Staff diary  
スタッフ日誌[2021]

[文 / 益田(制作)]

3/31(水)

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「22才の別れ」って誰(名義)の曲だかイマイチ判然としなくて。かぐや姫だったろうか風だったろうか、あるいは伊勢正三のソロだったろうかなど。 この度、思い切って調べてみることにした。

そもそも伊勢正三氏が(第二期)かぐや姫三枚目のアルバム制作時に書き下ろした曲であるそうで、当時から位置付けは高く、シングル化も検討されたという。 が、結局そのアルバム収録曲の選には漏れた。

漏れはしたものの、前述のように評価は高くて、当時かぐや姫のレパートリーとしてライブでも演奏され、ライブアルバム(当然かぐや姫名義の)にも収録されている。 その後、かぐや姫は解散(1975年4月)、伊勢氏は風を活動の拠点とする。 ついでながら、かぐや姫解散後に風は結成されたのではなく、かぐや姫活動晩期に伊勢氏の別プロジェクトのような形で活動が始まっており、かぐや姫と風の両者は僅かな期間ではあるが活動期が重なっている。

同曲は1975年2月、スタジオレコーディング作品として初めて、風名義にてリリースされる。 が、かぐや姫は解散発表後、わずか4ヵ月満たないうちに、伝説的ライブ「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋(1975年8月)」を行い、そこでも同曲は披露されている。 メインアクトの片方である「かぐや姫」としてではなく、ゲスト出演した「風」として演奏されたらしいが、当然ながら伊勢氏はかぐや姫のメンバーとしても同ライブのステージにあがっている。 このあたりの節操の無さが、私の混乱に拍車をかけているように思える。

その後、1984年に同曲は再結成したかぐや姫によって(当然かぐや姫名義にて)スタジオレコーディング作品としてシングル化される。 いわゆる「カバー」なのかというと、あくまでそうではなく、かぐや姫のオリジナル作品ということになっているらしい。 確かに同曲はかぐや姫のレパートリーとして書かれ、ライブ盤ではあるが、かぐや姫の曲として初めて公式にリリースされたものである。

だからして、Wikipediaを見ても扱いが特殊である。 「22才の別れ」は名曲であるからか、多くのアーティストにカバーされており、それが一覧とされているのだが、(時系列的には後発になる)かぐや姫のリリースについてはカバーとされていない(一覧にリストアップされていない)。 あくまで同曲は風とかぐや姫によって(それぞれオリジナル作品として)リリースされた、ということであるようだ。 因みに、どちらもメインボーカルは伊勢正三である。

結論。 そりゃゴッチャになるわ。


3/30(火)

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私は(ノートの)リリースに拘る音屋である。 特にロングトーンの切れ目など、気になって試行錯誤を繰り返してしまう。 まあ、他の人がどの程度拘りを持っているのか分からないが。

しかしこれは、(サウンド)プログラミングであるからこその自由で、昔の編曲家のように、譜面だけ渡して後は各プレイヤーの裁量、って状態なら拘ること自体難しかったはずだ。

良い時代になった。 演奏はほとんどプログラミングで再現できるようになったし、この再現度は向上の一途である。 生演奏(実演)に拘る音屋とかいまだにいるし、それはそれで良いのだけれど、私はそういうタイプではない。 むしろそこに割くコストが減ったのを幸いとしている。

私の若い頃、いわゆる打ち込みが実用化され出するにつれ「将来ドラマーなんていなくなる」とか言われ出していた。 実際ゼロにはなりはしないが、プレイヤーの絶対数は減ったろうし、インペクとかの需要も激減している。 因みに、打ち込みの実用化ってのは、POPSを含む広範な音楽を対象にした話で、テクノとかの特定ジャンルにおいてはそれ以前からシーケンスは多用されていた。

今の状況が続くと、楽器の再現の必要性自体が薄れてくるだろう。 いまだにアナログレコードの愛好家がいるように、一部のマニアの市場としては残るだろうけど。 楽器の演奏技術は、自動車で言うならマニュアルトランスミッションの操作技術のようなもので、オートマチックが登場したらほとんどの人はそれ使うようになるでしょう、って話。 当然廃れていく。

これに加え、昨今の趨勢鑑みるに、ライブ市場はおそらくシュリンクしていく。 つまり、絵としての演奏も価値が目減りする。 作る側・聴く側合わせ、本当に音楽が好きな人が残るなら、マーケットは、音楽作品の鑑賞に焦点を当てていくしかないように思える。


3/28(日)

一度起こった臨界を止めるのは難しい。 太平洋戦争の敗北は、日本にとって、病気とは言っても、怪我や感染症などでなく、自己免疫疾患のような現象ではなかったか。

臨界のようなスパイラルに突入してしまうと、外からの作用でそれを止めるのは容易でない。 一旦焦土にしてしまうしか、延焼を止める手段はなさそうにも思えてくる。 今の日本はそういうフェイズにあるような気がする。


話は変わるが、犬の鳴き声、日本語では「ワンワン」だが、英語圏では「BOW WOW(バウワウ)」である。 擬音化というのは様式なので、このように言語差というのがあってある意味当然なのだが、「バウワウ」は何となく体型の大きさを感じさせる。 チワワは「バウワウ」とは鳴くまい。

つまり両者の違いは、犬種・犬のサイズに因っている部分が大きいのではないか。 日本人が古来飼っていた犬は、比較的小型だったのではなかろうか。


3/27(土)

もう随分前の話だが、営業先のある雑誌編集の人と話をしていた時のこと。

その雑誌がリニューアルの為とて、一時発行を休止することになったのだが、その事象を私が「休刊」と表現すると、「休刊でなくリニューアルです」と正された。 私は何の悪気もなかったもので、平気でそのような言い方をしてしまったのだが、二度くらい正された時点で空気を察知し、その表現を諦めた。

その後で知ったが、休刊というのは廃刊の隠語(ですらない)らしい。 「休刊の後、復刊」というケースが事実上存在しない。 有り体に言えば廃刊であるものの、それを忌んでの言い回しであるそうな。 だからしていつしか、休刊は廃刊そのものを指すようになってしまった。如何にも日本的風習だ。


日米外交史を眺めていると、幕末の交渉時、幕府がmerchandiseと言う言葉を嫌いgoodsに改めさせた、などとある。 儒教(朱子学)の強い影響であることは疑いなく、当時「商は詐なり」の気分がまだ横溢していた。

アメリカ側は不思議であった。 そのことはペリーの日記にもハッキリと残っている。 つまりそこには、いわゆる情報の非対称性があった。 単語に対する印象の違い、というのは文化・文明そのもので、いわゆる民族とは、突き詰めれば「言語」に集約されるものかと改めて思わされる。


3/26(金)

最悪な人って、最悪な時に現れたりするらしい。 今の日本を見ていてそう思う。

先の大戦の折の日本でも、旗色が悪くなってくると、牟田口廉也のような大言壮語型のスター(?)が現れる。 牟田口が悪いというより、戦局も絶望的になると、負けが込んだギャンブラーが起死回生を願うように、情勢故に、周囲の嘱望が集中するのだろう。 ただ、そんな都合の良い一発逆転などそうそうある筈もなく。


話は変わるが、LINEってサービスが問題視され出しているらしい。 運営は韓国企業で、中国の技術者への情報漏洩が明らかになったという。 今慌てて行政などが、LINEの使用について、運用見直しを図っているらしい。 まあ当然だろうけど、泥縄な感は否めない。

日本はスパイ天国であり、いわゆる情弱国家である。 スパイ防止法も無ければ情報機関も無い。 それにして通信傍受法にあれほどの抵抗があった(と言うか、だからこそと言うべきか)。 おまけに憲法では軍隊の不保持を誓っているという、世界でも稀有なおめでたい国だ。

ちょっと前のファーウェイの件とか、日本の、外国が絡むアクションは、大抵アメリカからの情報提供に端を発していると聞く。 本当かどうか知らないが、なにせスパイ防止法も無いような国なんだから、ありうべきことかと思える。

アメリカも本音を言えば、日本との付き合いを「難しい」と感じているのではないか。 だって情報共有したって、それが第三国に筒抜けだったりするなら怖いもの。 同盟国ではあるのだが、困った友人だと思われてやしないか。

日本の軍備が手薄な理由として、憲法九条って足枷の存在がある。 言わずと知れたアメリカ製憲法。 だからBoots on the groundと言われたところで「お前らがあんな憲法作りやがったから」と言い訳もできた。 しかしそれも半世紀以上も前の遺物である。モノには限度ってものがある。


3/25(木)

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私は意外と愛国者であったらしい。 この国が音を立てて崩れるのを見るのに忍びない。

個人の肥大化した自己愛のため、社会が犠牲になろうとしている。 しかしこの状況も民主主義の帰結。北朝鮮ならこうはならなかったろう。

今の日本人に、民主主義はまだ早いのかもしれない。 子供にお金渡したら、使い果たしてしまうものね。破綻とはそういうこと。

今の日本は高齢化社会で、シルバー民主主義と言われるが、民主主義とは多数決なので、構造的にそうならざるを得ない。 が、事態に涎を垂らす人は、実は老人のことさえも道具だとしか思っていない。 人類が憎むべき本当の悪とは、あれのこと。

日本とは、高齢者も無論含むが、子供や現役世代を合わせた、全ての人たちのこと。 また、この国の歴史や未来も、まごうことなき日本である。 政治家は、日本のためにあれる人でなければならない。

我々は選ぶ人を間違った。 判断とは、その人そのもので、それこそがこの国の民度であり、本質である。 詐欺師は悪いヤツなのかもしれないが、騙された者の、「判断の甘さにより騙された」という事実は還らない。


3/24(水)

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緊急事態宣言とやらは解除されたが、東京都では飲食店への時短営業要請というのが続いていて、協力金というのも、湯水のように出されているという。

この要請は、ある特定人物の意向が強く働いてのことに相違なく、その人はこのコロナ騒動がこのまま収束して行くのをある面では嫌がっている。 混乱こそがプレゼンス発揮の好機と見ているらしい。迷惑な御仁だ。

実は都民・国民の健康・幸福を願っているのでなく、この事態を自分に有利に働かせたいとの一心での行動である。 これは間違いない。でなければもう少し実効性のある施策に必然的にたどり着く筈である。

無意味な時短要請は、「何かやっているポーズ」と「事態未収束の告知」両方の性格を持つ。 やめたがるわけがない。 飲食店の時短営業に科学的効果が認められてるわけでもなく、また、事後にマトモな検証をする気もなかろう。 目的が別のところにあるから。 日本経済に与えるダメージを、誰か試算して欲しい。

その人は、日一日と正体がバレ続けているが、今のところ多数派の支持が(まだ)あるらしい。 しかしこういうのっていつまで続くやら。この手の風向きって一瞬にして変わりうるからね。


3/20(土)

ある女性コメディアンがテレビ番組に出ていたのをたまたま目にした。 今売り出し中らしく、番組内でも持ちネタを披露していた。 変な顔をして変な踊りを踊り、変な節の歌を歌っていた。

勿論笑えない。 私は腐したいのではなく、分析的に事態を見ている。

あれに腹を抱えて笑える人は、きっと彼女の心の中にどういう景色が広がっているかが見えていない。 周囲にそういう人ばかりいる環境で育ったりしたら、愛を感じることなく人は時間を過ごす。 愛を感じられない人は、「生きていく自信」が持てない。 生きていく自信が持てなければ、ある人は承認を求めて目立つことばかりに執心してしまうのだろう。 私だって愛を感じられなければ、変な歌を歌ったかもしれない。

上の彼女が満足に愛を感じられていないのは間違いないと思うが、原因が周囲にあるのか、あるいは本人の感受性の問題なのかは、私には分からない。 前者であれば救いもあるが、後者であればやや絶望的に思えなくもない。

私は歌を作るけど、誰かに何かを気付いてもらいたいと思っても、その人の心の中に無いものは気付かせられない。 私にできることは指をさすことだけ。 在るものになら、いずれきっと気付いてもらえる。無いものには、気付いてもらいようがない。


3/19(金)

手前味噌で恐縮だが、私は最も難度の高い事務作業をこなす事務屋である。 芸術家とか自認してはいるが、やってることのほとんどは事務作業。

私は音楽作品(録音物)を作っている。 作・編曲から演奏・プログラミング・音色のエディット等、要はオケ作りを基本的に一人でやる。 レコーディング・Mix・マスタリングも基本私がやる(ごく稀に例外はある。例えば神田優花の「マインドスケープ」はキングレコードの制作部がマスタリングを行っている)。 機材類の収集・セッティングなども当然私の作業領域である。

音周りだけでなく、ジャケット類のデザインなども私がやる。 リリースに当たっての各種の申請作業、データ作りもほとんど私が一人でやっている。 それらに付随するシステムのオペレーティングなども私がやる。 営業なども(必要最低限だが)やったりする。

まるで四六時中事務作業に忙殺されているかのようだが、全然そんなことはない。 ある意味そんなに暇じゃない。 何故なら、その作業が発生する前提として「アイディア」がなければならないから。 源泉となる発想がなければ、その後の全ての作業は必要なくなる。

私には考える時間がいる。 だから、(一般概念としての)仕事なんかでスケジュールを埋め尽くすわけには行かないのである。

これだけ広範・大量の事務作業を限りある時間内にこなそうと思えば、当然ながら「効率」は死活の問題となる。 チンタラやっていたら時間がいくらあっても足りない。 PCなど(スマホも含む)は当たり前のように2〜3台同時に使用する。 あるマシンで時間のかかる処理を実行すれば、直ちに待ち時間で他のマシンを弄る。

難度の高い事務処理を行うと言っても、それは同時に「完成度が高い(=ミスが少ない)」ことを意味しない。 しょうもないミスなど日常茶飯事だ。 ミスを最小限に抑えるためとて、例えばダブルチェックなど行っている暇は無い。 ミスは、発覚の都度フィックスして行く方が遥かに効率的であることを知ってしまっている。

私の(ほとんど唯一の)足枷となるものは、私自身が頑健でないこと。 私は自分の外の世界は常にままならぬと思って半分諦めているが、それにしても世間の喧騒が私の時間を圧迫してくることを迷惑には感じる。 どうか世間の皆さん、正気であってください。


3/18(木)

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真善美について。

平素の生活において出会う人々の中で、私が「悪い」と感じる人、彼は例外なく醜く、偽りがある。 人類共同体の非効率の原因、人類の本当の問題はそこにあろう。

私は芸術家なので、日々美を追及している。 これは容易な作業ではない。 美の定義ごと判然としないから。 ただしこれだけは言える。 美しいものは、それこそが真であり、正しい。 人類が模索すべき何か。

これは自然の摂理というか、神の意志であろうと思う。 そうであって欲しい、という私の願望も混ざっていると思うけど。 この宇宙の未来には、真善美なるものが残り、偽悪醜なるものがきっと淘汰される。

蔓延る非論理・経済の萎縮・破綻に近づく財政、今のこの国に濃さを増す敗色、これも新しい価値が生まれるための受難なのだろうと信じたい。 私は、病気なんかが流行ることぐらい(少々の死者が出ても)何のことはないと思うけど、非論理が罷り通る(論理が通用しない)世界は「長くない」と感じる。


3/17(水)

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今年のリリースについて、まだお知らせしてないんですが、着々と進めています。 まだ作業に区切りがついてないんですが、近々報告できると思います。 今のところ、6月までにかけて9タイトル発表する予定です。


3/12(金)

緊急事態宣言を延長すべきと思うか、と訊かれたら「別に思わない」。 医学・疫学等の知識をさして持つわけでないが、だからこそ日常を壊す必然性を感じられない。 最低限のデータを見るだけでも(高齢者・基礎疾患持ち以外恐れるに足りないことなど)、今の事態は騒ぎすぎだと思う。 上の「すべきでない」は、「日常を壊すほどの理由がない」ということ。

私は素人考えでそのように思うわけだけど、知見を有する先生方には違う見方があるのかもしれない。 素人には理解できないようなデータやその分析があるのかも。長年の経験による勘であるとか。 私は今のところ、信ずるに足るそんなものがあるとは全然思っていないけど。

判断に高度な知見を要するのなら、世論調査の結果にあまり右往左往するべきではなかろう。 いくら民主主義でも、毎度素人の多数決で物事を決めるのが得策とは思えないから。

このダラダラと続く緊急事態宣言に「理由」は一応あるのだろう。 だが、一理で物事は決まらない。 社会を破壊していい理由とできるものは無かろう。我々の生活はそんなに軽いものではない。

正直言って私は、この件についてコメントするのが億劫である。それぐらいバカバカしい。 ただ、同じように思う人みんなが声を上げなくなったら、やりたい人らのやりたい放題になってしまいそうな気がして、こういう意見を表明するのも、人類の一員としての義務だと思っている。


3/11(木)

リリースに向けての事務作業をコツコツと片付けている。 因みに今年の第一弾は川本比佐志氏のタイトルです。

試聴(&着うた)の抜き出しポイントについて、あれこれと考えていた。 試聴の開始点なんて全部0分00秒とかでも良いんだけど、それじゃあんまりなんで毎度一応考えてはいる。 しかしこの試聴ってヤツは販売ストアによって条件がバラバラで、少々厄介なのである。

最短30秒からiTunesのように一分半(90秒)あるようなところもある。多分90秒が最長じゃないかと思うけど。 しかも、試聴ポイントってのは、一応レーベル側から要望として指定はするけど、業者によっては全くそれを無視するところもある。 確かAmazonは独自基準でポイント抜いている。

最短30秒と言ったが、今試聴時間を30秒に設定しているサービスがあるのか不明である。ある時期には確かにあったが、その後試聴時間は長くなる傾向にあった。 今主要サービスでは、大抵それより長い。

30秒のところが少なくなっていようが、一応それが最短ということになっているので、30秒を基本として試聴ポイントを考えざるを得ない。 試聴は、レーベル側としては開始時間を指定するだけになるので、例えば試聴時間一分半のところにおける30秒以降については、もう与り知らない。 予定の尺が途中で切れるよりは、蛇足である方が良かろう。


3/10(水)

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コロナウイルスをゼロにせよ、って命令は、要するにこの社会を破壊せよという命令である。 この社会が消滅すれば、当然コロナ騒動も収まる。

「コロナをゼロにしろ」は「原発をゼロにしろ」の亜種で、「軍隊を無くせ」ときっと同じ層。 いい加減彼らを何とかしないと、この社会は、我々の生活は破壊されてしまう。


話は逸れるけど、私は現都知事を支持しません。 理由を本気で述べようと思えば、どれだけの文章量になることやら。 要するに、「人間としての良心感覚を感じ取れない」からです。 実は彼女は人類の敵なのではないか。早く正体が共通認識となることを願う。


3/9(火)

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私もマスクをする。 (感染予防の)効果の程、怪しいと言われていたりするが、効果を信じる信じないをさて置いて、周囲の目が煩くてマスクなしでは電車も乗れない。

予防効果の程、怪しいと言ったが、私には気になっていることがある。 それは感染予防効果が薄いとか以前に、口のような、食い物を入れつつ同時に呼吸を司るような器官を、布なんかで常時覆ってしまうと、それは不潔そのものではないのか。 食い物の滓に呼気の湿度を与え、布で適当な温度を保つ、これって雑菌の温床をわざわざこさえてないか。 汚いからそろそろ止めないかな。


3/8(月)

まだ当面録らないといけない曲が6〜7あるので、気が早いのだが、アルバムのタイトルを考えている。 ○部作みたいな感じで近い響きの言葉をいくつか並べようか、あるいは普通に単体のアルバムタイトルを付けようか。 収録曲のうちの一曲をタイトルに持ってこようか。

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緊急事態宣言の延長に8割だかが賛成しているという。 そのアンケート結果が眉唾物だとか言われていたりするのだが、とりあえず事実ということで話を進める。

社会、とりわけ経済の崩壊を、多くの人が他人事だと思えるのであれば、この国は意識の上で国民国家の形成に失敗していると言える。

公務員の身分や給料が不動なのは、この体制が堅牢であればこそ。 二百数十年続いた江戸体制が崩壊する時、武士という階級(特権)は消滅した。 彼らはいわば公務員であった。

江戸人が、江戸(徳川)体制が崩れるとは努々思わなかったように、現代日本人も、この体制が無窮であると信じているらしい。 そんなこと無いと思うけどな。 財政が破滅的事態に陥っているこの国、本当にいつまで持つのやら。

これから先、日本人が「貧しくなる」ことはほとんど不可避であろう。 経済を破壊してしまっているのだからね。 飲食業にだけ給付を続けているらしいが、国際的な競争力を持つ分野を壊滅させる気だろうか。 飲食にしたって、今は給付金バブルに沸いているのかもしれないが、この後に来る地獄のような不況をどれだけ見越せているのやら。

このコロナ騒動が、インチキであることを見抜いている人は多いに違いないが、混乱に涎を垂らす人も同時に多い。 徳川幕府が倒れた理由として、攘夷の突き上げは大きかった。 無理難題を突きつけ、騒ぎ立てるというのが、この国の体制に対する伝統的な揺さぶりの法であるらしい。


3/7(日)

結局のところ事態の本質は、新型コロナウイルスとの戦いではなく、新型コロナウイルスを過度に恐れる者、混乱に乗じて漁夫の利を得ようとする者、たちとの戦いである。 我々の本当の敵は、特定国籍人や特定人種などではない。 ある脳機能を持つ者らである。

こんなタダの流行り風邪如きに、異例の騒動が起こり、前代未聞の財政出動まで引き出された。 この社会、とりわけ経済を破壊するほどに。

単純に「誰かの陰謀である」と言っているわけではない。 新型コロナウイルス自体は本当に発生したのでしょうから(私は見たことないけど)。 混乱を奇貨とする輩がいたということ。 誰とは言わないが。

この社会(というか世界)の非効率性の原因がどこにあるのか、この騒動にて人は学ぶのではないかと期待している。 もしそれが常識として共有されれば、この事態も意味の無いことではなかったといえるだろう。


3/5(金)

緊急事態宣言の延長について、総理大臣が全国民に向け、陳謝したという。

語るに落ちるとはこのことで、国民に負担を強いるのだから当然その成果は国民のためのものであるはずで、そこを入念に説明すべきである。 何故この宣言延長が必要なのか、如何なる利益が国民に行き渡るのか。 国民がお怒りなのであれば、如何にそれが見当違いであるのか、を。

謝るということは、謝らねばならないような心当たりがあるということだ。 つまり、「不利益を蒙らせるが泣いておいてくれ」と言っている。 これは間違いない。 少なくとも私なら、自信を持って下した判断について、絶対に謝罪などしない。

私は現総理にそれなりに期待していたのだが、もう限界かもしれない、と思うようになった。 悪い人だととか騙されたとか言うのではなく、力量が不足していたのだろう。 とにもかくにも、この度の緊急事態宣言、「歴史的愚策」として後世に残るのは避けられそうにない。


3/4(木)

神田優花、先々週に録ったもののうち、一曲を録りなおすことに。 納得行かないんだと。 それでもリリース計画は着々と進んでいて、予定通り行けば、年内にシングル10タイトルとアルバムが出ることになってます。

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「○○という車を買いたい」という人に相談を持ちかけられたら、「まず○百万用意してくれ」とアドバイスできる。 それは一つの正解なわけだが、可処分所得・家計というリソースには限りがある。 彼がその数百万を特定用途にはたいてしまった後のことまでは知らない。 持ち掛けられたのはあくまで車の入手法であるからだ。

専門家の意見というのはそういうもので、例えば感染症のエキスパートに特定ウイルスの蔓延防止策を尋ねれば、当然上のような回答になる。 彼は、結果損なわれるものにまで思いが至らないし、至らせることを命令としていない。 そういった提言を一つの意見として留意し、最終的な判断を下すのが総合者である。

しかし、この騒動を嘲笑うかのように新型コロナウイルスはショボい。 この超高齢化社会において、万単位で超過死亡が減ると言う、前代未聞の事態に発展。 稀に見る健康優良で、パラダイスのような状況が訪れた。 因みに「緊急事態宣言下」であるらしいが。しかも延長されるという。

笑止なことに、死亡者の年齢は日本人の平均寿命とほぼ同じらしい。 高齢者や基礎疾患持ちが気をつければ良い程度の軽い風邪で、高齢者以外はほぼ軽症あるいは無反応、統計的にも死を恐れる必要など全く無い。 季節性インフルエンザ並みというか、インフルエンザの方がよっぽど恐い。 しかもウイルス干渉のせいか、インフルエンザをはじめとする感染症が激減しているという。 緊急事態だそうですが。

多分、保身のために大事を取ったり騒いでいる人らも、心のどこかで「もう少しは猛威を振るってくれよ」と頼むような気分でないかと思われる。 それほどにコロナは実にショボい。 後遺症がどうだとか変異種がどうだとか言うのにも、もう騙されてはいけない。 他の風邪・感染症に比べ、それがどの程度新型コロナウイルスに特異的であるのか、を調べればすぐ分かる。

要するに今の日本は、構造上の脆弱性を突かれ、情報戦に敗北した。 一旦滅びるのかもしれないし、私など滅びた方がが良いのではないかとすら思う。 ソ連が崩壊してもロシア人は滅びてないんだから、一旦この体制はリセットされるべきなのかもしれない。


3/3(水)

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緊急事態宣言、(とりあえず二週間)延長される公算が高くなってきたっぽい。 感染症対策としての効果の検証もなされず、またその二週間という期間の根拠も明確でないというに。

要請の主体たる一都三県の首長とやらを見てみると、あらためて驚かされるのが、四人中三人がキャスターやらタレントやら、要するに「テレビ出身」であること。 マスコミの禍害はこんなところにも散見される。

近代以降、常に歴史に対する犯罪者であったマスコミ。人類はこれをコントロールする方法を、真剣に考えるべき時に至っているのではないか。


あと、ちょっと前に、世論調査で8割だか9割だかが延長に賛成しているとの記事を見かけたが、ネット上のコメントなどを見ている限り、とてもそうは思えない(反対意見で溢れ返っている)。 どうなっているのだ。

ネット世論というのは、ツールに依存しているので、多少のフィルターがかかってはいるだろうけど、いかに高齢者と言えども、きょうびネットワークに接続できない人なんてどれだけいるだろうか。

ネットワーク上の書き込みも、偽らざる市民の声である。 世論調査の結果とそれがあまりに乖離しているのは、何かがおかしいのではないか。 まあ世論調査ってのは、方法によって如何様にでも操作できるものではあろうけど。


3/1(月)

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ある学者(教授)だかが、STAP細胞事件について、延々と述べている音声(ラジオとかの転載なのかオリジナル音声なのか不明)をYoutubeで聞いていた。 いわく「あれは冤罪で、(NHKなどによる)組織的陰謀である」そうだ。 アメリカが絡んでいる疑いもある、そうである。

その件について(だけではなかろうが)、彼は最近、取材される機会がめっきり減り、されてもその意見は採用されない、そうである。本人が嘆いておられた。 干される理由は、おそらく意見が荒唐無稽に感じられるからだろう。

陰謀説に寄ってしまう人って、どうしても出てきてしまう。 人間社会の一種のニッチであるのかもしれない。 この世界のスパイスとして、あるいは彼らは必要なのだろうか。 私にその意義はまだ分からないけど。


2/28(日)

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末法思想が蔓延した平安末期、あるいは百王説といった終末論がはびこった南北朝期にも、「バカじゃねえの?」と冷淡に事態を見つめるような人たちはきっといたろうね。狂人の発するノイズにかき消されはしたろうが。 インチキパンデミックに翻弄される現代人は、古代人を笑えない。

イラク戦争やこの度のコロナ騒動について、もし私が後世人に疑問をぶつけられても、論理的な説明はできない。 万人が納得する形で答えようがない。 「おかしな世の中でござった」とか言うしかなかろうか。


2/27(土)

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美とか面白さって、要は認知に過ぎないので、絶対的に美しいものとか面白いものが存在しているわけではない。 何かが美しいのではなく、それを美しいと感じる誰かの心が存在しているだけ。 まあ今更の話だが。

何かが美しいという現象は、この物質世界にあるのではなく、それを映す個々人の心の中にこそ存在している。 現に私などは、宝石なんてものを全く所有したいと思わない。 コストに見合わないと思うから。

認知とは即ち心の中。 結局これが一番難解だ。 私が芸術を、人類がなしうるもっとも崇高な作業だと感じて止まない理由もここにある。


2/26(金)

神田優花、歌を二曲録りました。 これで、直近のリリース予定タイトルの収録曲が全部揃った。 こういうご時勢ですけど、黙々と音楽制作を続けてます。 リリース日程決まったら、またこのページでもお知らせします。

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先週歌を録ったある曲、カップリング用の、いわば優先度の低い曲だったんだけど、マスタリング後に聴き返していると、なんだか勿体無いような気がしてきた。 シングル向きではないから、アルバムに収録しようかしら。 あるいはカップリングとして出した上でアルバムにも収録するか。


2/25(木)

一昨日は一日で二曲分の編集と歌詞を一つ上げた。 たまにこういう、物凄く仕事が捗る時があったりする。 調子が良かったんだろうな。

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花占いについて考えていた。 花弁を一枚ずつもぎっていくあの花占い。 花占いに因んだ歌詞を書こうと思って。

花占いって日本だけでない(おそらく世界的な)習慣らしくて、英語ではFlower Fortune Tellingと言うらしい。 言う、とは言うが、三単語も使わないと言い表せない程度の風習と言えるかもしれない。どの程度定着していようか。

Tearと言う単語は、「涙」という名詞と「引き裂く・毟る」と言った動詞の二つの意味がある。 これは二つの単語が同じ綴りであるのではなく、二つはそもそも同源であるのだと思う。 泣くということは、我が身から涙の粒が離れていくことを意味する。だからTearなのだろう。

花占いについて考えつつ、上のようなことを思い合わせていた。 花弁の形はTeardropにも似ている。 その辺りからの連想もあったろうか。 ただ、Flower Fortune Tellingは歌のタイトルとしてはスマートでない。 どうしたものかな。


2/20(土)

レジ袋は有料になった。 そもそも「無料でなければならない」というルールがあったわけでなし、事業者の一存で有料化することは可能だったろうが、規則化され、強制されることとなった。

CO2削減のためとかエコとか、色々と理由はつけられているが、科学的根拠は希薄というか、言ってしまえば「無い」そうだ。 言いだしっぺの環境大臣すらそれを認めていて、「問題意識を持ってもらうため」だとかのたまっているらしい。 科学的根拠なしに、そんなくだらない精神論を振りかざすため、一億人以上いる国民に負担を強いたという。

何故効果のほどすら怪しいような施策が罷り通るか。 その権限のある者(現環境大臣)の立案であるから。 これは仕方ない。ルール上こういうことが可能になっているのだから。

大臣はお父さんが元総理大臣で、失態さえなければ将来的に総理大臣の椅子も狙える、政界のプリンスのような御仁である。 その人が若くして大臣に抜擢された。 当然のように「一目立ち」を目論んだ結果がこれである。

分不相応な抜擢が、功に対する逸りを生み、「大過なく任期を全うできればよい」というような平穏な気分を侵した。これは本人のせいと言うより、そういう状況を作り出した周囲のせいだろう。 ある意味、この程度で済んで良かったのかもしれない。

日本人はこれにて学ぶべし。 ポストに誰が就くかによって、起こる弊害は斯くの如くなりうるということを。 大臣の弁ではないが、これが有権者の意識改革になってくれることを私は切に願う。


2/19(金)

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(少しずつ・一つずつ、などの)「ずつ」という接尾語、私は「づつ」だと思い込んでいて、実際過去にもそのように使用していたと思うのだが、正しくは「ずつ」らしい。 広辞苑などの辞書類でも「宛」の字が当てられ、読みは「ずつ」、当然サ行に配置されているという。

ただし「づつ」が誤りであるということはなく、昭和61年付け内閣告示及び内閣訓令によると、「ずつ」を本則としながらも、「「づ」を用いて書くこともできるものとする」とあるそうである。 つまり「一つづつ」は(推奨されないながらも)間違いではないということ。

地面・地震などの「地」は、おそらく大地・地球などの「地」が濁音化したものだろうから、「ぢめん」・「ぢしん」とするのが正しいように思えるが、実際には「じめん」・「じしん」が正しいとされているらしい。 由来の部分って、時間と共にぼやけていくものなのだろうか。

実際「学校」は「がくこう」でなく「がっこう」だが、水族館を「すいぞっかん」としている辞書は皆無であるという。 こういうものの正誤ってそんなに厳密なものでもなく、その曖昧さ・モダリティーを体感できることこそが言語力なのだろうと思う。


2/18(木)

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小林旭さんを特集したプログラム(動画)を見ていた。というか、仕事しながら聴いていた。 往年、日活スター時代の、石原裕次郎とのエピソードなども交え、述懐していて、ファンにとっては興味深いものだったろうと思わせる。 私はリアルタイムでそれら日活映画を見ていた世代ではない。

私は不思議だった。 調べると小林さんは現在御年82だそうで、映画デビュー時は18歳くらい、上の動画が撮られたのがいつであるかまで知らないが、裕次郎氏とのエピソードもおそらくは半世紀くらいは前の話であるはずだ。 人は、半世紀前の自分を、当然のように同じ自分だと認識しつつ生きている。

生物は代謝を繰り返している。 老い・成長、色んな言葉で言われるが、人は変わり続ける。運動こそが生命である。写真に瞬間を留めるように、いつまでも同じ自分のままではいられない。 半世紀どころか数ヶ月前の自分すら、物質的にはまるで別物だ。

では何故我々は我々であるのか。 学生時代の失敗談に羞恥を感じる人の感覚は正常である。別人のエピソードであるなら、きっと人はその羞恥を感じまい。 同じ自分としての連続性が、その羞恥と言う論理を成立させている。

つまり、我々が我々である唯一の理由は、自分が自分であったことを覚えていること。

論理が途切れれば、人はその羞恥を感じることができなくなる。 数ヶ月どころか、昨日の自分が別人である人だって実在する。 約束を破る人は、過去の(他人である)自分がした約束とやらに拘束されるのだから、それは不快でしかなかろう。

私は韓国のことを考えている。 韓国人があのようであることは、おそらくは言語処理に起因している。 喫緊に必要であるのは、言語(論理)の再教育だろう。 遺伝的要素は乗り越えられないだろうが、それでも対策があるとすればそれしかない。


2/17(水)

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延長された緊急事態宣言、解除の目処は立ってないらしい。

私は全く必要ない宣言だと思うが、まあそれは良い。 百歩譲ってそれは良いとして、宣言の効果について、勿論事後に検証はされるのだろうね。 更には、「効果が認められなかった」あるいは「効果が無かったことが立証された」と言った場合、誰かが責任を取るのでしょうね。 経済・国家財政に深刻な害をもたらした宣言なのですから。

失政者を社会的に抹殺しろとまで言わないが、こういうケースで100%免責されるのなら、人は保身のために、常に被害を過大に見積もり過剰な対策を採る。 結果、社会的コストが膨れ上がる。 それは共同体にとって決して好ましいことではない。


2/13(土)

給付金の類を「我らの税金」とか言うと語弊がある。 当代の納める税如きでは到底賄えない額の国債などを「税金」と呼ぶのはいかがなものか。 まあ強いて言うなら、日本社会の(限りある)リソースと言うべきか。 だから無尽蔵であるとか、そういう話ではない。

「コロナ対策をしろ」・「増税するな」・「給付金を出せ」・「給付が不公平だ」。この手の要望を完璧に満たすことは不可能である。

「私は背が高い人が好み」という人がいるなら、まあそういう人を探せば良い。 「身長3メートルの人が良い」とか言い出しても、「倍数体とかならいざ知らず、そんな生身の人間いるか?」といった疑問はさておき、地の果てまで探せば良い。いるかどうかはさておき、探しに出ることはできる。

翻って「私は逆に背の低い人の方が良い」という人がいるなら、これまたそういう人を探せば良い。 通俗的な価値観とは違ったとしても、それを選り好むならそれも良し。 幸福はそんなに画一的ではなかろう。

しかし、「背が高くて低い人が良い」と言い出したら、その人が向かうべきは、それを探す旅ではなく、教育機関である。あるいは病院か。 論理的な思考ができない人に、地上の楽園を提供するのは難しい。 論理的思考ができるような脳の状態にしてやるしかない。 それが無理なら、その人の意見は「無視」することが、社会の効率化だろう。


2/12(金)

某野党が打ち出した「ゼロコロナ」なるスローガンについて考えてみた。 人気取りのために言い出したことに相違なく、深い考察の末でないことは明白だが、それにシンパシーを寄せる層が一定数いるということだろうか。 支持者らはどう思っているのか気になる。

コロナウイルスをゼロにする(絶滅させる)なんてことが可能だろうか。 私にウイルス学の知識がないから何とも言い難いが、難しくはあろう。 現にインフルエンザのウイルスとかも根絶できていないわけで。

有史以来、人類が根絶できたウイルスは唯一、天然痘であるそうだ。 確かに日本史でもある時代まで頻出する天然痘(痘瘡)、近代以降ほぼ聞かれなくなった。 根絶に至る歴史的経緯については調べられたし。

しかし、ウイルスが無いということは抗体も無いということで、現代に突如として天然痘が現れたら、大変なことになるであろうことは想像に難くない。 事実、生物兵器としての選択肢には依然入ってるらしく、当然対策についても想定外でない。

コロナウイルスをゼロにすることについても、同じ危険性が付いて回る。 ウイルスは変異し続け、我々は免疫を獲得し続けてきたし、今でもそうである。 免疫獲得というのは生体としての学習なわけだが、ある科目を対象から外してしまうと、そこについての学力も(壊滅的に)落ちる。 つまり危険が潜在化する。

コロナウイルスは流行したが、超過死亡は激減したという。 理由は単純でなかろうが、ウイルスの干渉によってインフルエンザなどが減ったことは大きかろう。コロナ系の流行年にインフルエンザが減少することは、経験的には分かっていたという。

インフルエンザはおそろしい病気で、多い年には万単位の死者を出す。 コロナ撲滅はいいけど、結果流行するであろうインフルエンザの方も撲滅しておかないとマズいのではなかろうか。 肺炎球菌もだし、人体に害を及ぼす(致死性の)ありとあらゆる細菌・ウイルスは絶滅させないといけないだろう。 だって、新型コロナなんてショボいウイルスにその必要性があるというのだから、そうしないとバランスが取れない。

もっと言えば、風邪の類なんかより、日本人の死因として遥かに多い癌や脳疾患・心疾患についても撲滅すべく財政出動すべきではなかろうか。

コストなんて考えちゃいけない。経済も財政も崩壊するかもしれないけど、ゼロにするためには止むを得まい。 癌は感染症ではないが、感染も悪性新生物も「生命への脅威」という意味で同じである。 生命こそが至上であるからこそのゼロコロナなのでしょうから、ここに異論はあるまい。

自動車も年間数千人の死者を出すのだから、当然ゼロにせねばならない。 ありとあらゆる輸送手段は根絶すべき。だって死者をゼロに抑えられないもの。 猛獣や有毒動物なども、全部絶滅させておいた方が良い。

私のような無能者が、ちょっと考えただけでもゼロコロナが撞着を起こしていることは分かるが、政治家の諸先生がたはどうお考えなのだろうか。


2/11(木)

70年代とかもっと古い時代のギター音を再現したくて、あれこれ試行錯誤していた。 一括りに○○年代とか言っても、色々バリエーションはあるわけだけど、今回とりわけ「チープな音」を模索していた。

ヴィンテージ系のシミュレーターとか、Vinyl系のエフェクトとか使ってもそれっぽくならない。 フィルターで中音域ブーストしたりすると、ややそれっぽく感じなくもないが、イマイチしっくり来ない。 ワウかます方がまだイメージに近い。

結局、元のギター音色が大事なのだと思った。あと低音のカット。 ある時代のあるサウンドディレクションってのが、どうも私の琴線に触れるようだ。 ある時代のタムの音とか、長らく再現に努めているが、いまだに納得行くものができない。


2/10(水)

ヨーデルについて考えていた時に「そういえばアルプスの少女ハイジの主題歌(のイントロ部分)ってヨーデルだったような」と思い出し、コード進行を調べるべくデータベースサイトに行ってみた。

しかし「アルプスの少女ハイジ」で検索しても結果が出てこない。 後で知ったのだが、あの曲「おしえて」というタイトルらしい。 そんなことまで知らねえよ。


2/7(日)

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私は、愚者がその愚かさによる判断や行動によって、相応の報いを受けることを「仕方ない」と思うし、もっと言えば「そうでなければいけない」とすら思う。それこそが因果であるからだ。

このコロナ騒動が悪質なのは、ツケを払わされるのが愚者以外の普通人であったり、あるいは後世人であること。 コロナ騒動は、日本史上空前の集団発狂として歴史に刻まれるだろう。

愚者が自らの愚かさに学べないとすると、人類の成長は止まってしまう。 この社会は一度滅びねばならないのかもしれない。 因果の成立しない世界、これほどの頽廃は無い。


2/5(金)

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今更だけどHIP HOPを聴いている。 あるヒントを感じてるもので。 因みにアメリカ物。日本のHIP HOPは基本的に別物だと思っていて(純粋HIP HOPと日本語は相性が良くない気がする)、違う機会にでも研究してみたい。

ビルボードチャートで上位を占めるような、当代最強クラスの売れ筋コンテンツでも、HIP HOPのオケはどこかテキトーだ。

基本のリズム(それも多様でない)を延々とループ、ところどころにフィル代わりのブレイク(ミュート)を入れる。 ベースラインや上物も数小節のフレーズを延々とループ、とこどころ抜き差ししている程度。 これで作った数分の尺にラッパーがラップを入れ倒す。 基本これだけ。 どっかで拝借してきたフレーズをサンプルとして入れ込んだり、SE的なものが入ってたりするけど、基本は上記にほぼ尽きる。

やはり、MCの力量が問われる音楽ジャンルなのだろう。 オケなんてあの程度で事足りる。 やはり優れたパフォーマー抜きには商品化も難しい。 もし私があれを作るなら、もう少しPOPS的なギミックを施して、聴きどころを(ラップから)分散させるだろうと思う。


2/3(水)

九州産業大学かと思った。

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緊急事態宣言が延長されるという。 日常を破壊してでも過剰な風邪対策を採るらしい。 まあそれも日本人が選んだ道なわけで、結果国が滅んだとしても、それはそれでしゃあないと言うのが民主主義なんだろう。

しかし経済の健全性が損なわれることは、直接的に生活に影響すると思うのだが、みんな平気なのかしら。 よくよく考えてみると、この国って公務員天国なわけで、経済なんて破滅してもとりあえず給料もらえるから、どこか他人事なのかもれしない。

「日本の公務員なんて人口の一割満たないではないか」と思われる向きもあろうし、私もそう思っていた。だが、どうも違う。

半官半民とか公然と言われているような企業もあるが、例えば医療費の7〜8割を国が補填しているのだから、医療関係者は事実上、準公務員と言って良い。 人口のおそらく三割以上を占める高齢者は、即ち年金生活者で、収入源が国である事実上の公務員である。 他にも、これら公務員・準公務員の家族も、収入源は国である。 少なく見積もっても、日本人の過半数は公務員。つまり経済の崩壊など(直ちには)痛くも痒くも無い。

しかし、こんな状態をいつまでも続けられるわけがない。 では日本は滅ぶのかと言うと、そうとも限らないと思う。 少なくとも今深刻な社会問題となっている「高齢化」は、あと2〜30年もすれば解決する。 ソイツら全員死ぬから。


2/1(月)

(スマホの)ゲームをやっていた。 私にしては珍しいのだが。 因みにフリーソフト。アプリ内課金ってヤツがあるのだが、それには応じてない。

ゲームソフトって買えばそれなりに値の張るもので、それがタダでバラ撒かれているのは、こちらにとってはありがたいこと。

しかし、メーカーも慈善事業やってるわけじゃないんだから、商売上の利点があるのだろう。 つまり、アプリそのものはタダでバラ撒いても、課金に応じる人らの落とす金で採算が取れている(あるいは取るつもり)ということ。 一々アプリを売るよりそっちの方が儲かると踏んでいるらしい。

もし本当にそう(課金システムの方が採算効率が良い)なら、私のようなタダ乗りユーザーは、課金組の払う金に支えられて日々ゲームに興じているということになる。 ゲーム代を肩代わりしてもらっているようなもので、ありがたいことと思えなくもない。


このように、物事というのは、認知によってありがたいことに思えてきたりもする(逆も然り)。 例えば、喫煙者など昨今、蛇蝎のように嫌われたりするのだが、彼らは自らの健康を害してまで納税してくれているのだから、もう少し暖かい目で見ても良いような。


1/30(土)

緊急事態宣言が延長される見通しらしい。 どう考えても正気でないな。まともに話が通じる状態じゃない。

新型コロナのワクチンが近々出回り出す。 特段のウイルスでもないコロナの、特段のものでもないワクチンなのだから、きっとどうということにもならないだろうが、何事にも当然例外はある。 副作用だのワクチン接種の失敗例だのをネタに、マスコミがまた大騒ぎするのが目に見えるようだ。

内閣支持率が低下する一方であるそうだ。 気の毒に。政権が病気の原因でもなかろうに。 そこをネタに政権の転覆を企んで騒いでいる人らの、一先ずは戦略勝ちである。

紙媒体の新聞は部数を激減させているし、地上波テレビも視聴率を低下させているが、この度の喧騒が、彼らの信用をきっと地に落とす。 歴史的役割を実は終えた者らの、断末魔の叫びがこのコロナ騒動なのかもしれない。 そしてそれこそが彼らにとどめを刺す。

この喧騒が止んだ後、きっと多くの人は気付く。このコロナ騒動が壮大な茶番であったことに。 いわゆるマスコミが、歴史に対する犯罪者であることに。 敗戦が日本のその後の繁栄の一遠因となったように、この度のコロナ禍が、歴史の転換点になるであろうと信じている。


1/28(木)

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経済が分からない私が、分からないなりに考えてみる。

金とは権利である。 一万円とはその額面の使用権であり、政府がその裏書を行っている。 政府の債務がどれだけ跳ね上がろうと、給付金を何十兆円バラ撒こうと、食糧が不足するわけでもなく、資源が枯渇するわけでもない。

では、金は際限なくバラ撒かれて然るべきものか(弊害はないか)という話だが、当然市中に流れる量が増えると、金は相応に価値を下げる(インフレが起こる)。 給料と同額の給付金を貰って収入を倍にしても、物価が二倍になればその人の生活は変わらない。 しかし、そのインフレでさえも、一粒の米を消費するわけでもない。

政府が発行した国債は、結局のところ日銀が買い取っているという(この辺り仕組みが複雑で、とりあえずは直接の購入はできないことになっていたりするらしいが)。 建前はさておき、日銀は実質政府機関だと見做して良いかと思われるが、要するに貨幣の発行は、政府の匙加減一つでいくらでも可能であるということになる。 まあそもそも金というものが政府の保証した権利に過ぎないのだから当然だ。

ある時期、建設業界に多くの政府支出が割かれたし、今の休業要請とやらでも飲食店に重点的な補償が行われている。 経済をシュリンクさせないためにも、政府は気前良くバラ撒くべき、であるのかというと、そう単純でも無さそうだ。 権利に過ぎないので、不公平な分配は、社会構造を歪にする。

結局のところ、不換紙幣ってのは、狸がくれる木の葉のようなもので、政府が振り出した使用権、それ以上でも以下でもない。 医療費や年金制度を全てひっくるめてBIのようなものに移行するのが一番スマートなのではないか。 BIというクーポンの発行に際し、同額面の赤字国債で帳尻を合わせることさえ、もう必要ないような気がする。

「働かざるもの食うべからず」とか思っている人の洗脳を解くのは難しいかもしれないが、ほとんどの人が信じて止まない「仕事」というのは、いわば遊びのようなものなのだ。 そのゲームに参加したい人は、引き続き没頭すれば良し。したくない人が巻き込まれずに済む社会にするのが一番健全なのではなかろうかね。


1/26(火)

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善玉菌とか悪玉菌とか言うから、細菌とはそういう二種に分類されるのかと昔は思っていた。 無論語弊がある。 腸内細菌などをとってもそれは多種多様であり、作用によって人間が勝手に善だの悪だのと線を引いただけ。 細菌自らが善を称したり悪を標榜したりするわけではない。 だからそれらの競合も、例えば善玉菌同士で起こることだって当然あり得る。

「コロナに罹った」とか「インフルで死んだ」とか言うと、おみくじで大吉を引いたとか凶を引いたとか、まるでそういう画然たる事象かのようだ。 無論違う。 常在のものを含め、この世界に菌やウイルスは溢れかえっており、時に共存し、時に競合的でありもする。 偏にウイルス性の風邪とか言っても、それを構成するウイルスは多種・複合的である。

私はいわゆる新型コロナウイルスをショボい風邪だとしか思えないが、まあ全くもって無害だとは言っていない。 実際死者も出ているわけで、特に高齢者や基礎疾患持ちは気をつけるべきものでぐらいある。 ただ、年寄りや持病持ちが平素病に気をつけるのは当然のこと。 コロナは特段の例外ではない。

風邪に罹患した人を調べたら、複数のウイルスが検出されるとする。 そこにそのコロナが含まれていたら、当然その人はコロナ陽性者で、死んだりでもしようものなら「コロナによる死者」にカウントされてしまうわけだが、しかしながら病気は、おみくじのように単純ではない。

「コロナによる死者」に認定されたからと言って、コロナウイルスだけがその人を死に至らしめたわけではない。 その他のウイルスや細菌も当然あり、またそれ以外の疾患や加齢による生命力の低下もある。 物事の原因というのは、常に単純でない。 ウイルス一つ取ってもそのように複雑なのだから、死(=生命活動の停止)などもっと複雑である。 人が死ぬのは、生命を維持するための最低限の条件を欠くからである。

コロナ対策に社会的リソースを割きすぎれば、当然それ以外の病気への対策は疎かになる。 過度な外出自粛要請で人々を家に閉じ込めれば、老人などは特に、運動不足による筋肉の萎縮が死期を早めるかもしれない。 不穏な日常への漠然とした不安、人に会えない孤独な時間、そういった諸要素だって人の死期を早める要因になり得る。

人類共同体が模索すべきは、限定されたコロナ対策ではなく、社会の最適化である。 それを決定付けるファクターには、当然人心の安寧なども含まれる。 生存を最優先するにしても、この度のコロナパニックはまことに非効率である。 もういい加減、正気に戻りましょう。


1/25(月)

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神田優花の次のアルバムの構想がまとまりつつある。 現在、シングル6タイトルの企画を同時進行中で、アルバム前にもう何タイトルかは出す予定です。 昨今のコロナ騒動で、スチール撮影のスケジュールとかも押してて、全体的に予定が滞りがちなんですが。


1/24(日)

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ある女性タレントの知人(おそらく恋人)が薬物で逮捕されたそうなのだが、逮捕されたその人、詐欺(いわゆる振り込め詐欺)の前科があるそうな。 早い話が反社会勢力ってヤツなのだろう。 事件は、そのタレントさんの今後のタレント生命にも当然影響するであろうし、あるいは彼女はもう「お仕舞い」かもしれないという。 それにしても何故そういう相手を選ぶか。

強い(戦闘能力が高い)男を好む女の人って、割と多い。子供の世界では、いまだに足の速い男の子がモテたりするらしいが、狩猟能力の高さこそが生活力であった時代の名残であろうか。あるいは先祖返りか。 女性のそういう志向性は、おそらく理性ではなく傾向性。脳の古層に刻み込まれている。

その古層をくすぐられるのか、ヤクザのような男をあえて選り好む女性もいる。 収奪の為に収斂を起こした個体になど近づいても、碌なことはなかろうと私などは思うのだが、共依存が均衡化することはある。

私は日に日に、理性以外の世界に興味を失いつつある。 男の暴力性を好む女性は、各種の依存症者や性犯罪者などと変わらぬ原理で動いている。 そこに私の友人はいない。


1/22(金)

↓これって何か狙ってるんだろうか。 たまたまだよね。今の若い人分からないだろうから。

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例の新型コロナウイルスの変異種が出たとか騒いでいるのを仄聞したが、順調に事態の本質は沈静化して行っていると感じる。 沈静化していないのは人心だけ。

変異種はおそらくは、更にショボい風邪となる。 私はコロナウイルスを舐めているのではない。 定着するためには、ウイルスも弱毒化せざるを得まいと踏んでいるだけ。

ウイルスのように、基本的に寄生を生存手段とする者が、宿主を皆殺しにしてしまうなら、ソイツらは種としては弱いと言わざるを得ない。 生存こそが至上の命令であるに違いないから。 定着のための弱毒化を「あり得ない」と思う人、その人はある意味でウイルスを甘く見過ぎている。

「(神が作った)生命」の歴史は、40億年と言われている。 たかが数千年の人智などと比べるべくもない高度なメカニズムを持っている。 私の医学・疫学における知識は皆無に近い。 私の判断は常に、私の世界観・常識感覚に基づいている。


1/21(木)

柴又の川甚(料理屋)が閉店するらしい。 有名な「男はつらいよ」作中で、寅さんの妹さくらの披露宴が行われたという、実在の料亭。 漱石の「彼岸過迄」をはじめ、数々の文学作品にも登場するという。 創業は寛政2年(1790年)だそうな。

閉店の理由は色々あろうが、報道によると、直接的にはこの度のコロナ禍ということになっている。 コロナ騒動が起きたって、全ての店が潰れているわけではないから、状況における適者でなかったということにはなる。つまり淘汰された。

しかしここ最近の騒動で、江戸時代から続くような数百年来の老舗が立て続けに潰れているという。 コロナ騒動はいずれ沈静化するかもしれないが、それによって失われたものは元に戻らない。 物事というのは、基本的に不可逆であるから。

私はこのことを、良いこととも悪いこととも思っていない。 ただ、この民族(現代日本人)が選んだ道ではあるのだろうと思っている。 結果起こるであろう事態も、その歴史遺産として背負って行けば良い。 たかがこんなショボい風邪ごときに、ここまでの混乱を生むことを愚かしく感じなくもないが。

多くの日本人はパニックに陥ったのだけど、要するにそれは、経済・財政の健全性という、平穏な日常を劣後に置いたということでもある。 結果、数百年来の老舗は消えた。

大事にしなかったものがその手を離れても、それは仕方のないこと。 我々は出来ることなら何だって出来る。その影響を制御できないだけ。 過ぎた時間は取り戻せないから、我々に出来ることは、今大事にできるものを大事にすることだけ。

その人が大事にしたもの、こそがその人である。 「世間ハ滅ババ滅ビヨ」と思える人はそうやって生きれば良い。あなたの周囲が、見渡す限りの焼け野原になったとしても、それが紛れもないあなただ。


1/20(水)

以下は批判ではなく、純粋な疑問である。

地球環境のためと言うことで、CO2を削減しろと言う。 排出量が増えているからなんだろうけど、植物は二酸化炭素を栄養源としていると聞いた。 森林保護の観点からは、「CO2排出量増大は好ましい」という理解でよろしいか。

動物と植物は、どちらか一方が増えすぎないように設計されている。 我々に性別があるように、これは自然の摂理である。 どちらかが増えると、環境がもう一方に有利に働くよう、実にうまくバランスを取っている。


上記は、地球温暖化云々は別として考えている。 地球の温暖化がよろしくないと言うが、地球の適温がいくつかなんて私は寡聞にして知らない。 昭和の頃の東北の話などを聞いていると、「寒さ」というのは一種の地獄で、それから解放されるだけでも、人類は一定の幸福を得ているような気がしてならない。

地球の温暖化によって海水面が上昇するという。 確かに、海面上昇によって国土が水没する国(島)すらあるとか聞いた。 他にもオランダのような、国土の大部分が海面以下であるような国にとって、海面上昇は笑い事ではなかろう。

しかし一方、ロシアのような国にとっては、例えば不凍港が手に入るとか、シベリアのような地域で農業が可能になるとか、そういうメリットも生じるに違いない。農地(食糧生産)の拡大は、人類にとってほぼ手放しで喜ばしい。 つまり、その状況を容認できる者だっているから、人類規模でのコンセンサスが醸成され難いのではないか。

あと、地球の気温が上がることによって、北極の氷山が溶けて云々というのは、語弊があろう。 海に浮いている氷が溶けても海面に変化はないはず。アルキメデスの原理。


地球の温度とかCO2の量とか海面の位置とか、そもそも何が最適かすら分からないものに、ある時代のそれを絶対視して維持しようとすること自体、本当に正しいのかと疑ってしまう。 対策とコスト、結果得られるメリット等を冷静に見つめ、最適な手段を選べば良いだけではないか。


1/19(火)

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例のコロナ騒動絡みの特措法を作るとかなんとか。 私はこのコロナ騒動をアホらしいとしか思わない者だが、その特措法については思うところがある。

コロナ騒動でパニックを起こしている多くの人は、例えばマスクをしない人や休業要請に応じない飲食店を憎悪したりしていて、実際にいくつかトラブルの例も報道されていた。 つまり特措法は、私権制限について、やや強制力を帯びたものになると思われるし、多くの人はこれを容認する。 しかしこれ、解釈次第で有事法制となり得るのではないか。 あるいは憲法改正の端緒となり得るのでは。

私は、この度のコロナ騒動を煽っている一部の人らの心根に気付きつつあるのだが、きっとその人らは努々そこに気付くまい。 今の日本が置かれた状況下に、特措法なんて作ったら、何らかのトリガーになる可能性はある。

発火という現象は、起こるに条件が不可欠である。 酸素や可燃物があった上で着火エネルギーは発火に繋がる。 人は、ガス爆発なんかが起きた時、すぐ「誰かが火を点けたこと」に原因を求める。 確かにそれは原因の一つでは確実にあるのだけど、そもそも可燃性のガスが充満していたことに原因の大部分はあったりする。


1/18(月)

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スマホ用のゲームをやってたんだけど、ゲームの面白さにも種類があるらしいことに気が付いた。 プレイすることが楽しいものがあり、クリアすることが爽快であるものがある。 ツボは他にもあるのかもしれない。

プレイそのものが楽しいものは、大袈裟に言えば、延々といつまでもやっていられる。 クリアが爽快であるものってのは、おそらくプレイそのものはさして楽しくないというか、あるいは不快である。 実際、一回クリアしてしまうと、二度とその面をプレイしたくなくなったりする。

5時に仕事が終えて飲みにいくこと、が楽しい人は「会社が楽しい」と思っているのかもしれないが、仕事そのものは苦痛なのではないか。 マッサージは気持ち良いのだろうけど、その前提として肩こりや筋肉痛などという不具合があったりする。 結局快感というのも、多くは不快との相対値なのだろう。


1/15(金)

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この世界に、単純なものなどそうそう無い。 何をとってしてもそれなりに複雑・難解である。

音楽をやっているだけでもこんなこと自明と思えてくる。 例えば厳密な意味でラ(=440Hz)の音なんて存在しない。 発音体との距離で周波数は変わるし、ドップラー効果によっても周波数は変わる。 ギターは開放弦でチューニングを合わせてもハイポジションに行くに従って微妙にピッチがズレるし、ピアノの調律も、人為調律の狂いは滋味としてある程度許容される。 そこまでの厳密性は求められないし、求めるべくもない。 音は我々の頭の中ある。 言語で照合しているだけ。

ウイルス・雑菌はこの世界に溢れ返っている。 単に風邪と言っても、、そのウイルスの構成は複雑である。 だからこそ特効薬など作りようがない。 また、ウイルスは変異し続ける。 同時に人体だって、刻々と新たなウイルスに対応すべく免疫を獲得し続ける。 生命とはそのような諸現象を総称したものだ。

このことが理解できなければ、常に世界は平坦な紙芝居のようで、総合的な思考ができず、他に波及する影響を考えないままに、ゼロリスクを求め出す。 結果社会はこのように混乱を極める。

政治家の仕事は調整である。 悪く言えばパフォーマンス。 それが非科学的だと知りつつも、泣く子を黙らせるためには呪いも祈祷もする。 政治は民度の反映であろうから。 仕方ないと知りつつも、もういい加減目を覚ましてはどうかと思ったりもする。


1/14(木)

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緊急事態宣言とやら、延長される見込み濃厚であるらしい。 頭痛がしてくる。 感染者数など一日数千人だろうが数千万人だろうがどうでも良い。 重要なのは人口当たりの死亡者数(重傷者も入れていいかも)なわけだけど、どう評価しても、新型コロナウイルスはただの風邪としか言えない。 もういい加減普通の生活をしましょうよ。


1/13(水)

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緊急事態宣言絡みのニュースをぼんやり見ていたら、とある医師とやらが「とにかく外を出歩かないで欲しい。無症状でも他人に感染させてしまう可能性がある。感染した人は下手すると死ぬ」だと。 その医師というより、その極端な意見を取り上げるメディアの方に強い意志が働いているものかと思われる。

昨今のこの狂騒が、妥当なものであるか否かはさておき、確かにコロナウイルスによる死者は出ている。

発狂している人らに、絶対にコロナウイルスに感染しない方法・死なない方法を教えてあげたい。 それは「この世界に生まれて来ないこと」。 生まれて来さえしなければ、病気に罹ることも怪我をすることもない。死にもしない。

風邪が怖いから外を出歩くな、というのは突き詰めればこういうことを言っているわけだが、愚か者の一番愚かなところは、自らの愚かさに気づけないところ。 人間は、生きている時間を延ばすためだけに生きているわけではない。

我々には意志があり、理想がある。 この世界は危険に満ち溢れているが、人生にきっと意味があると信ずるからこそ一歩を踏み出す。 生きながらえることを至上の価値とし、何より優先しようとすれば、社会は崩れる。 この度の狂騒は、この国の人々に夢が無いからこそ起こっている。人間として最も恥ずべきことである。 彼らは本質において、人間以外の動物と変わらない。

私がこういうことを言うのは、こういう人であるのは、私に夢があるから。 滅び行く人々の、巻き添えを食うわけに行かないから。


あと一つ気になっていることがある。 陰謀論だとか言われてしまいそうだが、正直、この騒動を過剰に煽っている人らは、この社会の滅亡を望んでいるのではないか。

たかが流行り風邪如きに、緊急事態宣言だの至上類例の無い規模の財政出動だのを行うなど、狂気の沙汰としか思えない。 騙されてはいけない。この喧騒は虚仮である。


1/8(金)

シューマンのトロイメライやショパンの別れの曲のような、アウフタクトで始まるスローな(ピアノ)曲、は人々の琴線に触れる何かを持っているらしい。 私も例外でない。

別れの曲など練習曲の一部で、旋律の美しさを表現するのが主目的でなかったと思われるが、評価に引きずられてこんにちそこはほとんど忘れられている。 ハノンやブルグミュラーのそれとは、随分な扱いの違いである。

それらが人々の琴線に触れたこと、日本の唱歌や歌謡曲にもその影響は濃厚に見られる。 早春賦や知床旅情など(後者は素人の作だが)、愛される曲の一つの型となっている。

今、トロイメライを聴いている。 ロマン派らしく、和声に独特の響きがある。 コードチェンジが小節の途中(偶数拍)に行われている点など、面白い。アイディアとして使えそうだ。


1/7(木)

「朝鮮人」って事実上差別語らしい。何故? 朝鮮朝顔も朝鮮蛤もダメなのか? 朝鮮日報は韓国最大紙だし、朝鮮総連も朝鮮学校も朝銀も現役で存在している。 地理的呼称としても、朝鮮海峡もあれば朝鮮半島もある。 北朝鮮だって朝鮮じゃないか。 朝鮮人が何故差別なのか。 メチャクチャな話である。

朝鮮半島史の末端に位置する朝鮮民主主義人民共和国や大韓民国、そこにいる民族をある視点で同定・総称できてしまうのは当然である。 「朝鮮人」が使われる時、そこには言い換えの難しいニュアンスが含まれている。 韓国人と朝鮮人では指すところが異なるのである。 ソ連人とロシア人では、意味が変わってしまうだろう。

日本のように、最古の歴史書が「日本書紀」というような古い国は、国号と民族・歴史を指す呼称が同じであったりする。 ここに不便さがさほど無いのは、日本史の特殊性に理由がある。 狭義の中国とは、あの辺りの歴史的末端に位置する国家である「中華人民共和国」のこと。 支那という言葉が便利なのは、英語のChinaに相当する意味を持つからであろう。 朝鮮はこれと似ている。 そういえば支那も差別語とされる。 狂っているとしか言いようが無い。


1/6(水)

更新滞りがちで申し訳ない。


また緊急事態宣言とやらが出るらしい。 誰かこの私に、新型コロナウイルスのどの辺が脅威であるのか、説明してくれないだろうか。 これは冗談ではない。

過剰な対策によって、年間の死者数は一万人以上減ったとか聞いた。 祝杯を上げても良い事態である。 が、同時に経済・財政はボロボロ、失業者の増加に歯止めがかからないし、自殺者も今後一層増えると予想されている。

致死率を見る限り、いわゆるコロナはタダの風邪である。間違いない。

「新型ではないか」 →そもそもウイルスは変異しやすいもので、風邪の型など毎年変わる。 現にインフルエンザとかも毎年微妙に変化するではないか。

「特効薬がない」 →風邪の特効薬などそもそも無い。

「ワクチンが無い」 →毎年の季節性インフルエンザにワクチンがあっても、接種する人は二割台だとか聞いた。 あってもそもそも大多数は使わないものである。 また、ワクチンの効果も万全ではない。接種しても感染や重症化を100%回避できるわけでもない。

更には、ワクチンは数ある「風邪対策」の一種に過ぎない。ワクチンがないからとて、感冒薬がないわけではない。 熱が出れば解熱剤があり、咳が出るなら鎮咳薬がある。

「死者が出ている」 →年間三〜四千人くらい死ぬ程度の病気などいくらでもある。インフルエンザの流行年には一万人の死者が出る。最近知ったが、誤嚥性肺炎は年四万人だそうだ。 経済を壊滅させるほどの対策を取る根拠にはならない。

「海外では多数の死者が出ている」 →欧米ではね。日本は違う。 マラリアやエボラ出血熱は特定地域で多数の死者を出すが、日本ではそうでないから騒いだりもしない。


病気は、猖獗するに複雑な条件が要る。 病気とて条件を背景にしか存在しえない。 こと日本においては、コロナウイルスは猛威を振るえない、ということが状況的にもう判明している。

「新しい型の風邪が今年流行っている」。要するにこれだけの話。 致死率も低く、比較的安全な病気である。 高齢者や基礎疾患持ちは気をつけられたし。 この程度の話。 医療崩壊云々なんてのは、要するにリソース配分の問題で、要は人災である。 アホが減りさえすれば、あっという間に解決する問題だ。

それがどうしてこの世の終わりかのような騒ぎに発展し、未曾有の混乱を生むのか。 これは「魔女狩り」のような集団発狂なのだろうと思う。 後世きっとそう評価される。 好むと好まざるとに関わらず、アホは一定数生まれてきてしまうものだから、その者らの脳の状態に振り回されてしまうのも人生のコストではあるのだろう。 ああめんどくさ。


1/1(金)

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私はミキサー使いではあるんだけど、どうも脳の構造が、ああいうものとの相性が悪くできているみたいで、昔からAUXとかBUSとかのルーティングが頭の中でゴチャゴチャになりやすい。 算数が苦手なのである。

昨今のDAWってグルーピングとか簡単で実に良い。 基本構造としては昔の多チャンネルのミキサーなどと変わらないはずだが、物質としての制約がなかったり、グラフィカルで理解しやすいところが良いのだろう。 私は、昔使っていたようなミキサー(HDR)の使い方をほとんど綺麗サッパリ忘れてしまっている。

去年、ある事情で、昔使ってたHDR用のデータを再ストアしてトラックのデータを引っこ抜くような作業をしてたんだけど、操作方法を忘れていて困った。 機材が現役だった当時は、ほとんど感覚的に使っていたコマンドが、悉く思い出せない。 最悪一からマニュアル見直そうかとも考えたが、幸いそこまでせずに済んだ。

私は時間を不可逆であると思っているから、より便利・合理的なツールが出現したら、それ以前のものは価値の大部分を失うと考えている。


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