Staff diary  
スタッフ日誌[2012]

[文 / 益田(制作)]

12/31(月)

今年も終わりか。 お世話になった方々、色々ありがとうございました。 私にはあんまり年末とか関係なく、ずっと一人物思いに耽ってます。 勿論次の曲について。


歌舞伎音楽ってのは、当時考えられたありとあらゆる音楽を取り入れた、同時代では最先端のエンターテインメントだった。 能や雅楽などの伝統音楽をはじめ、浄瑠璃などの流行音楽(無論当時の)、更には里謡・俗謡の類まで取り入れていた。 日本の伝統音楽をダイジェスト的に知るには格好の材料かもしれない。

歌舞伎音楽は比較的大編成で、三味線などの本数も多い。 下座は確か最小でも二挺の三味線を使う。 文楽(浄瑠璃)や端唄・小唄の類なんかは基本一挺だ。 そういえば、動画なんかを見る限り、文楽の三味線弾きはやたらとグリッサンドを用いていて、一般的な端唄・小唄なんかとは奏法的にも異なるものに見えた。 既にジャンルの様式として固定化されているのだろうか。あるいは単にレパートリーによるものなのか。目にした資料が少なくて、断定できない。

端唄・小唄の代表的な楽曲を聴いたところ、何と言うか、掴み所の無い、要点の覚束ない曲ばかりで、あれが当時(江戸末期)の流行歌だったと言うが、当時の人らはどうやってあれらを覚えたろうか。 録音技術が無かったのだから、基本口伝てであったのは間違いないが、一度や二度ばかり聴いたところで覚えられるような代物ではなく思えたが。 どうなんだろう。 その辺の感覚も現代人とは違うのか。 文化ってのは外から見るのと内からみるのでは随分感覚の違うものらしいからね。「外人の顔なんてみんな同じに見える」と言ったように。


12/30(日)

鯛焼き食ってる川村真央ちゃん。

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ここ最近、下座音楽(主に歌舞伎の)について掘り下げる時間が長くて、習作的なヤツもいくつか作ってみた。 で、その用途なんだけど、神田優花の直接的なレパートリーとしては採用しないつもり。 まあ調べたり、そこで感じた何かってのが私と言う人を醸成しているのは確実なので、今後の作品に多少なりともそれが投影されるのは間違いないと思いますけど。

上の習作ってヤツ、とりあえずは影山リサのレパートリーとして使おうかと考えていて、今企画を思案中。 歌舞伎とかのまさに「傾(かぶ)く」イメージが彼女の飄々としたキャラにマッチするような気がして。

しかし私は今後、そこまで深く下座音楽に傾倒する事はなかろうと思う。 私にとって、そこまで大きなテーマではない。少なくとも雅楽の方がインスパイアされる部分は多かった。 今後違った感想を持つことが無いとは限りませんけど。


12/29(土)

生活圏内に最近出来たあるうどん屋、おいしくて私は常連になりつつある。

店は最寄の駅も大した規模のものでなく、また駅からも結構歩く。 つまり立地は良くない。 更には、人通りの少ない路地にあり、店内もカウンターだけの十席もあろうかと言う狭さである。 しかし毎度丁寧に手打ちされたうどんを提供してくれるし、オプションの揚げ物なんかもいつも注文を受けてから揚げてくれる(作り置きしていない)。

そこの大将、本場讃岐の何やら言う店(おそらくは有名店だったりするのだろうが、私はそういうのに詳しくない)で修行した身らしく、店内にはそれらしい(キャリアを示す)装飾品がいくらかある。 その人の歴史なのだろう。 因みにそこのうどん、並一杯\300也。

その人が、全人生をかけて作るうどんだからこそそこに価値がある。 人に\300出させるってのはそれだけの重みがあるんです。 例えば神田優花の作品が、一件\200とかで売られてるわけだけど、彼女が全てをかけて作っている代物だからこそ、\200の値札を付けられるんです。 自分の作るものに値段をつけるのには勇気や誇りが要る。

単に「金を増やしたい」とか言う安易な動機にて、何らの技術も伴わず、適当に飲み屋みたいなのを開業する人って後を絶たないけど、そんなものでボロ儲けできるのなら、誰でもとは言わないが、もっと多くの人がやってるだろう。 また、そんな企図が仮に(金銭的に)当たったとして、何ほどのものが自分に残せるか。

人は、残り時間を、自分に何かを残すために使っている。 音楽は私に、残り時間の使い方を教えてくれた。


12/28(金)

歌舞伎の下座音楽を集めたCDを聴いていたんだけど、歌詞が付いてない。 唄物も結構あるんです。 困ったことにその歌詞、ネット上に見当たらない。検索の仕方が悪いのか。

歌舞伎の下座音楽っつっても、必ずしも歌舞伎用に作られた純然たるオリジナル楽曲ってわけじゃなくて、いわゆる里謡みたいなのを取り入れたものも多い。 そういうヤツはある程度歌詞を拾えなくもなかったんだけど、その手のものの常として、伝承に異同が多く、手元にある資料そのものの歌詞の入手にはやはり難儀する。 カケラも見当たらないものも、それはそれで結構あるし。

歌舞伎は割りとファンも多いので、その種のまとめサイトみたいなのがあるだろうと踏んでいたのだが、どうも無いっぽい。どうして?

結局、図書館などで関係資料(視聴覚資料も含め)を片っ端から調べることで、何とか大部分は判明したのだけど、意外とネットって大したものでもないと思った。 分野にもよるけど、まだまだデータベースとしては図書館の方が優秀だったりするよね。

因みに、今回私の漁った資料のほとんどは閉架扱いとなっていた。 私の関心事は、世人らのそれとはかけ離れたものってことか。


12/27(木)

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昨日リリースの「breathe」でウチの今年発表のタイトルは全てになるんですが、来年早々(1/9)に影山リサの新曲「So Long」がリリースされます。 こちら、よろしく。下はそのジャケット。 上は先日のリハーサルにて。





12/26(水)

本日発売の神田優花「breathe」(全2曲)のカップリング曲「sequel」について。


2.sequel

これも雅楽シリーズ(?)の一つ。 タイトル曲「breathe」は管絃の編成なんだけど、こっちは舞楽編成(筝・琵琶が無い)。 いわゆる夜多羅拍子の曲。

ボーカルについては、音の高低が激しく、ブレスの余裕もあんまり無くて、歌うの大変だったろうと思う。 ただそここそが聴き所にもなっているので、(歌いやすいように)調整もしなかった。 結果的にもしなくて良かった。

曲中に、音が半音でモロにぶつかる部分があったりするんだけど、そこが雅楽の醍醐味だったりする。 むしろそれが聴きたくて作っている面が濃厚なので、無論意図的なものだ。 聞き慣れない人には違和感も強かろうと思うが。 エンディング部分は、大太鼓をバックに竜笛三本の退吹きが入るんだけど、終わり方を含めそこは気に入っている。

歌詞については、悪いけどあんまし力入れてない。 って言うか入れようが無い。 情念が込め難いモチーフなんで、叙景詩とかそういうものに近くなってしまう。 これは曲を聴いて下さい。





12/25(火)

神田優花「breathe」(全2曲)のタイトル曲「breathe」について。


1.breathe

雅楽に凝っていた頃に作った一連の作品のうちの一つ。 楽器編成ごと影響が濃い。

この引き出しの曲は今回全部で4曲(2タイトル)出すんだけど、特に序列をつけるようなもんでもなくて、タイトル曲とかカップリングとかは結構どうでも良いような気分で決めた。 ただ、この曲は、その4作のうちでも一番最初に作ったもので、試行錯誤だった面が大きい。 ある意味一番典型的だろうし、ある意味一番未熟かもしれない。

展開とかも雅楽の影響が強い。 竜笛のソロで始まるオープニングとか、エンディングの止手、付け所だとか、そういう様式面も割りと素直に踏襲している。 BPMも曲を通して一定でない。 バッキングは標準的な管絃の編成で作っている。

ついでに、雅楽関連の用語は耳慣れないものだろうとは思うのだけど、それを一々解説するのも大変なので、興味があったら調べてみて下さい。



12/24(月)

以前にも触れたんだけど、能管の音源が無い。 一応手元に無理矢理作ったサンプラー用のパッチがあるのだけど、ロングトーン出せないし、用途が限られる。

能管の音源は本当に無い。soundfontすら無いし、市販のエスニック系の音源にも能管は入ってない。 割りと最近リリースされたらしき音源で、能や歌舞伎音楽に特化したものがあって、その収録楽器一覧に能管があるのだけど、ウェブサイトなんかで確認する限り、パーカッション音源とある。 つまりちょっとしたフレーズなんか(あとヒシギとか)をサンプリングしたものかと思える。 つまりクロマチック楽器として使えない。

クロマチック楽器と言ったが、そもそも能管はクロマチック楽器でない(無論打楽器でもない)。 そこが一層、音源としての商品化を難しくしているのだと思われる。 どうすりゃ良いんだよ。能管使いたいのに。


12/23(日)

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神田優花、現時点で制作進行中の新曲が6つもある状態で、年末休みに突入です。 因みに26日(水)には新タイトル「breathe」がリリースされます。 下はそのジャケット。





12/22(土)

今週で今年のリハはとりあえず終了。 私はまだまだ仕事納めってわけには行かないけど。

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本はすべからく複数回読むべし。 当たり前のことだけど、私はあらためて思う。 本、特に専門的な内容のものとかって、一回読んだぐらいじゃわけが分からない。 著者は、本読んで勉強している私なんかより格段に深くそのことについて理解している人なわけで、そういう人の研究の髄を初見で100%理解できるわけがない。

ある事柄を、深く知りたいからこそ本に手を出す。 いくつかの資料を漁るうちに少しづつ理解が深まっていくわけだが、その理解の深度によって、同じ文章を読んでも吸収できるものには雲泥の違いが出る。 最初に手にした本など、理解が進んだ上で読めば、もうほとんど別の書物に変わっている。


12/21(金)

歌舞伎の音楽(特に下座音楽)を最近よく聴いていて、できればそれっぽい習作の一つでも作りたいところなのだが、そこについてのメモ。

下座音楽を大別すると、唄・合方・囃子なんてのがある。定義の説明は割愛させてもらうとして、私は基本的に歌物を作ろうと考えている。 唄・唄入り合方(合方の編成に歌を入れたようなもの)なんかを土台にしようと考えているのだけど、そのまんまそれにするのでなく、私なりのスパイスを加えたい。

クラシック(西洋古典音楽)って、一曲が長いところが嫌いではあるんだけど、その基礎となる楽理は実に堅牢で、音を作る者として関心の対象から外すわけに行かない。 現代のPOPSも、系譜的に見れば、つまるところクラシック音楽の歴史的末端と言って良い。

で、私はそのクラシックを取り入れた楽曲なんかを作る際、POPS的なレングス(3〜5分程度)に収めるべくアレンジするわけだけど、下座音楽って多分平均で一曲一分くらいだから、調整の方向が逆になる。 POPS的な尺に収めようとするなら、コンパクトにする(削る)のでなく、増さないといけないんだ。 さてどうしたものか。

無意味なリピートで尺を稼ぐとかって手法は、個人的に嫌いなのでおそらくやらない。 今考えているのは、いくつかのタイプの楽曲をメドレーっぽく仕上げるラプソディー形式みたいなもの。 時間掛かりそうだ。 まあそこまでしてPOPSライクに上げる必然性もあるのか微妙だけど。

モノにも無論よるが、クラシックの交響曲が全楽章合わせて平均30〜40分、長いもので1時間くらいだろうか。 雅楽曲が、こちらもモノによるが当曲のみで5〜10分程度。本来は雅楽曲も西洋音楽のように楽章に分かれていたらしいのだが(序・破・急の三部構成)、確か現在その三部が丸ごと残っている曲は無いはず。 それにしても、下座音楽の一曲一分ってのが如何に短いかわかってもらえるだろうか。


12/20(木)

ある楽器が、その楽器たる所以(要件)ってどこにあるのだろう。

以前、雅楽を下敷きにした作品(のオケ)を作っていた際、楽琵琶の音(サンプル)が見つからなくて、中国琵琶(pipa)で代用したことがある。 中国琵琶は、フレットの数など構造上の差異はいくらかあるものの、一応は日本の琵琶と同起源の楽器である。 ただし、弦の材質が決定的に違う。日本のは絹、中国琵琶は金属製なんだ。

絹製の弦を使う楽器は、有名どころでは三味線がある。 三味線の音なら簡単に入手できるので、それを適当な(琵琶の)音域で使うことで楽琵琶の代用とすることも考えたのだが、弦以外の要素において、全く別の楽器ってところが引っ掛かってしまった。 因みに発音のニュアンスもかなり違う。

スチール弦を使おうとナイロン弦を使おうと、ギターはギターである。 三味線だって昨今、弦をナイロンで代用していたりする。 ヴァイオリンなど、昔はガット(羊などの腸)製の弦を使っていた。 こんにちでは金属やナイロンでそれを代用している(代用材すら不統一だ)。

これほど弦の素材に拘らないヴァイオリンでも、ボディーのサイズが多少変わっただけでヴィオラなどと名称が変わる。 同時に担当音域も変わるのだけど、そちらの方が楽器の楽器たる重要な条件なのだろうね。


12/19(水)

神田優花「Fenghuang」、本日発売。


Fenghuang/Clover , Breath/Sequel

今年の前半に取り組んでいた雅楽シリーズです。
これは何てものに手を出しちゃったんだろうって思ったくらい、今までで一番の難曲でした。歌い手としての力量を問われている、とはっきり感じましたね。
この曲たちがどんな出来上がりになっているかはぜひ聞いていただいて、何か琴線にふれるものを感じていただけたなら幸いです。

神田優花





12/18(火)

神田優花「Fenghuang」(全2曲)のカップリング曲「clover」について。


2.clover

雅楽シリーズの一つ。 これも音取り風のオープニングで始まる。 編成は管絃舞楽風で、打楽器の構成が通常の管絃とは異なる。

覚えやすいものを作ろうと思って書いた曲で、メロディーも含めて割と単純な曲な筈なんだけど、キャッチーとは言い難いかな。 こういう曲(メロディーライン)って、こんなアレンジにでも料理しないと使いようが無い。

これも歌詞にはあんまし力入れてない。このシリーズについてはこの曲に限らないけど。 制限も多いし、どうしても深遠なテーマとか込め難いわけです。 聴いてもらえば分かると思うけど、雅楽って基本的にヘテロフォニーっつって、一つのテーマ(主旋律)を全パートで一斉に奏でるような形になる。 だからゴチャゴチャ細かい旋律線なんかを書けないわけです。 自然言葉(歌詞)が硬直的になる。 様式なんて無視すりゃ良いと思うかもしれないけど、様式こそが雅楽なのだ。しゃあない。



12/17(月)

新作「Sleepless Night」を先週リリースした影山リサ。 年明けの1/9(水)には次のタイトル「So Long」をリリースします。 下は先日のリハーサル。

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水曜(12/19)発売の神田優花「Fenghuang」収録曲について。


1.Fenghuang

この手の一連の作品中、一番創作雅楽的な曲。 まあ管絃に歌が入ってたりする時点で、どれも古典的雅楽曲なんかとはほど遠いわけだけど。

実際の雅楽には存在しない三拍子の曲。 とは言っても、私の気分としては、リズムは3とか6のサイクルではなくて、2+1とか4+2とかのカウントの方が近い。 音取り風の短いオープニングで始まって、エンディングも(止手とかあえて入れずに)すんなり終わっている。 曲自体の雰囲気は舞楽っぽいんだけど、編成は管絃。

サビの歌とか、サビ・間奏の竜笛とか、一応その三拍子のリズムに乗っかってはいるんだけど、基本的に無拍節のフレーズとして作った。 拍節的なリズムに乗っけて、何となく帳尻を合わせただけって感じ。 サビのヴォーカルと竜笛は対旋律的な関係ですね。

雅楽シリーズ(?)として作った4作のうち、個人的には一番気に入っている曲。



12/16(日)

スタジオにて。

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子供の頃、私が住んでいた家のすぐ側にT字路があった。 その道を右に行くと、当時通っていた学校の方向で、左に行くとよく遊びに言っていた友人の家があった。

小学生時分だったろうか、ある時「日曜参観」ってのがあって、要するに学校の授業参観日なのだが、授業参観を日曜日に行うことによって、父兄らの参加を容易にする目的があったと思われる。 直後の平日に代休が設定されていたように記憶する。

その日曜参観の日、家を出ると当時飼っていた犬が付いてくるではないか。 驚いた事に、私を追い越し駆けて行くその犬は、何とそのT字路を左に曲がったのである。 私は「コイツは今日が日曜日であることを理解している」と感心した。

当時の私は、週というのが、7日周期であるので、犬がそのスパンを把握しているのだろうと理解した。 が、今考えるとそれはきっと違う。

当たり前だが、平日と休日では、家の中の「慌ただしさ」が全然違う。 平日に、会社や学校に行くための服に着替え、朝食などを取っている家族が、休日であればその時間、まだ寝ていたりする。 犬はきっと、その雰囲気こそを感じ取ったのだと思われる。 俗に「空気を読む」とか言われる行動だが、それって要するに言語機能が為している。

ロゴスは、「言葉」と言う意味であるのと同時に「論理」と言う意味にもなると言う。 言語ってのは、それ自体が既に論理なのであるからして、「論理的でない言語」なんて本来あり得ない。 言語機能が壊れれば、人はどのように世界を把握するのか。

雰囲気で休日であることを読み取るには、無数の論理が必要になる(とは言っても、大多数の普通人はその論理を当然のように持つ)が、その論理を持たなければ、まさに7日間のスパンで日曜日の周期を覚える、みたいな数式的な理解でもってしか世界を捉えられなくなる。 実際、言語機能に(致命的な)不具合を持つタイプの人間に「異常に数学的能力が発達する人」がいるらしい。 その事実は私の仮説を補強してくれる。


12/15(土)

神田優花、立て続けに新曲作ってます。 来年2月までにかけて、リリースが続くんですが、その後も割りと早い段階で新作のリリースあるかもです。 来週水曜には新作「Fenghuang」公開です。

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Infoでもお知らせしてるんですが、再来週リリース予定の「breathe」の、iTunesでの公開日がちょっと遅れるみたいです(iTunes以外では予定通りリリースされます)。 直前のお知らせになってしまって申し訳ないんですが、こっちも昨日知ったばかりなんです。


12/14(金)

一般に、店員(何の店員かを問わず)に対して態度の悪い人は、人から嫌われるらしい。 「態度悪くあたったその店員から嫌われる」と言っているのではない。 客としての態度悪い振る舞いってのが、人から嫌われるタイプの人間の典型行動であると言う意味である。

そりゃ横柄な人は嫌われるだろうが、それだけでなく、店員ってのを一旦「下」と見做したが最後、過剰な要求が許されると思い込む、その依存心こそが周囲に嫌われる原因となっている気がする。

人から嫌われる人ってのは、基本的に他人を人間だと見做していない。 関係を上下で測るってのは、その端的な結果行動と言える。

店員は人間である。 つまりほぼ初対面の赤の他人ってことになる。 良識ある大人は、普通そんな相手に過剰な要求をしないし、当然距離に応じた節度を持つ。 店員が人間である、と言う当たり前のことに気付けば、その人はもう少し周りから愛されるはず。 そんなに難しいことかね。


12/13(木)

つい先日、某アーティストの新曲をたまたま聞いた。 EDMとかダブステップとかのスタイルを実に上手く踏襲した音で、誰のアレンジだとかのクレジット情報は知らないけど、研究の跡が濃厚に伺えた。

ピカソは確か「芸術に未来も過去もない」みたいなことを言っていたと思うが(正確な文句は忘れた)、つまり芸術ってのは、流行り廃りとは別次元に位置しているってことなんだろう。 確かに、その人の誠実な思考の痕跡さえ伺えれば、それは既に芸術であるはずで、そこに流行り廃りなんてあるわけない。

アートと言う精神ってのは、流行を追いかける心理とは対極にある。 別に商業音楽がアートと別の指向性を持つのは構わないっつうか、ある意味当然なんだけど、何故か日本のメーカーとかって、殊更に歌手・ミュージシャンらをアーティストと呼びたがる。 何となく高尚なものであるような気でもしてるんだろうか。 私は単純な優劣の話なんてしてないんだけど、言葉の定義にはある程度拘りたい。 アーティストでないものをアーティストと呼ぶのは若干気持ち悪い。

アートを志すなら、まず手始めに「流行を追うことをやめる」ことが、ある意味では必須の姿勢と言える。 流行を追うなんて行為は、「他人の目で自分を見ること」に他ならないからだ。

リスナー・消費者としての私は、商業音楽より芸術を愛します。人間が好きだから。 まあ商業音楽の傾向ってのは、消費者の性向に沿って作られているだけなので、リスナーの皆さんがアートを好むなら、商業音楽の世界もアーティストばっかりになったはずではあるんですけど。



話は変わる。 それも何だか物凄く今更な話で申し訳ないんですが、神田優花の「(It's my)Tuesday」って2003年に作ったシングルがあるんですが、諸事情あってそれのブックレットを変更しました。 と言っても、現時点での出荷分は旧デザインのままで、回収とか勿論する気も無いんで、新デザインのものは今後の出荷分(正確に言うと、追加製造分)からになります。

今回に限らず、商品のマイナーチェンジとかってたまにやるんですけど、今回は表紙が変わるもんで、一応お知らせしました。


12/12(水)

影山リサ「Sleepless Night」、本日発売です。


Sleepless Night

約一年ぶりの新曲です。 今回は今まであまり歌ってこなかった様なクールな曲に挑戦しました。 子供の頃の私は、この歌の歌詞の様に世界を感じていて、焦りや不安、無気力で苦しい様な、そんな気持ちを込めて歌いました。

どんな苦しみや悲しみがあったとしても生きる事に価値があって、それらの感情を知れた事に意味がある。 改めてそんな事を考えさせてくれた曲です。
とても良い作品なので、皆さん是非聴いてみて下さい。

影山リサ





12/11(火)

ギターのプログラミングについての雑記。

昨今の音源って、まあ一昔前に比べれば随分とリアルになってて、再現の難しいと言われるギター類なんかも結構なレベルになりつつある。 でも実際にギターを弾く人なんかから見れば、まだまだ不備も多く感じられるんじゃなかろうか。 私が現にそうだ。 特に奏法のバリエーションに乏しい気がするのよね。

ピッキングと指弾きとのニュアンスの違いなんかは、別々にサンプリングすれば済むだけの話で技術的な障壁は無い。 ハンマリング・プリングや、グリッサンドの類もまあピッチベンドとかである程度再現できなくもない(限界あるけど)。 私が再現に難を感じているのは、ライトハンド・タッピング系の奏法。あとアームダウンのニュアンスとか。

タッピングの類って、もうそんなに際物的な奏法でもないように思うのだが、市販の音源類は、私の知る限り全く対応していない。 アームダウンとかも、アームダウンのフレーズを丸ごとサンプリングしたようなものなら無くもない気がするけど、エディットで再現できるものなんてあるのだろうか。 ピッチベンドではちょっとあのニュアンスは出せない(少なくとも私においては)。 再現のコツとかあったりするなら教えて欲しい。

ライトハンド系の音の動きって、ハンマリングオン・プリングオフに近い。と言うか、ある面では全くそれそのものなんだけど、ピッチベンドで表現しようとしても、ド頭の音だけは明らかにピッキングの音になってしまう。 せめて三味線で言うところの、ハジキの音があれば代用できなくもない気がするんだけど(厳密にはハジキとも違うが)。

とりあえず今後の(音源類の)進化に期待するとしよう。


12/10(月)

影山リサ。 明後日12日(水)に、よくやく今年初めてのアイテム、「Sleepless Night」をリリースします。 スペースシャワーネットワークさんのところでは、既にカタログページとかも公開してるみたいです。試聴もできるようなので、良かったら覗いてみて下さい。

下は先日のリハーサル。 病み上がりらしく、久しぶりに声出したみたいです。

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その「Sleepless Night」、曲(アレンジ)は私が作ってますんで、個人的なコメントをば。


Sleepless Night

とりあえずPOPSの範疇に入ると思うんだけど、何だか変な曲。 曲作ってる段階から、シングル向きなような気はしていた。 バッキングはリズムのパート作るのに手間が掛かった印象がある。 個人的な制作環境を大幅に変える過渡期に作ったヤツで、そういう面でも苦労させられた。

一旦ほぼ完全に出来上がっていたジャケットが、曲のイメージと違うとかで差し替えになった。 だからこの曲には幻のジャケットが存在する。 そっちの方も悪くなかったんだけど、歌詞のイメージと合わなかったんだと。

これ、曲そのもの(バッキングとか)もそうだけど、マスタリングに時間掛かった。 ボーカルの処理とか聴いてもらえば何となく想像つかなくもないと思う。



12/9(日)

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上は影山さんのご実家から、差し入れのお菓子。 皆でおいしくいただいてます。 実家のお母さん、いつもありがとうございます。 で、まあ本当に皆でうまそうに食べてたわけですけど、太るぞ。

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神田優花、ここ最近新曲作ってばっかりなんですけど、しばらくこんな感じが続きそうです。 あと新曲ばかりでなく、昔録った曲の再録とかも近々やる予定。 レコーディングは年内間に合わないかも。

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二週連続で新タイトルをリリースしてきた神田優花ですが、次の一週お休みを挟んで、また二週連続で新作出します。 次は今年取り組んだ新たな試み、雅楽シリーズ(?)の計4曲。 下はその第一弾「Fenghuang」のジャケです。





12/8(土)

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今週はやたら差し入れが多かった(上は京都土産の生八橋)。 以下、今週のスタジオにて。続きは明日上げます。

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広瀬沙希、先週録った音のチェックなんてしてました。

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片飛鳥、新曲の歌録り。

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12/7(金)

ピストルズの曲に「I wanna be me」ってのがある。 その字面を眺めながら思ったこと。

欧米人らは、日本語会話においてしばしば「主語が抜ける」ことに強い違和感を覚えるそうだ。 まあ気持ちは分かる。 日本人はどうも、動作(思考も含む)の主体を限定されることを避けたがるらしい。 民族性ですね。 要するに日本語は、主体の明快さに欠ける。

英語の「I」を日本語に訳すなら「私(は)」とかそういう風になる筈だが、同じ主語でも実に日本語の主語は弱い。主体性が覚束ないと言いましょうか。 「you」と「あなた」なんかも同じ。 両者は似て非なるものだ。

「あなた」の指すもののイメージは、物質としての、機能としての人間であって、ごく表層部分に過ぎないように思える。 とても「you」の指す、何かを見つめ、感じている主体としての人間であるとは思えない。 勝手な印象かもしれませんけど。

「I wanna be me」は、実に簡潔かつ明快である。英語の明晰性の真髄を見る思いだ。 「私は私になりたい」とか日本語に訳しても、センテンスとしての含意・重量が同じであるとは到底思えない。


12/6(木)

北斎と芸術。

葛飾北斎って人物は、残されたテキストなどから察するに、実に「言語の人」である(まあ絵を見りゃ一目瞭然なわけだけど)。 鮮やかな日本語を使い、当然その言語でもって日々思考していたわけで、絵の構築もその言語に因っていたろう。 しかしその北斎、自らの追及作業を芸術(art)と呼んだことはタダの一度も無い。

北斎の活動時期はいわゆる江戸末期で、元号で言うと安永〜天保年間くらいなのだが、当時「芸術」と言う日本語は(少なくともこんにち的な意味では)存在しなかった。 だから彼はその畢生の画業を「芸術」と定義することが終生無かったわけである。

当たり前と言えば当たり前の話だが、実に驚愕に値することだと私などは思う。 やはり天才ってのが一種の奇跡であると思わずにいられない。


12/5(水)

神田優花「live through this」、本日発売。


Live through this/Waves

テンポの違う2つのジャズ曲です。Live through thisは日々を何があろうとただ生き抜く、そんな女性のかっこよさを感じてもらえればと思います。 Wavesは全体を通して優しいhappinessが包むような、そんな事を意識しながら歌いました。歌ってる間すごく柔らかい気持ちでいられた曲です。ぜひ、Waveを感じてください。

神田優花





12/4(火)

神田優花「live through this」(全2曲)のカップリング曲「waves」について。


2.waves

シンプルな二部構成の曲。 ジャズヴォイシングとか言うと大袈裟だけど、テンションコードとかがジャズっぽいと言えばそうかも。

ピアノベースで書き上げたバラード。 とある別の曲のエンディング部分を発展させて一曲にしたら、こっちの方がむしろ好きな曲になった。

間奏のギターソロにはディミニッシュとかホールトーンとかのスケールを使ってる。 音色面でもジャズを意識した。

「live through this」とどっちをタイトル(カップリング)にしようか迷ったけど、やっぱりこれはカップリングで良かったのかも。 他のタイトルはジャケ画像にタイトル曲の名前しか入れてないんだけど、このタイトルだけはカップリング曲のタイトルも入っている。 甲乙付け難かったからです。



12/3(月)

明後日発売の、神田優花「live through this」(全2曲)、タイトル曲「live through this」について。


1.live through this

ジャズっぽいものをたまに作りたくなる。 今までもバラードっぽいものなら作ったんだけど、もっとアップテンポなものを作りたかった。 ジャズを志向したってよりも、私の音楽に(ジャズと言う音楽の)ある部分を取りこんだ曲って感じ。 まあ全部そうだけど。

イントロのドラムがポリリズムになっているんだけど、元々は普通のリズムだったのを歌入れの直前にそこだけ差し替えた。 普通ポリリズムっつったら二つのリズムが混在する状態なんだけど、振り子時計の(周期的な)音が効果音として入っていて、三重のポリリズムみたいになっている。 ベースのウォーキングラインが曲の骨組みになっていて、時折入るギターはほとんど効果音。 歌い手さんもギターは殆ど聴いてなかったろうと思う。

そう言えばこれ、神田優花の曲では初めて私以外が詞を書いている。 今後このパターンは増えると思います。



12/1(土)

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今日から12月。本当に寒くなりました。 あ、そういえば各媒体にて告知してました新人募集の件、昨日締切りでした。 応募してくれた方、あと関係者の皆さん、どうもありがとうございました。


神田優花、新曲の制作に入ってます。 あとこの間録った音のチェックとかもしてました。 神田優花は今週の「Losers」に続き、12/5にも新曲「live through this」を発売予定です。 是非チェックしてみて下さい。

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影山さん、引き続き風邪だそうな。 声出しできないそうで、歌以外の作業やってたみたいです。 影山リサも今月12日に新曲「Sleepless Night」を発表します。 こちらもよろしく。

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11/30(金)

片飛鳥、新曲の最終リハでした。

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広瀬沙希、歌録りでした。 ちょっと久しぶりの新曲になります。

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11/29(木)

赤穂事件に関する本を読んでいたのだが、私はどうもあの赤穂浪士に肩入れする気が起きない。 武士道ってのが何なのかイマイチ分からないのだけど、彼らの行動原理は武士道ですらないような気がする。 基本的な事の顛末については、日本人のコンセンサスだと思うので、ここであらためて敷衍するようなことはしない。 因みに私の言う赤穂事件とは、元禄期に起こった史実としての赤穂事件で、芝居の忠臣蔵とかそう言うものは全く無視しているので悪しからず。

赤穂浪士らを喝采する人は、彼らの何にそんなに共感できるのか。 殿中で吉良に一方的に切りかかった浅野長矩には、当時はおろか今日的な観点からもほぼ一点の弁護の余地も無い。 乱心ってのが、現代語で言う心神喪失などに当たるのかよく分からないけど、浅野長矩への処分(切腹&改易)は当事としてはごく妥当なもの。

当事も、あの一挙についての評価は割れたらしい。 私には、荻生徂徠や太宰春台の意見がまあ一番納得度も高かった(やや批判のトーンが強い)。 好意的な論調は、何だか論旨そのものが理解に苦しむものだったりして、とても共感なんてできなかった。

単なる被害者である吉良を討つと言うのは、いわゆる仇討ちではない。 吉良は仇ではないからだ。 諸々の処分を下したのは幕府であって、不満があるのならその矛先は幕府に向けねばならない。 しかも吉良義央は隠居の爺さんである。 その寝込みを完全武装した50人近い武人が襲っている(ほぼ丸腰の相手を)。 世界に鳴るとか言われている武士道ってのは、ああいう行動が好まれる道なのか。 意味が分からない。

結局あの行動って、武士道でもなんでもなく、日本古来の怨霊思想とかに支えられてるだけな気がする。 事情はさておき、浅野は吉良に切りかかったが、宿意果たせず切腹を仰せつかった。 残ったであろう存念の部分を晴らすことによって、一種の成仏を願ったってのが真相に近いのではないか。 無論、大石ら赤穂浪士の面々は、自分らをそんな風に総括してはいない。 人ってのは、自らの行動原理ですらなかなか言語化できない生き物であるから。 特に日本人は。


11/28(水)

神田優花「Losers」(全2曲)、本日発売です。 神田優花は来週にも新作「live through this」の発表を控えてます。 こちらもよろしく。 以下本人から。


一年ぶりの新曲です、お待たせしました。この一年録りためた大事な曲たちを、やっと皆様にお届けできます。この一年は、本当にいろんなジャンルの曲に取り組みました。また新たな神田優花を聴いてもらえると思います。順々に発表される曲たちを、どうか楽しんでください!

Losers/Now(is the time)

第一弾はLosersです。感情のままに好き勝手自分に歌わせてやった曲で、トップバッターを飾るにふさわしいパンチの効いたものに仕上がりました。めちゃめちゃカッコイイので、ぜひ聞いてください! Now(is the time)は、ちょうど一年前くらいに取り組んでいたブラスの曲の中の一つです。流れるような旋律が気に入っています。こちらもぜひ聞いてみて下さい。

神田優花





11/27(火)

神田優花「Losers」(全2曲)収録曲「Now(is the time)」について。


2.Now(is the time)

これ作った当時はブラスアレンジに凝ってて、ブラスフィーチャーの曲を十数曲作ったんだけど、そのうちの一曲。 その十数曲のうち公表の予定があるものって半数に満たない。 半分以上はとりあえずはお蔵入りってことになります。

声部が二つあるんだけど、ハーモニーのようなオブリガートのような、その二つを行き来するようなものに仕上げている。 楽器編成は、ドラム・ベース以外はほぼブラス。

曲としてそんなに悪いものじゃないと思うけど、やはり神田優花と言うアーティストのイメージとブラスセクションってあんまり合わないとあらためて思った。 分かってはいたんだけど。



11/26(月)

いよいよ明日発売となります神田優花「Losers」(全2曲)、収録曲について私なりのコメントを。 まずはタイトル曲「Losers」から。


1.Losers

これ作った頃、雅楽に傾倒してて、その影響でできた作品がいくつかある。 そのうちの一つなんだけど、雅楽器を全面的に使っているとか言うわけではなくて(イントロに打楽器を使ったぐらい)、楽理面での影響が濃い作品。

イントロの打楽器のパターンなんかは完全に雅楽(舞楽)の影響。 そこに入ってくるワウ・ギターのフレーズも雅楽の退吹き(おめりぶき)ってヤツが下敷き。 間奏はベース・ソロなんだけど、そのバッキングの金属リード(の構成音)は笙の合竹を模している。 ついでに、イントロ部の太鼓に微妙なモタりがあるのは、無論意図的なアレンジです。

Aメロ部分のラップは、適当にサンプルぶち込んだだけで、何言ってんだかこっちも分からない。効果音として入れただけ。 全体的にロックっぽい仕上がりになっているんだけど、サビの展開とかはやはり舞楽の影響が濃厚。 一番ラストには(ヴァーチャル)テルミンの音が入ってるんだけど、これは出来合いのサンプルではなく、私が作っている。

この後、12月に雅楽に影響を受けた作品が4曲ほど出る予定で、それらは楽器編成ごと雅楽を模したものなんだけど、このLosersは今までの神田優花の路線とそれらを折衷したタイプのものです。 あと、ここ最近ギターは、こういうクランチっぽいのが好み。



11/25(日)

神田優花のご実家から、差し入れのみかんが届いた(今回もみんなでいただいてます)。 「もう冬か」と思っていたら、何やら今週は風邪ひいてる人がやたら多かった。 みんな体調には気をつけましょう。私も気をつけます。 というわけで今週のリハーサル風景。

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神田優花・影山リサ、二人仲良く風邪っぴき。 今回のリハでは喉を使えなくて、新曲のチェックとかそういう歌以外の作業をやってました。


11/24(土)

スタジオにて。

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11/22(木)

最近作った曲の歌詞にhandと言う単語が出てくるのだけど、それについてあれこれ考えていた。

狭義のhandは無論「手」と言う意味で、それもwristより先の部位を指すと言う。 しかし日本語の手と言う言葉同様、肩から指先あたり全てを指す意味があったりもする。 辞書的には前肢とある。 それ以外にも、作用・働き、更には援助・助力・協力なんて意味にも派生する。 handと言う単語は、一種の概念語でもあるらしい。

その歌詞に出てくるhandは広げた両手のイメージだったのだが、armsにするとどうもしっくり来ない。 armを辞書で引いてみると、これまたいくつもの意味があるのだが、狭義のarmは肩から手首までとある。 イメージの核となる「手(の平)」のあたりが含まれていない。 どうもarmでは歌詞の世界が成立しがたいように思えた。

で、handにしようととりあえず決めたはいいが、広げた両手のイメージなのでhandsにすべきかと当初思って、実際handsって歌詞だったのだけど、その後考えた末にhandにあらためた。 両手のイメージに概念としてのhand(援助・助力などと言う)が重なり、やがてそのイメージは一つの塊みたいになってしまった。 そして、とりあえずレコーディング(歌録り)はそのhandで行った。

こんなこと、聴いている方にとっては大方どうでも良いだろうことは百も承知しているのだけど、作り手側に「解釈」の成立していないものってのが、私には気持ち悪くて仕方ないのだ。


過去に発表した「予感」って作品があって、その中に「I felt in my mind」って歌詞が出てくるのだけど、それ作った時にも「I feel〜」にしようか迷った。 結局前者にしたのだけど、迷った理由は、その歌詞の世界が「現在のような過去のような瞬間」だったから。 最終的に過去形にしたのは、つまりはそれが過去だからなのだけど、私のイメージとしては0.5秒前くらいの過去。 その0.5秒こそが私の中でその作品のスピード感を醸成している。

私は基本的に、自分が聴くための音楽を作っているので、解釈が成立していない気持ち悪さってものを無視できないのだ。


11/21(水)

本日、佳乃「World is beautiful」発売されています。 佳乃の配信第二弾、新曲あり再録ありの計4曲収録。現在制作中のアルバムの先行シングルになります。 以下は本人からのコメント。


世界は辛い事が溢れていて、私自身、泣き出したくなる事が多々あります。だけど、こんな私を愛してくれる人達のおかげで、私の目に映る世界は今も輝いています。
私の歌を聴いてくれた誰かの世界に、ほんの少しでも明るい色を届けられたら、本当に幸せです。
再録曲も合わせて、ポップで前向きな曲ばかりなので、是非聴いてみて下さい(○´∀`○)

佳乃



11/20(火)

ここ最近、急に冷え込んだせいか、私の周囲にも風邪引いている人がチラホラ見られます。 みんな気を付けて。



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先週「Milky Way」を発表したばかりの片飛鳥さん。 先日のリハーサルの様子。


11/19(月)

影山さん。 先日録った音のチェックなんてしてました。

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神田優花。 新曲の歌入れでした。 1曲の予定だったんだけど、予定外の曲までレコーディングすることになりまして、結構な量のテイクを録ってしまいました。 お陰で週末は編集漬け。

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しかし神田優花って歌い手は本当に大変だろうと思う。 私のようなちょっとおかしなライターの作るものを、いつもソツなく仕上げるところには本当に頭が下がる。 どんな無茶ブリにも対応して、一応それなりに商品レベルにまで持って行きますからね。


11/18(日)

最近あんまし更新してないな。 とりあえず写真でも上げときますかね。

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ギター類って打ち込みでの再現が難しい楽器だと言われている。 まあ事実なんだけど、最近は割りと使えなくもない音源も出だしてはいる。 しかしついこの間、VSTでギターのトラック間に合わせようとしたら、一部音が抜けているではないか。

ノーマルチューニングのギターは最低音が6弦解放のEなんだけど、昨今ジャンルによってはハーフダウン(半音下げチューニング)も結構主流に近いぐらいポピュラーになりつつある(ハーフどころか1音下げとか、1音半下げとかまであったりする)。 私はハーフダウンの設定でアレンジしてたんだけど、使おうと思っていた(サンプルベースの)VSTに6弦解放のEの半音下(E♭)が入ってないんだ。

確かにギターって基本的には6弦解放(のE)以下の音が出ない楽器ではあるんだけど、半音下くらいまでは入れて欲しかった。 しゃあないんで、波形編集ツールで無理矢理半音ピッチをずらして使ってみた。今のところあんまし違和感ないように思えるが。


11/14(水)

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本日、片飛鳥「Milky Way」(全4曲)が発売されています。 以下本人からのコメント。


11月14日、『Milky Way』を含む4曲を発売することになりました、片飛鳥です。
作詞に加え、今回初めて作曲にも挑戦させて頂きました。
四苦八苦しながらも、自分らしい前向きな作品に仕上がったと思います。
歌が大好きな気持ちが、少しでも皆さんに伝わると嬉しいです。
ぜひ聴いてみて下さい!

片飛鳥



11/11(日)

先日のスタジオにて。

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11/10(土)

今週のリハーサル風景。

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いわゆるPCの利用者って減り続けているらしい。 これ短期的には回復の見込みが無さそうだ。 代わりに普及しているのが、ご存知スマートフォン。

当然このサイトのアクセスなんかも、既にスマートフォン経由のものが増えていると思われるが、サイト側では全くスマートフォンに対応していない。 今後する気もとりあえずは無い。 ノーマルな携帯電話からのアクセスへの対応も全く行わなかったし。

で、何か話によるとiPhoneの一部機種ではウチのページ、TOPぐらいしか表示できないらしい(それ以下の階層へ行けないんだと)。 当然このページなんかも見られないそうな。

私は毎度思う。 こういうのってスマートフォン側で対応すべき問題だと思うのだが、何故やらないのか(PC用サイトを完全な形で閲覧できるスマートフォン用ブラウザの開発を)。 技術的な障壁でもあるの?私はあんまし詳しくないから分からないんだけど。


11/9(金)

ピカソに「泣く女」と言う有名な絵がある。 愛人ドラ・マールをモデルにしたと言い、同テーマの作品は100点を超えると言う。 どんな絵かは、調べて欲しい。 有名なものであれば、画像もきっとすぐ見つかります。

ピカソは何を描こうとしたろうか。 きっと単なる「泣いている女の姿」ではなかったろう。 目の前で泣く女の人を見た時、彼の脳裏によぎった(いわば閃光のような)情報を映像(視覚)化したのに違いない。。

画家は絵を描くのだけど、それは眼前に広がった視界そのものを留める作業ではなく、あくまでその画家に見えた世界を視覚化する作業である。 絵画とは、本来映像でない物を映像として留める作業。

今の私が日々のこの追求作業の道具として、(絵でなく)音楽を選んでいるのは、単にそれが一番しっくり来るから。 脳裏に結んだ閃光をほじくり出す道具に過ぎないのだから、もっと優秀な道具があればそれに乗り換えるだろうけど、これだけの時間生きてきて音楽以上のものが見つからなかった以上、きっとこの先見つかる可能性も低い。


「夢に色はあるか」と質問されたら、何と答えます? 「見るものなんだから当然色もある」とでも言うだろうか。あるいは単に「無い」だろうか。

「夢を見る」と言う日本語、漢語では「夢をする」になるらしい。英語では「Dream(これ一語で動詞として完結している)」。 つまり「夢を見る」は慣用句である。 実際に網膜を使う(目で見る)わけでないから、当然と言えば当然だが。

「夢に色がある」と言う人は、脳機能が生み出す「夢」と言う現象に色彩情報をも織り込んでいる。 ある人には、夢に色どころか、音だって匂いだって温度だってあるとも言えるし、逆にそれらの要素全ては存在しないとも言える。 夢は思考でしかないのだから。

芸術家は、脳裏をよぎる閃光と言う、本来視覚ですらないものを視覚化し、聴覚ですらないものを聴覚化する。 何かを強く感じた際、その感傷をより心の内面に(五感より)近い状態にて、より心の奥深く食い込む形にて具現(作品)化する。 絵や音楽なんてのは、この「何か」を引っ張り出す為の道具に過ぎない。


黒田清輝と言う画家がいる。 明治後の日本を代表する西洋画家で、その画業を顕彰する記念館まである人物なのだが、彼の絵にはモノしか描かれていない。 クラムスコイは「悲しみ」を描こうとしたが、黒田ならきっと「悲しんでいる人」しか描こうとしなかった。 この文章で言うところの「閃光」が、彼の脳裏によぎっていないから。 実際彼の絵にはモノしか出てこない。

黒田清輝の画業こそを絵画、芸術と呼ぶなら、如何にその技術を極めようとも写真やDTPに適うはずもなく、また、人間の業としてそれがどのような崇高さを持つのか、私には説明できない。


読み返すと、何だか黒田清輝を非難しているみたいにも見えるけど、個人的に嫌いだったりするわけじゃありませんよ。念のため。 物事には段階ってものがある。歴史的功績と純芸術論的評価ってのは別なんです。


11/8(木)

先日のスタジオにて。

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徳川家康の家臣に、本多忠勝って有名なのがいるんだけど、その通称である平八郎を本多家は代々(当主が)世襲していて、「本多平八郎」だけではそれが誰(どの代)なのか分からない。 まるで歌舞伎役者かのようだが、日本史にこう言う例はいくつもある(日本史特有の現象ってことでもないが)。

斎藤道三は一代にして美濃一国の主となったと昔は言われていたが、最近の研究の結果、どうやらそれは道三の父子二代における事績であったのではないかと言われるようになった。 私は個人的に、北条早雲(伊勢宗瑞)の事績も二代に渡るものだったのではないかと思っているけど(そう思われる節がいくらかある)、これはまだ全然史学界での定説にはなっていない。 これ、言い出す奴が出てこないのが私は不思議なくらいなんだけど。

豊臣秀吉は、我が子(養子)に秀勝と言う名を名乗らせているが、その子が死んだ後に取った養子(別人)にも同じ名をつけている。 二人はこんにちの戸籍で言うなら(無論、当時に戸籍制度は無いが)兄弟である。 そもそも秀吉は、子に秀の字を踏襲させているのだが、日本人の命名のパターンは基本これだった(特に武家において顕著である)。 人(男子)はその名の半分が父親の名だったのである。 そもそも苗字が家を表すと言うに。

何が言いたいかと言うと、昔の日本人と言うのは、個(personality)が同時代のヨーロッパ人とか現代人に比べると、随分と希薄だったという事。 今でもそういう面はあるのだろうが、人間を個性ではなく、機能面で見る傾向が強い。 ○○さん、と言うより「部長」だとか「先輩」だとか「○○家当主」だとか、あるいは単に「長男」だとか「女性」だとか。

だからちょっと時間が経っただけで、ある事績の当事者の、その「個」の部分が掴みにくくなる。 結果、機能面だけが印象として残る。 また、社会もそれで問題なく運営されていた。 一応断っておくが、私は良い悪いの話をしているのではない。

日本から強烈な個が生まれにくいのは、ある意味では当然と言える。 だから世界史的な一般概念としての英雄や、人類規模の大芸術家が日本史からは生まれ難かった。 織田信長とかは世界史で言う英雄像にやや近いけど、よく言われるように、彼の末路を見るだに日本史にはその(英雄の)出現を拒む原理性があるのではないかとすら思える。


11/7(水)

何だか急に寒くなりましたね。

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神田優花、今新曲を二つ同時進行で制作中。 上は先日のスタジオにて。


11/6(火)

幸福になる方法。 人は、何かを得ることによる(いわば一時的な)充足感によって自分を幸せにできると思い込みがちなんだけど、果たしてそうか。

この社会の生み出す年間三万件超の自殺の原因として、不景気だの政治が悪いだの言う人はいるけど、経済・栄養状態だとかの生活環境、科学技術・社会制度など、あらゆる面で現代以上だった時代なんてあるのだろうか。 今より(未来への)見通しが良かった時代ならあったかもしれないけど。


物質的充足は無論のこと、精神的充足ですらも、一時のそれが保証する幸福など知れたものだ。 幸福とは展望のこと。 愛の価値は、人の心の中で展望に変わるところ。

人間が幸福になるには、幸福を感じ取れる感受性をまず身に付けねばならない。 それなしで、いくら高価な物質だとか、たとえ愛を手に入れたところで、そんなもの感じ取る能力が無いのだから。 猫に小判とは良く言ったものである。


私の知っているある子(ここ数年会ってないけど)の話。 その子は、何かを「やり遂げる」ことが実に苦手で、何をやっても何故か幸福として自身に蓄積できない。 中学を卒業した後(中学は義務教育なので中退できない)、高校には行かず、専門学校みたいなところに通っていたのだが、それもほどなく中退。 ある時は引き籠りみたいな状態に、ある時はアルバイトなど始めてみるのだが、どれも長くは続かない。

人並みに喜怒哀楽はあるので、楽しさを感じられない、と言うのとも違う。 経験を幸福として蓄積できないのである。 だから物事に対する解釈も、常に最後の印象をもってしか総括できない(こういうのを総括とは言わないが)。 例えば、あるアルバイト先での毎日を、ある時には「楽しい」と、実際に楽しがっていたりするのだが、何か嫌なことがあってそこを辞めたりした際、「そこでの日々は1〜10まで全て最悪なものだった」てな具合に総評されてしまう。

当然人との長い付き合いなども苦手で、交友関係は常に流動的だった。 そしてその友人とやらも、「駅で声をかけてきた人」とだとか「街中で知り合った人」だとか言う、何とも心許ない関係の者ばかりで、如何にも長続きしそうになく、実際にも長続きしない相手ばかりだったようだ。

常に最後の印象こそがその事柄に対する総括的解釈となるのだから、当然好印象のものって少なくなる。 またメタ認知(認識)力が乏しいので、感情の起伏を記憶として留めておくことが苦手になる。 従って、どう考えても幸福感を維持・蓄積できない。

ある人がその子のことを「頑固」だと評していたのだが、何故そう思ったのかは理解できるにせよ、評価そのものは間違っていると思う。 あの子は頑固ではない。 内省するための言語を持たないが故に、如何なる指摘を受けたところで建設的な改善などできないだけなんだ。


私はその子のことが割りと好きで、今でもそれは変わらないのだけど、公平に見て、「あの子は幸せになれないだろう」とも思う。 幸福とは蓄積の上に成り立つものに他ならないからだ。 あの子が幸福になれる現実的な目が思い当たらない。

幸福とは、想像である。 現時点で手元にある、物質的充足などではない。 「こんなに愛されたのだから、きっとこれから先にも素晴らしい出会いが待っているだろう」だとか、そういう未来への展望。 展望が広がらなければ、如何なるものを得たとしても「これを逃したら、もう二度とこんな幸運は手に入らない」などと言う執着にしかならない。 愛は物質ではないから、それを蓄積できるのは言語によってのみである。

物質はみな劣化を避けられず、例外なくいつか消えて行く。 消えないのは愛だけだ。 それを拾い集める唯一の道具が言語だからこそ、「まずロゴスありき」なのだ。 幸福になる方法があるとしたら、愛を効率的に拾い集める手段、つまり言語を洗練するしかないのではないか。

私にとっての音楽とは、私を幸福にする為の道具。 何ら約束された成果があるわけでもないが、これを続けて行く毎日を楽しみ続けられるであろうと言う想像の基礎。 想像力って蓄積の上にしか成り立ち得ない。 子供の頃から好きな音楽が、昨日だって今日だって好きだから、きっと明日も明後日も、一年後も十年後も、私が消えてしまう最後の瞬間にだって好きであり続けられる筈だ。 私の幸福はここにある。


11/5(月)

今週のスタジオにて。

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ワガママについて。 自分の意志を曲げないことと、単なるワガママ(自己中心主義)の区別がついていない人は多い。 してその違いとはどこにあるのか。

簡潔に述べるなら、要求を「自己」に求めるか、他人を含む「自分以外の世界」に求めるかの違いにあろう。 私が音楽を「続けて行くこと」は意志だが、「売れっ子になる」なんてのは私の意思一つではコントロールできない(売れる売れないは多くの他人の行動に因るものだから)。 「自分は売れっ子であるべき」ってのが、つまりは世界に対する依頼心なわけです。


私の知り合いで、調整って作業が一切できない人がいた。 調整ってのは、自分の希望を主張し、相手の事情を考慮し、ある面では意見を主張し、ある面では譲歩し、総合的な妥協点を見出す作業のこと。 それができない。

いつも自分の要求が100%通ることを希望し、そうならないケースにおいては常に「自分は我慢(譲歩)させられている」と言う不満を持ってしまう。 例えば、周囲が彼の要求を99%容れてやったとしても、残り1%の譲歩に不満なのである。

彼にとって世間と折り合う(生きる)と言う作業は、即ち譲歩の連続であったろう。 彼を取り巻く世界は、常に意のままにあるパラダイスではなかったろうから。 周囲の彼に対する評価は、いわゆる「ワガママな人」であったし、実際にも彼のような人こそをワガママと呼ぶのだが、彼には無論そんなつもりはない。 「いつも俺は我慢してるじゃないか」と大真面目に思っていたろう。


どうも人と言うのはその多くが、自分以外の誰か(他人)の立場になってものを考えることが苦手なようだ。 他者の視点を持たず、何事かを詰めていく作業に臨めば、当然要求の通らぬところがあれば、それ即ち譲歩という事になってしまおうか。

結局これも言語という事になってしまう。 他者の立場なんてのは、実際に他人になることが不可能である以上、それは形而上的世界に他ならないからね。


11/4(日)

代謝と言うのは脳細胞においても当然起こっていて、昨日の私と今日の私は厳密には同じでないに相違なく、10年前の私とか言い出したら、物質的構成要素のみで見るなら、それはもうほぼ別人と言って良い。 では私と言う連続性とは何なのか。

私の意識は昨日から続いているし、明日へも続くだろう。 この連続性って、端的に言うなら記憶が為していると思うのだが、記憶の正体とは何か。

短期記憶とか長期記憶とかの話って、ある部分には実証性を感じなくもないし、ある部分においてはイマイチ感じにくい。 ただ記憶の機能が人間の主体を為しているってのは間違いないように思える。

脳機能が言語を処理するプロセスがおそらくは人間の意識を生んでいると思われるのだが、その意識とやらは言語力とは言うものの、言語(語彙)そのものと言うよりその下層のレイヤーであるように思える。 言語を獲得する基礎となり得る部分。 いわゆる感受性・共感性と言った機能なのかもしれない。


因みに、その機能が発達していなくとも、スポーツはできる。 反射神経とか言うのは、どうやら言語機能とは別の処理機関であるようだ。 ついでに、算数ってのもどうやら、大方は論理(言語)と言うよりは反射神経に近い機能をもってして処理されているらしい。

論理で数学を解くことも、出来なくは無い。 ただ、言語力は時に計数処理に干渉してしまうことがある筈だ。 多くの人は理数脳と言語脳のハイブリッド型で、それらをブレンドしつつ数式などを解いているはずなんだが、極端に言語寄りの人はある論理性が邪魔をして数式が解けなくなったりするかもしれない。


話が逸れた。 私が10年前の自分との連続性を保っておられるのは記憶のせいで、それは諸々の事柄に対して持った「印象」が基礎となっている。 断片としての記憶を、人生の数々の局面において反芻し続けた結果、こんにちに至るまでの記憶となしている。 反芻作業が、新たな脳細胞に記憶を複写し続けたからだ。

だからもし、今の私の記憶をそっくりそのまま別の脳に移植したとして、それはある意味私なのかもしれないけど、その脳の記憶より下のレイヤー、いわゆる感受性とかそういうものが私と違うのであれば、時間を経るにつれ、段々その脳は私とは別のパーソナリティとなるはずだ。

もし(あり得ないが)私と全く同じ言語処理機能がこの宇宙のどこかにあったとして、そこに私の記憶をデータとして移植したなら、それは私なのだろうか(そこへ今の私の意識は連続するのだろうか)。 私と同じ記憶を共有する、私に極めて似た人物(他人)に過ぎなかろうか。 一卵性双生児は遺伝子レベルで見るなら同一人物だが、実態としては単なるソックリな兄弟に過ぎないのだし。


脳死は人間の死に他ならないと思うが、逆に脳機能さえ稼動し続けているのなら、肉体などどんな状態でも人は生きている。 しかし困ったことに、脳機能も生命運動に支えられていて、人間とは単なる記憶(データ)ではなく、それを反芻する感受性なのだから、そこだけは別の部品では代用が利かない。

記憶のストレージだけなら何らかのデバイスで代用できる筈だけど、その下のレイヤー部だけは如何なるチップでも代用が利かない。 記憶を攪拌する感受性の正体が掴めない以上、人間の意識は生命体としての機能の終了(死)を越えることなんて今のところ不可能と言って良い。

日々別人に変わり続けている私は、残る記憶を反芻、複写し続ける事によって、今日に至るまでの連続性を保持し続けた。 別人の脳に私の記憶だけを転送したとしても、そこに感受性が備わっていなければ、きっと時間を経るにつれその記憶は欠落し続け、いずれ跡形も無くなったに違いない。


こんな話音楽と何の関係があるんだと思われる向きもあろうが、私にとっては関係大有りだ。 何故なら、作品を作る作業ってのは、自分の正体を掴む作業に他ならないから。


11/3(土)

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影山リサ、新曲の歌入れでした。 今回録ったのは、現在制作中のアルバムのラストに収録予定の曲らしいです。



「はだしのゲン」ってマンガに、被爆して両手が使えなくなって、口にくわえた絵筆で絵を描く人物が登場する。

ピカソなら、両手が使えなくなれば同じように絵筆をくわえてでも絵を描き続けるだろうか。 しかし、一部のジャズミュージシャンなどであれば、両手の自由を失った時点で(ミュージシャンとしては)廃業だろう。

実際にジャズミュージシャン(プレイヤーと言うべきか)の中には、創作(作曲)に全くもって何の意味も見出せないと言い切る人がいる。 演奏こそに価値を置いているらしい。

あるマンガ(タイトルとか細かいこと全部忘れた)に、宇宙人(地球外生命体)が登場する話があったのだけど、そこに登場する宇宙人は、物体でないと言う。 肉体を持たず、意識だけが存在すると言う設定であった。 もし人類がそんな形態になってしまったら、上のジャズミュージシャンらは間違いなく何も生み出せなくなってしまう。 ピカソなら生み続けるだろうが。

私もピカソ型でありたいね。 つまり脳で何かを生み出す存在。 って言うか、芸術ってそういうものに他ならないと思うのだけど。 芸術作品とそうでない物とを見分けるリトマス試験紙となる基準とは、それが思考から生み出されたものであるか否か。


多くの日本人には、芸術の(言葉としての)意味が分からない。 これは原点として踏まえておきたい。 教育のせいと言えば教育のせいなんだが、現場で教える教員も文科省のお役人さんたちも同じ日本人なのである意味仕方ない。 分からないものは教えようもない。

日本からピカソやムンクが生まれないのは、嘆くまでもない当然のこと(まあ天才と言うのは一種の奇跡だから、今後生まれないとも言い切れないが)。 普通に生きていて芸術(と言うよりart)の意味が自然に体感できている民族の中からアーティストが生まれている世界と、まずそもそも芸術の定義すら理解できていない集団、この二者の溝は巨大だと言わざるを得ない。

教育現場が補強すべきは、とりあえず美術科の授業時間などではない。 打つ手があるとするなら、それはきっと国語科の課題となる。


11/2(金)

「竹山ひとり旅」って映画(DVD)を見た。 三味線奏者高橋竹山の半自伝的映画らしい。

内容的には寅さんとか裸の大将みたいな仕立てで、映画としては面白いって思う人も多いのかもしれないと思った(個人的にはもう少し明るいストーリーにして欲しかったかな)。 音楽的な面での収穫はほぼ無し。 三味線を弾くシーンは割りと出てくるんだけど、調弦は本調子でした。

私は南の方の民なので、ああいう東北的世界観ってのが肌にちょっと合わない気がする。 あの東北の飢餓・貧困・寒冷みたいなの(失礼)。 ああいうものに対するシンパシーってのが薄いのよね。

以下蛇足ながら。 関西以南って、うどん・ソバで言うとうどん文化圏になると思うんだけど、例に漏れず私もうどん好き(蕎麦も好きだけど)。 「一杯のかけそば」とか言う貧乏臭い話があったけど、あれ「一杯の素うどん」じゃ貧困臭が薄れて作品としても成立し難かったろうと思う。 「津軽海峡冬景色」とかもそう。 あれが「関門海峡」だったら演歌としては成立し難いはず。


11/1(木)

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先週末、新作「Baby Blue」を発表したばかりの川村真央さん、先日のスタジオにて。



Amazonだかで個人の作った電子書籍の販売を請け負うサービスが開始されるらしい。 いわゆる自費出版的なものか。 調べてないんでサービスの詳細は分からないんだが、基本的にはアカウント取ってデータをアップロードするだけで公開できるそうだ。 凄いね。

売上げの35%が本人に還元されるらしい。 ってことは65%持っていかれるわけだけど、今までの紙ベースの出版なら90%くらいは持っていかれてたわけだから(原価面が全然違うとは言え)、これでも結構なものだ。

どれだけこの企画が軌道に乗るかなんて、業者側にもまだ見えないだろう。 上記のパーセンテージもとりあえず設定しただけで、今後どうなるかは分からないと思われる。 こういう企画って軌道に乗らないまま消えて行くことも多いから、がんばって欲しいですね。


10/31(水)

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来月の28日に新作「Losers」を発表予定の神田優花、その翌週にあたる12/5にも続けて新曲「live through this」をリリースします。 カップリング曲は「waves」、こちらもお楽しみに。 上は先日のリハーサルの様子。





10/30(火)




2004年の終わり頃に発表した本間秀子の「恋しぐれ」ってのがある。 内容は演歌のシングル(カラオケバージョン含め全4曲)。メディアはカセットテープ。

当時は(カセット製作に)ある程度の需要も見込んでたんだけど、結果大した需要もなく、その後カセットは2タイトル作ったのみ。 それはいいんだけど、上記タイトルをなんとか入手してもらいやすい形にしようと、データで販売することにした。 因みにもう一つのタイトル(カセットの)は、影山リサの「ラッキー・スター」なんだけど、こっちは全収録曲が現在、データやパッケージで購入可能となっている。

ウチのダウンロードものの商品で、パッケージ化していないものは結構あって、当然それらはCD音質(44.1kHz/16bit/STEREO)で聴くことができない。 まあいずれパッケージ化するかもしれないし、しないにしてもデータで配信してるんだから、きょうび再生環境に事欠くってこともなかろうと思われる。 が、カセットテープになるとさすがに聴けないって人も多そうだ。 わざわざそのためだけにプレイヤー買ったりもしないだろうし。

それで、データを\300で販売することにしました(元のパッケージ価格が\500)。 決済方法はクレジットのみ。 ジャケや歌詞などのアートワークは全てデータ化して同梱してます(レーベル面のデータまで入れている)。 試みに作った半分冗談みたいなアイテムなんですが、良かったら入手してみて下さい。

恋しぐれ」(試聴ページ)

恋しぐれ」(購入ページ)


ここ最近、二作立て続けにデータで販売開始してるんだけど、今後もこの手のものは増えるかもしれない。 もう随分前に出してとっくに在庫が切れてるタイトルとかに、ごく稀に問い合わせがあったりする。 パッケージを追加製造するほどのニーズがあるかも分からないし、その辺二の足を踏んでしまいがちだったのだけど、こういう形でなら公開できなくもない。 ただ、あの手の需要って、パッケージと言う物である面に因っている部分が大きいんだろうけどね。


10/29(月)

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上は先日のスタジオにて。



最近作ってた曲にトロンボーンをフィーチャーしてるんだけど、そこでの試行錯誤について記しておく。

トロンボーンってのは言わずと知れた金管楽器なんだけど、パイプ部分の伸縮によって音程を取ると言う原理上、演奏に制限が多い。 まず運動性の高いフレーズを演奏できない。 奏者の演奏技術にもよるだろうが、それにしたって限界がある。

基本的に全ての演奏(音の変化)がポルタメントみたいな状態になる。 無論だらしなくならないように、タンギングとか奏法によってメリハリつけてはいるんだろうけど、鍵盤楽器やフレット楽器なんかに比べると、明らかに音階変化がスロープ状になりやすい。

で、こっちはむしろその特性(制約)を活かしてコミカルなフレーズなんかを担当させたいと思っていたところ、サンプリングではそれにも限界があってしまう。 サンプリング系の音源って、ピッチベンド関係の処理が苦手っぽいのよね。 原理上当然そうなんだろうけど。 モデリング系のブラス音源買おうかなあ。

スライドの位置が第7ポジションまで決められてるってことなので、例えばグリッサンドで使える音程幅とかもある程度分かったのだけど、吹奏楽器特有の、吹き込み方による倍音変化の部分がまだ正確に掴めてない。 リップトリルについてとか。

同一ポジションにおいて、倍音変化によって出せる音のバリエーション(各ポジションにつき大体9前後)が表化されたものが手元にあるのだけど、この中のどの音とどの音のコンビネーションならトリルに使えるのか。 (音階的に)近接する音同士でなければいけなかったりするのか、あるいはどの二つをピックアップしても良いのか。 またそれらは実現できるトリルのスピードに関係してくるのか、とか。 知り合いに奏者がいるので今度聞いてみよう。


10/28(日)

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影山リサ、新作「Sleepless Night」を12月12日に発売します(下にジャケ画像上げてます)。

こんなところでお知らせするようなものでもないんですが、オーディション・サイト「D-assist」さんのところでウチのアーティスト募集告知が出てまして、そこにこの「Sleepless Night」の広告が出てます。 再来月の発売なんでちょっとフライング気味だけど。

発売はまだちょっと先ですが、是非聴いてみて下さいね。





10/27(土)




ウチのレーベル名義にて、新タイトル「FirstSplash」(全6曲)を公開しました。 ちょっと前にアップロード作業は終わってたんだけど、一応ここでのアナウンスにて正式リリースってことで。

一応全部のトラックを私が作ってますけど、一々各曲にコメント入れるほどのものでもない。 何故コメント入れるほどのことがないのかと言うと、本当に拙速なものだから。 各曲のタイトルも公開直前につけたもので、作った私自身、タイトル言われてもどの曲のことかピンと来なかったりする。 ごめんなさい。 価格は300円(3USドル)なので許して(安いから良いってもんじゃないだろうけど)。

ジャケット画像、クレジットも入れてますけど影山リサが撮った写真です。 どこの海で撮ったのか知りませんけど、映りこんでいる「足」も本人の足なんですって。 因みに影山さん、写真部出身らしい。 あと、2曲目の「Soda Float」には神田優花の「Mindscape」をサンプリングしてます。

今回の作品公開、新たな販路を開拓したいと言うか、そういう実験用途の色合いが濃い。

今回、こういう形で音を発表してみて実感したのは、とにかくフットワークが軽いこと。 データ類さえ揃っていれば、ホンの数時間くらいで公開に漕ぎ着けられる(データサイズによってアップロードにかかる時間はかなり違うけど)。 一応決済手段もあるんだよ?各種クレジットカードで、世界各国(190ヶ国)で購入できる。

比較の為に実例(通常の販路)を挙げると、ウチが今月(2012年10月)にデータを納品したものの中で、一番最後にリリースされるタイトルは来年の2月発売である。 実に三ヵ月半(このルートだと最短でも一ヶ月は時間を要する)。 数時間ってのが如何に凄いか分かってもらえるだろうか。 しかもごく簡単な操作にて撤退もできる。

今後もこういう形で、何か(音に限らず)リリースしたりするかもしれません。 とりあえず試聴用のページ(&購入ページ)へのリンク張っておきます。 円とドルの両方で売りに出してるんだけど、リンクは円の方(ここ読んでる人でドルで買う人なんていないでしょ?)。 画像ももっと大きなサイズで表示できるんで、良かったら覗いてみて下さい。

FirstSplash」(試聴ページ)

FirstSplash」(購入ページ)


10/26(金)

川村真央のセカンドシングル「Baby Blue」、本日より販売開始されています。 以下、本人からのコメントと先日のスタジオでのカット。


一年ぶりのリリース曲です。デビュー曲と比べると、かなり成長の感じられる作品となりました。また新しい川村真央を感じていただければ、と思います!

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10/24(水)

来月の半ばあたりから来年にかけて、まとめて音を出すのだけど、その商品価格について。

今まではPC用単曲\200、携帯用単曲\300で大体出してたんだけど(モノによって多少違う)、今回から携帯用とPC用の価格差を無くした。 元々大した意味があって差をつけていたわけでもなかったので、今回から分かりやすく統一した。

その代わり、過去のリリースアイテムとの価格差が生じてしまう。 まあ今から価格改定することもできなくはないのだけど、事務作業量が膨大になるのでしない予定。 まあいいでしょう。 気が向いたら考えます。


10/23(火)

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先日のスタジオにて(影山リサ)。



来月1日発売の月刊Audition(白夜書房)に、ウチのアーティスト募集告知が掲載されます(他にもWeb媒体なんかでも同時に告知かける予定)。 あんまし明るいニュースも少ない音楽の世界ですが、みなさんのご応募お待ちしてます。


10/22(月)

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上は先日のスタジオにて。 そういえばHP(ここ)のアーティスト一覧、佳乃と広瀬沙希の二人を加えました。 ある程度作品数も増えてきたので。 今のところDiscographyぐらいしか載せてないのですが、今後内容も充実させて行くと思います。 因みに、順番は単に五十音順にしているのですが、神田優花だけはとりあえず一番上に置いています。 ウチのフラッグシップなんで。



ここ数日、新たな販路(音の販売ルート)を模索してまして、ビジネスとか言うと大袈裟だけど、まあそのようなもののプランを練っていました。 久々に徹夜してしまったよ。

近いうち、多分今月中になると思うけど、とりあえず実験的にその新たな販路にて6曲入りの新タイトルを発表しようと思ってます(音は全然実験的じゃないけど)。 価格はドルで設定、決済方法はクレジットのみって感じで。 誰が買うんだって状態だけど、まあ本当に実験なので。 試聴用のページなんかも作る予定で、このページでも紹介します。


10/20(土)

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今週のスタジオにて。 神田優花、またまた新曲の制作に入っております。 来月から来年初頭にかけてのリリースタイトルが、全部で7つ(14曲)の予定なのだけど、年内までに更に4曲くらいは録りたいところ。

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10/19(金)

川村真央「Baby Blue」収録曲「Don’t cry, sister」について。


3.Don’t cry, sister

これ作った当時、ブラスアレンジにハマってて、その一連の作品の一つ。 神田優花の「Now(is the time)」とかもその一つで、影山リサのレパートリーにもブラスメインで作ったヤツがあるんだけど、多分しばらくリリースはしません(アルバムに収録予定)。

間奏のところでかなり無理な転調(移調)をしているんだけど、一回やってみたかったんです。 因みにこの転調、楽曲構成上何の必然性も無い。 そこも含めて一つの構想なわけです。



10/18(木)

川村真央「Baby Blue」収録曲「Let me go, Let you go」について。


2.Let me go, Let you go

ギター中心のアレンジで、音の数も少ないシンプルな曲。 これもタイトル曲同様、用途が決まってない状態で作った曲。 それも適当に作ったって言うと言い方が悪いのだけど、本当に徒然なるままに書いた。

ストック状態の時のオケが凄いラフなものだったので、いざ使うと言われた際に、急いで(ほぼ一から)作り直した。



10/17(水)

これからしばらくの間、リリースラッシュになるのだけど、そのうち私が曲を作ったものについて、私なりにコメントしてみる。 まず川村真央「Baby Blue」(全3曲)のタイトル曲「Baby Blue」について。


1.Baby Blue

ミディアムテンポのPOPSですね。 用途が決まってない状態で作った曲で、シングルのタイトルになるとか全然想定してなかった。 作った当初、ハッキリ言って印象も薄かったのだけど、仕上がったものを聴くと、それなりに良いものに思えてきました。

ここ数年で、制作環境がハード中心から随分ソフト中心に変わってきた私なんですが、この曲のオケはハード音源メインで作ってます。



10/16(火)

NapoleonXIV(ナポレオン14世)の「They're Coming To Take Me Away,Ha-Haaa!」って曲がある。 1966年にレコード(EP盤)が出ていて、その後CD化されている。 邦題は「狂ったナポレオン, ヒヒ, ハハ……」。 音楽の世界にはたまに出てくる、いわゆる「一発屋」ってヤツで、多分ヒット作はこれ一曲しかない(これもどれほど売れたのか知らないけど)。 Youtubeとかで探せばいくらでも出てくると思います。

一発屋なんだから自然、作品も奇を衒ったものだったりするんだが、趣向を凝らしているのは曲にでなく録音技術においてなのである。 聴いてもらえば分かると思うが、作品はアナログ録音時代のもので、テープの回転数を弄ることによって、ちょっと意表をつく音に仕上げている。

それ、発表当時はいざ知らず、現代においてはさほど技術的に難しい手法ではない。 私は最初に聴いた時から、ある程度タネの想像もついたのだけど、その後CDのブックレットを見たら、その手法についてわりかし詳細に説明が為されていて、まあほぼ当初の予想通りであった。

しかし考えてもみると、現代の録音環境であれを「そのまま」再現するのはそんなに容易ではないかもしれない。 まず、単純にピッチを弄る事や、ピッチやフォルマントを単独で制御することは簡単にできる。 テープマシンのようにピッチとスピードを連動させて弄るようなことも、昨今の大抵の波形編集ツールなら可能な筈だ。 しかし、リアルタイムでツマミとかでテープスピード弄りながら(アナログでテープに)録音なんてことになると話は別だ。

DAWでオートメーション書いたりしてテンポを弄ることはできたとして、それに合わせて録ったボーカルテイク(デジタルデータ)をアナログテープ同様に再生させることができない。 テープマシンスタイル(ピッチ・スピード連動型)のピッチ修正ツールを使ったとして、リズムとの連携をどうするか、など問題は残る。

あれを私が今本気で再現するとなると、最悪実家に帰ってテープMTR引っ張り出してこなきゃならないかもしれない。 あるいはちょっと上等なテープデッキとかならテープスピード弄れたりするので、AUXやMICイン使って似たようなことができるだろうか。 今のところ試すつもりはないけど。


10/15(月)

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神田優花、11/28(水)に約一年ぶりのニューシングル「Losers」をリリースします。 カップリング曲は「Now(is the time)」。お楽しみに。 下はそのジャケットです。





10/14(日)

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川村真央ちゃん、久々の新作「Baby Blue」を発表予定。 こちらはパッケージ物で、全3曲収録、税込価格\1260になります。発売日は未定ですが、多分来月くらいには販売開始されると思います。 下はそのジャケット画像になります。





10/13(土)

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佳乃、新作「World is beautiful」を来月21日にリリースします。 収録曲は全4曲、税込価格\800。 下はそのジャケット画像。





影山リサ、今週のスタジオにて。 影山さんも年末から来年はじめにかけて、いくつか新曲のリリースを予定しています。 近いうちに正式なインフォメーション上げますね。

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10/12(金)

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もうインフォメーション上げてますけど、来月14日に片飛鳥「Milky Way」を発表します。 収録曲は全4曲、税込価格\800になります。 下はそのジャケット画像。 上は今週のスタジオにて。





10/11(木)

唐突ですが、鈴木サヤカ、新曲出します。

タイトル曲は「YES-YES-YES」。 最近録ったものではなくて、随分昔に録ってお蔵入りしていたトラックです。 時期的にはいつ頃だろう。2004〜2005年とかそのくらいだろうか。 ファイルの日付とか見れば分かるだろうけど、めんどいんでそこまでしてない。 とにかく古い曲です。

2曲入りで出すんだけど、カップリング曲は「海の大冒険」って言って、ファーストアルバム「SWEET」の収録曲「海の冒険」のリメイク版。 「海の冒険」は「SWEET」の中でも一番最初に歌を入れた曲なので、本当に古い。 確か2002年の終わりか2003年のはじめ頃に録ってる筈。 もう10年前だ。

永遠にお蔵入りさせておこうかとも思っていたのだけど、鈴木サヤカは、ありがたいことに海外なんかでいまだに根強い支持があるようで、未発表曲の公開に踏み切りました。 リリース日は年越してしまう予定ですが、是非チェックしてみて下さいね。





ついでに、未発表曲はまだいくつかありまして、頃合を見て公開するかもしれません。 しないかもしれません。


10/10(水)

得意でない事務作業に忙殺される日々を送ってます。

HP(これ)用の音源紹介ページとか、それに付随したテキストとか作っていたらほぼ一日が終わりそうな勢いだ。 来月から年明けにかけて14〜15タイトル、35〜40曲くらい発表を控えていまして、そんなに大量の音を出すもので、付帯の事務作業も楽じゃないわけです。

それはそうと、PCの処理速度って思考のペースと全然噛み合わないよね。


10/9(火)

音楽(作品)の販売経路について色々と考えていたのだけど、それについてのメモ。

ウチもとりあえずはレーベルってヤツなんで、一応一通りの販路ってのは持っているんだけど、それを使うのは会社としてわりかし本腰入れた商品だ。 今模索しているのは、もっとライトな音を売る場所。 私が個人的に作った試作品みたいなものを、(比較的簡単な手続きにて)発表する場が無いか調べていた。

あるにはある。 でもどれも一長一短あるんだ。 例えば国内向けに円で定価を設定するような、どちらかと言えばアマチュア向けのサービスは、おそらく一般利用者のアクセスが絶望的に少なく、売上げそのものがほぼ見込めない。 日本には、要するに音楽リスナーの絶対数が欠けているのだろう。 特にインディー系の音楽に需要が無い。

私は別に金にならないことなんて気にしちゃいないんだけど、サイトの閲覧者(一般消費者)そのものが存在しないようなサイトに公開するのも淋しいと思って。 それなら課金のシステムなんて整えられていなくても、アクセスがある程度あるところの方がまだマシだ。

そう言えば国内業者の一つでこんなところがあった。 もう売上げなんてほぼ無いに等しいんだから、端から現金配分のシステムなんて用意してなくて、自社発行のポイントを配分するシステム。そのポイントで購入できる商品を一覧したページを作っていた。 現実的といえば現実的。

因みに、この手のサイトで売上げが見込めないとか言うのは私の想像で、サイトのたたずまいなどを見て勝手に判断しているだけなんだが、おそらくは概ね外れていない。 私も長いことこういうことやっているもので、何となく分かります。


海外(アメリカ)の業者で、売上げ回収の代行とかをやってくれるようなところがあった。 業者名は伏せるけど、実に割り切ったシステムで、データをアップするスペースを提供するのみで宣伝等は一切無し、コンテンツの紹介ページすら無く、Twitterなどで自ら商品情報を拡散してくれとある。利用者登録にはTwitterアカウントなどを持っている事が半ば前提となっていた。

つまりそれってほぼ「知り合いに売れ」ってことに他ならないんだ。 業者側はクリエイターとリスナーの橋渡し的な役割なんてそもそも想定していなくて、単に個人売買の仲介手数料で商売しようと考えている(別にそれが悪いってんじゃないよ)。 だから、商品一覧のページも無ければ無論試聴なんてシステムもない。 商品の良し悪しを判断する材料が用意されていない。 あとそのサービス、確かPayPalのアカウントが必須になる。 因みに私は持っていない(必要なら持つが)。


私は(欲しがってもいない)知り合いに音を売りつける気は無論無いし、誰もいない場所に音を公開するなら自分のハードディスクに貯めこんでおくのと変わらない。 かといって、試作品を正規の販売ルートで売るのも気が引ける。 だって神田優花の音なんかと比べたら、構想も含めたトータルの作業時間の違いが、下手したら100倍くらいありそうなんだもの。 同列に扱うのは作家としての良心に悖る。

で、現実的な落としどころとして今考えているのが、フリーでの公開。 それも海外サイトで。 一応ウチも世界的に音を公開しているし、それらの商品の多少の宣伝にでもなればと思っている。 あと、状況に応じていつでも撤退できるようにしておきたい。 あんまりしっかり商品として発表してしまうと、契約上何年間販売継続の義務があるとか、色々制約があったりしてしまうので、そういう意味でも正規ルートでは発売しにくい。

今とりあえず公開を検討しているのは、いくつかのインスト作品と、試しに作ったHIPHOPみたいなものと、正規音源のオケのトラック(単体でもインスト作品として成立しそうなものとかあるんです)。 年末か来年のアタマぐらいにはどこかで公開すると思うのだけど、まだよく分からない。 決まったら一応お知らせすると思いますけど。


10/8(月)

神田優花、新作「Losers」の発売が11月28日(水)に決まりました。 今年の第一弾になります。 是非聴いてみて下さい。

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今年の年末から来年アタマにかけて、リリースラッシュになります。 来月の中旬くらいからは、ほぼ毎週何らかのアイテムを発表する事になると思います。


10/7(日)

影山リサの新作「Sleepless Night」が12月に発売されます。 またリリース日に近くなったらあらためて詳細お知らせしますね。 下は今週のリハーサル。

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川村真央。 こちらも近いうちに新作発表します。 こちらは(ダウンロード物でなく)パッケージです。 3曲収録予定。

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10/6(土)

今週のスタジオにて。

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片飛鳥、新作「Milky Way」を来月リリースします。 収録曲は全4曲、税込価格\800の予定です。 諸々の詳細はまた後日お知らせしますね。

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10/5(金)

先日街を歩いていたら、余所見をしながら私の方に前進してくるオバさんがいて、ぶつかりそうになった。 私は前を見ずにこちらに向ってくるその物体(オバさん)を発見した瞬間嫌な(ぶつかりそうな)予感がして、ほどなく歩みを止めた。

オバさんは、ぶつかる直前に私の存在に気付いた。 その際に「ああビックリした」とでも言わんばかりに驚きの表情を浮かべたのだが、そこに私に対する謝罪の気分は全く含まれていないようだった。

「自分の不注意でぶつかりそうになったと言うのに、何と失礼な人だ」と、私は軽く不快すら感じたのだが、その後何となくオバさんの思考プロセスが見えてきた。 彼女はいわゆる態度の悪い人ではない。

謝罪の気分とは、論理に裏打ちされる。 1.歩行中、何かに気を取られる→2.余所見して歩く→3.それが街なかだった為、他の歩行者(ここでは私)にぶつかりそうになる→4.自分の不注意を恥じ、謝罪の気分が浮かぶ。 これらのプロセスは、論理に他ならない。 人は平素、これらの論理を瞬時に(いわば反射のように)組み立てている。 当然だが、論理性が途切れれば4.の結論に至らない。

そのオバさんは「謝る気が無い」のではなく、「謝るべきである」と言う結論をまだ得ていない。 これに腹を立てるのは、雨降りにムカついているのと同じで詮無い。 ああいう人が何かに気付いてくれたら、それは世のためだとは思うけどね。


10/4(木)

ある人から、「ジャケット用の素材に」ともらった絵(と言っても画像データだけど)を眺めていた。

その人は絵がお上手である。 いわゆる独創的な絵画と言うのではないけど、描写は写実性に富んでいるし、技術がそれなりに堅牢である。

いくつかもらった絵の中の、ある「女の人の顔」を眺めていて思ったのだけど、やはり創作物と言うのは作ったその人そのものだ。 その人の愛も悲しみも、人格の歪みも全てを映し出す。


その絵の中の女性には、仄かな、まるで弱さの様な優しさがあった。 それを強いて英語にすればtendernessだろうか。kindnessと言うほど様式めいてはいない。 やはりtenderness。でもそれはloveでは無かった。 loveはもっと強い。 悲しみ、sorrowも感じなかった。 これは中傷などでなく、冷静な感想である。 魚の目に悲しみを感じないのは、魚が悲しみを感じていないからで、その絵の中の女性もそれと同じく、その目に悲しみを宿していなかった。

その絵の作者は女の人なんだけど、きっと彼女にまだ悲しみは描けない。 悲しみとは、クラムスコイやゴッホの絵に滲み出ているあれです。 私は彼女の絵が嫌いではないけど、そこに悲しみは感じ取れなかった。 微かに愛は感じたのだけど、愛を描き切っているとも到底言い難い。

彼女がクラムスコイみたいな絵を描くにはどうすれば良いのか。 それはクラムスコイみたいな人になるしかない。 作品とは作者そのものなのだから。 だから私は、自分の作品とて名作を持たされるよりも、それを書くに相応しい自分自身になりたいと、ただひたすらに思うのです。 私は今日も、私の全てを持ってして曲を作り続けている。


10/2(火)

実を言うと、私はここ最近全く休めていない。 リリースに関連した作業が色々と山積みで、本当に休む暇が無い。 音に関しては、粗方(と言うか、とりあえずは完全に)作業が終わっているんだけど、それ以外が大変で。


10/1(月)

歌舞伎の映像作品(DVD)を見てみた。 字幕無しでは、何を言っているのやらちっとも分からない次第だったが。

しかし多少の収穫もあった。 例えば三味線には代表的な調弦法がいくつかあって、本調子とか二上がり・三下がりとか言うのがあるのだけど、解説書を見ても絶対的な音高が記されていない。 二の弦は一の弦に対して○度高いとか、そういう相対値での説明しかなされていなくて、まあ現実にもそこに厳密な決まりがないのだろうけど、一般にどういうケースが多いのか、ぐらいは知りたいところだった。 で、実際の演奏シーンを目で見ることである程度分かりました。

あと、話には聞いていたけど、三味線って弾いているうちにもみるみるチューニングが狂ってくるそうで、映像でも奏者が演奏中に頻繁に糸巻き(ギターとかで言うとこころのペグ)を弄っていた。 あれで別に構わないとされているのだから、基本的に調律に関してはおおらかなんだろうと思った。


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