スタッフ日記[2025]
[文 / 益田(制作)]
- 6/30
少し前にポケモンミニについて触れたんだけど、その後また暫く調べを入れていた。 エミュレーター用の曲(デモソング)を聴いて思うところがあったので記しておく。
矩形波1Chしかなく、最大同時発音数も1である。 一音でどうやって曲なんて作るのかと思っていたのだけど、作れる猛者はいるらしい。 まずエンベロープを弄って、アタック時にクリック音のようなものを鳴らせる音色が作れる。メロディーとクリックが同時に鳴っているように聞こえるのだけど、高速で連続再生されているだけで、実は一音なのである。因みにそのクリック音は、それだけ単体でも出せる。
そのクリックに、限定的ながらリズムを担当させることができる。 ノイズChは無いので、Chiptune定番のノイズを使ったスネアみたいなのは出せない。
他にも、小節のアタマだけを低いルート音にすることで、ベースというか、コード感を表現できる。 これは単音楽器の定石のようなテクニックなのだけど、忘れていた。目から鱗である。
ポケモンミニ音源を使った曲が書きたくなってきた。 当初思っていたより自由度はあるが、それにしたって要は一音である。できるものには限りがある。つまり、モチーフをかなり選ぶわけで、思いついた曲を当て込む、なんてことはできない。
- 6/24
神田優花「Tomboy」。
FORMULA EMERGENTI
スーパーカセットビジョンのサウンド機能の担うのはNEC製のuPD1771Cというサウンドチップである。詳しくは分からないが、カタログスペック的には「3矩形波・1ノイズ」を発振できるそうだ。 ここだけ聞くとPSGかのようだが、3chを独立制御できる仕様とはなっていないらしい。
実際ソフトのデモ画面などを見ていても、BGMは単音である。部分的に複数の音が聞こえるところがあるが(BGMと効果音など)、プログラムによって高速に二音を切り替えているだけで、実際には単音であるという。 まあ分かる。PSGの矩形波とノイズの高速切り替えみたいなものか。音は濁るはずだが。
「BASIC入門」というプログラム用のソフトがあって、サウンドのプログラムもできるのだが、それにしても複数パートを制御できる作りになっていないようだ(Wikipedia参照)。 まあBASIC入門は休符の入力もできないそうなので、まったくもって使い物にならないが。
スーパーカセットビジョン音源での曲作りをしようと今のところ思わないが、単音なら単音で良いからスムースに制御できるシーケンスプログラムのようなものはないのか。 有志らに期待したいところだけど、さすがに今更そんなものを作ろうと言う御仁はいないか。 トラッカーでもいい。
- 6/18
神田優花、二曲まとめてレコーディング。 ちょっと前にフェアライトのエミュレーターに執心してたんだけど、その時期に作った曲がボチボチ上がりつつある。
広瀬沙希「薄墨の恋文」紹介されています。
FORMULA EMERGENTI
- 6/11
米価が高騰しているという。一年で2.5倍にも跳ね上がったらしい。 主食の暴騰は一種の緊急事態ということで、ニュースバリューも高いらしく、連日関連のニュースが報道されている。
その前に主食とは何ぞや。あらためて考えて(調べて)みた。
そもそも「主食」という考え方自体がローカルな発想であるといい、世界中には、食い物(食材)に主副の別などない地域が多いそうだ。さもありなん。人は色んなものを食うからな。
日本に限定しても、稲作自体には2000年の歴史があるにせよ、伝来当初の米は祭祀具に近く、常食するようなものではなかった。比較的豊かになった江戸時代でも、庶民の日常食は雑穀との混合物で、白米は都市部(江戸など)の武士階級などの贅沢品だった。因みに当時の人口構成、8割くらいが農民で、武士は1割満たないくらい。
明治に至っても基本白米は贅沢品で、軍の標準食が米だったのだけど、一種の「セールスポイント」であった色が濃い。 つまり、庶民は依然雑穀米中心の食生活を続けていた。 余談だが、この軍の白米採用や江戸期に都市部で流行した白米食によるビタミン不足が、脚気など死に至る深刻な病を発生させることになる。詳しくは「江戸わずらい」などで調べられたし。
昭和、とりわけ戦後に米中心の食生活が確立した。学校給食の影響が大きいという。 日本人の米消費量は1950~70年代にかけてピークを迎える。
昨今また、米の消費量は減りつつあったのだが、歴史を通覧するとさして特異な現象でもない。元々そんなに白米に偏った食生活などしておらなんだ。 米が高いなら本当に麦(パンや麺)やその他の雑穀を食えば良い。
- 6/10
コロナ対策の分科会元会長があるテレビ番組に出演していたらしいが(私は見ていない)、そこで「若者の(ワクチン)接種は本人の判断で決めるべきだと私はずっと言ってきた」と発言し、物議を醸している。 要するに彼は前言を翻していると。彼の今の主張と矛盾するログが山ほど残っており、SNSなどではそれが晒されている。
旗色が悪くなったことを彼なりに肌で感じるのだろう。しゃあしゃあと嘘で乗り切ろうとしたが、立場が立場なだけに、一々の言動が記録として残ってしまっている。簡単には煙に巻けないようだ。
彼の食言を「許せない」と憤慨する意見が噴出しているのだが、私はそれも如何なものかと思えてしまう。無論私は感情としては似たようなもので、あの人物を不問に処すべきでないと思うが、多くの日本人の憤慨に同調する気分にはなれない。
何と言われようと、信じられないものには従わねば良かっただけである。従うから、依存的・他律的であるから不満が残る。親鸞が「騙されて地獄に落ちようと悔いはない」と言ったのは、彼が師の教えを信じたからである。信じるというのは、疑わないことではない。疑うことも一つの信。「この人物は、必ずや私を裏切るであろう」という確信、これは紛れもない信である。
上の元会長。どう見ても信を置くべき人物でない。 あの程度の人物の吐く言説に易々と踊らされるのは、あなたがその程度の人間だからだ。 要するに、多くの日本人は、さしたる判断をしなかった。唯々諾々とあのような小人に騙され、惑わされ、怪しげなワクチンを打ち続けた。今更になって怒りを爆発させていることも含め、愚かな印象は否めない。
時間は取り戻せない。ああいう者たちに破壊された歴史は返らない。 我々に今からでもできることは、あの者たちの「やり逃げ」を許さないこと。あの騒動の総括をすること。乱発された緊急事態宣言などにどのような効果(や負の影響)があったのか、言われていたように飲食店や飲酒に感染拡大の原因が本当にあったのか、マスクやパネルなどの感染対策に本当に効果があったのか、ワクチンの効果・害、溶かした100兆円規模の公金の正当性、これらをつぶさに検証すること。 これは今からでもできる。
- 6/9
橘高茉奈「I Believe」が紹介されています。
FORMULA EMERGENTI 118
ポケモンミニについてのメモ。 たまごっちタイプの携帯型電子ゲームなのだが(私はたまごっちもよく分からない)、最大の特異点は「カートリッジ交換式」である点。要するに立派なゲームハードなのである。曰く「世界最小」だそうな。 ただし、基本的に不人気機種だったようで、リリースされたソフトウェア(カートリッジ)は10タイトルほど。
驚くべきことにサウンド機能がついている。 矩形波1Ch、音量3段階(0,1,2の三段階だから事実上二段階)、デューティーサイクルまで弄れるらしい。 ただ、本体と外部機器との連携が全く取れず(カートリッジは独自規格、イヤホンジャックすらついてない)、その音源部を操作することは(少なくとも正規の方法では)できない。当然シーケンサーのようなソフトもリリースされていない。やや残念。
愛用のトラッカーに、なんとポケモンミニ音源のエミュレーター機能がある。 矩形波一系統でどうやって曲を作るのかって話だが、実機ではそれで一応のBGMを演奏させているわけで、その程度のものであれば作れる。
ポケモンミニ音源で曲でも作ろうかと考えてみたが、とりあえず断念した。いくらなんでも1Chはキツい。 いつか何か作りたくなったりするかもしれないが。
- 6/4
サンプリングについて解説する文章を読んでいた。 サンプリングと著作権について、一種の勉強というか。 しかし厳密さを徹底するなら、サンプリングと言う手法は成立するのか否か、怪しくなるほどものものだ。
例として挙げられていたのだが、特定の映画に登場する「爆発音」をサンプリングして効果音として使えば、それは著作権侵害になるという。 爆発音などいわば単音で、メロディーのような創作性・構造性など持たないのだが、そうであるという。因みにこれは、加工を施しても「原型を特定(想起)できるのであれば」NGであるという。
仮に私が、著作権を侵害された側であり、それを主張するなら、「原型の特定」はどうやってすればよかろうか。 オーディオデータなんて、ホンの僅かでも加工を施したら、波形レベルでの同定などほぼ不可能になる。 アニメキャラの台詞であるとか、そういう耳で聞いて同定できるものでなければ難しいように思える。上記の「爆発音」などもその難しいケースだろう。
「著作権フリーの素材であればOK」とある。 私はネット上の色々な場所からその手の素材集を落としてくるが、中身の来歴まで知らない。 「商用利用OK」を謳う素材集が、それ自体著作権侵害物だったりする可能性はある。 民法の善意の第三者のような概念は存在するはずだが(でなければ混乱不可避だろうから)、このあたりはあまり詳しくない。
「自身でサンプリングしたものならOK」とある。例えば自分で机を叩いた音を録音したものなど。 ウチは「カメラのシャッター音」を効果音として某所で販売していて、それはまさに自分でサンプリングしたものだが、これとて100%著作権をクリアしていると言えるのだろうか。 例えば電子レンジの「チン」音をサンプリングしたとする。しかし、その「チン音」はメーカー謹製であるに違いない。 音の性格によってはブランドや商品名まで特定できる可能性もある。 シャッター音とてそうだろう。
ゲーム音楽なども難しい。いわゆるレトロゲームの、サウンドチップ発音の音について、著作権的にはどうなのだろう。 音楽(音符配列)に著作権があるのは当然としても、単発の効果音などにもそれがあるのか。 それ関係のBBSとかフォーラムの類には、自ら解析(トレース)した音をMMLで書き込んでいるケースがよく見られた(最近そういうところを見てないが)。 私はそれをメモったものをコンパイル、オーディオ化して作品にもよく使ったが、あれも著作権的にはグレーなのか。よく分からない。
グレーゾーンの大きい世界であるのは間違いないが、確実に言えることとして、昔よりあれこれうるさくなっている。 面倒臭がりな私は、それ関係に手を出すのも億劫になりそうだ。
- 6/2
神田優花「Albatross」が紹介されています。
FORMULA EMERGENTI 116
- 5/27
(多分来週)Formula Emergenti(ラジオ)で、神田優花のAlbatrossがオンエアされるそうです。
ゲーム音楽ってのは一つのジャンルなわけで、特有の書法も当然ある。惜しむらくは、その体系が整理されていないこと。 西洋音楽・和声音楽でいうところのラモーの著作とか、音大生の代表テキストである赤本とか、雅楽で言うところの増本伎共子氏の著作のようなスタンダードがあれば、随分と助かったのに。
ゲームサウンド制作は、音楽であると同時に、プログラムの領域にも深く食い込んでいる。 今はトラッカーだのサウンドファイルを直接生成できるシーケンサーだのが存在するが、そんなものは後発で、元々はプログラムによるものだった。
ゲーム黄金時代の幕開けとも言える80年代とか、ゲーム音楽のコンポーザーとプログラマーが未分化であったりする。自身が音楽をエディットするためのアプリケーションを自作していたりなど。 一応私自身はMMLから入ったクチで、それ以前のマシン語とかアセンブリとか全く分からないわけだけど、MMLも一応プログラム言語と言えばそうだ。最初はコンパイルとかそういう面倒なことをやっていた。今でも必要ならばやる。
しかしながら、ゲーム史の資料などを読んでいると、スコアベースでゲーム音楽を作るような専業の音楽屋なども、それはそれで早い段階で生まれている。ゲーム業界が巨大な市場であったからだろうか。
私が思いを馳せているゲームミュージックは、いわゆるChiptuneではない。 ああいうギミックフルなものではなく、あくまで当時(80年代くらい)のアーケード機やコンシューマー機で使われた、シンプルなBGM用途の楽曲。 ついでながら、70年代とかそれ以前のものになってくると、ほとんど効果音とかビープ音みたいなもの(あるいは無音とか)ばかりになってしまい、研究対象としての価値は薄くなってしまう。
ゲーム音楽には様式がある。 例えば「ハリーアップ」はステージ終盤にBGMがテンポアップされたもの。「ワーニング」はハリーアップの開始を知らせるフラグ的なフレーズ。 こういう用語にどこまでのオフィシャリティーがあるか不明だが、一部の世界では共有されている。
個人的にナムコの初期作品が、スタイリッシュで好きである。それらを下敷きにした曲を今作っているのだけど、なかなかに面白い。 例えば「ディグダグ」は、BGMが主人公の歩みに合わせて流れる。主人公が歩みを止めるとBGMも止まるという、今になって見れば風変わりな作品だ。アイディアとして取り入れたい衝動に駆られる。
しかし初期のナムコ作品、「ギャラクシアン」や「パックマン」にも、ステージBGMが存在しない(効果音はある)。ゼビウスになって初めてそれらしきものが入るのだが、聞き取れる限り単旋律の物凄くシンプルなもので、あれもキャラクターのムーブに合わせた効果音との境界が曖昧である。シューティングゲームなのでスクロールは強制、キャラクターのムーブにブレイク要素が無い。
当時のゲーム音楽は大体フェイズ切り替え時のみに流れるのだが、まだステージのバックに音楽を流す、という思想が確立されていなかったのだろう。 ディグダグについても、あれはあくまでBGMでなく主人公の歩行音という位置付けらしい(Wikipediaにもそうある)。 その後ステージBGMは標準となって行くのだが、如何にも過渡期の作品らしい。
当時のゲーム制作の工程から推しても、サウンド担当のスタッフに「主人公の歩みに合わせてBGMを流す」などという設定を入れ込むような権限があったとは思えない。 おそらくは仕様書とか企画書に、フレーズが必要なシチュエーションが列挙してあっただけかと思われる。それに沿って作った「主人公の歩行音」があれなのだろう。
何度も言っているのだが、私はあくまで「研究対象としての面白み」を感じているだけで、ゲームそのものを「プレイ」しない。ゲーム機などもほとんど買ったことがない。 そもそも現行のものにもまったく詳しくないので、その手の話の相手としては不適格である。
- 5/23
コメ問題で日本中が揺れているようだ。 農水大臣が変わったばかりなのだが、コメの価格安定を至上の命令とするらしい。
これ自体は実は簡単だ。 まず関税を低く(あるいは撤廃)すれば良い。 他にも大規模集約化を妨げている規制を取っ払えば良い。それだけで米価は抑えられる。 今の日本人は、コメなどというありふれた穀物を規制・障壁によって世界一の高水準で売りつけられている。無理な状況を(誰かが得するために)作為的に起こしているだけなので、堰を取っ払えば良いだけのこと。 さしたる知恵はいらない。
自給率だとか安全保障がどうとかいう詭弁に騙され続けるのももうやめよう。 我々はコメだけ齧って生きているわけじゃない。 小麦も大豆もトウモロコシも輸入に頼っているのに、コメだけ100%自給してどうする。 そもそもコメすら実は自給と言えない。 肥料も農薬も機械類も燃料も、すべて輸入頼みである。コメだけせっせとこさえても、石油も出ない日本で、どうやって全国津々浦々にそれを運ぶ気だ。
食糧安全保障については、効率化し、競争力を育て、整理・淘汰すべきはそのようにし、比較優位を生かして国力を涵養する。輸入に関しても、極力堅牢なポートフォリオを構築する(コメを買うことだって外交カードだ)。 これが安全保障の最適解である。 「有事の際に~」とある者は言うが、昭和の日本は、コメを自給しても、石油を止められただけで戦争を始めた。
何より私は、この民族の「他人への要求を恥としない」幼稚な民族性に辟易している。 コメの自給が安全保障上不可欠だと思うなら、思う人らががんばれば良い。その人らが、自分にできることを精一杯やればよろしい。その為とて、不公正な障壁を設け、国民の選択肢を奪うな。 「外国産米など食べたくない」というなら、そういうあなたが食わねば良い。他人の選択に容喙するな。
騒ぎの渦中に「コメは決して高くない」との主旨の広告が出たらしい。 今の米価は、平明な感覚において、国際比較によっても、高いと言わざるを得ない。 「高くない」との主張は「高止まりさせたい」という意味かと思われるが、高騰の原因の一つが、図らずも露呈された形で、象徴的な出来事だと言える。
失言によって更迭された前農水大臣、ああいう人が農水行政のトップにいたことも含め、象徴的と言える。 前の厚労大臣といい、今の政権は形振り構っていられないのだろう。
主食が高騰しているということは、即ち日本人が貧しくなっているということ。 一部の人間が得をするため、多くの人が貧しくなる。利権政治の基本構造なわけだが、得をする人より損をする人の方が、数で言えば圧倒的に多いわけだから、構造がバレ出すと維持するのも難しくなるのだろう。 日本人に正義を説いても詮無いが、「あなたは損をさせられている」と耳打ちすれば、絶大な効果が生まれる。
- 5/22
低音部をベースギターに担当させるのは、いわばPOPSの定石なのだが、たまには違うことをやってみたくてあれこれ試したりするが、なかなか容易でない。 最近作った曲では、低音部をバリトンサックスに担当させているのだが、ある種のスカスカさ加減が否めない。 ベースギター、あれは結構優秀なというか、稀有な楽器である。
ワールドミュージックの類を調べていると、低音が貧弱であることがしばしばである。 そういうスタイルであるというより、安定した低音を出せる(工業製品としての)楽器を製造することが困難であるからだろう。 このあたり西洋音楽には、音楽の体系である以前に、文明の体系としての堅牢さを感じずにいられない。
話は変わるが、Enterpriseというイギリス製コンピューターをご存知だろうか。私は実物を見たこともなければ、存在すら知らなかった。 多分日本にはほとんど入っていない。
Daveというサウンドチップを搭載しているらしい。 私が使っている各種サウンドチップのエミュレーターに、Daveなる謎の音源があったので、調べを入れるうちに分かってきた。 基本構成は、3つのサウンドチャンネルとノイズチャンネルの計4チャンネル。ここだけ見ればDCSG(SN76489)などに近いのだが、音色・エフェクトなど、結構違う。独自の音源である。 POKEYなるサウンドチップに似ているらしいのだが、そのPOKEYも私は知らなかった。 因みにEnterpriseもPOKEYも、Wikipediaの日本語ページすら無い。
POKEYの解説に「4チャンネルを独立して使用すると、ピッチ精度の不足により、12平均律の一部で顕著なデチューンが発生する」とある。 SID系の音源にも似たような挙動があって、複数チャンネルを使うと、干渉により音色や音量制御に不具合が生じる。 私が今使っているエミュレーターはマニアが執念で作ったようなもので、ありがたくもその不具合まで忠実に再現してくれており、使いにくいことこの上ない(あくまで別音源だが、一応SID2と言って、SID音源の各種不具合を修正したような模倣品も選べるようになってはいる)。
Daveを使った曲を作ってみたい気がする。 POKEYの類似品であるなら、上記の不具合も踏襲されていたりするのだろうか。 まだ使い込んでいないからよく分からない。
- 5/21
私が政治に関心を持つのは、そこに人間、特に日本人の何事かが縮図として表れていると思うからだ。 表面的な政治情勢・政治学・帝王学などには一切興味がない。
「何をさておき政治が悪い」、「政治の質は有権者の質を反映している」とか、よく言われるその手のことはまったくもってその通りで、今の政党・政治家のような、利権の権化のような者どもに政権という旨味を吸わせ続けているのは、投票棄権者も含む有権者である。 政治は、極力その本質を見抜かれぬよう、日本国に寄生するものである。 搾取の対象が広く薄いから国が豊かなうちはバレ難かったが、そうでなくなりつつある。 日本人は、不幸の理由を他に求めがちな民族な上、今後貧しくなるから、この先一層にこの傾向は濃くなる。
不幸の原因をどこに求めたところで、今の日本の惨状は、もう取り返しのつくものではない。 ここまで好き放題蝕ませたのも日本人。 この先味わうであろう痛みによって、何かを学んでもらうしかない。
日本人の原理を一言で概括するなら「保身」である。 彼らのすべての行動は(美徳と言われるものも含め)、この保身に集約される。 例えば受験勉強を「努力」とする類。あれは他の下等生物が糖分などに集っているのと同じである。
明治の欧化政策とか戦後の民主化によって、西洋型の制度だけは取り入れたが、そこに至る歴史・精神風土を持たぬが故、すべては骨抜きにされた。代表的なのが選挙制度である。 律令時代に科挙が取り入れられなかった理由も、おそらく当時の既得権益に抵触したからだろう。
平安末期や室町末期の無政府・極度の治安低下状態が、幕府政治や織豊政権を生んだ、と言えば聞こえが良いが、要するに日本人は、破滅に至るまで物事を改善することができない。 先の敗戦なども典型的なそれで、今の体制もこのまま行くと近い将来、財政の破綻を機に崩壊せざるを得ない。 持続可能な原理性を持てなかった民族の末路と言える。
この期に及んで、与野党から「減税」を推す声が聞こえる。 多分に選挙目当ての軽薄なものであるが、また多くの国民の賛同を得ているらしい。まだ懲りない。 「消費税をなくせ(減税しろ)」、「減税すれば消費が刺激され、税収は上がる」、「自国通貨建て国債はいくらでも発行できる」、「通貨発行権があるから日本はデフォルトしない」。 この手の意見もよく耳にするが、意見の主は熟慮の末、論理的にその解を導き出したわけではない。 単に「金が欲しい」、「出る金は一円でも惜しい」と言っているに過ぎない。 つまり言語を、思考の為に使っているのではなく、自らに都合の良い状況を引き出す為の道具として使っている。 彼らとの議論は成立せず、彼らは人類の一員としての条件を満たさない。
日本の蹉跌は何らかの事故によるものではない。日本というシステムが、早晩破綻するように設計されている。 考えれば考えるほど、この民族・国家の行く末は暗いと思わざるを得ない。 未来の地球上に、日本という国家が存在しなかったとしても、日本語くらいは残って欲しいかな。 本当に残って欲しいのは「芸術」であるけれど、それは望まなくとも残るだろうから心配していない。
- 5/20
コメが高騰しているという。コメに限らず、食品全般、諸物価が高騰している。完全なインフレである。
物の値段が決まるプロセスは複雑で、何か一つに原因を集約することは難しいのだろうけど、先般のコロナのバカ騒ぎでの100兆円規模の蕩尽、あれが影響していないわけがない。 国は全国民に金をバラ撒きまくったのだが、何の資源を失ったわけでもない(財政政策というのはそういうもの)。 日本の持てる国力は変わらず(むしろ経済活動を制約した分疲弊し)、赤字国債の残高だけが増えた。 当然円の価値は希釈され、円安が起こり、諸物価にも波及した。
コロナ騒ぎの最中、緊急事態宣言に8割だかの国民が賛成したという。 要するに「緊急事態宣言を発動しろ」と言ったのと同じ口が「政府は物価高騰を抑えろ」と言っている。 緊急事態宣言をタダだと思っていた(今も思っている)らしい。
政治の世界から、減税だの給付金だのと言う、曰く「物価高対策」の話が出ている。 また財政政策で事態を乗り切ろうと考えているらしい。 インフレ時に減税すれば物価は更に高騰する、というような経済学の基礎的な話はさておき、この世界に「輪転機回してお札を刷れば万事は解決する」というような打ち出の小槌は存在しない。 水が高いところから低いところに流れるように、散財すればそのツケは回ってくる。 この世界の誰かが必ずそのツケを耳を揃えて返すことになる。 「俺は払うものか」と居直る因業ジジイも、このようにインフレという形で払わされる。
日本人は、全体を俯瞰するとか、長期的視野を持つ、とかいうのが苦手なようだ。 ロゴスに発した文化でなく、後天的に名を正すこともなかった民族である。 思索こそを忌避し、Godという超越概念にたどり着くことも無かった。
時間感覚とかって、即ち言語である。 それを持たずに、未来のこの地球上に生き残るのは難しいのではないかね。
Formula Emergenti(114)で、橘高茉奈「Bubbles」がオンエアされました。 下はポッドキャスト。
FORMULA EMERGENTI 114
- 5/14
試しにAIに「日本がIMF管理下に置かれた場合に起こる事態」を予測してもらったら、「社会保障制度の抜本改革」・「消費税大幅増(消費税中心への税制改正)」・「経済対策としての規制緩和」・「公務員削減」だのと、素晴らしいことばかりしか言わない。 私はこの国の自浄能力に極めて懐疑的なので、早くIMF管理体制に移行すれば良いと思った。 なので、消費税減税とか、その手の大衆迎合政策(選挙対策)に全面的に賛成したい。社会保障もこのまま突っ走れば良い。
あと下記は、Formula Emergenti(113)のポッドキャストです。
FORMULA EMERGENTI 112
- 5/13
Formula Emergenti(ラジオ)で、神田優花の「Wild Child」が放送されたんだけど、続けて「Lucky Me」がオンエアされるみたいです。 ポッドキャスト上がったらこのページにリンク貼りますね。
- 5/8
例のFormula Emergenti、ポッドキャスト上がってるみたいなので紹介しておきます。 13曲目ですね。
FORMULA EMERGENTI 112
- 5/6
Formula Emergentiってイタリアのラジオ番組で、神田優花の「Wild Child」が放送されるそうだ。 「will be played Mondays at 10AM and 9PM Central European Time」とあるので、月曜午前10時と午後9時(もちろん現地時間)にオンエアされるとのこと。再放送と言うか他局との乗り入れみたいなのもあるらしくて、「Tuesdays at 4AM (CET Time) on radioflames.it/ and on European Indie Music Network Radio」ともあり、火曜午前4時にも放送されるとのこと。 メインの放送局はイタリアだが、「so Berlin, Rome, Madrid, Paris, Warsaw etc.」とあるので、割とヨーロッパ全域で流れるっぽい。 ここ読んでる人にさほどの関心があろうとも思えないが、後日ポッドキャストとかもあがるらしいので、その時はまたここでお知らせしますね。
- 4/25
下のエントリーで触れた不具合、原因が特定できた。 コンバーターでなくシーケンサー(SMF作成段階)におけるバグだった。 バグと言うか、私の使っているシーケンスソフトが古すぎて、Windows11に適応・適用できないようだ。 ゲートタイムがおかしくなる。
いわゆるトランプ関税の一件、なんか腰砕けみたいな感じで収束しそうな雰囲気だ。 私はトランプさんという人の言動を見ていて、若干「被害妄想」が強いのが気になる。 世の中のトラブルの大半はああいう機微から生まれている。
しかしあそこまで明白に「中国に対する敵視を剥き出しにした」というのは歴史的な意義を持つかもな。 今中国は、おいそれと台湾に侵攻したりできないだろう。 実際台湾の、この事態に対する評価と言うか態度はどうなんだろう。 好意的ですらあったりするのではないのか。
- 4/22
MIDI→MMLコンバーターの不具合に数時間を溶かしてしまった。いまだに原因が分からない。 コンバート用のソフトがSMFを読み込む際、あるノートデータの配列をおかしな具合なMMLに変換してしまう。 34分音符だとか、奇数分音符とか。コンパイルの際にエラーではじかれるので、帳尻が合っているのかさえ分からない。
その不具合、ドラム系のパートに頻出する。ドラムと言っても音色すら当てる前段階だから、単にノートが並んでいるに過ぎない。ある傾向を持った配列において発生しやすいバグらしい。 必ずしも複雑な音符配列でというわけでもなく、単発っぽいノートにおいてもおかしな変換が行われたりする。 原因が解明できなければコンバーターごと乗り換えるしかないな。
- 4/19
今書いている曲に、ブラスのパートを入れたいのだが、連続五度をどう使うかで思案している。 やはり私の脳がある種の音楽に特化した仕様に傾いているようで、三度音の欠如に若干の不足を感じる。
ハードロックなどに頻出するいわゆるパワーコード、一度・五度の構成なので、長短の別が無い。 人間の脳機能は音楽に含まれるトーナリティーを掬い取るものなので、楽曲に潜在する長短は(多分に補完により)理解しているわけだが。
連続(平行)五度は、西洋音楽においてはある時代禁則とされたりもしたのだが、音楽というスケールで見た場合、それは特段の禁忌ではない。 実際ブラスアレンジにおいてなど、連続五度とか八度とか、割とベーシックな書法である。無論、教程書(教則本)の類でも見かける。 クラシックの世界においてもパワーコードの構成を空虚五度といって、多少異端の扱いではあるが、カテゴライズしてはいる。 とかく音楽と言うものは、解釈によって成立している面が大きい。
- 4/17
政治の世界で、減税や現金給付についての議論が熱を帯びている。 「バラマキ」とか「選挙活動」とか揶揄されているようだが、間違いなくそういう面はあろう。 この状況に及んで減税だとか、正気を疑う。
体制も末期になれば、ある面での気前が良くなるらしい。 例えば幕末の頃、新撰組のような出自の怪しげな連中が、事実上の幕府直轄軍となったのも、体制末期ならではだろう。 近藤勇はその後、大久保大和と名乗った(それが容認された)のだが、幕府が官位の奏請権を失ってなおポストを乱発していたことが伺える。失ってなければ、近藤はおそらく大和守だったろう。 典型的な末期症状で、例えば破産者の記録を見てみれば理解に容易い。破産に至る直前の数年間くらいに借金の総額が異常に膨張していることが分かるだろう。
- 4/16
ゴダイゴのモンキー・マジックの歌詞を読んで感心した。 作詞家の奈良橋陽子氏の来歴について詳しくないが、相当に英語が達者であると見える。 あれは単語帳読んで語彙を増やしただけのような、TOEIC○○点なんて者とは次元が違う。
Born from an egg on a mountain top
The punkiest monkey that ever popped
これが歌詞の冒頭部分(二行)である。 私などBorn from the egg on the mountain topなどとつい書いてしまいそうだ。 作詞者は定冠詞・不定冠詞の理解が深い。
「山の上の卵から生まれた」というのは、昔話の導入によくある「昔々あるところに~」なわけだが、「あるところにお爺さんとお婆さんがいました」のお爺さんは「a お爺さん」である。
歌詞の二行目は「The punkiest monkey」から始まるわけだが、これは昔話でいう「お爺さんは山へ芝刈りに~」である。 ここでのお爺さんは「The お爺さん」なわけで、歌詞と完璧に呼応している。 多分作詞者はネイティブスピーカーなのだろう。英語で思考してそうだ。
- 4/15
FM TOWNSのエミュレーターでサウンドファイル(EUP)作ってたんだけど、どうもエミュレーターのキーボードに難があるというか、打てない文字があるっぽい。 とりあえず手元のテキストエディターで作ったTXTをインポートする形で間に合わせているけど、若干の不便は感じる。
MIDIデータ(SMF)をMMLに変換するツールはたくさん存在しているのだが、どれも一長一短あるというか、これさえあればOKってのが無い。 今メインで使っている奴も、使い込むたび不具合を発見してしまう。 因みに、必ずしもバグというわけでもなかったりする。
今使っているものは、ノートデータにオクターブの指定が入らないタイプ。 変換したMMLデータを別途用意したMMLファイルに貼り付けるんだけど、そこでオクターブ指定のコマンドも入れるので問題はない。というか、MMLの記述を改変する必要が少ないのでむしろ助かっていた。 ところが昨日、数オクターブの跳躍を含むノートデータにおいて、突如絶対値でのオクターブ指定が入ることが判明。 冒頭のオクターブ指定コマンドの意味が希薄になる。
数オクターブの跳躍って、旋律楽器でもあり得るが、ドラムトラックなどであれば頻出するわけで、避けて通れない。 自分なりの解決策はとりあえず見つけたんだけど、ボリューム指定などにも似たような挙動が見られる。 v8がボリュームのデフォルト値らしく、そこに相当するベロシティー値は(曲の冒頭であれば)端折られるのだが、当然コンパイラー側はそうであるとは限らない。 まだ気づいていないだけで、この手の小さな不具合が他にも大量にありそうだ。
- 4/12
未来について。
将来・老後に備えて、銀行預金を蓄えておくとか、保険の類に加入するとか、そういう行動を人は採りがちだが、その人には未来が見えているのだろうか。未来を感じるだけのイマジネーションがあるのだろうか、 私にそうは思えない。 「将来に備えて」なんて、心に隙間風が吹いただけだろう。 生きる自信さえあれば、そんな憂いはきっと消えてしまう。 実は人間は、無一文で死んだって何ら困らない。
私には未来が見えているのだろうか。見えているつもりである。 だから私は今日も、そこに向かっている感覚がある。 将来に備えたくなる人は、どこに向かっている感覚も持っていないだろう。
「お前の言う未来とは具体的にどういうものだ」と問われても、そんなの分からない。 輪郭すら覚束ない、眩しさのようなもの。 老後に備えたくなるという人に、それは見えていないだろう。
「君は夢の意味が分かっているか」と問われるなら、ほとんどの人は「分かっている」と答えるだろう。 私も昔は「分かると言うのだから分かっているのだろう」と何となく思っていたが、今は違う。 今の私は、相手の吐く言葉ではなく、その言葉を発するその人の「気分」を想像するようにしている。 そしたら物事を間違えることが格段に減った。
明日と言う日が自分を待っているような、そんな気がするなら、もう人生における問題のほとんどは解決したも同然だ。 私の言語は、この感覚を夢と名付けているのだけど、この感覚を持たない人というのは、要するに死ぬまで夢が分からない。 未来を感じることもできない。
- 4/11
統一教会について。
人間は心に映している世界(認知)こそがすべてである。 認知は、その人の言語機能と密接に関連している。 認知こそが行動・意思決定を左右し、その人が最後にたどり着く場所をも決める。 現代人のほとんどが「金」を心に映しているからこそ、それが日々の懸案となり、大部分の時間を溶かす。 無論私とて例外でない。面倒臭いことではあるが、あれが無いと生きるに難渋してしまう。
昆虫は糖分にたかるが、一万円札には見向きもしない。 心にそれを映さない。映すことが何ら生存上有利に働かない。 幽霊が怖いと言う人は、除霊・浄霊にコストをかけたりするだろう。 その人には幽霊が見えているのだから、それが行動に影響を与えるのは当然である。 一般人が初詣に行くのも葬式に行くのも、認知(信仰)にかかるコストである。
(旧)統一教会の信者は、お布施の額が信仰の深さを測る直接のバロメーターとなると言う。 世間では邪教の扱いだが、思想の善悪など、人間如きに容易に判定できるものではない。 少なくとも信者にとっては信仰そのもので、受難として、破産・家族の離散などに至ることもしばしばあるようだ。
配偶者や子供が統一教会に洗脳され、財産をすり潰している時、(信仰外にいる)家族などはたまったものでない。怒りの感情を爆発させる人は多いようで、それが一家の離散に繋がるケースも多いそうな。「邪教にそそのかされやがって」と。 しかし信者には家族とは違う世界が見えているのだから、泣いて説得にかかろうが、怒りに任せて殴ろうが、その認知(信仰)があらたまることはない。 今の我々が、ある日突然に金を無価値と見做すことが容易でありましょうかね。 小学生でもお年玉を喜ぶと言うのに。
割と最近、その統一教会に地裁からの解散命令が出たとか仄聞した。 裁判官などは現体制側の人間で、判断もそのスキームに最適化しているだろうから仕方ない面もあるが、彼らは物事に絶対的な善悪だとか、思想に正誤があるとでも思っているのだろうか。「客観的事実」ですら、この世界に存在するか怪しいと言うのに。 一応断っておくけど、私に統一教会の肩を持つ気はない。 むしろあんな薄っぺらい知恵の産物に、易々と取り込まれる人が一定数いることに驚きを禁じえないくらいだ。 解散命令にも特段反対ではない。
多少話は逸れるが、かくいう私も子供の頃、他の大多数の人に見えていない、いわば幽霊が見えていた。 だから当然行動の様式もある人が見れば異常であったろうし、周囲がそれをあらためさせることもできなかった。実際、周囲との軋轢が深刻化したこともあった。 今となって「こうすればあの衝突は回避できたろう」と思うこともあるが、衝突そのものは価値観を測る指標として役に立ったと今では思える。
ついでだがその幽霊、私には今でも見えている。故にそれは、私の行動・意思決定を支配している。 大人になって不毛な衝突をあまり起こさなくなった私は、成長して変わった(幽霊が見えなくなった)のではなく、処世の術としてそれを回避する手練手管を覚えただけだ。 本質は変わっていない。
人生にはフェイズがあり、若さ故の未熟さが残っている時期はある。 その未熟さとは、大抵が生存への執着から生まれているわけだが、それらは言わば夾雑物で、本来経験とともに削ぎ落とされるべきもの。 「あの頃は良かった」などと若さを尊ぶ人は、その夾雑物こそがその人の実体、つまりそんな人存在していないのだろう。
タレントなどで「ある時期に魅力的だったが、その後色褪せた」と言うような人がいる。 要するに成長のあるフェイズにおける態様が、周囲のニーズとたまたまマッチしたと言うことだろう。 魅力の失せたその人の方が時系列で言う後ろなのだから、そちらの方がその人の実体に近いということになる。 「魅力的でなくなった」と言うより「ある時期魅力的に映ったが、本来の姿は存外につまらなかった」ということ。 あるいは見る側のフェイズも無縁でなかろうか。
(本物であれば)芸術家に、時とともに色褪せるタイプはいないはずだが、それ様の現象はたまに目にする。 要するにその人は芸術家でなく、時流に乗った絵描きや音楽屋だったのだろう。
- 4/10
いわゆるトランプショックで株が乱高下しているらしい。トレーダーの皆さん、気が気でなかろう。 私は株なんて一切やらない(証券口座すら持っていない)からどこ吹く風だが、そんなことに気を揉みたくないからやっていないって面もある。 私の懸案の大部分は別のところにある。
あるフリー音源を落としてみたのだが、結局使わなかった。 サイズ的にもかなり大きくて(10GBくらいあったような気がする)、音質についても一定の評価があったもの。デモソングとかも聴いてみたが、それなりに高品質に思えた。 要は巨大サンプルで、複数のメジャーなプラットフォームに対応しているという。
デベロッパーのサイトに行くと、まず落とすにアカウント登録を求められる。 その後認証され、コードが発行され、ダウンロードページにも行けるようになったのだが、ダウンロードすべきファイル(RAR)が3つに分割されている。 ミラーサイトとかじゃなく、3つ全部をダウンロードせねばならないらしい。
落としてみた(ファイルサイズがデカいだけに時間もかかった)が、解凍でエラーが出る。 1は一応解凍できたが、2・3はCRCエラー。2だけは圧縮状態のままフォルダの中身を見ることができるのだが、1と同じ(名前の)ファイルが大量に含まれている。3に至っては中身を確認することさえできない。
公式サイトにBBSみたいなのがあるのだが、そこを見ると同様の症状に悩まされている人が多数いるようで、質問や「自分なりの解決策」の類のポストが溢れている。 「こうやれば使えた」とか「この解凍ソフトを使え」とか。 中には憤慨して「ゴミを公開するな」とか「時間の無駄」とか言う者も見られた。 「使うことまではできたが、一部ファイルが欠損している」というようなポストもあり。
ポストを参考にしてみたが、私の環境では結局うまく解凍できなかった。 一応1だけは解凍できており、音源としてロードできたりもしたのだが、プリセットのいくつかでエラーが出る。 また、発音できはするが、音源を構成するファイルが揃っていないのだから、正しい音が出ているのかも分からず、結局断念。
「フリー物なんだから、大したサポートもいるまい」とデベロッパーは考えたろうか。 しかしその音源はフリーであるが、デベロッパーは有料プロダクトを多くリリースしている。 そっちを売るための宣伝としてフリー音源を公開しているのだろう。 私が不思議に思うのは、そんな不完全・不親切なデータを公開して、それが有料アイテムの売り上げに繋がると思えることだ。 むしろ悪影響すら容易に想像できる。 少なくとも私は、そのメーカー発の商品を絶対買わないだろう。
- 4/9
トランプという人は「バカ」なのか。 そうとでも言いたげな識者の類を見かける。 私に「人の頭の良し悪し」などという難しいことを判定できる権能は無いが、アメリカ人が「バカに寛容」であろうことは何となく見ていて分かる。 日本人の言う「賢さ」にさほどの価値を置いていないのだろう。
昨日、米の関税(障壁)について触れたが、自動車について言えば、現状日本の関税体制にさほどの不正義があるとは思えない。 アメ車が日本で売れないのも、日本車がアメリカで売れるのも、関税をはじめとする不公正の結果ではない。
不公正でないのに「不公正だ」と相手が憤慨している時、我々はどうすべきなのか。 基本的には諦めるしかない。隣人は制御しがたいもの。 理非もない隣人を嘆くのも依存である。 「不正はない」と言う事実は伝えた上で、自分の生き残る道を模索すべきだろう。
しかし曲がりなりにも同盟国である日本に対し、こうもにべもない対応であるのはどういうことだろう。 日本への追加の関税は24%。イギリス・ブラジルは10%、フィリピンで17%、EUが20%である。 総理大臣直々の交渉にもほぼゼロ回答のようだ。
しかしこのタイミングで首相がああいう人物であるというのは、日本の不幸だとは思う。 私は石破首相に何の恨みもないが、あのキャラクターがアメリカ人に好まれるとは思えない。 もう少し、いわゆるNice guyのような人物を据えることはできなかったろうか。
アメリカが、今の日本政府を「親中政権」だと看做しているのではないか、という懸念は拭い難い。つまり手放しで友人と認めていないのでは。 総理大臣以下、官房長官・外務大臣などの布陣を見るだに、私でもそう思うが、あまりそういう視点で分析したような論調は、少なくとも既存マスコミには見られない。 トランプ氏がこの関税政策で、日本に言及する際、安倍晋三さんの名前を挙げておられたが、要するにそういうことじゃないのかね。
それにしても自動車産業は、この衰退の一途をたどる日本の、数少ない希望のような産業である。 逆に農業などは、零細化・後継者不足など諸々の問題を抱える典型的な斜陽産業である。
ここまで手厚く制度に守られながら、全くもって競争力を持たぬ非力な農業。 一方、さして国に守られているわけでもないトヨタの強さは何事だろうか。 むしろ守られていないが故に強くなったとしか思えない。
今の日本の一挙手一投足は、滅亡に一直線に向かっていると思わずにいられない。 個々の日本人に直接尋ねれば「成長すべきだ」・「豊かになりたい」などと言うだろう。衰退の元凶のような人らでもそう言うに違いない。 口にすることでなく、行動こそがその人の正体である。 結局、行きたいところではなく、流れ着いたところこそが、その人がはじめから目指した場所である。
- 4/8
いわゆるトランプ関税の件で、世間(というか世界)が揺れている。 日本も同盟国であるにも関わらずその高関税の標的とされたようで、動揺が広がっているようだ。
政治の世界から聞こえてくる声やマスコミの論調は、アメリカの主張に対するツッコミばかりである。 確かに指摘しようと思えば指摘できる点はあるのだろうが、特に米をはじめとする農産物に関して言えば、アメリカの主張は大筋で間違っていないと思う。私も日本の関税体制に不正義を感じる。 指摘できる点が多いのも、偏にその制度の複雑さ故にであろう。わざと難解にしている面もあるに違いない。
米のミニマムアクセスなど、その不正の端的なもので、要は不当な高関税を容認してもらう為の賄賂であろう。 ミニマムアクセス枠で入ってきた米は、事実市場にほぼ出回らない。消費者の選好に晒されない。 ライドシェアが潰されたり、ジャニーズが他事務所の男性アイドルのテレビ出演を妨害したのとソックリな構図だ。 国民のためでもなく、農業の未来のためでもなく、要は農業関係者とそれを票田とする政治家のための制度。 また出た。利権である。 この国は既に、末期癌に侵された人体のようになっている。
「ミニマムアクセスなどと言う複雑怪奇な制度など撤廃して、公正な関税率を設定せよ」と言うのがアメリカ側の主張であると私は理解している。 制度が複雑であるのも、不正の発覚を回避する目的が大きかろう。
総理大臣がアメリカ大統領と電話会談を行ったとか何とか仄聞したが、事態が好転する(日本側の望む形になる)気配はない。 アメリカの主張する700%の関税。条件次第では実際そのような税率になることもあるわけで、嘘を言っているわけではない。 ここを認めずして交渉に入ろうとしても、状況の打開は難しかろう。
私がこの件の「交渉役」を仰せ付かったら閉口してしまうだろう。 「正しいこと言っている相手」を言いくるめるのは難しいので、「これを機会に不正をあらため、米の関税を下げましょう」とむしろ日本側に進言してしまいそうだ。
日本と言う国は、隅から隅まで不正に侵されている。本当に不正ばかりを好む卑劣な民族である。 不正を指摘されてなお、相手の揚げ足を取って自らを正当化している。 まあこれも想定の範囲内ではあるけどね。 不正が深刻化するのは、それを正当化する(愚にもつかぬものでも)理屈があるケースが多い。 「農家の皆さんのため」とか、「自給率が~」とか、あれこれエクスキューズはあるのだろうが、要はこれも利権、あるいは選挙対策に過ぎず、人類規模での視点に照らせば単なる不正である。
私は今の日本を「滅ぶべきもの」と見ているので、こういうこともあり得べしと思う。 淘汰され行く者の断末魔の苦しみなのだろう。
- 4/2
スチール撮ってました。
- 3/29
自然界には摂理とでもいうべき力学があり、古の一神教徒はそこに神意を感じた。 中華世界にすら「天」と言った超絶的概念が存在した。 人間の言語機能はそれを感じずにいられないのだろう。
不思議なことに、歴史上、日本人はそれを感じなかったらしい。 日本人の言う神は神話の登場人物で、非日本社会で言うところの仙人とか妖精とかの類である。 「絶対」とは根本的に違う。
神は合理的である。ロゴス(論理)こそ神である。 神にたどり着けなかったと言うことは、論理的思考ができなかったということ。 今の日本社会の体たらくを見ればそれも納得できる。 神は不正を許さない。脆弱なものを淘汰する。 そこに例外はない。
贅沢はしたいが金は払いたくない、と言う駄々っ子のような大人たち。その駄々っ子に嫌われては立場が危ういと、親は姑息な解決手段として易々と「借金」を選び、それを重ねた結果、借金の総額は天文学的数字に膨れ上がり、社会は完全に行き詰った。
「制度を抜本的に作り直そう」と言う声が為政者から聞こえれば、それは即ち彼が為政者の立場を失うことを意味する。 自縄自縛とはこのことで、宿題をしたくない子供の言うがままにすれば、その子は深刻な学力の低下を招き、将来社会生活にも難渋するようになるかもしれない。 政治のせいとか親のせいとか、誰に責めを負わせようとしたところで、ツケを払わされるのは本人である。必ずそうなる。
コロナの馬鹿騒ぎで、この国は100兆円規模の公金を浪費したと言う。 これも必ず日本人が耳を揃えて返さねばならない。 増税によるかインフレによるかその他の何かによるか分からないが、必要な分を吸収するまでこの「取り立て」は終わらない。 この因果が分からないのは神意を感じていないからで、論理性の欠如である。
腋臭症、いわゆるワキガは脇の下にあるアポクリン腺からの分泌液による。 ワキガ解消のための手術とて、その汗腺を切ってしまうと、一時的には臭いが収まるものの、やがて全身からワキガの臭いを発するようになったりするそうだ。 排泄物が臭いからとて、肛門や尿道を塞いでしまえば万事解決するか、そんなわけがない。 神は見逃してくれない。
この状況に及んで野党は揃って「減税」を叫んでいる。末期症状のようにも思えるが、いわゆる幕末の頃、今で言う野党とも言える諸藩・志士たちは、こぞって攘夷を叫んだ。 無理に決まっているしそれは正答でもないのだが(事実倒幕勢力が作った明治新政府は欧化・開国政策を採った)、徳川幕府の死期を早める効果はあった。 今の減税もそれかと思ったりする。 だから民が減税を望むならそうしたらよろしい。相応の未来が待っているだろうけど、神は合理的だし矛盾を許さないから、結局なるようになる。
減税を叫ぶ倒幕勢力は、民意の追い風を得てより効率的に現体制を毀つ。 民は相応の割を食うが、それは仕方ない。 明治維新後にも、士族はいくつも乱を起こしたし、百姓は重税に一揆で応えた。どれ一つ成功しなかったが。 神はそんなに甘くない。