Staff diary  
スタッフ日誌[2020]

[文 / 益田(制作)]

9/30(水)

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橘高茉奈、とあるオーダーに対応するため、ある曲のリハーサル中。 まだ全然本決まりの案件じゃないんだけど、決まったらおそらく短い納期で対応せねばならないので、今のうちから仕込んでるんです。


9/29(火)

更新間隔が空いてしまった。 別に何ということはない。考え事が多かったくらい。



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神楽(神楽歌)について考えていた。 雅楽の一部(サブジャンル)とされるが、日本古来の音楽としての純度が高い。 いわゆる雅楽のレパートリーは唐楽など、大陸由来のものが多く、有名な平調越天楽なども唐楽である。 因みに本家である大陸では絶えているが。

概念をうまくツリー状に理解できていない。 雅楽について調べていたのが随分前なので、失念している部分が多いってのもあるが、単に複雑だからってのもある。 雅楽は、ジャズやボサノバなどといういわゆる音楽ジャンルとは違う、いわば体系なので、把握も難儀である。

神楽で使われる楽器群は、管絃とは違う。 様式として明確に定義されているのだが、代表的なものとして神楽笛・和琴・篳篥・笏拍子などがある。

中でも和琴あたりはニッチな楽器なので、音源とかも稀有である(というか見当たらない)。需要が薄いのだろう。 ただ、木製の胴(ボディー)に絹製の弦を張っただけのものなので、いわゆる筝と本質的な違いは無い。 その気になれば作れないこともない。 「糸張って弾いたら音程が得られる」というのは物理現象なので、各地に土地の素材を利用したその手の楽器はある。


基本的に声楽である。 レパートリーを聞いてみると、雅楽曲一般と同様、ヘテロフォニーである。 途中和琴のアルペジオっぽいフレーズが散見されるが、あれは和声ではなく一種の装飾音なのだろう。 和琴は六弦で、一応和音が出せる。

笏拍子のタイミングがよく分からない。 西洋音楽的な拍節感でなく、何らかの様式性・形式性があるのかも不明。 何となくあるような気がしないでもないが。

神楽歌を作ろうとか別に考えていないが、ヘテロフォニー的な楽曲については書くかもしれない。 楽器編成をどうするか検討中。 管絃なんかよりはシンプルな構成を考えていて、すると神楽歌なんかはイメージに近いものではある。


9/23(水)

英和辞典・和英辞典なんてものがあるのだが、私はそのタイトルを見る度に思うことがある。

世に「英和(ひでかず)」とか「和英(かずひで)」とか言う名前の人はそんなに珍しくないと思うが、その人たちはそれら辞書のタイトルを見る度、一瞬自分のことかと気を取られるに違いない。 だからどうしたという話でもないが、いつも思うことなので書き残した。


9/22(火)

食い過ぎたら糖尿病になるからとて、食わねば栄養失調になる。 物事は、何事もバランスによって成り立っている。

未知のウィルスが出現した。 未知なのだから脅威は計り知れないという。 しかし計り知れている脅威にしたって、人知の及ぶ範囲で分かったつもりになっているだけ。 本当の脅威は神のみぞ知る。

新種のウィルスなのだからワクチンが存在しない。 それも事実であるが、ワクチン接種は「風邪対策」の一種である。 インフルエンザはワクチンがあったってコロナウィルスより多くの死者を出す。 ワクチンがあったって予防接種を行う人など三割満たないそうな。

対策の一種であるワクチンが無いからといって治療法が存在しないわけではない(ワクチンはあくまで対策の一種に過ぎないのだから)。 熱が出れば解熱剤があるし、頭痛がするなら痛み止めもある。 安静にすることだって一つの(伝統的かつ有効な)治療法である。 事実コロナウィルスの致死率は低い。既存の療法で十分事足りる。

「死人が出ているじゃないか」という。 が、年間数千人死ぬような病気などいくらでもある。もっと多くの死者を出す病気だっていくらでもある。 ある特定の病気に拘って極端なゼロリスクを求め出すと、別の何かに当然影響する。

「外国では多くの死者が出ている」という。 外国ではね。地理条件も衛生状態も厚生行政も医療インフラもまるで違うところの話である。 マラリヤでどれだけの死者が毎年出るか知ると良い。 「日本においてはどうなのか」。これはかなり早い段階で周知であった筈だ。

医療という限りあるインフラをショボい風邪ごときに集中させ過ぎると、他の病気への対策が疎かになる。 たかが風邪ごときに、全く必要のない自粛要請や緊急事態宣言などを出すと、悪影響は計り知れない。

病院は見舞いを受け付けなくなり、愛する人の死に立ち会えなかった人が出る。 コロナウィルスの関連死だったりした場合、死に目に会えないどころか、死顔を拝むことさえできなかったという。

愛する人を看取ること、愛する人と時間を過ごすこと、これらも我々の人生に映り込んだ大切な要素である。 雨が降るからとて、愛する人に会えないなどという馬鹿なことがあろうか。 刻々変化する天気があり、暑い日や寒い日があり、銀行預金の残高が上下し、愛を知ることに幸福を感ずる。 我々の人生は単純ではない。 コロナウィルスごときに破壊させて良いようなくだらないものでもない。

交通事故の死者は年間三千人を超える。 私は道を歩くだけで、コロナウィルス以上の危険に我が身を晒していることになる。 だからといって自宅待機などしない。

中生代末の大量絶滅は、隕石衝突によるものというのが定説となっている。 今日にでも、我々の頭上に隕石が落ちてくることが絶対にないとは言い切れない。 でも私は「隕石対策」に物心を割いたりしない。

コロナが怖いからと家に閉じこもっている老人は、運動不足による筋肉の萎縮が、寿命を縮めたかもしれない。 何事もバランスの上に成り立っているから。


思いついたことをつらつら打っていたら、結構な文章量になってしまった。 あらためて思うのは、コロナウィルスなんかより、それに恒心を失う人らの方が余程に怖いということ。 ワクチン開発より教育を再考する方が、この社会喫緊の課題である。


9/20(日)

「飛んで火に入る夏の虫」という俚諺がある。 読んでの通りの意味。虫は無謀にも、燃え盛る炎に飛び込んでくる。 火を明かりとして使用する頻度が増したであろう、江戸期あたりに流行した言葉だろうか。 行灯に突っ込んでくる夏の虫を見た人が言い出したろうか。

しかし、私が疑問に思うのは、「何故虫は火に集まるか」という点。 仰せの通り、火に入れば虫は死ぬ。 明かりが蛍光灯やLEDになったのは、長い地球の歴史から見れば、ごく最近のことである。 虫がそれに合わせた形質を獲得するには時間が無さ過ぎる。

「火」は昔からあった。落雷やそれによる山火事など、自然現象としての発火もいくらでもあったろう。 しかし、そこに近寄っていくことによる、生存上の利点があった試しなど無かったのではないか。 彼らは何がしたいのだろう。


9/17(木)

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ピカソは、自身が画家であるだけでなく、絵画収集家でもあった。 ルーブルでダヴィンチの絵が盗難に遭った時だったかは、容疑者として名前が挙がった程に有名なコレクターだった。

そのピカソの言葉にこういうのがある。 「大切なのは、(作品でなく)セザンヌがどういう人であったかだ」と。 因みに、この言葉はピカソのものである筈だが、今ネットで検索しても見当たらず、ソースが見つけられない。 本か何かで読んだと思うが、出典を失念してしまった。

私には、ピカソの言葉の意味が分かる。 本当の芸術作品とは、絵などではなく、作者そのものである。 本当の最高傑作は、ピカソの絵画でなく、ピカソその人。


9/16(水)

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コーギー(Pembroke Welsh Corgi)という犬は元々牧畜犬だったそうだ。 牛の集団をコントロールする役目を負っていたらしく、愛玩動物と化してしまった現代においても、牛を見せたら後ろ足を噛むという。 全ての個体がそうなのか不明だが、中にはそういう行動を採るものがいるらしい。

どういうことなんだろう。 牧畜に適したいわば「芸」を人間が仕込んだのだろうか。 もしそうなら、芸は獲得形質で遺伝はしないはずだ。 犬のような動物には、世代間を超えた情報共有の仕組みがあるのだろうか。

あるいは単に、本能で牛の後ろ足を噛んでしまうのか。 だとしたら、その習性は生存上どのような利点があるのか。 全く分からない。


9/15(火)

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溜まった仕事を片付けていた。 先月末までリリースラッシュだったんだけど、気が付けば神田優花なんてもう6曲録ってる。 次のアルバムは、来年早々にも出せるかもしれない。 まあこれは曲数が揃えば良いってもんじゃないけど。


9/12(土)

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とあるオーダーに対応するため、かなり古いデータを引っ張り出さないといけなくなってしまった。 HDRのオリジナルフォーマットのセーブデータからWavを引っこ抜くような作業だったんだけど、まあ大変だった。

HDRは20年くらい前に入れたものなんだけど、その後十年くらいは現役だったので、つまり十年前まで使っていたもの。 古い機種だから、こんにち的な観点からは不備も多いんだけど、なかでもデータのエクスポート時に(トラック毎に)一々CD-RWを焼かないといけなくて、物凄く時間がかかった。 無論USBのポートとかついてない。SCSIなら増設できるが、そんなことしてられない。

何より困ったのは、操作方法を失念していたこと。 本当に10年くらいで、人はあんなに綺麗サッパリ物事を忘れてしまうものか。


9/11(金)

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更新間隔が空いてしまった。 夏休みとってたのと、他にも色々と忙しくて。 仕事サボってたんで、作業も山積みだ。これから、来週にでも片付けます。


9/5(土)

大切なものを持たない人について。

大切なものを持たない人は、その精神に価値を置かれない。 大切なものすら持ってない人なんだから当然だ。 大きな企業などでは、独身者はイマイチ昇進できなかったりするのだが、要するに(他の人が持っているであろう)大切なものを、一つ持たないからだろう。

別に家族だけの話ではない。 趣味だとか打ち込める対象であるとか、友人であるとか。そういうものも同じく大切な何か。無論人によるが。 それらを大切な何かとする唯一の方法は、それらを大切にすることである。

「私はゴルフやマージャンや酒に浸っているけど、一向にそれらが大切な何かとならない」と嘆く人がいるなら、理由を教えてあげたい。 それは、あなた自身がそれらを大切と思えないからだ。 親友を持つ人、持たざる人、それらの違いは、その人がその友人をどれだけ大切に思ったか。

他人を大切にできない人って、何だかその人は自分自身をも大切にしていないように見える。 自暴自棄になれるのは、その人が(周囲というより)自分自身を大切にできないから。 私は、私の自認する精神の重量程度には、他人を丁重に扱いたい。

何かを大切にしない人の周りは、必定、一望の焼け野原になる。 大切なものがなくなるから。大切なものとは、実は我々自身のこと。 私という人間は、私が大切にするもので構成されている。


9/4(金)

橘高茉奈、代々木アニメーション学院さんのウェブサイト(アニソンアーティスト科のページ)で紹介されてるみたいです。

代々木アニメーション学院・アニソンアーティスト科

先日も新着情報のページで扱ってもらってたんですが、新着情報のページは新しい情報が次から次に入ってくるんで、ログが流れるのに比べて、今回は科のページなんで、少なくとも年単位では載っていると思われます。 最新シングル「Seventeen」も好評発売中です。 あのページの対象である、生徒さんらや入学希望者さんたちも、是非聴いてみてくださいね。




9/3(木)

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今の私が突然「ボクサーになれ」と言われても困る。 何故他人を殴り、自分も殴られねばならないのか。 そこに生存上の意義を見出せない私は、当然ながらボクシングに手を出さない。 しかしながら、誰だって私と同じ条件下にあるわけではない。

戦争なんてまっぴらだと私などは思うし、多くの一般人はそうであると思うが、全ての人がそうではない。 軍人は場合によっては人も殺すわけだが、殺人技術でもって承認されてきた人にとって、自身の能力を発揮できる機会の消滅は、肯定し難いものだろう。 武器商人など、戦争を特需と見做す業者だっている。

豊臣秀吉は天下統一の後、大陸に目をつけ、先ず朝鮮半島に出兵した。 それまでの日本は、言わずと知れた戦国時代である。一世紀以上に亘る長い戦乱を生き残ってきた戦闘のスペシャリストたちが、その戦闘能力でもって承認され、栄達してきた世界なのだから、いきなり偃武と言われても承服し難かったろう。 そこに大陸への出兵が起こった。

江戸幕府のような、比較的安定した政権を作り出した徳川家康にしても、彼自身その成果を達するためには、関ヶ原のような大きな混乱を必要とした。

大多数の無能者は、起伏の無い平坦な日々に、大した不満を露にもせず粛々と過ごす才能でもってニッチを得ている。 翻って有能者は、有能さでもって承認されてきた経験・記憶を持つが故に、そこを競う舞台に飢えている。 平穏な時間を望む人らには、やや迷惑にも映るが、それぞれ別の原理で動いているから、ある程度仕方ないこととも思える。

有能者が優秀性に舞台を見出し、人一倍それを発揮しようと躍起になる。 それによって処理される作業量に、周囲の多くの人らは恩恵を受けたりもする。 台風は災害だが、それによって(地球規模での)気象は保たれている。

優劣とは相対値である。 この世界に人が一人しかいなければ、美醜も賢愚も無い。 有能者も無能者も、生態系上のニッチなのである。 それが生じてしまうことは必然であるので、騙し騙しにでもこなしていくしかない。

何にせよ、人間集団に生まれる不和を解消するバッファとなりうるものは、愛でぐらいしかなさそうだ。


9/2(水)

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編集作業やりつつ、コーラスについて考えていた。 コーラスって言ってもオブリガート的なのじゃなくて、ハーモニーのこと。

フレーズに丸ごとハーモニーを追従させるのではなく、フレーズに部分的なハーモニーを付加する時があるのだが、その場合、欲しいメロディーと歌詞が合わなくなることがある。 例えば「皆さん、さようなら」という歌詞が音符九つに乗っているとして、最初の五つに三度上のハーモニーを被せたら、ハーモニーのパートは「皆さん、さ」という意味不明なセンテンスになる。

だったら「皆さん」で切るか、あるいは「皆さん、さようなら」の全部にハーモニーを加えたら良いのだが、音楽的側面でのみ見た場合、そこのコーラスは音符五つで良い(それより多くても少なくてもいけない)場合がある。

他にも、同じ部分でも一番と二番で歌詞が違い、微妙に文章の切れ目が変わるケースなどがある。 メロディーラインが同じなら、当然一番では(文章的に)問題なかったコーラスが、二番では整合しなくなる。

そういうケース、昔はどう処理しようか迷ったりしたものだが(今でも考えはする)、基本的に音楽面を優先することにしている。 つまり歌詞は犠牲にする。 まあ音楽、特に歌謡曲の類って、しばしば作詞と作曲を別人が担当するわけで、作曲家、あるいはアレンジャーが曲を作り上げる際、歌詞がまだ乗っていないことも多い。 優先しようにも優先すべき歌詞が無い場合があるということ。 基本的にコーラスってアレンジの一部だから、詞先とかそういう特殊なケースを除いて、歌詞には泣いてもらうことにしている。


9/1(火)

昨日のエントリーについて考えていた。 花は花粉の媒介を促すため、あの色や香りや蜜を身につけたのだが、それによって生存競争において勝ち残った。 人類で例えるなら、境界性パーソナリティー障害者こそが生き残るようなもの。

しかし人類においては、境界例は優位とされていない。生存上も不利である。 どうしてなのだろうか。

それは彼らが採用する生存手段が、花とは違って、いわゆるWin-Winでないからだろう。 虫媒の役目を担わされる虫たちは、別に困らされていないどころか、蜜をもらえるという巨大なメリットに与れる。 搾取・収奪者はそうではない。 他の犠牲によって成り立つ生存手段を採用している以上、それは水の流れのようでない。いずれは破綻する。

サラ金業者が一掃され、パチンコ業者も追い詰められつつある。ヤクザというニッチも消滅しかかっている。 お隣の韓国も、音を立てて崩れるよう、破綻しつつある。 私はこれらを「搾取者の断末魔」と見る。 淘汰の圧を潜り抜けるには、「貢献」するしかないと思います。


8/31(月)

楊玉環(楊貴妃)は歌舞音曲に秀でていた。 容色(その技能も含めた)でもって時の権力者に取り入り、ある時間栄華を極めた。 きっと玄宗は、楊貴妃を見たかったろう。

目を離せないほどの魅力、多くの場合、これは本当の魅力(優位性)ではなく、弱い個体が、自分から周囲の目を離させないために獲得した、表面的な振る舞いに過ぎない。 花が虫媒を促すため、あの形態を獲得したことに似ている。 この形質を獲得した個体を、医学的側面から見ると「パーソナリティー障害」と言う。 その個体にとって、注目・賛美されぬことは即ち生命の危機を意味する。

一見優れて見えるが、その実本人は生きていくため必死の思いで獲得した技能(形質)である。 普通人にとっての日常が、彼女にとっては、巨大な緊張を伴うものであったに違いない。

魅力的だから求められる。その人は自らのその魅力でもって存在を許されていると思っているから、そのサービスに余念がない。 その余念なさが、超人的技芸と思われたりするが、好きでやっていることでないから、早晩限界が来る。 尋常一様の芸人なら惜しまれつつ引退ということになるかもしれないが、楊貴妃などは引きずり出された舞台が大き過ぎて天寿を全うすることすら難しくなった。

もし生き長らえたとしても、彼女はいずれ鬱(非定型鬱)を発症したに違いない。 いくら人も羨む栄華を極めたところで、本人にとっての人生は地獄であったはず。 何かを好きであるということ。これが全ての矛盾を解決する。


8/30(日)

中国、とりわけ儒教について考えていた。 「教」というと宗教のようだが、儒教がいわゆるreligionであるのか。意見は分かれそうだ。 儒学という、東洋の一学問体系とした方が穏当であるような気もする。

言わずと知れた孔子様が作った(整理した)教えであるという。 孔子(孔丘)の実在性についてはほぼ疑う余地がなく、その語録である論語も、基本的には本人の弁であると考えられている。 仏典でいうところの阿含・法句経のような、教祖の生の言の葉が記録されている、と一応は考えられているのだが、私は専門家じゃないからこの辺の検証能力は無い。

著書(春秋)については、本人筆であるか少々疑わしくもある。 しかしこれも私にはよく分からない。 漢文に詳しい人なら、文体とかである程度成立年代を推定できそうな気がするが。 この辺り、富永仲基のような人が検証してくれていたら助かったのに。

孔子を開祖とするが、ほとんど便宜的なもので、その当時の土地の道徳観のようなものを言語化・文章化した、というのが実体に近かろう。 まあ当然である(でないと定着しない)。 儒は、いわゆる諸子百家とか言われるもの中でも、余程にあの辺りの民情に適ったと見える。 儒教は、歴史時間の中国の、ほとんど絶対的なドグマであった。

新中国(共産党政権)は儒教体制ではないとされる。 毛沢東語録のような別のドグマがあるからなのだろうけど、民情に適ったからこそ受け継がれてきた儒の教えが、一夜にして雲散霧消するはずもない。 今もあの土地・民族に、空気のように浸潤していると考えて間違い無さそうだ。

「述べて作らず」というように、基本思想として古を尊ぶ。 あの大地に争いが絶え間なかったことが関係していよう。 日本史でも戦国時代を経験した後、徳川政権のような超保守的な体制が成立した。 それが当時の人々に希求されたと見て良い。 体制とか思想とかって、反動のような力学で生まれることも多い。

ああいう教えを柱とせねば、中国は常に膨張と崩壊を繰り返したろう。 というか、儒教があってもそうだった。無ければもっとそのスパンが短かったし、混乱も深刻だったろうと言うべきか。

中国人というのは原理的な民族で、実のところいわゆる民族の概念に当てはまらないのかもしれない。 実際十九世紀だかのヨーロッパ人が「これは国(Nation)であろうか」と疑問を持ったという。「天と地の間に人々が転がっているだけではないか」と。出典は失念したが。 要するに、人々にPatriotismがほとんど皆無で、今のような強力な体制でなければ維持できない世界だった。

中国人が、幇だの客家がどうしただのと言う「国家以外の枠組み」に、強い紐帯を感じるのも、要するに中国が一般概念としての国家・民族に当たらない証拠だろう。 中国(中華世界)は、一ローカル国家ではなく、あれ自体が一つの宇宙と見た方が実体に近そうだ。

中国政権のスパイ活動が盛んな理由も、「人とは利でもって篭絡できるもの」という、彼らの確固たる人間観に由来していよう。 あながち間違ってもないが。 彼らは、良く言えば合理主義的、悪く言えば、人として大切な何かが欠けている。 儒教が怪力乱神を語らないのは、一般的宗教のような、超自然的力学を認めない(感じない)からだろう。

原理的な人らなので、付き合い方が問われる。 現代の国際社会は、その「付き合い方」を誤ったらしい。 今、一部の人らが修正しようと躍起になっているが、ちょっと遅きに失した感がありますね。 アメリカと中国の国家対立とかって見方は、事態を矮小化し過ぎている。 私など、あれを人類対中国と捉えている。


8/29(土)

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総理大臣がお辞めになるそうな。 激務であることは想像に難くないが、この度のコロナ騒動が相当の心労となったのだろう。 それにしてもこの焼け野原のような財政、誰が尻を拭うのだろう。

東日本大震災の復興費用が、19兆だとか聞いたのだが、この度のコロナ騒動に対する財政出動が現時点で58兆円規模だとか。 乾いた笑いしか出てこない。

震災の復興に費用がかさむのはある程度仕方ない(私はそれすら妥当であると思わないが)、事実災害そのものは起こったわけだから。 コロナ騒動は、それと本質的に違う。 実体としては単なる季節性の風邪レベルの(死者など例年程度か、あるいはそれ以下の)ものに、一部の人が集団発狂を起こしたため、社会が大混乱に陥った。 この空騒ぎに、千年に一度の規模と言われる先の震災の、三倍以上の予算が割かれたという。 しかも騒動はまだ終わっていない。

復興費用が必要となった原因は、とりあえずは地震にあるのだろうけど、コロナ関係の財政出動の原因は、人々の知能にある。 ワクチンより再教育のプログラムを練ることの方が喫緊だろう。


8/28(金)

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プロ野球とかで、打ち込まれたピッチャーが、次の日のスポーツ新聞の紙面で「背信投球」だとか酷評されたりする。 ファンに罵倒され、監督にも叱責されたりして。 打たれた当の本人まで「自分が情けない」などと発言したりする。 今は無いと思うが、昔は鉄拳制裁とかって、本当にベンチ裏で殴られてる選手もいたそうな。

確かにああいう球技って、「一点でも多く取った方が勝つ=失点が多い方が負ける」わけで、ピッチャーが打たれることは、負けに直結する。 打たれたピッチャーが称賛されるわけはないが、それにしても「打たれる(失点する)」ってどういうことなのか。

コントロールが悪いから、ストライクが入らずに四死球を連発する、甘いところに行き過ぎて、痛打される。コントロールが良くても球威が無いから打たれる。配球を読まれる。 こんな感じだろうか。

上に列挙したものって、その人の能力そのものなのだから、責めたって仕方なくないか。 そこを見越した上で起用を検討すべきなだけだろう。 最後の一つなど、ピッチャーというよりバッテリーの問題と言えそうだが、それにしたって配球とは即ち「頭脳」なわけで、そこを責められたって、究極的にはどうしようもない。

確実に言えることとして、少なくとも「打たれよう」と思って投げるピッチャーはいないだろう。 打たれまいと思って投げた球が、能力の不足により、結果的に打たれてしまう。私はこれを「仕方ない」と考える。 私は曲を作って売っているわけだが、「今度の新曲は詰まらない」と言われてもどうしようもない。 「背信作曲」と言われても「自分が情けない」とは思えないわけです。


8/27(木)

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「了解」と言う言葉は、上の者が下の者に使う言葉であって、上の人に使うのは礼を欠いている、らしい。 ちょっと前に聞いたのだけど、本当かしら。 私がそれを使う時に、全然そんな感覚はなかった。 私など、親子ほども歳の離れた人らと日々仕事をしているが、若い子に「了解」と言われても、当然ながら何とも思わない。

気になったんで調べてみた。 了解というのは、つまりは「解り了(おえ)る」というだけの意味である。 辞書的には、「了」は「おわる。おえる。しまう。結局。ついに。さとる。 」と言った意味だそうで、「解」については「とく、とける。わかる。さとる。」と言った意味であるそうだ。 (漢語としての)了にも解にも、とりわけ上下を意味するところは無く、英語でいうところの「I see」といった程度の、階級的には無色な言葉であるように思える。

必ずや名を正さんか。 言葉に厳格であるというのは、悪いことではないと思う。 しかし上で言う「了解の用法」についてはどうなのだろう。 私は「言葉の厳密さになんて一々拘るな」といっているのではなく、「厳格な用法ですらあるのか?」と疑問を呈しているわけです。 まあ私は、言葉使いについては、自分の感覚こそを最優先するけどね。


8/26(水)

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神田優花、ニューアルバム「Flairs」(全11曲)、本日発売です。 下は収録曲について、アーティスト本人からのコメント。


Flairs

カップリング集、『B-SIDES』の次は、新しいアルバムを届けたいと思います。
未発表のタイトル曲、My Flairを含む全11曲です。

My Flairは、柔らかな、しなやかな強さを表現出来ればなーと考えてました。
根拠はないけれど、うまくいくんじゃないか、何か自分の中にキラキラしたものがあるんじゃないか。最初はただの予感だったものが、徐々に確信へと変わっていくように、、、そんな気分を感じてもらえたらと。

アルバムはどの曲も、今を生きる人の、心の近くに置いてほしいと思って歌っています。
音楽の力や意義や、そんなものが問われてるようなこんな時代ですが、怖れないで新しい曲と出会って欲しい。
それはもちろん、私の曲でなくとも。
自分の味方でいてくれる音楽と出会って欲しいと思います。

神田優花





8/25(火)

神田優花の最新アルバム「Flairs」(全11曲)について。


アルバムと言っても、ほとんどは先行シングルとして発表済みで、未発表曲は1曲しか入ってない。 収録曲の発表時期もマチマチで、シングルズとかベストとか、そういうのに近い。 神田優花のアルバムはそういうの多いけど。

先行シングル「Nag」については、シングルとアルバムで別のものを収録する予定だったんだけど、結局同じものにした。 別と言っても、音圧処理が多少違う程度のものを考えていただけですが。

あとシングル「Happy Holic」は収録せず、カップリングのFluffy Dog Walksを収録しています。 何となくそっちの方がアルバムのカラーに合うかと思って。 タイトル曲の方もいずれ何らかのアルバムに収録したりするかもしれません。

収録曲「Tokyo」については、時系列で言えば前のアルバムに収録すべきだったんだけど、これもアルバムのカラーを考えて見送った。 今回初のアルバム収録となります。

大体アルバムが出る時って、常にその時点では最高傑作だと思っているものだけど、今回に関しては前2作の方が個人的には好み。 軽く聴くPOPSとしては悪くないんじゃないかと思いますけどね。 以下、唯一の未発表曲について。


11.My Flair

ごく短い時間だけど、Vaporwaveについてちょっと考えていた時期があって、その結果としてできた習作のようなもの。 考えた時期と曲を書いた時期はちょっとズレている。

Vaporwaveの制作手法の細かい部分まで知らないし、調べもしなかったんだけど、どうもサンプルを張り合わせるタイプのワークフローっぽかったんで、そこは踏襲せず。 80年代っぽい軽くレトロな感じとか、その程度の影響しかない。

ほとんどのパートで同じシンセを使ってる。 ビンテージシンセのエミュレーター。ほぼプリセット音色。 中々出来が良いシンセだったんで前々から使いたいと思ってたんだけど、使う機会に恵まれなくて。今回ここぞとばかりに使い倒しました。 曲そのものはシンプルなPOPSです。 譜面渡したらその日に録れそうなくらい単純な曲。

アルバムのタイトルはこの曲から取ってるんだけど、別にアルバムのキーとなるとか、そういう位置づけでも無い。 なんとなく言葉の響きが良いと思っただけ。





8/24(月)

もう結構前の話だが「こちら葛飾区亀有公園前派出所」という漫画の連載が終わった。 かなりの長寿作で、私の子供の頃の愛読書だった。

愛読書だったというものの、ずっとその動向を見詰めていたわけではない。 言うようにかなりの長寿作である。人生のある時期に愛読していただけで、連載開始当初は知る由もなく、時間が経つに連れ関心は薄れ、連載期間の最後のあたりなど、全く読んでなかった。 ファンと称せば言い過ぎである。

その程度の熱量ではあるが、食い物屋とかで注文した品が届くまでの間の暇潰しとかで、店に少年ジャンプ(その漫画の掲載誌)などが置いてあれば、手にとってその作品だけ読んだりした。それ以外の連載作品は、もう全く分からなくなっていたから。

その漫画が終わると聞いた時、私はちょっとだけ寂しかった。 私はもうマメに読んではいなかったが、何となくそれが永遠に続くものと思っていたし、続いて欲しいと願ってもいたから。 私の目の届かないところで、いつまでも流れ続けている川のようなものだと思い込んでいた。

物事が続くのは、続くための条件を備えているからである。 終わるのもまた、継続の条件を欠くからである。 その漫画が終わる直接の原因(公式ステートメント)を私は知らないが、もう人気投票云々というような時期はとうに過ぎた作品だったろうから、作者が申し出たとか、そういう理由でないかと思われる。 つまり、書き手側の条件(おそらくモチベーション)が維持されなかった。

お気に入りのグループが解散する時など、ファンの人々は落胆し、あまつさえ「本人らは続けたがっているのに、他の誰か(事務所など)が解散させようとしてる」などと言い出したりする。 続いて欲しいから「続けてくれ」という要望を吐露しているだけなのだろうけど、相手には相手の事情がある。

「好きなものだから続いて欲しい」というのは、言い換えれば「俺を楽しませ続けろ」と言うこと。 キャバクラで指名した女性に、「いつまでも俺の隣で酌をせい」と言っているオヤジのようなもの。

上の「本人の意思は別のところにある」と言う認識、これはほとんどの場合、単なる願望である。 これをある種の専門用語で認知的不協和と言い。放置すると認知症の発症原因になる、と私は睨んでいる。


8/23(日)

希死念慮という言葉がある。 死を願うことを言うのだが、いわゆる自殺願望とはニュアンスが違う。 積極的に「自らを殺したい」という衝動では無く、もっとパッシブな「存在したくない」という漠然とした願望。

甘えの強い幼児を見た時、実際に感じたのだが、彼は存在に抵抗していた。 具体的には思考を忌避していたのだが、とにかく母親にすがりつき、母親が我が身から関心を逸らすことを一時たりとも許さず、仕舞いには母親の胸の谷間に顔を埋め、世界を全く見なくなっていた。 これが希死念慮である。

彼には知的好奇心が絶無で、当然ながら言葉が入るのも遅かったのだが、発話するようになっても、子供向けの絵本などに全く興味を示さなかった。 ある程度成長した(と言ってもその後数年を経過しただけの)彼は、綺麗サッパリ、食欲と性欲しか持たない人間に成り果てていた。 多分彼はこれから苦労するだろう。彼だけでなく、周囲の苦労も想像に余りある。


コロナ騒動の余韻で、そこはかとない自粛ムードがいまだ蔓延している。 ファミレスは24時間営業をやめるそうだ。 ただでさえ少子高齢化の人口減社会である。夜の経済活動などはシュリンクしていくだろうと当然のように思ってはいたが、こうまで一瞬にして変わってしまったことには若干の驚きがある。

自粛要請は、ある程度社会の総意であろう。 それをぶち上げた政治家には、喝采が集まった。 確かに外に出なければウィルスに感染することもありませんものね。 挑戦しなければ失敗もない。 でも実はこれって、希死念慮そのものであることにどれだけの人が気付いているだろうか。 この社会は滅びに向かっている。 冗談じゃないよ。付き合っていられない。


8/22(土)

もういい加減下火になってきたコロナ騒動。 この度の騒動に際し、私が痛感したのは、やはりこの社会には「再教育」だ必要であるとうこと。 コロナウィルスより、それにパニックを起こす人らのアタマの悪さこそが本当の脅威である。

思考というのは、可能性の枝葉で構成されている。 時間感覚というのも、要は時間軸の保持のことで、枝葉をどれだけ展開できるか、という能力に拠っている。

可能性の枝葉を展開できない脳の持ち主は、不測の事態にパニックを起こしやすい。 発狂者は(大多数の冷静な人らより)声がデカいから、目立つ。 政治など、ポピュリズムを原理としているから、その大声に動揺しやすい。 一人一票という仕組み上、その発狂者(いわば低能者)は普通人(健常者)と同等の権利を持つ。 声がデカい分、平均以上の影響力さえ持つ。 この社会の欠陥である。

ハッキリと欠陥が露呈されたわけだから、対策を取るべかと思うが、多分あんまし期待できない。 原発事故のときも似たような状況が発生したが、何の善後策も講じられず、結果、この度はマスクが高額で転売され、トイレットペーパーが買い占められた。 日本人をやめたくなるから、もうそういうのやめて欲しい。


8/21(金)

行動経済学に「時間割引」という概念がある。遅延報酬の価値割引とか時間選好とか、色々な言葉が使われるが、要は同じもの。 即座に得られる小さな報酬と、将来得られる大きな報酬に、どのような価値のバランスを置くか、という話。 これは経済学というより、心理学や精神医学の研究領域であるかとも思える。

遅延価値の割引傾向が強い人とは、要するに時間感覚が無い、もしくは薄い。 時間感覚はその人の脳であり、言語に宿る。 一定の言語機能の形成に失敗した個体には、遅延価値を割引く傾向が、割りと顕著に見られるのではないか。 私にも思い当たる人が何人かいる。

多くの人が、「金は欲しいが借金までしない」理由は簡単である。 返済の義務が付きまとうからだ。しかもそれは多くの場合利子付きで。 1万円借りて1万1千円返すことを、多くの人は「割に合わない」と感じる。

翻って、時間感覚が無い人であれば、将来など現実でないのだから、それは行動に影響を与える要素でない。 「借りる(使える)のは今、返すのは未来」である。無論借りるだろう。 そして後で困る。

ある思考パターンを持つ者に「約束」が意味を成さない理由を説明している。 約束は、するに相手を問う。 ある思考パターンを持つ者は、国際条約ですら平然と反故にする。 「金(成果)は満額もらった、後は約束事を履行するだけ」という状態が、時間感覚を持たぬ者にとって、どれだけ無価値であるか。


8/20(木)

来週の水曜(8/26)、神田優花の最新オリジナルアルバム「Flairs」(全11曲)が発売されます。 ここ暫く毎週のようにリリースが続いていたんだけど、これで一区切りとなります。 次は年内間に合うだろうか。ちょっと分かりません。





なんかメチャクチャ暑い日が続いているが、熱中症も今年は多いらしい。マスクのせいもあるだろう。 23区は今月に入って、死者100人を超したそうで、例のコロナウィルスよりよほどに深刻だ。 これは緊急事態じゃないのかね。

一部のマスコミ、感染症の専門家たち、特にこの度恐怖を煽った人らは、申し訳ないが、本当に無能だと思う。 予測を外したことも確かに責任を問われるべき事柄だと思うけど、それより何より、これだけ時間が経って、症状も感染力も分かってきているはずなのに、そこについて何の目立った提言も無い。

マスコミはいまだに、ほとんど無症状とか軽症ばかりの、意味の無い新規感染者数を毎日発表している。 私など、あれがニュースバリューを保てていることに、一種の驚きを覚える。

ワクチンの実用化まで時間がかかること、とかは仕方ない。 しかし、新型コロナウィルスの指定感染症としての扱いが妥当であるのか、くらいの言及はあって良かろう。 他の指定感染症と比較しつつ説明して欲しい。 まあどのみち、この度の空騒ぎは、集団発狂として歴史に残るだろう。


8/19(水)

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橘高茉奈、サードシングル「Seventeen」(全2曲)、本日発売。 3タイトル、立て続けのリリースだったんだけど、これで一区切り。 上は先日のレコーディング風景なんだけど、もう新曲自体は録ってるんですが。

下は収録曲について、アーティスト本人からのコメント。


Seventeen
優しくフワフワと幻想を見ているイメージで歌いました。
歌っている時、17歳の時歌を続けていくか迷いながら歌っていた時の気持ちなどを思い出しました。
歌っていて新鮮な気持ちになり楽しかったです

Fire & Spark
謎が多い強い女性をイメージしました
「ゆらゆら」の部分の声を表で出すか裏で出すかでどう歌うか苦戦しました。
かっこよく出来たと思うので聞いてほしいです

橘高茉奈





8/18(火)

橘高茉奈、明日発売のサードシングル「Seventeen」(全2曲)、収録曲について。


1.Seventeen

これ、彼女(橘高茉奈)が活動始めてから、一番最初に録ろうと思っていた曲なんだけど、結局別のを最初に録ることになった。 フェイドイン・フェイドアウトを多用して、浮遊感みたいなのを表現したかった。 曲のラストもメインのバッキングとアコギのアルペジオで、二段階のフェイドアウトになっている。

普通のPOPSなんだけど、二つの調を行き来させて、軽い不安定さを意図的に残した。 あと、リズム音の入り方とかにも、若干の不安定さというか、未完成な匂いを残している。 そういう曲。


2.Fire & Spark

これも音(音色)が着想となっている。 私自身あまり覚えていない曲。

骨組みやオケの制作段階から、常に曲の用途が決まっているようなケースばかりではなくて、とりあえず作ってみてストック化するようなケースも多い(そのまま十年以上眠っているようなものも結構ある)。 この曲も要するにそのストックから引っ張り出して来た。

ストックってのは、それはそれで大事なもので、各種の調整に必要なものでもあるんだけど、困るのは構想と発表にタイムラグがあり過ぎて、コメント求められても細部まで覚えていないこと。 こういうテキスト打つ時だけでなく、リハーサル中に歌い手さんから色々質問されて困ることも多い。




橘高茉奈さんの曲についてのコメントで「よく覚えてない」みたいなのを連発してしまうんですが、ちょっと仕方ない面もある。 プロデューサー的な立ち位置で関わってないから。

繰り返すようだけど、曲って必ずしも特定のリリースに向けたものだけではなくて、とりあえず作ってストック化ってのも多い(でないと困るケースが出てくる)んだけど、そのストックが使われる際、特に作ってからの時間が経ったものだったりした場合、本当に細かい部分を覚えていない。

他にも「こういう感じの曲が欲しいから作って」みたいな注文に応じることがあるんだけど、そっちのケースはまだマシ。 リリースまでのタイムラグが比較的少ないんで、覚えている部分が多いから。


8/17(月)

何日か前に話していたRoland社TRシリーズ(主にTR-808)のクローン、その後も弄り続けていた。 そんなに操作の難しいものではないので、とりあえず音を出すだけの用途でなら、ある程度使い方も分かってきた。 音のエディットは無理。そもそもする気もないが。

やはり音の良し悪しはあんまり分からない。 「本物以上の本物」を謳っている割には、そんなに衝撃的でもない。というか、40年も前の機種なので、現代的な感覚からは少々かけ離れていて当然かと思う。

TRシリーズのクローン物って、プリセット段階からコンプやEQかけまくってたりして、元の音とは全然違ってたりするわけだが、「出したい音」にはそちらの方が近かったりする。 私も面倒臭がりなんで、加工してハッタリの効いた音にされている方が楽だ。

今のところ用途が思い当たらないが、結構弄ってるんで、いずれ何らかの形で使うかもしれない。


追記。 スタンドアローン版とVST版で、(同一プリセットでも)音が違う。 多分一種のバグかと思われるが、どちらが正しい音なのか、私には判断できない。 バグフィックスを待ってからでないと、使えそうにないな。


8/16(日)

マスコミの偏向報道を目にした時、「どこかの国から金が流れ込んでいるのではないか」とか反射的に思ったりする。 これは陰謀論とかいうほどに穿った見方ではなくて、お隣の韓国が「対日宣伝費」を予算に盛り込んでいる事実があるだけでも、蓋然的発想である。 お隣は事実上、潜在敵国と見做して良いかと思う。

対日宣伝の予算が三倍になったと言われているのに、「どこにそれが使われているのか分からない」という感想はあろうかと思う。 工作なのだからあんまりあからさまじゃマズい。 多くの人が気付かないうちに刷り込みを行うための予算である。 気付かない人こそが、「良いお客さん」である。

新聞社をはじめとするマスコミの多くは民間企業である。 民業とは即ち経済活動なので、金を用いれば篭絡もしやすい対象であると言える。 でも、きっとそれだけじゃない。 スポンサーの都合と社是が絡みだしたら、従業員という一個人は、それに沿うことで立場を得ていく。 上に誉められ、昇進を約束されるうち、一部の隙も無く、そういう思想性の持ち主となる。 社会性昆虫のようだが。

何を考えているかと言うと、一旦おかしな均衡に陥ってしまった組織に、自浄の望みは薄いということ。 今問題を抱えてしまっている新聞は、「紙面」がおかしいのではなく、「構造」というか「原理」が狂ってしまっている。


8/15(土)

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昨日の話の続き。

殷の紂王の愛妾・妲己、日本史で言うなら、松平忠直の側室、一国。 これら魔性の女に共通性を見出せなくもない、嗜虐性。 私が彼女らの脳を疑っている、大きな理由の一つである。

脳機能にある欠陥を抱えると、典型的症例として現れる「反共感」。 サディズムの正体が反共感であることには、ほぼ疑いの余地は無い。

芥川の「鼻」に、ある種の心当たりを覚えてしまう人は、至って常人である。 ほとんど誰にだって反共感のカケラくらいはある(脳の古層に刻み込まれている)。 だからと言って、サディストらを人類の一員と見做すのは錯覚である。

禅智内供の鼻の顛末を見る時、人々の心にはある電流が去来しているわけだが、集団の中には、実は「正反対の挙動」を示している者が混ざっている。そして、それは表面上は確認できず、常人と異なるその挙動を、多くの人は「電流の強弱」の違いであるなどと錯覚する。 更には、この錯覚こそが、彼らの絶好の隠れ蓑となっている。

私は音楽を作っているが、音を作っているわけではない。 音とは空気の振動に他ならないわけだが、私は、それを聴覚でキャッチした者の「心の中に流れる何か」の方こそを作っているつもりである。 要するに指をさしている。 だから、その人の心の中に無いものは指せない。

ドストエフスキー曰く、本当の地獄とは、(愛されぬことでなく)愛せぬことである。 愛せぬ者は、愛するという機微を持たぬが故に、この世界に偏在する愛の存在を感受できない。

人類が言語によって獲得した高度な機微である「共感」。 それを持たされなかった者らは、ある種の人間以下の動物にほとんど必然的に見られる「反共感」が剥き出しになる。 人間は高度な生き物である。脳の状態に関わらず、やれることがとりあえずは多く、同じく共感性を欠いた生き物の中でも、ある意味ではよりタチが悪い。 典型が凶悪犯罪者である。

理性的・意志的に生きる機能を持たされなかった者らは、生存こそを最優先する。 時に奪い、時に乞う。 ある条件下では凶悪犯罪者になり、別のある条件下においては絶世の美女となる。 稀代の美女なんて、紐解いてみればこの程度の機序でしかないものと思われる。

因みに、妲己や一国にまつわる巷説が、どの程度信用できるか、については掘り下げない(専門家でもない今の私に検証しようもない)。 おそらく核となる史実がデフォルメ・脚色されたものだろうと思うが。 


8/14(金)

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容色で歴史に名を残した者(楊貴妃やマリリンモンローだの)、今の精神医学や心理学の水準で見てみると、あれらは要するに境界性パーソナリティ障害者だったのではないか、と疑わしい。

美貌などという、基準さえ定かならぬものにおいて、超人的な評価を得るなど、実は美貌以外の何かが巨大な下駄を履かせていたのではないかと、疑えば疑える。 例えば楊貴妃や西施は、一般概念としての美人でぐらいあったのだろうが、顔だけみたところで、(当時的基準においても)大した美の持ち主ではなかったのではないか。

歴史を動かすほどの妖艶さ、これこそが「典型的美女」なのかもしれない。 美は難解である。 そんな分かりやすい美女など、本当は美(顔の造形など)以外の何かが売り物であったに違いない。

容色(を含む表面的な美)を持って他人に取り入り、生存環境を磐石たらしめようとする者。 その人が、生存に脅威を感じれば感じるほど、ある代償発達は促される。 肥大の甚だしい者、それが傾国の美女なのだろう。 きっとその人は、生きて行くため、美女にならざるを得なかった。


8/13(木)

川本比佐志氏のソロ作品集(シングル)の第二段を制作中で、先日歌入れを行いました。 順調に行けば年内に公開できそうです。

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生得的身体条件と環境による身体の形成、について考えていた。 先天性と後天性。

人間は、生来備わった身体条件によって全てを決められるのか。 無論そんなことはない。 机に齧りついて勉強していたら、学校の成績は上がる。 これは一種の獲得形質である。 ただ、学問を理解・吸収する「才能」ってものは厳然と存在する。

運動を習慣付けていたら、筋肉質になる。読書を習慣付けていたら語彙が豊かになる。 同じように、非論理を習慣付けていたら、脳の、論理を司る部位に機能低下が見られるようになるのではないか。 統合失調症の悪化などというのも、こういう機序で起こっているような気がする。

非論理(認知的不協和など)を放置していたら、脳が段々その状態に慣れてくる。 (元々か細かったであろう)論理を発動する部位は萎縮し、やがて不可逆となる。 壊死した部位が元に戻らないように。

獲得形質は遺伝しないことになっているが、非論理であればあるほど生きて行きやすい社会があるのなら、そこにはそういう選択圧・淘汰圧が当然働き、やがてはそんな人だらけになる。 常人にとっては、実に生き難い社会であろうが、坩堝の中で一旦起こった臨界を、そう簡単に止められるはずもない。

朝鮮半島のことを思い合わせていた。 あの社会を変えるには、教育を抜本的に弄るしかないのだろうけど、あまり現実的ではない。 教育を担当するのだって、あの社会の人である。それどころか、あの社会での勝者であろうから、自浄を期待するには望みが薄すぎる。 あの国の教科書が全てを物語っている。

外圧のようなものが効を示すことがあるだろうか。 余程の外圧でないとそれも難しかろう。 助けてあげたくても、方法が思い当たらない。

手を差し伸べられれば、普通の人ならその愛をありがたく思い、返報しさえする。 人を愛する機微を持たず、愛を感受できる脳を持っていない人にとって、その施しは「拾った木の実」と同じである。 貰ったところで、もう一つ拾う方法を練るだけ。 今の日本など、揺らせば何かが落ちてくる、いわば「柔らかい土」だと思われているから、彼らのエスカレートは留まるところを知らない。

「彼に施しを与えることが、全くもって彼の救済とならない」、これが本当の弱者の定義。


8/12(水)

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神田優花、今日発売のニューアルバム「B-SIDES」(全15曲)、について。

選曲盤みたいなもので、新曲は入れてない。15曲全部が既出、しかも全部カップリング。 昔からBサイドコレクションみたいなのが好きで、出してみたかった。

本当は新曲(未発表曲)を一曲入れようと思っていたんだけど、商魂の臭いみたいなのを感じたのでやめた。 要するに単なるプレイリストなんですが、一応レーベル純正品なんで。良かったら聴いてください。



以下、アーティスト本人からのコメント。

B-SIDES

初めてのカップリング集です。
フルアルバムには入ってない曲たちで、一番古いもので2013年に出したものから今年出したものまで、全15曲になります。
実験的なナンバーや、なかなか納得がいかずレコーディングに苦労したバラード、新たな表現を手に入した実感をくれた曲など、改めてアルバムとして聴いてみると、いろいろと感慨深い気持ちになりました。
所謂B面のみを集めたもので、かなりバラエティにとんだ作品集ですが、おもしろいアルバムとしてまとまってくれました。
もちろん、1曲ずつつまんでもらってもいいですし、アルバムとして聴いていただいても 聞き応えのある一枚になってると思います。

ぜひ、聴いてみてください。

神田優花



8/11(火)

Roland社のTRシリーズという、伝説的なリズムマシンがある。音屋なら普通知っている。 私は実機こそ持たないが、それ系の音をアレンジに用いることはしばしばである。

TRシリーズの一つ(代表)であるTR-808がソフトシンセとしてリリースされたらしい。 それも元Rolandの技術スタッフが制作チームだそうな。 実機を作った面子が、より高い完成を目指して再構築したものだという。 実機のリリース当時、予算等の制約から実現できなかった機能をも実装しているという。本物以上の本物という触れ込み。

これは、音楽制作系の複数のニュースサイトで取り上げられていて、私も試しにそれを落としてみた。 以下その感想。

正直言って、この手の音の良し悪しってのが、私には分からない。 腐しているのではなく、本当に分からない。感光力が弱いというべきだろうか。 名機であるだけあって、808のクローンのようなものは数多いのだが、それらとの本質的な違いも分からない。 私のような人に向けられたプログラムでないのだろう。

スタンドアローン版とVST版があるのだが、VST版を単なる音源として使うくらいしか用途が思いつかない。しかしそれにしても、既存の808クローンを差し置いてまで使う動機が見当たらない。 あと、(スタンドアローン使用前提の)オリジナルのシーケンサーが付属していたのだが、これもそんなに有り難いものではないかも。 操作性が極端に悪いとか、そういうわけではないが、他のシーケンサーを差し置いて使う理由が見当たらない。

結論としては、使い倒したい衝動に駆られるというわけでもなく、他人に勧めたいということもない。フリーなので持っていて損はないと思うが。 あと、全体的にまだ開発途上という感が否めなかった。 今後に期待したいところ。


8/10(月)

サメはイルカに似ているが、イルカの一種ではない。 まるで獰猛なイルカのような振りをしていても、サメはサメ、決してイルカではない。 中身が丸で違う。

人間は高度な生き物だから、最低限の条件を形成するのにも、割かしハードルが高いらしく、(データを元に他の生き物と比べたわけではないが)歩留まりの率が高い。 つまり人格障害や知的障害者が出やすい。 そのエラー個体を「どう扱うべきか」という話はとりあえずしていないが、その存在について、正確に把握することは必要かと思う。

良心感覚の欠如した個体がしばしば生じ、多くの一般市民は苦しめられたりする。 典型がヤクザや凶悪犯罪者である。 人類にはバラエティーがあり、当然粗暴な者も出る、とか言われると、それがグラデーション状に分布しているかのように錯覚させられてしまう。 違う。彼らは明らかに一般的人類と(身体上も)一線を画している。 その違いは、極端な場合、視認できさえする。

異常者の思考・行動に共感できる部分もあったりするものだから、一般人はあれを「自分らの一種」と誤解する。 しかし考えても見ると良い。毛を逆立てる猫を見ただけでも、我々は「コイツは怒っているのだな」と分かるではないか。 その程度に思考は似通っていたりも当然するのである。 だからと言って猫が人類の一員でないように、良心欠如者はもう人間ではない。


8/9(日)

いわゆる徴用工問題の続報を仄聞した。 いまだ燻るコロナ騒動のせいか、扱いは小さい気がしたが。

韓国(朝鮮半島)人は、私に物を考えるきっかけを与えてくれる。 ホモ・サピエンスはああいう型を稀に出してしまう。 人類規模で見ると、明らかにマイノリティーだが。

韓国人についてよく言及するものだから、単純に「嫌い」なのかと思われそうだが、私はそんな単純な気分で彼らを見つめてはいない。 無論人としての純粋な正義感から、悪を憎む気持ちはある。 彼らの行動の多くを、私は是としない。

国際条約を反故にし、居直ったという、近代以降稀に見る国家、韓国。 彼らのアタマに「信用」という現実が映っていないことがありありと伝わってくる。 日本企業の資産を差し押さえたところで、差し当たってウォンの暴落など起きてないではないか。 まことにその通り。 経済を含む現代社会は複雑である。 かさんだ諸々の関わりが、一つの国家・市場を簡単に崩壊させたりしない。 ただ、信用の毀損は、ボディーブローのように時間を掛けて健康を侵食してくる。 そしてそれは、取り返しが付かない。

資産は差し押さえたが、まだ現金化はしていないらしい。 現金化した暁には、報復措置を取る、と日本政府は明言しているが、そんなことをするまでもなく、韓国にとって、この横紙破りは高くつく。 差し押さえた時点で、もっと言えばそこに繋がる判決を出した時点で、それは終わりの始まりである。

信用は刻々変化するステータスなどではない。一度失った信用は元に戻らない。 信用を取り戻す、というのは、それをゼロから再び構築するということである。 一度信用を失っている分、ゼロでなくマイナスという方が正確だが。


朝鮮人とパーソナリティー障害者の行動は似ている。 これは既に気付いている人も多いようだが、論理のある要所が狂うと、起こる典型症状というのがあるのだろう。

私は民族による身体条件の違いというのもあるに違いないと思うが、後天的な文化も大きいと思う。 しかしそれにしても(先天的異常ではないにせよ)一旦形成された思考回路が容易に修正できるとは思えない。 例えば今の私が、如何にある外国語に習熟したとして、その言語を思考のベースに使うような、いわゆる「ネイティブ」にはなれないようなもの。


8/8(土)

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ここ数ヶ月、随分ハイペースで曲を書いているような気がするんで、計算してみたら4日(強)に一曲くらいのペースで作っているらしい。 私の場合、アレンジからバッキングトラック作りまで全部自分でやるんで、これは割かし驚異的なペースだと思うんだが。


8/7(金)

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「怒り」について考えていた。 怒りというのは、我が心の中に沸き起こった、不安などの負の感情を外にぶちまける行為で、要するにその人の感情処理能力の低さから来ている。 怒りの閾値が普通人に比べ低い人、と言うのは、例えは失礼だが、自分で糞尿の始末をつけられない乳幼児に似ている。

異常に怒りっぽい人は、脳に欠陥を抱えている。 比喩的に言っているのではなく、医学的な事実である。 犯罪性向の強い人や怒りの閾値が低い人は、MRIなどで調べれば、おそらく前頭葉の萎縮などが見られるはずである。

おかしな人の世界観などを説明されたら、多くの普通人はなんとなく自分にも思い当たる節があったりして、軽く共感してしまうはずだ。私もそうだった。 だが、普通人と異常者には、決定的な違いがある。これは性格のバラつき、などで済まされるようなものではない。

異常者は収斂によって、普通の人類と似た形質を獲得し、社会に潜むが、その実、極度の反共感などと言う、常人とは明らかに異なる感覚を持っている。 これは前部帯状回のフィードバック関連陰性電位の測定により、数値的にハッキリ確認できるもので、言わば彼らは本当は人類の一員でない。

共感性がないから、ごく自然に依存的・搾取的になる。 暴力的・収奪的であり過ぎる者などは、もう疑ってかかった方が良い。 典型がヤクザなどである。服役中の凶悪犯罪者の脳を調べたら、ほぼもれなく前頭葉に異常が見られたそうである。


少し前、ある警察OBの書いた手記を読んでいた。 彼は暴力団取締りを担当としていたのだが、若かりし頃、「暴力団を根絶することなどできるはずがない」と思っていたそうだ。 警察は犯罪を取り締まるが、犯罪その物が無くならないように。 なるほど、言われてみるとそんな気もする。 しかしそうではない。著者も今は違う結論に至っている。

良心感覚の極端な欠如は、脳の不具合である。 その発生を完全に防ぐことは難しいだろうが、原因が特定されれば対策が取れる。 私はこのことが、早く人類のコンセンサスとなって欲しいと願っている。

アメリカにはシリコンバレーやゲットーのようなものがあるが、まあ日本にも地域による格差はある。 単純に収入でフィルタリングされがちだが、本当に着目すべきはそんなところではない。 脳である。 癩病患者の隔離は、科学的・医学的根拠に基づかない、いわば迷信によるものだが、ここでいう脳の欠陥は、そういうものではない。

実は、人類とそれ以外を(医学的に)判別する方法は存在する。 社会的な峻別も実は可能なのだが、それどころか、人類とそれ以外の存在すら、社会的コンセンサスとなっていない。

いずれこれは人類の常識となるだろう。 人類共同体は、ある結論に至るはずである。 「人類以外の何か」たちは、きっとそうなることに怯えている。


8/6(木)

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あるコメディアンが、コメディアン養成所のようなところで行った特別講義の内容が、動画として(Youtubeに)上がっていた。 色んな意味でおもしろく拝見させてもらった。

講師曰く「養成所には友達を作りに来てるわけじゃない」らしい。 コンビの相方を選ぶなら、気が合うかとかいう理由でなく「自分の戦略に適う人物かどうかで選べ」と。 なるほどカッコイイではないか。 勝ち残るためのメソッドを教えているらしい。

しかし私は、その講師の彼とは、全く違う動機で音楽を作っている。 私の目的は、端折って言えば「友達を作るため」である。 一生懸命生きたら友達が出来る、と信じている。

勝ち残ることを至上の命令とする彼の世界観では、世界は皆「敵」である。 ある相手は利用し、ある相手は踏みつけ、ある相手は懐柔に努める。 時と場合により対応は異なるが、要するに全ての行為は「我が身のため」である。 きっと彼に映る世界は、一面恐怖で塗り固められていることだろう。

その彼は「賢い」とされているそうだが、いわゆる策士の典型とは、よほどに遠い存在に私には見える。 彼は聡明なのではなく、脳のある機能が形成不全を起こしたため、別の部分が肥大化しただけではないか。 ある対象に直面した際、展開できる何事かが、普通人より遥かにか細いように見える。

その人の言う戦略とやらには、早晩限界が来る。きっと何らかの矛盾を含んでいるから。 講義がいつ収録されたものか分からないが、その講師、数々の事情から芸能の世界をリタイアしている。 限界だったのだろう。


8/5(水)

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神田優花、ニューシングル「Landscape(,or New World)」(全2曲)、本日発売。 下は収録曲について、アーティスト本人からのコメント。


Landscape(,or New World)/Break You

Landscape
この曲はあんまり苦労したとかっていう記憶はなくて、どう歌いたいかが楽曲もらった時から決まってた。
細かい調整はいろいろあったけど、最初から最後まで自分の中ではっきりとカラーがあった。
こういう曲は、きっと何年たっても曲に対するアプローチは変わらないと思う。
そういうのってすごく貴重。
いつだって、まだ見たことのないものが見たくて、会いたくて、今を生きてる。
そういう曲です。

Break You
訳あってレコーディングするまで結構時間が空いた曲。難しいとかじゃなく、単にコンディションの問題だったんだけども。それだけに、荒いRockなんだけど歌としての成熟度はわりと高い気がするなぁ。
きっちり作り上げてから、どのくらい崩すかって、、、あぁ、Rockはあんま語るもんじゃないなぁ。
聞いてみてください。

神田優花





8/4(火)

神田優花、明日発売の新作「Landscape(,or New World)」(全2曲)、収録曲について。


1.Landscape(,or New World)

タイトルはLandscape(ランドスケープ)って読んでもらって(括弧内は無視してもらって)結構です。 因みにこの副題はシェイクスピアに因んだ。かなり古いタイプ(というか多分最古の)のサブタイトル表記。

サビのアタマで、リズムに半拍分のブレイクを入れてるんだけど、その辺りが着想となった。 音はシンセとかコンプで潰しまくったピアノとか、とにかく人工的なものにした。 普通のPOPSだと思うけど、割と好きな曲です。

最近、Dメロ入りの曲を多く作ってるんだけど、これも例に漏れない。 Dメロの最後のリリースなんかは、歌い手が拘ってた部分です。

タイトルを当初「New World」にようと思ってたんだけど、神田優花のレパートリーに「brand-new world」ってのがあって、何となく(当初の案を)避けた。 だからサブタイトルに残したわけです。


2.Break You

ギター二本・ベースのスラップ・生ドラム、みたいなシンプルな編成で16ビートのファンクと言うかミクスチャーっぽいのを作ろうと思って。

音楽的にはほとんど同じフレーズの繰り返しと言うか、二つくらいのパターンのリピートに終始している。 ツインギター前提のスコア書いてるんだけど、間奏のギターソロ部分については、バッキングのパートにソロのパートを付加する形でなく、バッキングの片方にソロを担当させている。 生の一発録りとか言うわけじゃないけど、一応は実際に生で再現できるようにこしらえてある。

ボーカルに関しては、確か2テイクぐらいしか録ってない。 コーラスも無いし、本当にシンプル。 意図的に荒っぽさみたいなのを残した。たまにはこんなのも良いかと思って。





8/2(日)

害虫は無くならない、という主張がある。一見説得力もある。 害虫は迷惑だし、人々は対策を怠らないが、害虫そのものは簡単に絶滅したりしないし、仮に絶滅させたりすると世界にどのような影響を及ぼすか分からない、らしい。

まことにその通り、この宇宙は複雑怪奇である。 人知ごとにどれだけ制御できるものか。 がしかし、人間の営みや生物相が不変である、なんてことはない。 歴史を振り返ると明らかなように、社会は進化(変化)している。 ある時期に害鳥に近かったトキが、今や絶命危惧種である。 現代に身分制度はほぼなくなったし、奴隷制度もなくなった。

人類は理想を掲げる生き物で、理想が生まれるとそれに近付くことを原理としている。

仮にそれが害を及ぼすものであったとしても、特定生物を人為で絶滅させたりしたら何が起こるか予測できない。 勿論そうだ。しかし、絶滅した生き物などいくらでもあるが、地球は滅びていない。 それが本当にこの宇宙にとって有用なものなら、あり続ける条件が不動であるなら、それらは絶滅などしなかったろう。 現に蝿は個体数を激減させているらしいが、少なくとも私の生活にさしたる支障はない。

「特定生物を絶滅させたりしたら如何なる悪影響が生じるか読めない。世界はそんなに単純でない」。 まことにその通り、世界は単純でないが、同時にそのような主張を額面通り受け取れる程に単純でもない。 私は、世界はある方向に進んでいると思っているから、滅びるものにはそれなりの理由があると思っている。 そして、物事はきっと、いずれ全て丸く収まる。


8/1(土)

アメリカと中国の衝突がどうやら不可避であるっぽい。 国家同士の対立というより、文明の衝突と言って良いかと思う。 中国的原理が勝つか、アメリカ的原理が勝つか。 アメリカ的原理というのは、西洋的世界観・キリスト教・自由・民主主義といった諸価値。 個人的にはアメリカに勝って欲しいし、勝つだろうとも思っている。

中国というのがどういう国・民族か、孫子とか六韜とか読めば多少は理解の足しになろうか。中華思想ってのは、それを端的に表現したものと言えるだろうか。 そういう原理の集大成として、その世界を制覇したものが国家を作り上げた。 結果どうなるかはご覧の通り。

マキャベリはある意味で賢いのだろうけど、人間の本当の聡明さって、ああいうところに無い気がする。 現にマキャベリ自身もろくな死に方をしていないし、ああいう政治家に支持が集まり難くもなっているように思える。

何より、マキャベリのような人のことを考えるに、彼に見えていた世界を想像しただけで暗鬱たる気分になる。 彼は政治家として一定の栄達を手にしたが、人生の勝者ではなかったのではないか。

もしマキャベリのような人が真の賢者であるのなら、人類はそれを理想とし、そういう人らが世界の中心となったろう。さぞかし住み難い世界だろうが。 実際そうなっていないところを見ても、神はああいう類型を選択しなかったと言える。

他人は騙せても自分は騙せない、とか言われる。 でもそんなことはない。 統合が失調してしまえば、人は自分すらも騙せるから。 本当に騙せないのは神である。 神は、本当に必要のないものを、容赦なく淘汰する。


商と経済は違う。 商はおそらくどの原始社会にもあったし、「商は詐なり」というように、詐欺のようなものもその本質に含んでいる。 経済は、欧米型の、例えばマックスウェーバーが言うような、プロテスタンティズムの思想などが柱となっているもので、それまでの商に倫理性が加わっている。 因みに現代中国にその感覚は無い。

人類は、相応の思想性を微塵も持たぬ者を、経済という仕組みに参加させた。 するとその者は、産業の基本的ルールを守らず、技術・著作などを剽窃し尽くし、抜け駆けによって肥え太った。 あまつさえ、そこで得た利益によって軍事力を増強し、覇権を唱え、世界の脅威となった。

中国は確かに強い。 人も金も軍備も(平均以上に)持っている。 だが、あれこそが理想の国家像であるのなら、人類の未来はああなっていくと言うことでもある。 神はあれを許容するだろうか。 日本人を含む今の人類は、歴史におけるある重要な岐路に立たされているわけだが、そろそろ旗幟を鮮明にして良い。


7/31(金)

神田優花のニューシングル「Landscape(,or New World)」(全2曲)、来週水曜発売です。





いわゆるコロナ騒動で、ライブ・イベントの類が壊滅的な影響を受けたわけだけど、先日、某大手芸能プロダクションが「ライブ依存の脱却を模索している」とかいう記事を見た。 ビジネスモデルごと新しい生活様式にシフトするつもりらしい。

つまりこの度の騒動、本質的には収束しない、あるいはある程度収束しても、日本人の生活様式ごと大きく変える、と見られている。 私は、時間は不可逆的なものだから、当然過去に戻ったりはしないと思うが、どこまで変わってしまうかについては、正直定見が無い。

ライブは、あれはあれで普遍的な文化である。 現状、これだけ存在するライブハウスやライブ文化が一気に消滅するとは考え難い。無論廃れることは不可避であろうから、ビジネスとしては他の方法を模索せざるを得ないのかもしれない。 あと、一部のアイドルの握手会やハグ会だのというビジネスモデルについては、継続が難しかろう。

昭和のドリフターズのコントをDVDで見ていると、「ノーパン喫茶」という言葉が何度も出てくる。 ノーパン喫茶何たるか、勿論全く知らないわけではないが、かといって詳しいわけでもない(無論行ったことも無い)。検索して調べてみた。

すると、何のことは無い、今で言ういわゆる「風俗」である。 その後改正風営法によって壊滅させられた。 法律面で見ても人間の成熟度から見ても、ノーパン喫茶が現代に蘇ることは考え難い。 無くてもさほど問題なく社会は運営されている。 「触れられるアイドル」を売りにした一部のビジネスも、ノーパン喫茶のような、時代的現象として扱われるようになるだろうか。


警察OBが書いた、暴力団との戦いの記録みたいなのを読んだ。お話でなく実録。 そこには、大物ヤクザの言う「ヤクザが消滅したら、行き場を失う粗暴な者らによる犯罪が増える」だとか「ヤクザによって外国人や半グレの犯罪は防げている」とかいう主張が紹介されている。

が、同書には、実際のデータを元にその主張が間違っていることを検証したくだりもある。 いわく「暴力団の弱体化と犯罪件数の減少には明らかな相関がある」とのことである。 つまりヤクザらの主張は嘘である。

よく聞きますね。 「○○を取り締まると別の○○が暗躍する」とか「取締りを厳しくすると地下に潜る」とかいう主張。 多分、マフィアの暗躍を招いた禁酒法時代のアメリカとか、そういうのを例としているのだろう。 ある(自説に都合の良い)例外を持ってきて、自らを補強するようなロジックって昔からあるのだけど、我々はもう騙されてはいけない。

同書には「マシなヤクザならいるかもしれないが、良いヤクザなどいない」ともあった。これも同感。 確かに、暴力団によって粗暴な者らの統制が取れている面はあろうと思うが、そもそも暴力団が何を目的とした集団であるか考えた時に、その統制が市民社会にとって好ましいものであるかどうかは自明である。


歴史は進行して行く。 ネットワークの普及によって本屋やCD屋が無くなりつつあるように、ライブハウスも同じ道をたどるだろうか。 私は音楽の需要は無くならないと見ているから、新たな消費スタイルがいずれ固まってくると思っている。

純粋に「聴くこと」を主眼とした音楽作品・音楽消費スタイルに移行するだろうか。 音楽のマーケットは、アイドルのノベルティーグッズ市場であるとか、チャートアクションそのものがプロモーションツールになっていたきらいがある。 風俗・水商売も入り込み過ぎていたように思う。 それが悪いとは言わないが、音楽リスナーにとって関心を持てる世界でなくなっていたのも事実。

音楽のような、一部の好事家のための小さな市場は、やはり本来その好事家のためにとっておいた方が健康を保てるのではないか。 不動産投資によって国土が荒らされたように、音楽は音楽でないもののために荒らされ過ぎた。


7/30(木)

自分が過去に作ったデータを見返してみると、おかしなところが見つかったりする。 単なるミスなら(取り返せる範囲にて)修正すれば良いわけだが、時々「これを作った当時の自分には、何らかの考えがあって敢えてこうしているのでは?」というような疑問がアタマをもたげる。 困ったものだ。


制作環境、音源面での増強にほとんど食指が動かないって話を以前にした。 最近音色に関しても似たような境地にたどり着きつつある。

私はそもそも(シンセサイザーの)音作りってやつをほとんどやらない。 基本プリセット音色を使う。 ファクトリープリセットは無論のこと、ネットとかで特定シンセの音色定義ファイルを落とす、なんてことも以前はよくやった。 音作りをしない私にとって、音色数の増加はシンセの増加にほとんど等しい。

最近その「音色の追加」すら面倒に感じてしまう。 ファクトリープリセットでほとんど十分のような(勿論特定ジャンルに特化した音色なんかは、あったら便利なので探すこともある)。 実際ファクトリープリセットの音は良い、というか堅牢である。 だから、そのファクトリープリセットでも、音色数何千とかあったりすると、音選びが面倒で敵わない。 もう少し厳選してくれと。

ファクトリープリセット、これは、そのシンセの魅力を最大限引き出すためにメーカーが熟慮の末に生み出したもの。 当然ながら厳選されている。 車の部品とかも、純正ってのがやっぱり良かったりするんじゃないのかね。


7/29(水)

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橘高茉奈、セカンドシングル「Starlight」(全2曲)、本日発売。 下は収録曲について、アーティスト本人からのコメント。


Starlight

明るく楽しい希望の歌です
キラキラした星屑の道に皆を連れて進んでいて、素敵な未来が来るよって言う思いを込めて歌いました
歌っている私の気分がとても明るくなりました
皆さんにも伝わってれば嬉しいです


Going back

恋人に冷めた彼女の曲です
綺麗サッパリ「貴方とは終わりよ」って言ってる女性をイメージしました
自分でちょっとストーリーを掘り下げたりして楽しかったです
何があったかは皆さんの想像にお任せします。

橘高茉奈





7/28(火)

橘高茉奈、明日発売のセカンドシングル「Starlight」(全2曲)、収録曲について。


1.Starlight

EDMとかエレクトロニカとか、そういうのがアイディアのベースになっているけど、曲そのものは割と普通のPOPS。 結局歌にしちゃいますからね。

新人さんの歌なんだけど、確か時系列で言うと一番昔に録ったヤツなんじゃなかったろうか。 リハーサルは随分長期間に渡っている。


2.Going Back

これも音(音色)が発想の核になっている。 というか、ほとんどプロットといえる何かが含まれていない。

ボーカルにトリッキーな加工が施してあるかのようだが、全然事前に設計されたものではない。 ほとんどリアルタイムに近いような形でエフェクトかましただけ。 自分でもどういう結果になるかあんまりイメージできてなくて、仕上がりを聴いて「まあ良かろう」みたいな感じで進めた。 常に全力投球ってわけにも行かないのです。





7/27(月)



今月9日に「Bubbles」をリリースした橘高茉奈、本日代々木アニメーション学院さんのウェブサイトで紹介されています。 「代々木アニメーション学院HP(新着情報)」。 まあここでお知らせするような話でもないような気もするけど、まだまだ情報少ないんで一応紹介しておきます。 あさってには次のシングル「Starlight」、リリースです。





ここ暫く作ってた曲の話。 AメロとBメロ(のボーカルライン)をほぼ同一の音型で書いている。

同じメロディーなのだが、バッキングは(AメロとBメロなのだから)当然違う。 コード進行もキーも違う。 聴いてもらわないと何を言っているのかサッパリ分からないだろうと思うが、それなりに高度なことをやっていると思うのだが、分かってくれる人が周りにいなくて淋しい。


7/24(金)

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昔の歌番組を見ていると、出演歌手にしばしばプレゼントがなされるのだが、それがやたらとデカい。 雛壇一式セットだとか、食い物だった時でも両手で抱えきれないくらい大量だったり。

子供の頃はさして何も感じなかったが(むしろ羨んだかも)、大人になった今見ると「そんなの貰っても置く場所ねえよ」とか「食えねえよ」とか思う。 当時の歌手らは、あれ本当に貰ってたんだろうか。


箪笥のような巨大なモジュラーシンセ(本当にモジュラーシンセにはタンスという通称があった)を見ると、瞬間的に「要らねえ」という感想がアタマをよぎる。 音云々にまでほとんど思考が至らず、「あれだけケーブルあったら接触不良とかどれだけ頻繁に起ころうか」とか、そういう想像ばかりしてしまう。

私は所有に恬淡としてるが、それどころでなく、所有を積極的に避けたい気分がある。 私はモノを持ちたくない。 所有と言うのは依存であるからだ。 そういう意味では、昨今のソフトウェア中心の制作環境は渡りに船だが、最近そのソフトウェアの所有すら物憂い気がしてきた。


7/23(木)

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誤解を恐れずに言えば、私は「矛盾のあるものは滅びる」と考えている。いくら持ったとしても、やがては滅びる。 当然同時に、続いていくものとは、「矛盾のないもの」である。 私が「利害」を嫌い、「友情」を愛する所以でもある。

楽器を弾いたりという、特定の作業を続けていると、皮が剥けたりタコができたりする。 「特定の作業を続ける」という不自然な状況は、一種の矛盾である。矛盾というのは負荷を生む。それが例えばタコなどという、代償的な肥大化に繋がる。 世に錯覚される才能の多くはこれ。

西洋人が神の概念を生み出したのは、そこに矛盾がないからだろう。 全ての原理を矛盾なく説明できる鍵が神だったろう。 神があったからそれをそれを信じたというより、最後に残ったのが神だったというか。 だから神にはどこか虚空の感がある。 上手く説明できていないな。


7/22(水)

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神田優花、ニューシングル「I'll be there」(全2曲)、本日発売。 下は収録曲について、アーティスト本人からのコメント。


I'll be there/Finger Tips

I"ll be there
この曲は基本的にキーがずっと高いところにある曲なので、安定して響かせられるよう意識しました。
良いも悪いもいろいろあるけれど、いつでもニュートラルな私でいたい、そんな気持ちで歌ってます。昨日より今日、明日とより良い自分であろうとする心の積み重ねこそが自分を作ってくれると思うから。

Finger Tips

ジョークのような1曲。
のっけから歌詞は意味なんかなく食べ物の名前を羅列してるもの。
思いきり遊んでやろうと、リハの時からいろいろ試して今の形に落ち着きました。
舞台で一人芝居してるようなつもりでやってます。
おもしろい体験でした。

ぜひ、聴いてみてください。

神田優花





7/21(火)

神田優花、明日発売の新作「I'll be there」(全2曲)、収録曲について。


1.I'll be there

ドラム・エレキベースの上に弦のカルテットを乗せて、みたいな案があって、そこから膨らましていった曲。 弦の音は生系とシンセ(合成)を折衷してる。

曲としては割かし好きなんだけど、これと言って目新しいところは無い。 ボーカルのパートとか多そうに聞こえるかもしれないけど、全然そんなことない。レコーディングの時間も多分そんなに掛かってない。

こういうコーラスと主旋律が被っている曲については、歌詞の表記をどうするかでよく迷う。単なるハーモニー(当然歌詞も同一)でなく、オブリガート的な、別の歌詞が乗ってるラインを表記上どう処理するかという問題。 私としては、決まった表記法は無く、都度適当に決めているんだけど、見る人が分かりやすい表記法がないものだろうか。


2.Finger Tips

DJプレイみたいなのを取り込んだ曲を作ろうと思って。 編成はDJ機材、基本的にDJ一人で再現できるもの、を想定して作った。

必然的に楽音は少ない。 ほんの一部に出てくるベース以外は、サビにちょっと出てくるくらい。 サビの楽音はトーンプレイを模してみた。 トーンプレイが分からない人は調べてみてください。

DJとしての書法(と言うべきなのか)を調べた上で、定番的な手法を盛り込んだつもりなんだけど、ちょっと付け焼刃ではある感は否めない。 そういえばイントロに「笑い袋」の音をサンプリングしているんだけど、こういうのにも著作権のようなものがあるのだろうか。 許可なんて一々取ってないんだけど、もう知らん。

コーラスが三声あって、後半、明らかに音がぶつかるように作ってある。 ハーモニーとオブリガートの中間みたいなのを作ろうと思って。 ドレミの三声を重ねてたりとか。サウンドクラスタとかのイメージに近い。単に外れてるように聞こえるかも。






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今作ってる曲で行き詰っている。 普段と違うアプローチなもんで。

どういうアプローチかと言うと、先にアレンジ部分をほぼ完成させた上で、メロディー(主旋律)を書いている。 楽器編成とかBPMとかコード進行とか、全部決まってる状態で歌を作っているわけです。 作詞家になったようだ。 当然ながら制約が多くて、旋律線が書きにくい。

因みに、これは曲の核の部分を後から書き足す作業なのかというと、そうではない。 歌のメロディーは無論、作品の要点ではあるが、核そのものではない。 核はもっと深奥にある。


7/20(月)

オマージュについて。 今あれこれと試行錯誤している。

創作ってのには、取っ掛かりがいるもので、少なくとも一般的に創作は、よく誤解されている「無から有を生み出す」というような作業ではない。

例えば「今度の曲はジャズっぽいものにしよう」とか「ビッグバンドの編成で」とか、大雑把な輪郭を決めていく際に、既存の何かのイメージを拝借したりするものなんだけど、今考えているオマージュってのは、そういうものともちょっと違う。

もう少し幅を狭く取ろうとしている。 例えば「○○(アーティスト)の○○(曲名)」といった特定の作品をイメージのよすがとしたい。 これはこれでよくある手法なんだろうけど、私にとっては珍しい試み。

因みに、オマージュという言葉の一般的定義が、私の理解そのものであるのかはよく分からない。 私はあくまで自分の定義で考えた。


無論モチーフとしているのは「私の好きな曲」である。 好きな曲というのは、好きであるという点において、本来加筆しがたいものである。 それを、自分の審美の感覚により近づけたい。 これは、その曲が好きであればあるほど、容易な作業でなくなる。

完成したものが「発表の条件を満たすもの」であるかは分からない。満たさねば当然発表はできない。


7/19(日)

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アルペジオ(分散和音)について。 アレンジの手法としてはごく古典的且つポピュラーなもので、POPSの世界でも多用されている技法である。私も無論使う。

しかし、和音を分散するので、小節開始と同時にコードが成立しない。 コードにもよるが、核となる音が出てくるまで本当に何のことやら分からない。 例えば「ド・ソ・ミ・シb」というC7のアルペジオがあったとする。 四つ目の音が出てくるまで7thコードであることが分からないのは言うまでも無く、三つ目の音が出てくるまで、CmajかCminかすらも分からない。

歌のバックで出てくるアルペジオは、一種の対旋律と見た方が良いかもしれない。 脳内補完によってコードトーンを拾い集めるような形になるので、どうしても聴き手を問う。 パワーコードに潜在的な長短を嗅ぎ分ける能力とかも似たようなものではあるが、アルペジオの脳内補完の方がより高度であるように思える。

今作っている曲について考えている。 ギターのアルペジオを入れたいのだが、上記のようにコード感が希薄になる。 だったら別のパート使ってコード感を補強すれば良い。例えばストリングスとかPad系とか。 確かにそういうことはよくやる。 でも、それではアレンジそのものを変更するということだ。 寡少なパートでバッキングを埋めたいケースなど、それはそれであるのである。 どうしたものか。


7/18(土)

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橘高茉奈。 先週「Bubbles」をリリースしましたが、再来週には次のシングル「Starlight」を発売します。





将棋の世界で、最年少のタイトルホルダーが出たとか話題になっているが、私は以前、その氏を特集したプログラムを見たことがある。

彼は将棋を指す際、「通常人が思考に使っている脳の領域を使っていない」のだそうな。 私はこれを、言語の形成不全によって起こった代償発達と見る。 肥大の程度が甚だしい、とは言えるかもしれない。

将棋(即ち計数)が得意な彼は、同時に「絵が苦手」だと言っていた。 曰く「絵には最適解が無いから」だそうな。 ピカソが「コンピューターなんて役に立たない。 あれは答を出すだけのものだから」とか言っていたのと対照的で、妙に印象的だった。


7/17(金)

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人はきっと、何かのために生きねばならない。 何かのため、というのは依存的気分を指さない。 あくまで能動的・意志的に、何かのためにに生きることを言っている。

「生きるために生きる」というのは、ここで言う「何かのため」に該当しない。 生きるために生きて、生存時間を延長したところで、そこで得られる更なる生存時間も、生存を優先することで使い果たされる。 自己撞着のようなもので、そのフィードバックによって起こるハウリングのようなものが、いわゆる「鬱」なのではないかと私は疑っている。

サラリーマンとは、いわば組織の消耗品である。 とりわけ公務員のような職業は、行政というインフラの一角を担う「道具」に徹さねばならない側面が大きい。 意志性・能動性でもって栄達するわけでなく、能力すら基本的には問われない。 用意された仕事を大過なくこなし、前例を踏襲すれば応分の栄達は保証される。

「そんなクソつまらない仕事なんてやってられない」という人は転職したり、起業したりするのだが、そのつまらない仕事をしている人だって、つまらない仕事が好きなわけではない。 そこに目を瞑ってでも得られる何かの方に振れただけである。 その何かってのが安定とか言うことになるわけだけど、これは必ずしも金を指しているわけではない。 漠然とした生存への不安を緩やかにしてくれる何かのこと。

つまり、好きでない仕事を選び、退屈な日々を過ごす人は、「生存を優先した」ということ。 そしてそのことが、人の心に別の不安を生むことになったりする。 生存を優先することが憂いとなるだなんて、人間というものは、その他の生物とは決定的に違うらしい。

「生存の確保」これは人々にとって足枷となりうる。当然私とてそう。 しかし人類を人類たらしめた自由や意志というのは、それとは別の原理であるらしい。

一応断っておくけど、公務に使命を感じ、「市民のために生きる」という意志を持った公務員は当然いるだろう。 その人にとっての公務員仕事は、もう生存の為のみのツールではない。


7/16(木)



昨日「Tricks」をリリースした神田優花ですが、来週の水曜には次のシングル「I'll be there」(全2曲)が発売されます。 こちらもよろしく。


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リフレイン(refrain)という言葉を辞書で調べると「(…を)控える、断つ、やめる、我慢する」などとある。 音楽用語のリフレインと単語としては同じものである。

音楽でリフレインと言ったら、要は「繰り返し」のことである。 繰り返すこととやめる(断つ)ことが同じ単語であるなんて、意味は正反対ではないか。どういうことだと思ったが、今は理解した。 それで正しい。

音楽のリフレインは、特定ブロックを繰り返すことで、「進行を妨げている」と解釈されたようだ。 序破急というように、音楽にとって進行というのは大事な要素である。

言葉について考えている。 意味をどの部分にフォーカスするかによって、このように用法も変化するが、核の部分は実は同じであったりもする。 核の部分を理解・体感できれば、各種の用法にも納得できる。

もしこの核の部分が理解できず、辞書を引くように表面的な記憶しかできないのであれば、意味1:繰り返す、意味2:断つ、みたいに箇条で覚えるしかなくなる。 言語力の不足している人に対して感じる「違和感」の正体はここにある。


7/15(水)

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神田優花、ニューシングル「Tricks」(全2曲)、本日発売。 下は収録曲について、アーティスト本人からのコメント。


Tricks/Twilight

第4弾、リリースされます。

Tricks
別トラックで録ったエフェクトの強いパートは、クセのあるメロディだったので、後ろに行くにしたがってテンションをどんどん上げていって、わけわかんないまま気がついたら巻き込まれてる、そんな混沌とした感じをイメージして歌ってます。
逆に主旋律の方はコントロールされた美を追求してて、そのバランスがおもしろい曲になってると思います。


Twilightは、アンニュイというか、ためいきのような1曲にしたいなーと思ったので、全体的にあまり声を張らず、それでいて単調にならないよう気を配りながら、落ち着いた声を出せるよう心がけてます。
ぜひ、聴いてみてください。

まだまだ新作のリリース、続きますので、楽しみにしていてください。

神田優花





7/14(火)

神田優花、明日発売の新作「Tricks」(全2曲)、収録曲について。


1.Tricks

16ビートで三拍子、ってのを作ってみた。 小節を16分割するから16ビートなのだろうから、三拍子で16って言い方は正確でないのかも。 意図的に細部の詰めを甘めに作っていて、歌い手の裁量に委ねている部分が大きい。 だからこそ面白いものになったと思ってますけど。 これは歌を聴くものですね。

管の音が中心になっている。サックスのフラッターを表現したかったんだけど、効果はちょっと分かり難いかも。

ボーカルにかかってるサチュレーターは、リハーサルの時に(大声なものだから)声がクリップしてたのを聞いて、そのニュアンスがカッコ良かったから製品版でもそれを再現した。 ちょっとだけリハーサルの雰囲気が分かってもらえるかと思います。

あと歌詞については、本当に何も浮かばなくて。ここまで無意味な歌詞ってそれはそれで大変だったような気がする。時間は掛けてないけど。


2.Twilight

リリース計画というか、編成上の都合で急遽録った曲。 リハーサルは本当に時間掛けてなくて、確かスタジオ入り二回くらいで録っている。 その割には編集に手間取ってないように記憶している。

神田優花にしてはPOPS寄りですね。 バッキングはブラスの音がメインになってます。 今聴いてみてるんだけど、あんましコメント思いつかない。 まあカップリングだし、たまにはこんなのがあっても良いでしょう。





7/10(金)

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来週水曜日に、神田優花の次のシングル「Tricks」(全2曲)が発売されます。 再来週にもリリースがあるんで、二週連続ってことになります。





この仕事、昔に比べたら、フィジカルな作業は随分減った。 昔は販路開拓の際など、ニューリリース時にアーティストと一緒に外回り(挨拶回り)とかよくやった。 CDとかのアイテムなども、手持ちで納品に行くこともあったし、郵送にしたって結構な手間だった。

今はその種の作業の大半はオンラインで済んでしまう。 一種のテレワークなわけだけど、時間効率が上がったのは幸いである。 制作に割けるリソースが増えた。

ここへ来て例のコロナ騒動のあおりで、ライブ関係が軒並み中止、ライブハウスのような業態は壊滅に近い状況に至っている。 今後この状況が劇的に改善する(コロナ騒動以前の水準に戻る)というのは、少なくとも短期的には考え難い。

ウチはそもそもライブはあんまりやらない事務所なんだけど、イベントブッキングも含め、その種のプロモーション手段が選択肢の中から消えつつある。

リモートライブを計画しているアーティストがいる、とかいう話を仄聞した。 リモートライブがよく分からないけど、オンライン授業みたいなものの音楽ライブ版ということなら、あんまし受けないような。ライブDVDとか見てるのと変わらないからな。 音楽業界ってどうなって行くんだろう。


7/9(木)

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最近、音源類の増強ってほとんどしてない。 何と言うか、もう既に必要なものは粗方揃っているような気がするから。

ああいうものって確かに進化するもので、例えば10年前の標準的音源に比べれば今のものは優れている。 生楽器系の再現度など、目を見張るものがある。 ただし、サンプルをプレイバックする、という基本原理において、ほぼ変化はない。 音声合成についても、新しい方式はここ数十年生まれていない。

今強いて欲しい音を挙げるとすれば、メジャー楽器の特殊アーティキュレーション類。 それとてある程度は揃っているが、中には探せないものもまだある。 まあ「有料ソフトならあるけど、金出すほどのものじゃない」みたいなのが多いかな。

シンセ(音声合成)についても、自分の表現においては、ほぼ過不足無いスペックが揃っている。 だから次々とリリースされる新作音源に関しても、イマイチ食指が動かない。これは有料無料問わず。 あ、ビンテージシンセのエミュレーターなら興味がある(特にフリー物)。 これは一種の趣味で、制作ツールとは別の用途に近い。


7/8(水)

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橘高茉奈、ファーストシングル「Bubbles」(全2曲)、本日発売。 下は収録曲について、アーティスト本人からのコメント。


Bubbles

「綺麗なキラキラした夢を追いかけて居たけど、夢が覚めてしまう様なイメージの曲」と聞き、そのイメージに合う様に頑張って歌いました。
夢を見ている様に表現するにはどうすれば良いか沢山悩みました。
皆さんにも伝わってたら嬉しいです。


Red Moon

Bubblesと違いとても夢に向かって全力で走る、かっこいい曲となってます。
イメージとしては夢を追う覚悟を決めたかっこいい少女。
途中ほんの少し中国語が入ってたり、リズムが早くて走ってしまったりしてキチンと合わせるのが難しかったり、低い声を出すのに苦労しました。ですが、それを含め歌っていてとても楽しかったです。

2曲とも夢と言う単語が入っていて、初めてリリースする曲にふさわしいなって思います。
夢を改めて考えさせられ自分もまだまだこれからだと思いました。
これからも精進していきます。

橘高茉奈





7/7(火)

橘高茉奈、明日発売のファーストシングル「Bubbles」(全2曲)、収録曲について。


1.Bubbles

もう何年か前に、別の歌い手さん用に書いた曲。 ここに持ってきましたけど、これは私の判断ではない。 POPS的なフックが強い曲とは言い難いけど、個人的には割と好きな曲です。

ファーストシングルなんで、もっとフックの強い、サビ(の歌詞)にタイトルが出てくるようなキャッチーなものが良いのかとも思ったんだけど、こういうのもアリだろうと思って。

音楽的にはどう言うべきだろう。 ちょっとテクノとか寄りのPOPSってところか。 歪んだギターのカッティングとかも入ってて、ロックなテイストもあると思うけど。

例のコロナ騒動の直前からリハーサルに入って、大急ぎで録った。 リハーサルに余裕がなかった割には仕上がりも良いように思います。


2.Red Moon

歌い手さんが若いんで(と言っても20代だけど)、ちょっと子供っぽいレパートリーがあっても良いと思って。 最初シングルのタイトルになる予定だったんだけど、結局カップリングになった。

最初の構想では、ディストーション系のギターリフが核になる予定だったんだけど、メインリフをシンセの音にした。 そこが特異な部分と言えばそう。 リズムとイントロのメインリフが出来た時点で8割方完成したような曲。

時系列で言うと、タイトル曲より随分前に録っていて、私が聴くとそれが分かってしまうところがある。 要するに稚拙さを感じるってこと。新人さんなんで、成長のカーブも急なんです。





Bubbles」は橘高茉奈のデビュー作になります。 彼女に関しては、私は純粋なライターとして関わっていて、普段の接点はあまりありません。 歌唱についても、指導のようなことはほぼしてないので、上記についてもプロデューサーというような見地でのコメントではない。 多分今後もそう。


7/5(日)

承認について。 人間には、どうやら承認が必要であるらしい。これは生存の一部であるほどに不可欠であるようだ。 親から誉められるために努力する子供などは分かりやすいが、人は承認されることによって生存における安堵を得ている。

承認を、他者など自分の外の世界に求めるのは、心許ないものである。 人気によって承認されている者は、その人気の凋落によって承認を失う。 無能者が承認を求めて有能たらんと努め、有能者は有能者で、有能性によって承認されてきた実績を持つが故に、そこに執着する。 どちらも煩悩の世界に生きていると言って良い。

有能者は無能者を嫌うだろうし、その無能者がそれなりに承認される世界をも嫌うだろう。 ある事に価値を置くものは、その尺度において劣る者が承認される(それなりに生きて行ける)社会を嫌うし、そこに価値を置かない者そのものにも脅威を覚えるだろうから。

その苦しみから抜け出す方法があるとしたら、それは「自分で自分を承認する」ことしかない。 現状、唯一の方法だと思うけど、解脱が常人に為しがたいように、多くの人には難しいのかも。


7/4(土)

来週、ファーストシングル「Bubbles」をリリースする橘高茉奈について。 読みは「きったかまな」です。 問い合わせがあったので、念のため。





とあるビンテージシンセのエミュレーターを落としてみた。 実器を知らないので、再現の程は分からないが、レビューを読む限りなかなかの代物らしい。 ここ数年、ビンテージシンセ熱が続いている。

話は変わる。 ここ暫く、猛烈な創作意欲に襲われていたんだけど、数えてみたら(リメイクとかも合わせると)ここ8週間くらいで16曲作っている。 週に2曲くらいのペース。 今はちょっと落ち着いたような気もするけど分からない。


7/3(金)

私は金持ちではないが、金は必要である。 最低限のあれがないと生きるのにも難渋する。

金とは政府が保証する使用権である。 選挙権が無ければ投票ができないように、金(ある額面)を持たないと使用権も行使できない。 ただ、政府が保証する権利の一つに過ぎないので、例えば現に、投票権(選挙権)は買えない。 買うことが許されておらず、それを買った政治家がたまに逮捕されたりする。 投票権は、実は金(使用権)と等価なのである。どちらも政府が保証した一権利。

人間の価値が相対的に上がれば、金によって人々の生殺与奪の権をも買える、というような社会は壊れる。 だからして私にとって、政府の赤字国債がどうだとか、財政の話などどこ吹く風だが、「食糧が不足する」とか「資源が枯渇する」とか言われると、ちょっとは真面目に考える。

金は早晩(今ほどの)価値を失うであろう。既に一昔前ほどの価値を失っているが。 これは割かし前々からの持論である。 きっと近い将来、政治によって最低限の生存が保障され、人々は金のために人生を捧げなくて済むようになる。 少なくともそういう引力は弱まる。

「金で買えないものはない」のか否か、議論を呼んだことがあるように記憶する。 しかし、それに答えるなら「あるに決まってる」ではないか。 きょうび、金で買えるものなんて本当に高が知れている。

私は所有の欲が希薄な人だが、そもそも所有が何なのか分からない。 車を所有することとレンタカーを借りること、あるいは持ち家と借家に、本質的な違いがあるのだろうか。 維持費(維持の仕組み)が異なるだけだろう。

楳図かずおさんは、家の壁を派手な色にしただけで、周囲の住民から「景観を壊す」と激怒され、訴訟まで起こされた。 この社会に棲む以上、金で買えるものなんて高が知れている。 我々が時間に支配され、万物が劣化することを理解すれば、きっと世界の見え方も変わるはず。

金で買えないものはある。 これは「死んだ人を生き返らせることができない」とか、愛や夢が金では買えない、とか言う詩的なことを言っているのではなく、家や車でさえ、本質的には買えない、と言っている。 私は物質に恬淡としているが、そうせざるを得ない境地にいるということ。

我々は時間を持っている。時間しか持っていない。 所有というのは、その時間に映り込んだ一つの要素。多分に錯覚だが。


7/2(木)



ニューシングル「Curse」をリリースした神田優花ですが、一週飛ばした再来週には次のシングル「Tricks」をリリースします。 こちらもよろしく。




なお来週水曜日(7/8)には新人の、橘高茉奈(アーティストページとかまだありません)のファーストシングル「Bubbles」がリリースされます。



約一年半のリハーサル期間を経て、この度やっとリリースに漕ぎ着けました。 iTunseとかでは既にプレオーダー始まってるみたいです。是非チェックしてみて下さい。


7/1(水)

神田優花、ニューシングル「Curse」(全2曲)、本日発売。 下は収録曲について、アーティスト本人からのコメント。


Curse

楽曲をもらったときは自分の得意なRockだって思ったんだけど、詞が乗ったとたんに一気に難易度UP。初めて詞の設計図を作りました。
キリキリとねじり上がったテンションとスピードのあるリリックがかっこいい曲です。
動け、立ち止まるなと自分を奮い立たせる曲です。

今だからこそ、聴いてほしい、そう思います。


kaleidoscope

こう言ってはなんだけど、あまり手を出したくなかった歌い回しの曲。おどろおどろしいというか、、、デスボイスのようなってディレクションあったし。
でもやっていくうちに、こういうのどうだろうとか、こうしたらどうなると、いろいろこね繰り出し始めて、これだからアーティストってやつは、、、なんて思ったりしました。
出来映えは、聴いてみてください。

神田優花





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