣僚の不祥事が相次いでいると言う。つい先日は総理・厚労大臣への医師会からの献金が論われていた。 槍玉に上げられた当人らは、何となく突っ込まれたくないような疚しさくらいは感じたろうが、「支持者に努めているだけなのに」と、実のところ何が悪いのか本質的な理解に至っていないだろう。
知り合い・支援者は物質・物体なので、網膜に映るし手で触れる。 が、全体と言うのは概念である。それを俯瞰し体感できる言語の持ち主以外には見えない。 だから、政治家になるような人らは、実際に会ったことのある人の要望には、極めて誠実に対応するはずだ。 そして、そこが彼らの限界だ。
悪人が、それを悪と知りつつ悪事に手を染め、故に糾弾される、場合によってその当人が首を吊る。 これは無論望ましいことではないが、その程度に社会が自浄の能力を保っている証拠でもある。 最悪なのは、その悪事こそが即ちその人の生き様(この場合政治業)そのものであること。 彼は、自ら修めた帝王学を根底から疑うことなどできまいと思う。 教科書が全部デタラメだって言われても、当惑してしまうでしょう。
悪事が深刻化する時ってのは、悪事が悪事と見做されないロジックを纏ってしまっている時。 韓国の大統領は孝に忠実たらんと思うあまり逮捕されたりする。 政治家などが「誰かの幸福を願っているだけなのに」と、本気で思っているなら、彼には「全体の利益を慮る習慣を身に付けてはいかがか」とぐらいしか言えない。
お隣の韓国社会は、日本以上の少子化に見舞われている。 彼らが良かれと思って(と言うか得を拾うため)採る行動が、悉く裏目に出た結果、社会そのものが崩れかけている。 自殺率は世界最高。国外移住を望む国民も世界最高レベルに多いらしい。 その人の本質とは、その人が口にする何かではなく「その人がどこに向かって進んでいるか」である。 経済学で顕示選好とか言ったりする。
現状の日本を概括するなら、「ある人らの実現しようとするある部分最適が、全体最適に真っ向から抵触する」と言う事態かと思われるが、その人らに如何なる信念があろうと(大した信念など無かろうが)、宇宙の摂理には敵うまいと思う。
それこそが政治業と信じてやまない行動が、この宇宙の摂理に悖る場合、その者は諸共淘汰の憂き目に遭うだろう。 私は、史劇を見せられているような気分で、面白おかしく世の中を眺めている。
- 11/24
新型コロナのワクチン、接種を有料化するらしいが、高齢者には無料接種が継続されるらしい。 無料と言うが、要するに全ての日本人がその高齢者のワクチン代を負担するということ。 「ふざけんな」と言う声もあるだろうが、こういうことを繰り返す者に政権を委ねているのだから仕方ない。
しかしこのワクチンがどうもヤバい代物であることには、多くの人が気付き始めていると思うのだが、大丈夫かしら。 現在進行で死者が激増している日本、高齢者に更なる頻回接種を繰り返せばどういうことになるか。 もうこれは淘汰と言う他ないな。
- 11/22
ある会合で六本木(森タワー)に行ってきた。 久しぶりの六本木だったけど、つつがなく目的を終えました。
- 11/17
コロナ騒動の数年間、私は外出時にもほぼマスクをしなかった。 私的空間などで着用を求められる場合など、(そこを利用する限り)従わざるを得ない時があるので、一応持ち歩いてはいたが。 その時々の連れには迷惑をかけた。
当然ながらトラブルは一度や二度ではなかった。 時に街中で絡まれ、飲食店や交通機関などとも揉めた。 毎度絡んでくるのは向こうからで、私から揉め事を起こしたことは一度たりとも無い。
面倒臭いからとマスクくらいすることはできたが、私がそれをしなかった理由は、それが人類の一員としての義務だと考えていたからだ。 私は自分の信念に従って、正しいと思うことを実践しただけ。今でもそれを正しかったと思っている。
私に絡んできた人たちは今どうしているのだろう。 コロナの感染者は減っていないし、死者だって増え続けているのだから、より一層ノーマスクの民に絡み続ける必要があると思うが。 報道のボリュームが減り、アホが状況に慣れただけなのだろう。アホなだけに論理が無い。
私は自由に何よりの価値を置く。 私が言いたいのは、マスクの効能についての科学的根拠とかそういうことではない。 他人に何かを要求するな、ということ。 コロナが怖いなら、徹底的に自分でやれる限りの対策を採れば良い。他人に何かを要求するような幼稚さを恥じる感覚を持たねばならない。 マッカーサーが言った「この民族の精神年齢は12歳」は本当だと思う。 騒動は、私にこの民族に対する決定的な不信感を植え付けた。
- 11/15
ファントムセンターって解消すべきなのか。 ヴォーカルトラックとかって通常モノラルかつセンター定位なわけだけど、左右のスピーカーから全く同じ音が出てくるので、ある意味不自然である。 人間には耳が二つ付いており、自然界にそのような状態が存在しないから。 モノラルソースが真ん中から聞こえてくるような錯覚をファントムセンターとか呼ぶ。
ステレオマイクでヴォーカル録りを試したことはあるが(神田優花「Ray」の初出バージョン等)、セッティングが面倒な割りには効果に魅力も薄くて、今はほぼやらない。 ステレオイメージャー(あるいは単なるPAN)とかいう便利なツールが存在しているので、モノラルソースをステレオっぽく聞かせることは可能であるが、そもそもステレオにする必要があるのだろうか。
ステレオ音響機器が世に出る前、レコードもテレビも皆モノラルだった。ファントムも何もモノラルしか存在していないのだから、全ての音は中央に定位していたが、音楽を聴く上で別段の不都合は無かったように思える。無論ステレオの方が自然ではあるし、だからこそそちらが普及したのだろうけど。
自然音に近ければそれが優れているとも思えない。 むしろ音楽を届ける上で、音響と言う要素は時に邪魔になるきらいすらあると感じる。
音の話なので正解・不正解があるわけでなし、単なる好みの問題に過ぎないわけだが、今後も私はファントムセンターを解消しようなどとは思わないだろう。迂遠さをあえて加えているようにすら感じてしまうから。
- 11/14
少子化が言われて久しいが、どの程度のものだろうかと統計を見てみた。ウチは学校との付き合いが多少あるのだけど、学生数減少の窮状をしばしば耳にする。
2022年3月の高校卒業生は112万2,283人、2023年3月卒業生は109万7,148人だそうな。一年で三万人減っている。 10年後の2033年3月卒業生は100万7.490人だそうで、実に10年で一割ぐらいの減少ペースであるが、後にこのペースは更に加速することが分かっている。
この予測値にほぼ誤差は生じない。当たり前だが、出生数から割り出せる数字なので、大幅に予想が外れたりすることがない。 因みに、2022年(最新)の出生(新生児)数は観測史上最低で、80万人を割っており、これは即ち17年後の高校卒業生の数となる。 更には、2023年上半期は前年比4.1%減だそうで、また記録を塗り替える勢いである。
そりゃ台所事情厳しい筈だわ。年々勧誘対象者の数が目に見えて減って行く。 一応言っておくが、例えば高校卒業生が一割減ったとして、進学先である大学や専門学校は、一律に(満遍なく)その一割減の打撃を受けるわけではない。 大学などは当然成績順で上から定員が埋まっていくので、一流の大学などであればとりあえず定員は満たすだろうし、いわゆる底辺の大学は定員割れも起こりうる。 専門学校などの受けるダメージは当然一割では済むまい。
エンタメ系の学校なども例外でなく、少子化の影響を受けるに違いないが、底辺大学のように、上位偏差値の大学にそのまま学生を吸い取られるようなことにはならない筈で、比較的影響は軽微かと思うのだが、それにしてもここまで母数が減ってしまうと学生数の減少は避けられないだろう。
エンターテイナー・アーティストを目指す人が減るのは由々しき事態だと思うが、例えば音楽について言えば、リスナーの絶対数も激減するので、演者だけ従来通りに供給されても詮無い(特に日本のエンタメ界のようにドメスティックに完結している市場においては)。 この社会を覆っている空気と芸術との親和の度がかなり低いと感じるので、どのみちこの国において、芸術は廃れていくだろう。
- 11/10
いわゆる「情報戦」を、中国(と言うか中華文明圏)では「認知戦」と言うらしい。さすがは漢語・漢字発祥の地である。
物事は、正確に表現することから始まる。 日本人の言う「情報戦」はおそらくInformationを情報とする、英語の直訳ではないかと思われるが、「認知」の言葉を使っている中国に、この分野では太刀打ちできまいと思わされる。 因みに現在英語では、認知戦を「cognitive warfare」と言うそうである。
- 11/8
仏教(インド哲学)では、人々の立っている世界を六道とした。 その人のいる「場所」ではなく、その人に見えている「世界」のこと。 だから「地獄」と言ったところで、地の底にそういう場所が実在するわけではない。 西洋人に説明するなら、マズローの言う欲求段階などに似ている、とすれば理解の足しになろうか。 私はマズロー説より仏教の方が、遥かに精緻であると感じるが。
乞う者を餓鬼とし、奪うものを修羅とし、収奪の程が度を過ぎ、隔離されることとなれば、それを地獄とする。 刑務所を獄とするのは、仏教思想が背景となっているのだろう。 地獄が場所でない以上、そこから脱け出すのは困難である。 人は輪廻の苦しみの中にあるとし、六道上の各ステージは、些細な条件によって決まる。 インド哲学者たちは、その苦しみから脱け出すため、様々な努力をした。
今の日本の政治家たち、ある者は自分の疚しさに半ば気付いており、またある者は「支持者に務めて何が悪い」と居直る確信犯であろう。 彼らの「努力」が悉くこの社会を毀損する結果にしかならないのは、彼らのいる道の故。 「正しいこと」を行うには、何が正しいかを知れるだけの世界が見える必要がある。
見る限り、短期的にはこの社会の衆生らが救われることは難しかろうと思う。 最低限現実とすべき事柄に欠け過ぎている。
- 11/7
DAW(ソフト)は複数所有する必要がある。 買えば値段も張るし、インストールするにもマシンへの負担はかかる。 でも音屋にとっては必須だ。
プラグインの類って、DAWとの相性がある。 特定DAWだとクラッシュしやすいとか、あるいは認識すらしないとか、そういうケースが割りとあって、最低でも2~3のプラットフォームが必要になる。
相性とかって要はデベロッパーの言い訳のようなものなのだけど(実際大手メーカー製品であればあるほどその種の不具合は減るような気がする)、事実あるから、こっちも回避の手段を講じねばならない。
- 11/6
減税策をぶち上げた現政権の支持率低下が止まらないという。 支持率浮揚の鍵と思っていた節があるので、彼らにとって不可解な世論の動向であろう。 日本人はそこまでアホではなかったらしい。
夢ってそんなに難しいのだろうか。 道端で小銭を拾ったところで、それを毎日未来永劫繰り返せるわけでなし、一枚のパンをもらったところで、次の日には同じ空腹が待ち受けている。 だから愛とか夢には価値がある。それが心の中で永遠に消えないものだから。
首相が「経済経済」と、国会で「経済」を連呼していたのだが、あれは要するに「金」を連呼していたのと同じである。 「金をやるぞ」・「利を食わせるぞ」と誘ったのに、イマイチ相手の反応が悪く、今当惑している最中であるらしい。 人が無一文で死んで困ることなんて、本質的にあるのだろうか。 金が無くても私は生きて行けるが、夢が無いと生きて行けない。 この先一秒たりとも生きて行けない。
一般に人は、相手の発する言葉よりも、その言葉を発したその人の心を見ている。 「すみません」と断られたところで、その相手が「そこをどけ」と言いたいのであれば、我々はその心根の方を見つめてしまう。 疚しい動機にてバラ撒いた金に、相手は手放しで喜んでくれなかったということ。
- 11/4
長嶋茂雄さんの奇行をまとめたものが「長嶋伝説」などと各種の媒体で扱われている。無論笑い話としてである。私も見たことがある。
先日「認知症」について解説した本を読んでいたのだが、長嶋氏のエピソードと重なる部分が実に多いことに気付く。 要するに彼は、若年性の認知症だったのではないか。あるいは統合失調症。 因みに両者は同じものである。加齢による脳の劣化が統合の失調を招くものが認知症。
例えば長嶋氏はお金の計算が苦手で、何を買うにも一万円札を使っていたと言われるが、認知症早期発見のためのシグナルとして「財布が小銭(釣銭)で膨れ上がっていないか」を調べるのが有効であるそうだ。 失計算と言い、認知症の典型症例であるという。
他にも数々、符合する点が見られるが、もう一つ挙げておく。 世間は(何故か)長嶋氏に温厚な人物との印象を持っているようだが、それは多分にマスコミの作り上げた虚像である。 彼の「怒りっぽさ」は現場では有名だったそうで、監督就任初期には、選手への暴行が絶えなかったという。 怒りの沸点が低い。これも認知症の一典型症例だ。
- 11/3
渋谷区がハロウィンのイベント会場に事実上なってしまっていることについて、区側が苦言を呈していたそうだ。 要するに「渋谷に来るな」と。
正直私はどうでも良い。渋谷区民でもなく、仮装して渋谷に集う層でもない。普段テレビも見ないので、人に言われるまでこの件が話題に上っていることすら知らなかった。 因みにこの件は、ほとんどテレビ上のトピックで、それ以外の媒体ではさほど話題となっていない。 テレビの対象が年寄りだからだろう。
格好ぐらい自由にさせれば良いと思うし、若者の楽しみを奪うのもどうかと思うが、渋谷区には他の人間もいる。乱痴気騒ぎを苦々しく思う人が多ければ、この国のシステム上、そのイベントはシュリンクして行かざるを得なかろう。 祭りやイベントなんて他にもあるわけだが、大抵のものには自治体なり寺社などといった「運営母体」があり、責任の所在もあらかたハッキリしている。 無秩序ってのが感心されないのは自然なのかもしれない。暴走族に暴走の自由は無いわけで。
場所に依存し、他人を巻き込む形である以上、ある程度制限が加わるのは仕方ないのかも。 若者たちはどこか会場でも借りて、主体的にイベントを開催してはどうだろう。 あるいは、そんなに集客力のあるイベントであるならば、どこか他の自治体などが会場を用意して誘致してはどうだろうか。マネタイズもできるはずだ。
- 11/2
介護関係の人材が払底しているらしい。そりゃそうなるよね。私だってやりたくない。
金融機関に就職するとして、融資・投資関係のセクションならまだやりがいもあろうけど、損金・不良債権処理なんて担当したくなかろう。 こう言うと身も蓋も無いが、介護と言うのは社会にとっての不良債権処理である。 そんな整理作業にリソースを全振りしている会社なんて、発展を望めるわけがない。
江戸時代、日本人には土曜日どころか、日曜すら休日でなかった(週七日制は聖書に基づく)。 今で言う小学生の年齢から丁稚に入り、マトモに休みも取らず、動けなくなるまで働き続けた人が沢山いた。 当時はそれでも良かったのだろう。彼らにそれを超えるイマジネーションが無かったから。
現代人はおそらく「夢」と言うものを、おぼろげながらにでも現実として映してしまっているのだろう。 だから丁稚奉公のような人生に疑問を感じつつ時間を過ごしている。 夢の無い閉塞的人生を「辛い」と感じてしまう。 上の介護なんてその代表例だろう。
医者と言う職業は、社会的なステータスも高く、一般に高給取りだったりもする。だから多くの若者がそれを目指すし、医者は我が子を医者にしたがる。 だが、私は医者と言う職業を、広い意味で介護職と同じだと見做していて、正直絶対にやりたくない仕事の一つと考えている。 同時に、それを喜んでやりたい人がいてくれることを有難くも思う。 誰かがやらねばならない作業ではあるから。
人体のメンテナンス業が最大の産業である社会に、発展など望むべくもない。 人類は意志でこそ発展してきたし、今後も発展して行く。だからこそ芸術には価値がある。 このロジックが分からない人と、私は話が噛み合わないだろうと思う。
- 11/1
劉邦は彭城放棄の末、敗走中の馬車から我が子を突き落とす。車を軽く(逃走を容易に)するためである。 馬車を御す夏侯嬰の機転により、子供らは拾い上げられるのだが、劉邦は三度ばかりそれ(突き落とし行為)を繰り返した。
中国史は、漢楚の戦いは勿論、三国志など日本でも人気コンテンツで、ドラマや漫画など数々の媒体で扱われているのだが、上記のエピソードにだけはどうしても触れにくいらしい。 日本人的価値観に照らして、主人公のこの行動が、ドラマになりにくいから。
儒教は孝を主要な徳目とする。 親と子では親が偉い。親は子を作れるが、子は親を作れない。合理的と言えなくもない。 それだけが理由ではなかろうが、歴史的にも人口の増殖力において中華圏は抜きん出ていた(便利な道具だから大量に生産したろうか)。 そしてその人口こそが中国(当然現体制も含む)の力の源泉となった。
ところが現在、政策の影響もあって、中国の人口は減少傾向にある。どころか、おそらくこの先、大人口減社会に突入することが人口動態から見て確実であるようだ。 どうしてそうなったろう。 彼らにそれまで見えていなかった何かが、見えるようになったのかもしれない。
先進国・先進社会における少子化は宿痾のようなもので、半ば不可避であるらしい。 中国も例に漏れないだけとも言えるが、それにしても極端な減りようである。中国から人口を取ったら何が残るのだろう。危機的ではないか。 儒教、と言うより中華的原理は、やはり最後に残るものでないのではないか。
日本は厳格でこそないが一応は儒教国である。江戸期一杯までは朱子学をほぼ国教としていた。 近代化革命の原動力となったいわゆる国学(平田篤胤とかそれ系の)も、復古主義と朱子学がブレンドされた奇妙なものだった。 現代でもその年功主義のようなものだけを都合よくピッキングして社会制度を固めている。 後世に生まれれば生まれるほど生き難くなる仕組みなので、少子化も止まらない。当然そういう共同体は先細る。
現行の社会保障制度は、近い将来のある時点で不可逆的崩壊を迎えるだろう(面舵一杯で回避できるとは私には到底思えない)。 当事者たちが、ある意味での合理的判断を繰り返した結果である。 部分最適が全体最適でない、という典型例なのだが、要するにその思考のパースペクティブ、こそが人類のうち残る者の適性ではないか。
清朝末期、西洋人は当時の中国を見て「これは果たして国であろうか。天と地の間に人が転がっているだけではないか」と感じたらしい。国を形成するのも、要は構成員の視座(思考のパースペクティブ)に他ならないからだろう。
西洋人はGodを現実とする。 日本人のよく抱く「神は存在するか」みたいな命題があるが、いる・いないではなく、それを現実とする言語機能を当人らが持つかどうかの話だ。 形而上的世界、それは物質しか知らない人間には当然存在しない次元。それを現実とする(意思決定に影響を及ぼす何かとする)、というのは、ある者には未開・不合理にすら見えるだろう。
愛も悲しみも、夢も未来も、それを映し出せない心の持ち主には存在しないではないか。 国や共同体だって広義の概念だ。 幽霊に怯える者が加持祈祷に金を使うことが、幽霊が見えない者には滑稽に映る。結果呪い殺されるかもしれないわけだが、それは当事者にも分からない。 我が身かわいさのみを追求した者は
その結果、自らの拠って立つべき大地を掘り崩し、滅び行く。
神無き世界には、全体最適以前に全体概念が存在しない。 神がロゴス(言語)に宿ると言うのは真実。
- 10/31
私は譜面と言うか音楽(演奏)記号が読めない。少なくとも完璧でない。 昔は一旦、粗方を覚えていたような気もするが、使わないうちに大半を忘れた。 音楽記号って結構難解で、気合入れて覚えないと読めなかったりする。 先日、複雑なトレモロ込みの譜面に遭遇したのだが、どういう音符配列になるのか、よく分からなかった。
音楽屋としての私が、普段譜面(五線譜)に依存していないからってのはある。 私にとっての譜面とは、単にMIDIデータのスコア表示、あるいは出力版で、細かい演奏記号など一々入れない。 例えば32分音符のトレモロなら、その音符をベタ打ちする。 リピート系の記号も一切使わない。プリントアウト時には、1小節目から最終小節までリピートなしで打ち出す。 これに慣れきってしまっているから、例えばダカーポやダルセーニョなど、読めはしてもうまく書けない。 まあそれで困ることもあんまり無いわけですが。
- 10/30
Historical ifってよく話題になる。 「武田信玄があのタイミングで死ななかったら」とか「西南戦争で西郷軍が勝っていたら」とか。あるいは「太平洋戦争で日本が勝っていたら」とか言うのもある。 勿論歴史と言うのは複雑・不可逆で、私などにその帰趨など断定できないけど、思うに、上の設問はほとんど意味をなさないと言うか、結論としては「歴史の趨勢にさしたる変化は無い」。
例えば大坂の陣で、豊臣方が圧倒的勝利を収めたとして、「豊臣家の天下が訪れる」なんてことはあり得ない。 実際第一次の大坂の陣など、局地的には豊臣方有利で、講和は愚策だったという意見もある。 私に言わせれば、徹底抗戦したところで講和するのと、長い目で見れば大した違いは無かったろう。 徳川氏側から見れば、大坂の陣は天下の地盤固めの一工程に過ぎず、戦局はその工期に影響する程度のものに過ぎなかった。
歴史には、進行の力学のようなものがある。 人為でそれに抗うことは難しく、局地的な勝敗などがその大きな流れを変えることなど無い。 歴史は逆流したりしない。 戦に勝とうが負けようが、講和に応じようが徹底抗戦しようが、時間が経つにつれ豊臣家は追い詰められて行く。 時流・時勢が豊臣方に無いから。
騎馬武者らがいかに強かろうと、旧態依然たる一室町守護大名である武田家が、重商主義を掲げ、当時の既得権を次々と打破する織豊政権に太刀打ちできるはずもなく。
政府の出した時限的減税案が、どうやら不人気らしく、支持率低下に歯止めがかからないと言う。 まあ見方によっては「こんな姑息な手法に踊らされるような愚か者がいようか」と言うような内容なわけだが、私は日本人の知能に疑問を持っているクチなので、案外騙されるかもしれない、と疑っていた。 見込みが外れたっぽい。
現政権に対する懐疑の念が蔓延しつつあること、これは目出度いことではある。 現状の赤字国債の累積額や産業の壊滅状態は、私などは後世に対する犯罪とすら言えると思っているので、高支持率にある方が不思議だった。
今の政権が、減税策を講じようが増税に転じようが、大きな歴史の流れを変えることはきっとできない。 我々庶民は、できるだけ泥をかぶらないように努めたい。
- 10/27
政府が減税案をまとめつつあると言う。千数百兆の債務を抱えながら減税(&給付)だと。 しかもそれは「物価高対策」であるそうな。
経済のとんと分からない私だが、インフレーションと言うのが「モノと金の相対価値において、金の価値が下がっている現象」と言う理解ぐらいはある。 ここで金をばら撒けばインフレは加速するに違いないのだが、要するに彼らのやろうとしていることは「物価高対策」ではなく、「物価高による支持率低下対策」であると言うこと。 公金の私物化である。アホには飴玉あげときゃ良いってことか。
この公金の私物化はさぞかし美味しいと見えて、野党もこぞってそれを打ち上げている。 まあ皆さんがんばってカタストロフを実現して欲しい。
このまま(短期的な)未来を予想してみる。 人口動態・社会保障制度・国債発行の限界・円安等々、どういう側面で考えてもインフレは進行するだろうし、増税は不可避だろう。 ハイパーインフレ様の現象が起こったとして、それでもまだいわゆる現役層のおかれる状況はマシであろう。給料なども連動するだろうから。 年金生活者はそうは行くまい。現行のスライド方式ではハイパーインフレに十全に対応できなかろうから(させない為の制度だろう)。
要するに、酷烈なジイさんらが我が小船に小判を溜め込みすぎて諸共海の底に沈むような、守銭奴のあるべき末路のような。 我々は一種の因果律と言うか、喜劇を見せられている。
話は変わるが、私はドラムを生で録らない。めんどくさい割りには効果が薄いから。 考えてもみて欲しい。あのキットをスタジオに搬入し、ドラマー呼んで(曲も覚えさせて)、マイク何本も立てて録音、更には編集するんですよ。 遠い昔にはやったこともあるけど、今そこまでやる価値が見出せない(ドラマーの皆さん、ごめんなさい)。
私にとってドラムスは、シンセサイザーなどと同じく、プログラミングで組み立て、ラインで録る(あるいはレンダリングする)楽器。 なのだが、シンセと同様に使うには難点の多いものであるのは事実だ。
まず音源の個体差が大きい。 しばしば太鼓の配列がGM準拠でない。完全に無視しているケースは少ないが(それでもあるにはある)、Key割り当てなどのちょっとした差はよくある。 あと特定の音色が割り当てられていないケースとか。 例えばSnareのTight音色が無い場合など。普通のSnare音色が割り当てられてあったりするのはまだマシで、しばしば無音だったりする。 当然MIDIデータの組み直しが必要になる。
音源間の音量差も気になることが多い。 これはサンプルごと違うのだから仕方ないとして、GM無視の配列とか特定音色なしとか(特に基本的な音色は)やめて欲しい。 作業効率がメチャクチャ悪化する。
- 10/26
警察力を持たない統治機構などがあり得ないように、軍隊を持たない国家などあり得ないのだが、日本国は(正気とは思えぬが)憲法に軍隊の非保持を謳っていて、実際、宣戦布告を選択肢として持てないことになっている。 交渉が決裂したらどうするつもりなのだろう。
中国には宗教が無い。 少なくとも仏教・イスラム教などと言う、世界標準で言うところの宗教・宗派は存在しない。 儒教(儒学)はあるが、あれは宗教と言えるだろうか。四書五経がコーランや聖書のような戒律であるとしても、その土台となるべき信仰の体系が無い。あるいは曖昧である。 あれは学問とは言えても宗教とは言えまい。
では中国人は何に拠って生きているのか。 それは合理性・功利性だろう。実際、中国人は死後の世界を認めない。 中国の外交姿勢、歴史認識や領土の主張(尖閣での狼藉)などに、日本人は「何と話の通じぬ相手か」と、嫌悪の感情を募らせている。 確かに話し合いを至上とする日本的感覚において、話の通じない相手であるし、それは恐怖の対象となろう。
しかし外交(交渉)において、最終的な決裂の後、切るべきカードを持たない相手など端から交渉相手と見做さない、と言うのは一種の合理精神であるとも言える。 上の宗教の話とも通じるが、要するに中国人は究極の合理主義者たちなのである。 だから本気で交渉しようなどと考えるなら、武力(装備)を持つしかない。本当にそれしかない。 彼らは「相手が悪いから責め立て、相手が正しいから屈服する」などと言う不合理・非効率な行動を取らない。
彼らが今この瞬間にでも日本に攻めて来ないのは、単に各種・各方面の報復が予想されるからで、善意などと言うロマンチックな動機ではない。 だから、即座に報復行為を招かない手段にて、相手を弱体化させることを常に画策しているし、それは現在進行形で続いていると見るべきだ。 私は中国人が嫌いなのではなく、原理性を正しく理解せねば付き合い方が見出せない、と言う話をしている。
- 10/25
神田優花の新作「Twelfth Night」、本日発売です。 以下、アーティスト本人からのコメント。
ド派手なアルバム出来ました!
タイトルはTwelfth Night。
曲目というより演目と言いたい程いろんな顔を持つ12の曲たちです。
その中で未発表曲は、初っぱなの『Tomboy』とラストの『Wendy』。両方ともブレスコントロールだとか、レコーディング時の調整だとか、難しかったけどなんとか仕上がりました。また1つ扉を開けた気分です。
今アルバム制作時は、ずいぶんと立体的に歌を組み立てられるようになったなと、そんな風に感じることが出来ました。
濃密で苦しくて、でも曲の中でいろんな自分になれるのは楽しかった~。
当劇場へようこそ。
そんな風に少し、かぶいて言いたくなるアルバムです。
お気に召す1曲がありますように。
神田優花
- 10/24
神田優花、明日発売の新作「Twelfth Night」(全12曲)、について。
タイトルはシェイクスピア作品から採ったんだけど、深い意味はない。12曲入りだから何となく。 因みに、本家の十二夜の方もあんまり内容とタイトルに関連性がない。
カテゴリーをいつもRockと各DSP(販売事業者)に届けてあるんだけど、今回のは(エレクトロ・EDM寄りの)POPS色が濃い。エレキギターとかの音が少ないです。 アーティストというブランドイメージがあるから、このカテゴリーを音源ごとにコロコロ変えるわけにも行かなくて、これはある程度致し方ない。
以下、収録曲について。
1.Tomboy
Variations(変奏曲)を作ろうと思って。POPS的なABサビとかAABAみたいなのとは、根本的に異質な展開。 楽器編成とかは物凄くシンプル。
Keyが高くて、歌をどう料理するから考えるのに時間がかかったみたい。リハーサル期間も長かったような。 結果こんなのになりましたけど。
12.Wendy
ペンタトニックベースの単純なメロディーに、音はエレクトロとかEDMとか、ややそっちに寄せた。 当初、サビのボーカルにTalking Modulatorかまそうと思ってたんだけど、効果が強すぎて止めた。 あれは使いどころを選ぶ。特に女性ボーカルには。 あとこれフェイドアウトですね。
- 10/19
コロナ騒ぎや原発問題、国防に関する法整備・予算配分などの諸問題について、いわゆる左翼系と言われる集団(一部の政党・学者、マスコミなどが代表例)の論調は一貫していて、彼らは日本国の国力を弱めることを至上の命令としている。 世論を誘導するのが手っ取り早いからマスコミは狙われるのだろう。
上のような視点で物事を眺めると、ほぼ例外が無いこと、従って何が正解かの答え合わせも容易になる。 中国共産党の日本に関する声明については、とりあえずその逆のことをすれば正解だと言うこと。 韓国政府が、方針を変えた途端に言う事も正反対になったことを見ても、これは間違いない。
原発の再稼動を妨害し、再生エネルギーを推進しようとする動きは、詰まるところ日本の電気料金の高騰を招き、電力インフラを脆弱化する。 日本人の生活が困窮する原因の有力な一つについて、ここまで分かりやすい法則性があると言うのに、選挙結果などを見るだに、日本人の多くはここに気付いていない。 日本の没落は、やはり民度相応の現象であると言わざるを得ない。 マスコミのコロナ煽りで、日本国は数百兆の金を失ったのだが、それでもまだ気付かない。
韓国政府が言を翻したことについて補足を。
前政権のスタンスを貫き、そのまま一直線にレッドチームの一員となるなら、それはそれで朝鮮人らしくない。 旗幟を鮮明にせぬことによって漁夫の利を得、ここまで存続してきた民族なのだ。 近代史を見直して見るだけで簡単に理解できる。
日韓併合の直前、韓国世論は親日と親露で割れていた(実に分かりやすい)。 結局(彼らが望んで)日本との併合を選んだわけだが、日本の敗戦後の韓国世論を見れば彼らの本質が分かろう。
現大統領は稀有な人物だと思うが、そういう人物がたまに出現することも含め、私は力学法則のようなものだと考えている。 現政権のスタンスを日本は歓迎して良いかと思うが、過度に信頼すべきではない。 またいつ転ぶか分からないから。 だからして、同時に「反日」と言う動きについても、深刻な憎悪をもって捉える必要はない。 そういう原理を持っている相手だと理解し、冷静に次の一手を考えるだけで良い。 友情の成立しない相手との、基本的な付き合い方。
- 10/18
広瀬沙希のニューシングル「片側」、本日発売です。 以下、アーティスト本人からのコメント。
片側/薄墨の恋文
世の中にはたくさんの人がいて、たくさんの考え方があります。私は自分と違う考えを持つ人を、否定するつもりも排除するつもりもありません。けれどなぜそんな考えになるのか、その人の目に世界はどう映っているのかは、あまり深く考えてはきませんでした。
ある人と出会って、その人の考えをちゃんと知りたいと思った時、その人の見ている世界は、私とは全然違うんだと気付きました。それと同時に、幼い頃ずっと一緒に過ごした人のことを思い出し、彼もまた、私とは異なる側から世界を見ていたのだと気付いたのです。
あの日、あの時間、あの場所から見た景色は一つではなかった。私が見た景色は、あくまでも私側から見ただけのものだった。彼の側から見た景色には私が見たものは無く、私が無いと思ったものがあった。
「片側」は、そんな気付きと、気付けなかった過去への後悔と、そして未来へ繋がっていく歌になっています。
「薄墨の恋文」は、1番と2番で歌詞の心情が大きく変わります。1番は、酷いことをされ離れて時間も経ったのに、未だ忘れたくても忘れられないという愛憎。
2番は、更に時が経ち、その愛憎が薄れつつある自分に気付き、虚しさを感じて慌てて繋ぎ止めようとする矛盾した心です。
「薄墨」と言うワードには、時の流れ、薄れゆく気持ち、涙で滲んだ文字、3つの意味を込めました。
実は、歌詞では恋のお話にしましたが、もともとは恋ばなではないのです。
色々な角度から楽しんでもらえたらと思います。
広瀬沙希
- 10/17
イスラエルが何故あそこまで無慈悲になれるのかと言うと、彼らはヨシュア記を現代で再現している気分だからだろう。 日本はイスラエルに(無論欧米にも)同調する必要はない。
中庸を気取るのって確かに簡単だし、時にそういう人は軽蔑の対象ともなる。 だからとて、旗幟を鮮明にせぬことに何らかの後ろめたさを感じているなら、それこそが意志の薄弱さだろう。 日本人の我々にとって意味不明な理由で喧嘩を始めた両者には「ほどほどにしときや」ぐらいしか言えない。
「お前は経緯(歴史)を知らない」と言われたところで、事実知らないのだから仕方ない。 ここで言う歴史は、テキストのみを指していない。信仰が違うのだから感想が違うと言う当たり前の部分も含む。 地理的に遠いから関心が薄い、と言うのも立派な理由だろう。 台湾海峡の問題に、EU諸国は関心が薄いはずだ。
減税の話が仄聞されるようになった。選挙(解散)が近いと言うことか。 数百兆円をばら撒いた後に税収の額面が上がったから減税って。 頭痛がしてくるな。
- 10/16
日本の抱える赤字国債がとんでもないことになっている。 もうマトモな方法で返せないし、政府もおそらく返せると思っていない。どうなるのか。 経済の分からない私なりに考えてみる。
政府のデフォルトはあり得るが、日本人が全滅するわけでも日本列島が消滅するわけでもない。 新円切替のような事態が出来して、預金が封鎖されるとか、そういうことになる可能性はゼロではないが、それでも食糧が消滅するわけでなければ、人はとりあえず生きて行ける。
円の信任は今後も低下して行くに違いない。 日本人のパフォーマンスが低下しているのだから、そこは仕方ない。 全方位的に為替レートは円安に向かうだろうと思う。 舶来物は今以上の贅沢品になる。
国債をいくら発行していようと、一応ほとんどは国内で消化しているのだから、お小遣いの前借りのようなものではある。 無事償還されなかったとて、「アイツには貸しがある」とふんぞり返っていた因業親父のツケが踏み倒されただけで、次の日から食うに困ると言うことでもない。 ただし、債権(資産)の上に胡坐をかいて安穏と暮らしていた爺さんにとって、非常事態には違いない。 多くの人が取り乱すような事態は(高確率で)起こりえるが、嗜好品などを手放すような事態となっても、食い物が何とかなるなら多分そこまで大したことにはならない。
医療や、それを含む社会保障制度が維持できなくなっても、基本的な公衆衛生とか、そういう最低限のものが維持されれば、多分問題ない。と言うか、社会全体としてはむしろある意味での健康を取り戻すかもしれない。 日本人の平均寿命(と言うか健康寿命)にもさしたる影響はない。 他国との比較で見てもおそらくこの観測は当たっている。
本質的に病人である人が、モルヒネで痛みを和らげていようと、その人の病状は変わらない。 貧乏人が国債と言う痛み止めで金持ちのフリをできるのにも限界がある、と言う話。 この国の人口動態とか財政とかを眺めての、正直な感想だ。 貧乏人は貧乏人らしく生きましょう。
それにしても悔やまれるのは、いわゆるコロナ騒動。 アホが取り乱したばかりに、この集団の崩壊は早まった。 水が高いところから低いところに流れるのは自然の摂理で、抗うことはできない。 何百兆の金を溶かしたのだから、その皺寄せは必ずやってくる。 インフレ(スタグフレーション)も増税も、狂騒の代償である。 これを踏み倒すことは絶対にできない。これは神の意志。
- 10/13
中東の、イスラエル周辺がえらいことになっている。 断っておくが、私はあの辺の歴史に詳しくない。
ハマスなどのイスラム原理主義者(というか過激派)は絶対悪なのか。 分からない。 少なくともイスラエルのパレスチナへの侵攻は国連でも非難されているし、日本を含むG7などもそのスタンスである。 この辺り、ウクライナとロシアなどとは単純比較し難い。
ウクライナとロシアだって、一応双方に言い分はある。 あの辺りの歴史にも詳しくはないが、キエフ国家の成立とかルーシに至る変遷を知ると、複雑である、ということぐらいは理解できる。 現代には国際法や国境があるからロシアのやってることは許されないわけだが。
ハマスやパレスチナ側にも言い分は当然ある。 あの土地は、パレスチナ人が千数百年来住んでいた。 そこにイスラエル(ユダヤ)人が入植してきた。 イギリスの外交姿勢がどうだとか、あれこれ原因は言われているが、要するにイスラエル人が根拠とするのは聖書(神話)である。 パレスチナ人が納得するわけがない。でもユダヤ人にとっては唯一無二の聖典であるタナハ(いわゆる旧約聖書)を根拠としているわけで、こちらも簡単に譲れない。 しかもイスラエルと言う国も、成立してかれこれ70年以上の歴史を持ってしまっている。 そもそもユダヤ人というのは、人種と言うよりユダヤ教を信奉する者の総称だ。
イスラエル国は中東(のど真ん中)に位置している。 アラブ人の殺意の海に浮かぶ孤島のような国で、国民はきっと、日々テロの恐怖に怯えながら暮らしている。私は絶対あんなところに住みたくない。 一応ムスリム(イスラム教徒)にとっても(旧約)聖書は聖典の一つであるのだから、その記述は共有できなくもないはずで、彼らが仲良くあの地で暮らせるようなロジックも成立しなくはなかったように思えなくもないのだが、それも今となっては絵空事だ。
理由があるからと言って、ああいう民間人を標的にしたテロ行為が容認されるはずもなく、台湾海峡の問題なども見据えて、日本などは非難の声明を出して問題ないと思うが、テロは悪なのだから、そこに至った理由を詮索することも、情状を酌量することも一切許されない、とか言われると違和感がある。 イスラエルのやってきたことは結構メチャクチャだ。
一応断っておくが、私はイスラム原理主義者が嫌いである。 話が通じそうにないから。 彼らなりの正義だとかロジックがあるのは分かるが、私は筑波大学の教授みたいになりたくない。 イスラエルには住みたくない私だが、もし中東のどこかの国へ移住しろ、と言われたら、イスラエルが一番マシだと思う。 結局、人類にとって、残るべきは何なのか、と言う問いなのだろうと思う。
- 10/11
神田優花の新作「Wild Child」、本日発売です。 以下、アーティスト本人からのコメント。
Wild Child/Tangerine
今年初のリリースです。
Wild Childは低空飛行(低音域)からどれだけテンション引っぱり上げられるかのギミックにこだわってます。
コーラス含めてかなり広音域の構成になっているので、仕上がりの音の絡み合いを意識しながら、声部ごとに作り上げました。
Tangerineは逆に軽さが魅力の楽曲。
最初は細かく細かく、どう歌うか設計したはずなのに、ふたを開けてみれば勢いで歌っちゃったレコーディング。
いつかのとりもどせない夏のキラキラ感と少しのセンチメンタル...。そんな空気感が出せてたらいいな。
趣の違う2つの曲、ぜひ聴いてみてください。
神田優花
- 10/10
神田優花、明日発売の新作「Wild Child」(全2曲)、収録曲について。
1.Wild Child
同一音型をシフトして展開を作るような構成、割とよく使う手法なんだけど、これもその一例。 発展形といえるのか分からないけど、その音型とやらをシフト(トランスポーズ)していない。 Aメロとサビが基本同じ音高。
サビの後に来るブロックはTempo Rubatoというのだろうか。バッキングはオンビートなんだけど、歌のみそうでないと言う。浮遊しているようなメロディー。
間奏に当たる部分にチェレスタ使ってるんだけど、バイオリンとかチェレスタとかのクラシックっぽい楽器とシンセやギターといったPOPS系の楽器を折衷したような編成になっている。
2.Tangerine
確かアルバム「Flairs」の選に漏れた曲で、発表こそ今頃になってしまったけど、曲そのものは結構前に作ったもの。 FM(音源)の音色使って何か書いてみようみたいな、その程度の動機。ドラムを含め、全てのパートはシンセ(合成音)
イントロにサンプラー使ってるんだけど、詳細が分からなくなっている。 声の主は神田優花なんだけど(聴けば判る)、音ネタをどこから拝借してきたか忘れた。 そのイントロに、テープストップ(&リスタート)っぽいギミックを多用してますが、この頃の個人的なブームだった。
- 10/5
とある女子高校生らしき人が、友達がいないことについてYoutubeで独白していたのをたまたま目にした。 その感想。
曰く、友達なんかいらない、淋しくないから慰めも要らない、交友なんて所詮依存に過ぎない、私は学校での人間関係になど依存していない、のだそうな。
その人は多分「自分の言葉」で語っていて、それだけで好感を持てたのだが、おそらく友達とか交友とかの定義が、私とは違う。 その人の考える友達など、きっと私もいらない。
彼女くらいの年の頃、私は餓えるほどに友人が欲しかった。 たった一人で良かった。この宇宙に、たった一人友人がいれば、それだけで生きて行けるような気がした。 今の私にはその友人がいるから、もう色んなことが怖くない。
彼女はこれから先、人は一人では生きて行けないこと、に気付くかもしれない。あるいは、気付かないまま時間を使い切るかもしれない。 どっちにせよ彼女には、自分の言葉が使えると言う稀有な才能があるのだから、これからもその心をなくさないで欲しいと思った。
- 10/4
ウチが歌詞情報を提供している業者は二つあって、そのうちの一社とのコンタクトに手間取りまして、まあリリース直前になんとかなったんで良かったけど。 来週水曜10/11に、予定通り神田優花「Wild Child」(全2曲)リリースします。
「二社に提供している」のだけど、同時に(ウチからは)二社にしか提供していない。 つまり、それ以外のところはほとんど転載であるということ(アグリゲーター経由のところなどは除く)。 転載を怪しからんと思うわけではないが、公式な取引がないので訂正依頼なども出せず(と言うか出さない)、誤字・転記ミスなどがあっても責任持てませんので悪しからず。
- 10/3
ページのデザイン変えてみた。 面倒臭くて長らく変えてなかったんだが、ちょっと見にくかったので。
画像は今後、こんな感じで配置します。