・12/31(木)
今年も,音楽なんて夢みたいな事やりながら一年過ごさせてもらいました.まあ多分来年もそうさせてもらうだろうけど.
我々がこれから先,どのような境遇に落ち着こうとも,楽しかったこの一年は,我々の心の中に永遠に残り続けます. だから私は何も怖くない.
人が,失う物なんて実は何一つ無い. 日々,新しい何かを得ていくだけだ. だって,確かに存在した時間が消える筈なんて無いのだから. 晴れた日があれば雨の降る日もあるように,我々を取り巻く環境は,当然ながら刻々と変わり続ける. でも,私がこの先,どこかで躓いて,悲嘆に暮れるような日が来たとしても,楽しかった時間は,ずっとこの心の中にあり続ける. 明日からもまた,一つづつ楽しい日々を集めようと思います.
来年もよろしくお願いします.
・12/30(水)
海外の音楽ダウンロード・サイトを見てて思うのは,イメージ(ジャケ画像)がとにかくデカい事.海外サイトがデカいって言うより,日本のサイトのが小さいって言うべきなのだろうな.
アメリカでは,音楽のデータ購入が当たり前になりつつあるのと同時に,いまだにパッケージ物(殆どはCD)も,日本なんかとは比べ物にならないぐらい売れている. 早い話,業界・市場としての基礎体力が全然違う. 日本では音楽ソフト自体が売れなくなっているのだけど,多分パッケージ物は(今後も相当長くはびこるだろうが)壊滅状態に陥るであろう事は想像に難く無い. だから,もう少し配信のインフラについて神経質になっても良いのではなのか.
サイト上に掲載されているジャケット画像って,要はショップで実際に手にする「CDジャケット」に他ならないわけで,顧客のニーズを考えるなら,最低でも実物大のCDジャケット・サイズであるべきだ. 我々レーベル側は,結構デカいサイズの画像データを提供してるんだから,サーバーの容量なんてケチんなよ,と言いたい.
・12/29(火)
もはや年末恒例と言って良い,契約更改でゴネるプロ野球選手について,ヒマだったから考えていた. 何故彼らはあのようにゴネるのか. ゴネない人だってたくさんいるのだから,ゴネる人にも理由があるのである.
「提示された契約内容(早い話が年俸)に不満があったからだろう」と言うのは無論正しい. しかしながら,私のように,ああいったものの相場にまるで通じてない門外漢ならいざ知らず,球団は曲がりなりにもその道のエキスパートである.そんなに根拠の無い不当な査定などするわけ無かろうから,提示したその契約条件も,ある程度は妥当性のある内容である筈だ. やはり問題の根源は,選手らの心理にあるような気がする. 良い悪いはさておき,契約条件を保留する選手達の心根の部分について考えたい.
プロ野球と言う興行は,外タレのコンサートみたいに,チケット収入などで独立して採算が取れているわけではなかろうから,企業スポンサーが不可欠となる(実際そうなってる).で,宣伝・広告の類の費用対効果って,実に検証し難い. つまり,彼らの年俸の額面って,企業側の胸先三寸にならざるを得ない性格のものだ. 企業側がそこにどれだけの価値を見出すかに因っているのだから.
だからして,ホームラン20本・年俸一億円の選手が,「今季はホームラン40本打ったのだから年俸も倍の2億円寄越せ」と言うような主張は,現実問題として受け入れられ難い. 査定は,成績に対して行われている部分が大きいであろう事は間違いないのだろうが,そもそもの興行の成り立ちがそんなレベルの話じゃない. 漁師が,釣ってきたマグロの数を引き合いに,給料の交渉をするのとはわけが違う.
おそらく,契約条件(要は年俸の額面)を保留する彼ら野球選手は,プロ野球の興行としての成り立ちや,査定の根拠について大して思いを馳せたりしてなかろう. だから,表明している不服も,そのような見地に立ってのものでは無論無い. 思うに,彼らの規定する自己のポテンシャルと,残した数値(成績)との距離感が,ああいう契約更改などの場での行動を決しているのではないか.
例えば,心底自分の能力に自信がある人であれば,提示された内容に多少の不服を感じたとしても,「俺の実力さえあれば,来季にでも満足行く額を提示されるに違いない」とか,「俺ならこの先いくらでも稼げる」とか,「もっと正当に評価してくれる場所ぐらいきっとある」とか言う風に大様に構えていられるような気がする. だから目先の額面に一々拘らない.
逆に,額面に拘泥する輩は,自分が達成したその数字を「得がたい」ものだと感じている気がする. 無論その成績は,彼本人が実力にて残したものに違いないのだが,「自分本来の能力をもってすれば,これ以上の成績など容易く達成できる」などと偽り無く思っている人であれば,ある時点において,ある相手から下された特定の査定などに,そこまで神経質であるだろうか.
「あんなにがんばったのに,この程度にしか評価してくれないなんて悲しい」みたいなコメントを漏らす人を見かけるが,おそらく本音なのだろう. それほどに彼は自分に伸びしろ(可能性)を感じていない. だから,今金を貰っとかないと,人生において,取り返しがつかないような気がしている.
野球界では,「大物選手は契約でゴネない」とか「契約更改でゴネた選手は,来季活躍出来ない」などと言われているらしい. それらはジンクスなどと言う非科学的なものでなく,それなりに根拠のある現象なのではないか. 私にはそんな気がするな.
・12/28(月)
失敗のススメ. 先日,不意に思い立ち,あるPCのメモリーを増設しようと試みた. そのPCは,型も古くて,正直あんまり使ってない代物だったのだけど,仕様上の限界までメモリーを積んでみる事にした.
規格などを事前に(割と入念に)調べ,秋葉原の某パーツ・ショップにて増設用のメモリーを買ったのだが,既に売られているメモリーのラインナップ中,一番旧式になっていた. モノ自体は辛うじてまだ売られてはいたものの,ブランド名の入ったものなど一つも無く,仕方なくノーブランドの怪しげなヤツを購入した.
その際,店員の兄ちゃんに「この手のモノには相性があって,お使いのマシンによっては正常に使えない場合がある.しかし初期不良品でもない限り返品は受け付けない」と念を押された. まあそんなに値の張るモノでも無かったし,別に良いやと思って買ったのだが,実際取り付けてみると,見事に認識しない. 色々と試しているウチに,何やら認識だけはしたりしたものの,本来の容量の8分の1のサイズでしか認識されていない. 噂に聞いた相性と言うヤツなのだろうか,とにかくその買い物は,客観的には失敗であった.
仕方ないので別のモノを試してみようと思ったのだが,また相性だの何だので使えないモノかもしれないので,出来るだけ安く買おうと,色々と手段を講じてみた. で,結局オークションにて,物凄い安い値段で手に入れたのだけど,めでたい事にそっちは無事に動いてくれた.
さてここからが本題である. 私はある目的(メモリー増設)を達成する為に,二つの商品を異なる手段にて購入したわけだが,この一連の作業に無駄な部分は含まれているのだろうか. 特に最初に購入した「使えなかったパーツの代金・購入に要した手間」は,全くの無駄であったのだろうか. 結論としては「無駄な事など一切含まれていない」. 何故なのかは今から説明する.
実際に,ある部品を手に入れに行ったからこそ私は,「その手のパーツは良品でも正常に動作しない事がある」事が分かったし,そのパーツの相場や細かい規格が分かった.購入手段を検討する事によって,多少の新たな世間知も得た.買いに出かけた際の秋葉原のジャンク・パーツ屋巡りも楽しかった. そして,それらの経験があったからこそ,私は何かを感じ,考え,今ここでテキストをしたため,その内容をあなたに伝える事が出来る.
要するに最初に買った「使えなかったパーツ」と,次に買った「使えたパーツ」の値段を合わせた額面が,私にとってのそのパーツの値段だったのだ. そこには授業料も含まれている(無論その使えなかったパーツもゴミでは無く,自分の持ち物として手元にあるわけだから,今後如何なる価値を生むか分からない). だから今後,似たような局面に遭遇した際に,私は全く同じ行動を取らない筈だ. 何故ならこの経験により,私は成長を遂げているから. そしてまた,私が今回得たこの「成長」は,またこの私を目指す場所へ一歩近付けてくれる.
私は,お金も無いよりはあった方が嬉しいが,それより何より鮮やかな世界が見たいのである. その為には,自分を成長させる事が一番大切なのだ. 金などいくら損耗したところで,自身の成長を得る為に必要なコストの一部だとしか思えない. エサが何より大事な釣り人に,大物など釣れる筈が無い.
人が外食をしたり,旅行に出たりするのは,全て金と時間の無駄なのだろうか.違うだろう. そこで浪費したものなど,得られた良質な感覚の対価として,皆割り切っている筈だ. でなければ,今回の私のようにパーツを買う事はおろか,交通費払って電車に乗る事やPCを使う事だって,外を歩く服を買う事だって,それを洗濯する事だって,全て無駄だと言う事になる. もっと言えば,生きる事全ては浪費で,生まれてきた事も何かを感じる事も,全ては無意味と言う事になり兼ねない.そんな筈は無い. だって,こんなに世界は美しいのだから.
この文章を読んでくれているあなたよ,失敗なんてものは,実は我々の心の怯みが生み出した錯覚なのだ. あなたが使い切った何かを,あなた自身が何に変えられるか,そこが一番大事なのだ.また,そこで手にした何かこそが,あなたにとって至上の価値となるのだ. だから金や時間の浪費などを悔やむのは止めよう.
・12/27(日)
昨日の続き. ところどころに映ってるお菓子は,影山リサの実家からの差し入れ. 実家のお母さん,ありがとうございます.みんなでおいしくいただきました.
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神田優花,今年最後のスタジオ入り. 新曲の歌入れでした.今年は最後まで歌録ってばかりでした. 年末年始の休暇中は,今年最後に録ったこの曲の編集でもチンタラやってようと思ってます.
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・12/26(土)
今週で今年のリハーサルも終わりです. 写真をUP.続きは明日上げます.
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鈴木サヤカの既発タイトル7作の海外配信,Amazon.comなんかでは始まっているみたいです. 鈴木サヤカの音源,今までは(海外では)iTunesでのみの販売で,事実上ipodユーザーのみを対象としたコンテンツでしかなかったのだけど,これで今後は,もっと幅広いリスナーに訴求していける事になりました. この機会に是非,チェックしてみて下さい.
さっき確認したら,iTunesの鈴木サヤカのページがなくなっているみたいなのだけど,ディストリビューターが変わったので,ページがリニューアルされる途中なのだと思われる. だから近いうちに復活すると思います.値段とかは従来のままなのか,ちょっと分からないけど. と言うのも,実は海外配信の販売価格,我々に決定権がないのだ. 決めているのがサイトの運営者なのか仲介業者なのか分からないけど,何やらタイトル毎に適当に定価が付けられているっぽい(おそらくは,ある程度日本円での価格設定に準じて算定されているのだと思われるが). 上記のAmazonを見る限り,タイトルによっては従来価格より2$くらい上がっているアルバムもあるみたいだ.
・12/25(金)
新興宗教の教祖は建前上,宇宙の真理を説いている筈なのに,何故にあれ程日本銀行券が欲しいのだろう. まあ確かに,金って便利なツールではあるけどな.私も大いにその恩恵に肖っているし. あれが無いと家賃が払えない.
だが当たり前だけど,金そのものに大した利用価値は無い.紙幣はメモ紙にもトイレット・ペーパーにも使えない. だからあれを掻き集めて,後生大事にあの世まで持って行こうと考えるのは,全くもって建設的でない. 価値を吹き込まれただけの,まさに紙切れなのだから. あなたが必要とする何かに変えてこそ真価が生まれる.
音楽家だって,その成功の暁に「富」を得てしまう事はある. が,仮に私が金持ちになったとして,子供の頃から走り続けたこの道の,行き着く先にあるものがそれ(金)だけだったとしたら,どれほどの落胆を覚える事だろうか.「こんなもんの為に今まで走り続けて来たんじゃねぇ」って本気で思うよ. まあ私に限って,そんな結末などあり得ないが.
お金と言うものを「如何に溜め込んで守り通すか」ではなく,「何に使うか」を考える方がちょっとだけマシな毎日が過ごせる. だし,その方が金も手に入ったりする事があるのではなかろうか. まあ私のように,本当に欲しいものが金で買えないような奴も中にはいるから,一概には言えないけど.
・12/24(木)
海外の音楽シーン(と言うかリスナー)は,「レーベル」と言う括りを割と重視するみたいだ. 多くの日本人はさして拘らない.断言して良い.
私にも子供の頃に好きだったアーティストは数多くいたが,その人らがどこの事務所に所属しているか,あるいは音源がどのレコード会社から発売されているか,など全く気にしていなかった.無論今でもそうだ.
パリのショップでブランド品を買い漁る日本人の姿などが引き合いにされ,日本人のブランド信仰は凄まじいなどとよく言われる. しかし実のところ,ここで言われるブランドそのものは海外発であったりするわけだから,必要性に駆られ,そのブランドを生み出したのは日本人ではなく,本当にブランドを必要としているのはフランス人の方に他ならないと言える. 日本人はブランドと言う看板を盲信し,フランス人はブランドの実の部分に信頼を寄せている.
海外(特に欧米)のマーケットにおいて重視されると言うレーベルとは,言い換えれば「ブランド」に他ならぬわけだが,海外リスナーらは,その「レーベル」に布陣されるスタッフ,更にはその審美眼に一応ながら留意していると言える. だから海外の音楽サイトでは,こんなページが作られたりもする.
かほどにレーベルなどと言うブランドの審査を怠らぬ欧米人なのだが,インディーズ音楽のマーケットにおける隆盛は,日本などと比べ物にならない.要するに「実」の部分を評価しているからに他ならないのだろう. ブランドを盲信し,レーベルの実に思いを馳せない日本人リスナーの思考が投影された,日本の音楽シーンでは,インディーズ・マーケットがほぼ死に体である.
一応日本の音楽ダウンロード・サイトの類にもレーベル表記というヤツは存在するのだが,あれは多分海外の商習慣を踏襲しているだけのもので,需要に突き上げられて発生したものではなかろうと思われる.
音楽シーン,とりわけアーティストにとっての市場は,今後世界になる.既にそうなりつつある. 何故そうなるかと言うと,音楽商品の販売形態が,CDなどと言うメディアに依存しない音楽配信に移行しつつあるからだ.物質に頼らない以上,対象がWorld wideになるのは当然である. 言いたい事をまとめると,要するに我々も今後,あんまり下手なものを出せないなと. 一つ一つの音がレーベルの歴史となるわけで,あるいは負の資産と化すかもしれないから.
・12/23(水)
家庭環境について.
家庭環境に恵まれている人は,手放しで幸運だと思う.私は羨ましいよ. 親兄弟の人格や家庭の経済状態と言った環境は,所与のものである.ある人にはあり,無い人には無い. この不公平を嘆いたって始まらない.世の中とは,この程度に理不尽なものなのである.
良い家庭に生まれついた人よ,おめでとう.あなたは人生のスタートラインにおいて,当たり籤を引いた. 家庭環境に恵まれなかった人よ,あなたは同様に外れ籤を引いてしまったらしい. が,言うなればたかがそれだけの事だ. それらは単なるrandomの結果に過ぎないわけで,あなたの責任では無い.
家庭環境は所与の条件だが,その先の人生は違う. 我々の選ぶ,例えば趣味や友人,恋人や仕事,誰を心の師とするか,あるいは手に取る一冊の本だって,つまり,生き方は我々にかかっている. そしてそこで手にするものこそが,我々にとって本当に価値のあるものなのだ(と私は思う).
人が誇るべきは,自らが選んだものであるべきだろう. 我々は自由なんだ.自分の生まれ持った条件を嘆くのは,全くもって建設的でない. 私が下らない人間なのは,私のせいであって,家庭環境のせいではない.環境は私の外にある条件だ. どんな条件下にあったって,優れた人は優れた人だし,下らない奴は下らない奴なのだ. 私が欲しい物は,恵まれた環境なんかより,今より優れた自分です.
・12/22(火)
Infoのページでお知らせしている海外配信の件,何やらまたリリースが遅れているそうだ. 今週中には公開されると言う話なので,気長に待ちたいところなのだが,しかし何と言おうか,アメリカ人(業者)ってこの辺り,実にルーズだ. どうも日本人とは,リリース日とか言う感覚ごと違うみたいである. まあ遅れているって言ったって,海外の音楽ダウンロード・サイトでの事で,そもそもこのページ読んでいるような人たちを含めた,ほとんどの日本人は買えないような販路においての話なわけだけど.
・12/21(月)
ウチはライブをあまりやらない. 理由は一つではないが,要するにライブに積極的でないのだ. 会社としてそういう方針なわけだが,私個人としてもあまり興味がない. 絵を描く姿を売り物にする画家は,芸術家であるより,絵の具の実演販売員であるケースの方が多いだろう.まあ絵と音楽は同じでは無いが.
私がライブに執着しない理由の一つとして,ライブ会場が,いかなる場であったとしても,作品を鑑賞する環境として劣悪である,と言う事がある. 十代の終わり頃,地元のライブハウスであるバンドの演奏(ツアー)を見に行った時の話である. まだそのバンドはそこまでの知名度でなかったのだけど,売れる兆候みたいなものは出だしていた頃で,会場はほぼ満員だった(しかし,本当に売れてるグループならライブハウスでは事足りなかったろう). 会場で演奏される曲目を聞き入っていた私なのだが,ライブ終了後,ある一曲だけがちょっとだけ印象に残った.
その後,そのバンドは見事に売れ,私の記憶の片隅に残っていたその曲が,なんとシングル化される事になった. で,私は正式な音源を聴いてみた. すると私の記憶にあった曲と全然違う.コード進行ごと違っていた.精々サビのアタマ部分の譜割りが大体似たようなものである,と言った程度の共通点しか見出せなかった. 何故なのだろうか. まあ私が会場で聴いた当時とリリースまでの間に,若干のアレンジ変更などがあったのかもしれないが,要するに,私が全然聴き取れていなかったのだろう. それ程にライブハウスの音響は劣悪である.
自分で言うのも何だが,私はごく平均的な人に比べれば,音楽の内容を聴き取れる方の人間である筈である.なのに,コード進行ごと間違って聴き取っていたと言うのはただ事じゃない. 実際,ライブハウスでアマチュア・バンドのライブを見る事はあるが,まず歌詞など全く聴き取れない.リズムとベースラインは辛うじて聴き取れたとしても,ギター・ソロなどほとんど聴き取れず,歌のメロディーなど無論聴き取れない. 声の質感が辛うじて分かる程度だろうか. ギターのチューニングなど少々狂っていても,殆どの人には分からないだろう.
人気アーティストのライブ演奏は,あんなにもお客さんの心に届いているじゃないか,と言う反問はあろう. しかしそれは,そのアーティストの楽曲が既にオーディエンスの間に膾炙し,コンセンサスとなっているからである. 実は,オーディエンスは生演奏を聴き取っているわけではなく,事前に脳内に刷り込まれていた楽曲像と会場の音響をすり合せているだけなのだ. だから,演者がライブで新曲などを披露しても,オーディエンスの反応がイマイチであったりする事は多い筈だ.それが既知の楽曲で無いからである. 語彙が貧困な人に聞き違いが多い理由を理解出来るなら,ここで私の述べている論旨もすんなり理解出来る筈だ.
音だけでなく,ヴィジュアル・イメージについても同様である. 有名アーティストは既に顔かたちが,少なくともライブ会場に足を運ぶような人らには知れ渡っている. 聴衆が,東京ドームの真ん中で歌うゴマ粒大のアーティストに狂喜出来るのは,事前にそのアーティストを知っているからに他ならない. 皆「今あそこで歌っているゴマ粒は,あのアーティストなんだ」と言う補正を脳内で行っている.
私は,作品を人の心に届けようと思えばこそ,音源を重視したい. 別に,ライブが好きな人らが悪いって言っているわけではない.人間の能力にはヴァラエティがある. 芸術作品を生み出す才能があれば,エンターテイナーとしての才能があり,パーティーのホストとしての才能もある. 区別しているだけだ.
・12/20(日)
人間にとって,間違った行為なんてものがあるのか.
例えば,犯罪行為は社会(共同体)にとって迷惑だから規制されているだけで,法律なんてものが,人間が本来越えてはならない一線なのかどうかは,一概に断じにくい. ライオンが草食動物を,殺そうが,食おうが,それが悪だとは言えないように.
人間の行為は,例外なくその人の思考に支えられているので,どんな行為であっても,選択の末に採られている.ある人にとって有用な行為が,別の人にも有用かどうかなんて分からない.
私は,多重債務者を眺めていると,「この人は『どうやったら借金地獄に陥るか』を最短距離で実践しているのではないか」と思えたりする. つまりその人の行動は,私には踏襲し難い.私とその人の思考のプロセスが異なるからだ.
獄中にいる者は,実は間違った行動を選択してしまったからそこにいるのではなく,そこに至る契機となった行動を取らざるを得ない,つまり,その行動こそがその人にとっての正解であるような人間だったから,そこにいるのではないのか. つまり行動自体に罪は無い. 悲しむべきはその人そのものなのだろう.
私は,目の前の相手が私の想定通りに動いてくれない時に「こんな間違った選択をするなんて,なんと愚かな人だ」などと嘆いたりしない. 何故ならその行動は,その人が取るべき正しい行動に他ならないからだ. 嘆くべきはその人が,私の考えていたような人物でなかった事ぐらいだろうか. その判断ミスは私の責任だ.
私は音楽屋なわけだけど,有名になりたいか・金持ちになりたいか,と問われたら,「金も知名度も,一応は欲しい成果の一つに違いない」ぐらいにしか答えられない. 一番欲しいものはそんなところに無さそうだから. だって明らかに,今の私はそこを目指しつつ生きていないもの. 手に入れられるかどうかはさておき,本当に必要なら私はそこに向かって進んでいる筈だ.
私は今の私のような人だし,あなたは今のあなたのような人だ. これから私が辿り着くであろう自分像,それこそが本当の私だ. 私の目指しているのはそこです.
・12/19(土)
今週のスタジオにて.
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最近ちょっと更新が滞り気味だった. さして理由と言う程の理由も無いのだが,最近入れたアンチ・ウィルス・ソフトが,何やらFTPソフトに干渉しやがって,深い階層にファイルをアップロード出来なくなっていた. とりあえずそのアンチ・ウィルス・ソフトは,面倒臭かったので即刻削除させてもらいました. しかしまあ,あの手のセキュリティ・ソフトってヤツは性質上,複雑な挙動が付き物ではあるのだろうが,どっちがウィルスか分かったもんじゃないな.
以下,影山さんからのコメント.
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・12/18(金)
昨年5月にリリースされた,影山リサ「Jewelry Box」の海外配信が始まってます. 確認出来たところでは,Amazon.com・zune・lalaあたりで既に販売開始されているみたいです. その他のサイトでも追々販売開始されると思います.あと,iTunesでは既に各国のサイトで売られてます. なかなか良いアルバムですので,この機会に是非チェックしてみて下さい.
ついでながら,私個人としては,上記海外サイトの中でも「zune」の作りが一番好きですね.
・12/15(火)
神田優花の新曲のオケを作っていたのだけど,その曲のベースで初めてサイドチェイン・コンプってヤツを使ってみた. プラグイン(VST)のルーティングやパラメーターの設定で随分手間取ってしまったけど.
サイドチェインと言う技法そのものを知らなかったわけでは無いが,あるパート(今回の場合はベース)の音量を別のパート(今回はキック)で制御する必要性がイマイチ感じられなくて,今までは使ってなかったのだけど,これはこれで,こういうエフェクターだと思えばアリかなとも思った. でも今後はあまり多用しないだろうな.
・12/14(月)
私は,編集作業を複数の機材を使いつつ行なっているわけだが,機材間のデータのやりとりは,主にCD-RWを使っている. 未だにと思われる向きもあろうかと思うが,私は基本的に,作業の進め方をコロコロ変えるタイプでない. あまり頻繁に変えると,作業効率にも影響してくるので,少々の不便はあっても,止むを得ないと思っている. 我々にとっての音作りとは,商品製造でもあるので,コストを含んだ効率性を無視するわけにも行かないのだ.
しかしそのCD-RW,最近すこぶる調子が悪い. データ記録→データ転送→メディア初期化,この一連の流れが,何のトラブルもなく進む事がここ最近は滅多に無い.何らかのエラーが出やがる. それも原因はドライブであったり,メディアであったり,とにかく特定の箇所で無いらしくて,改善させようにもどこから手を付けて良いものか.
今後も暫くは,騙し騙し現状のスペックで作業を続けるけど,もうPC・レコーダーなどを含めたシステムを,抜本的に刷新すべき時期に来ているのかもしれない. 私があんまり機材に拘らない人だからなのだけど,本当に私の使用機材は笑ってしまうぐらいロースペックなのだ.今時,音楽系の専門学校生でももう少しマシな機材使ってるだろう.
・12/13(日)
昨日の続きです.
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意外と好評なので,動画をまた上げてみる. しかしこういう時に限って直近のリリース・インフォなどが無い.スタジオでの無意味な一コマ.
Movie1 Movie2
・12/12(土)
今週のリハーサルの様子. とりあえず2枚目と3枚目に注目して欲しい.
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今週のリハーサルの最中,不意に「体の柔らかさ」について話題が及んだのだけど,ウチの連中,驚くほどに皆体が柔らかい. 半数以上の人が180度開脚出来たりするらしい.これ普通じゃないですよね?少なくとも私は出来ないよ.
・12/11(金)
ヤクザはその生業上,暴力を一つの有力な交渉カードとしているので,ビビってくれる(威嚇の効果が覿面である)者こそが組しやすい相手と言う事に当然なる. 暴力を恐れれば恐れるほど,人はヤクザの好餌となる.
私だって生き物なのだから,暴力が恐いかと問われれば,当然恐い. が,暴力の危険性・効用も,おそらくは実態程度にしか捉えていないので,きっとその恐怖も,過度な(実体を超えた)怯えではない筈だ. 更に言えば,いくら暴力団員だろうが同じ人間ではあるのだから,思考のプロセスが100%自分と異なっているわけがなく,何らかの理解の架け橋は見つかるに違いないと信じてもいる.
過剰に怯える人は,そもそも相手を「何をしでかすか分からぬ存在」として警戒している. 要は頭ごなしに悪人と決め付けている事になるわけで,だからして警戒された相手は,怯える者を好餌とするにしても,その怯えた人に全く好意を抱かないであろう. 自分を敵視する相手に他ならないのだから.
私の言いたいのは単純な事である. 浮世は,毅然としていた方が得なのだ.
・12/10(木)
神田優花の楽曲の海外配信,いつ始まるのだろうと思っていたら,既に始まっていた. iTunesでリリースされた事に気付かなかった理由は,「Yuhka Kanda」とは別に「Kanda Yuhka」のアーティスト・ページが作られ,そこでリリースされていたからだ.道理で見当たらなかった筈だ. 因みにこの一種の不具合ですが,iTunesでは割とよくある事っぽい(他のアーティストでも同様の現象を確認した). ウチのケースにおいては,近日中に解消されると思われますが.確かKanda Yuhkaの表記に統一される筈.
海外配信は,iTunesの他は,例えばAmazon.comとか,zune・lala,あとHearJapan・JapanFiles.com(この2つは日本製音源に特化した海外音楽ダウンロード・サイト),アジアでは韓国のMnetなんかでは売られているのを一応確認出来たのですが,ざっと調べてみただけなので,扱われている海外サイト全てを把握出来てません. 多分この他にも扱ってくれているサイトはあるのだけど(と言うか,有名どころでは大体扱われてる筈),何せ海外の音楽ダウンロード・サイトって,他国からのアクセス制限とかあったりして面倒なのです. まあとにかくこんな状況なので,ここ読んでる海外(特にアメリカ)の方(ほとんどいないだろうけど),良かったら買って下さい.
・12/9(水)
意地悪な人について. 意地の悪い人は少なくとも無神経ではない.相手の嫌がるであろう事に思いを致さねば嫌がらせなど出来よう筈が無く,彼は親切な人と紙一重の精神状態にあると言って差し支えない.
しかし,それならば何故彼は,いっその事親切な人になれないのか. それは心が充足を感じられないからだ.現状足りない何かを感じ続けるあまり,思考がある方位にしか向かなくなる. 十分に愛されたり,大切にされれば,人は他人を蹴落とさねば自身の存在が危うくなるような不安定な精神状態に陥らなくて済む. 他人を貶めたい人は,環境に愛が足りていない「悲しい人」だと言える.
水が高いところから低いところへ流れるように,人間と言う生き物の行動も,ある一定の法則性を持っている. 意地の悪い人は,その意地悪な行動によって,何とか自身の脆弱性をリカバーしようとしているわけだが,他人より高みに出ない事には,理性を保てない程の不安定要素をその精神に抱えてしまっている,かわいそうな人なのだ. その行為(嫌がらせ)が,一見合理的に見えないのは,彼の規定する自己が矮小に過ぎて,ある人にはその行動が理解に遠いものとなっているからだ.
確かに,他人に意地悪く当たったところで,得られるものなど更に無い筈なのだが,それは溺れる者に対し「水練に達者であれば良い」と言うようなもので,彼にはまだそんなところに思いを至らせる余裕が無い. だから目の前にある藁を,何とか掴もうとしてしまう. そしてその行為は,結局我が身一つさえ救えない.
さて,ここからが本題です. 私がこの稿で言いたいのは,実生活で意地悪な人に遭遇した際,我々はどんなにムカついたとしても,意地悪く報いてはいけないという事. 悪意の応酬は不幸しか生まないからだ.
悪意で相手に報いる事によって,その相手が脅威を感じ,結果行動を慎む事は間々あるだろう. が,それは彼にとって,行動を制限された事でしかない. 愛など微塵も感じていないわけで,つまり彼は,何も得られていない. 人が何も得られない環境を,あなたは自ら率先して生み出すべきでない.
殴り合いになった時,「最後の一発を繰り出すのは自分でなければならない」と言う考えを捨てなさい. 双方がそう思うから殴り合いは永遠に止まない. あなたが望みさえすれば,争いは終わるのだ. その為には,最後の一発を相手に譲りなさい. 「そんな事をしたら,自分は相手以下の存在だと世間に見做される」と思うなら,あなたはまだ十分に自己の確立が遂げられていない. 自分の評価を周囲に委ねてはいけない.
誰かを許す人よ.誰があなたの事を見下そうと,私はあなたの偉大さを知っているぞ. だから心配するな.
・12/8(火)
3日振りの更新です. 別に仕事サボってたわけじゃないよ.
ここ暫く,説明会や何やと言った会合に出る事が多くて,俄かに忙しかった. 無論,それらについて思うことが色々あるわけだけど,ここでテキスト化して上げるわけにも行かず,斯様な更新間隔となってしまったわけです. もう今年もあと僅かですね.私には一年の区切りってあんまり関係無いのだけど.
・12/5(土)
誇りある態度と傲岸・不遜さについて. 一見似たようなものに見える両者だが,表面的な態度は似ていても,その態度を生む心根の部分が違う(現実には,この二者が複雑に絡み合って人間の行動を決しているのだが).
世間で信ぜられている程,人間に個性など無い. 例えば,公務員は離婚率が高いらしい.理由は簡単で,公務員は性別を問わず,身分・収入が安定しているので,配偶者などなくとも生きて行けるからだ. という事は,民間企業で働く人らなどの婚姻関係は,経済的事情に支えられている部分も大きいと言う事になる. 実際そうだろう.
生きるに十分な金があり,その収入源となる身分が磐石であるが故に,離婚などものともしない(その事情が存在しなければ違った行動を取ったであろう)人は,換言するなら不遜な者である. きっと日頃の態度も倨傲そのものであったりする筈だ.
親の庇護下にある「子供」が,ある意味では非常に傍若無人であるように,その人は一見,実に堂々としているように見えるだろうが,収入・身分の安定と言う梯子を外されてしまえば,従来の態度など一瞬にして為し難いものとなる. 態度の源泉が,自分の精神以外の部分に依存しているからだ.
誇りある態度と言うのは,自愛の精神と不離なもので,それは自分に自信を持つ事によって生まれる. 自身に対して愛を発動出来る程度の論理力・認識力が不可欠で,それらが精神に備わっている人は,当然ながら他人にも理解が至る. 自己を愛し,他人を尊重する精神の機微こそが,誇りある態度である. 傲岸・不遜さとの違いは,その態度の淵源が,自分の精神にあり,身分などに左右されない事だ.
・12/4(金)
今週も慌ただしい一週間だった.今日も朝から,息つく暇なく今に至っている. 下は今週のスタジオにて.
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実は今週は,我々スタッフの多忙のため,リハーサルはお休みの予定だったのだけど,直近の課題がある人とかだけ補習みたいな感じでスタジオ入りしてました.
・12/3(木)
先月始まる予定だった,神田優花「レイチェル」の海外配信なのだが,諸事情あってリリースが遅れているらしい. 当事者でありながら「らしい」などと言っているのは,ウチも事情がよく飲み込めていないからだ. どうやら書式に不備があったせいでリリースに支障が出たらしいのだけど,その不備とやらも先月末には解消されたので,もうじき発売されると思います. まあ海外の話なので,ここでの申し開きなど大した意味を成さないのだけど,一応お知らせしておきます.
・12/2(水)
リハーサルの頻度について. 先日,ある人と話していた際に「もっと頻繁にスタジオ・リハーサルを行なわないのか」と問われた. 確かに毎日5〜6時間とか,学校の授業のようなボリュームでリハを行なえるならそれが理想なのだろうけど,現状そのようになっていない.
しかしこれは仕方の無い面もある. ウチの主業務である音楽制作に割ける時間を,ほとんどリハーサルに回してしまったら,もうそれは養成所みたいなものに他ならなくなる. 別に養成所が悪いと言っているわけじゃないけど,養成所の運営なんてやろうと思ったら,業態を完全にそっち方向にシフトせざるを得ない.だし,やっぱり養成所なんて我々は作りたくない.
我々の目的と事務所としてのポテンシャルを勘案した結果,現状の体制は已む無きものかと思える. 会社としてのスタイルを変えずにリハに割ける時間を増やそうと思うなら,現実的には,自社ブランドの音源がもう少し出てくれるのが一番手っ取り早い. しかしこういうのは我々の意思だけで調整できるものではないからな.
・12/1(火)
ここで初等算術のような明快な話をする. 私は数学得意でなかったが.
明日と言う日は,実は(実体としては)存在しない. 人間が生きているのは常に今日であり,明日と思っているものは,迎えた途端に今日となるのであるから,明日と言う日を実際に体感する事は出来ない. カレンダーの日付や,一日と言う区切りだとか,更には時間の流れだとか言うものも,人間が考え出した概念に過ぎないのであって,早い話が我々の頭の中にしか存在しないものである. 明日とは,常に過ごすものでなく,眺める(想像する)だけのものであると言える.
明日に焦点を当てて述べているが,○年後・将来・老後・未来,あるいは「一秒先の世界」だって,この理屈で言えば全て同じである. 我々は今しか生きられない.
だからして,未来に絶望して首を吊る人は,実は自分の想像力に殺されているのである. その人の捉えた未来に対する解釈が,自らに死を選ばせている. これが如何にバカらしい事か分かってもらえるだろうか. 彼は注がれたコップ半分の水を見て「もうあと僅か半分しか残っていない」と自分に悲観・絶望的解釈でもって説明してしまったのである. 同じものを目にしても「まだあと半分も残っている」と捉える人もいると言うに. いずれにせよ,抱えている状況は何ら変わらない.
定額給付金など何の意味も無い. 希望の火が消えかかった社会の住人に,一万円札を渡すと言うのは,飢える者に一枚のパンを与えるに等しい. 数時間後には同じ空腹が襲ってくるだけだ. どうせなら,世界の正しい見方でも教えてあげてはどうか.
我々の頭の中で,日々作られ続ける「明日」と言う概念は,何によって製造されているのか. それは無数の昨日たちである.全ての昨日たちが我々の明日を象る. 「今までも碌な人生じゃなかったから,明日も碌な日じゃなかろう」などと思わずにいられない人がいれば,その正反対の人もいる.
碌でもない昨日たちしか持たない人は,どうしても碌な明日が描けない. そういう人が,心に希望的な未来を描くにはどうすれば良いか. それは,今からでも良質な昨日を作って行くしかない. 今自分の中にある昨日たちを,解釈でもって価値あるものに変え,更には,今日という日を勇気に変え,一つづつ意味のある昨日として自分の中に積み重ねて行く. これぐらいしか私には思いつけない.
成果でもって賞でられた記憶こそが,良質な昨日となり,勇気に変わる,と思い込んでいる人がいる. 確かにそういう面はあろうかと. だが,成果と言うのは相対値なので,当然だが,誰にでも得られる代物ではない. しかし,世に言う成果なんて,基準ごと誰かが勝手にこさえたものである. そんなものに何故我々が振り回されねばならないのか.アホらしい. あなたは,優れたあなたになれば良いのであって,自分の心が選んだ道を進めば良いだけだ. 自身の評価を他人に委ねてはいけない.あなたの採点はあなたがすべきだ.
私には,この世界において,叶わない夢など存在しない.手に入らない成果ならいくらでもあるだろうが. 成果は自分の外にある条件に左右されるが,夢とは何かを追いかけたいと言う気分の事なので,脳裏に描けた瞬間に叶う. 勇気さえあれば良い.
私は,欺瞞に欺瞞を重ね,物事を無理矢理にでも希望的に解釈しようとしているのではない. よくよく考えてみたら,この世界もまんざらではない,と言う事に気が付いただけだ.
・11/30(月)
何年か前に日本のプロ野球界から,「近鉄バッファローズ」と言う球団が消滅した.その理由は,親会社の経営上の事情だそうな. これで,全国に存在したであろう「近鉄バッファローズのエース・ピッチャーになる」あるいは,「4番打者になる」事が夢であった少年らは,希望が完全に絶たれた事になり,その夢は未来永劫叶わなくなった事になる.だって球団が存在しないのだから(まあ,再設立される可能性も絶無でないが).
自分の夢として,資格取得などと言う目標を掲げる人らに,上の話の滑稽さが伝わるだろうか. 資格や賞・肩書などは,全て誰かが作ったものだぜ. だからこのように,雲散霧消する事も当然あり得る. オリンピックの金メダルとかだって同じだ.オリンピックと近鉄球団の違いなど,運営母体の安定性とか,文化財としての相対的価値とか,その程度のものでしかない.本質における違いなど無い.
鎌倉時代の日本の人口は,一説に500万人程度だったと言われている(近代的な戸籍など無いから正確なところなど知る由も無いが). 人口500万人の世界で,どんな名曲を作ったところで,CDを800万枚売る事は無理だろう. 音楽商品の売上げなどは,その社会の人口・使用言語・再生機の普及率などに因る部分が実に大きい. アメリカのアーティストのヒット作が,1000万部などと言うセールスを叩き出してしまうのも,彼らの使用言語が英語と言う国際語である面は大きかろう.
ペーパーテストで如何なる高得点をマークしたとしても,自分より一点でも高得点を挙げた者がたった一人でもいれば,成績においてトップに君臨する事は出来ない. 逆にどんなに酷い点数を取っても,他の人全員が自分以下の得点しか挙げられなかったら,成績はトップになる. つまり,成果と言うのは,生まれた時代や場所,景気・文化度,チャートの集計方法,あるいは他人の動向など,諸々の自分以外の要素に左右される. 従って,場合によっては得られない.我々の才能・努力などと関係無しに. もっと言えば,夢など描かずとも,成果だけなら不意に得てしまう事だってあり得るだろう. このような「成果」に,そんなに魅力がありますかね.私にはよく分からない.
・11/29(日)
スタジオにて. 昨日の続き.
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神田優花,またまた新曲作りに入ってます. 最近怒涛のように音を作りまくってます.
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・11/28(土)
今週のスタジオにて. 一枚目の写真は神田優花の実家から送られてきた「みかん」です.ご実家のお母さん,いつもありがとうございます.みんなで美味しくいただいてます.
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・11/27(金)
面白さのフィルターについて.
子供って実によく笑う. 無論個人差はあろうが,目の前に起こった出来事を,面白く変換するフィルターを持っているらしい. 「持っている」と殊更に言うが,子供に備わっているという事は,要するに,そもそもは誰にでも備わっていると言う事だ. 大人は,何らかの事情によって,本来は面白い筈の物事を,面白く捉え難くなるみたいだ. 時の流れはフィルターを曇らせてしまいやすいらしい.
思ったんだけど,人間って生き物は,元々皆明るいのではないか. 性善・性悪説ならぬ,性陽説とでも言おうか. 私はそんな気がしてきた.
思うに,この社会で通念とされている常識・教養と言ったものが,間違っているとまで言わないが,少し偏り過ぎているのではないだろうか. 何だか世間に,不安気な大人や,自信の無さそうな大人が溢れ過ぎている気がする.
世の中ってそもそも,もっと面白いものである筈だ. 面白く思えないのは世の中のせいではなく,見方が悪いせいだ.
・11/26(木)
言い忘れてた. 昨日(11/25)より,神田優花のシングル「Letters」が販売開始されています(詳細はInfo参照). 今回も,タイトル曲「Letters」は既に先行のアルバム「レイチェル」に収録されてますが,カップリングのトラックはこの度のリリースにて初公開となります. 神田優花の新作,3週連続でのリリースでしたが,如何だったでしょうか. 神田優花は既にアルバム発表後,何曲も新曲録ってますが,次の新曲リリースは来年以降になるかと思います. 今後ともよろしく.
・11/25(水)
自分で言うのも何だけど,私は日々がんばっている.本当に四六時中働いているようで,人生の中でこれほどに慌ただしかった時期など,そうそう記憶に無い. 断っておくが,働くと言うのは何も,肉体を酷使する事だけを意味しない. 私は創作を生業としているので,考える時間が絶対に必要なのだ. だから,こういう文章を作る時間なども実に大切で,いわば仕事の一部であり,ライフワークでも勿論ある. まあとにかく,私はいつもウチで音楽活動をしている人たち一人一人の事に思いを馳せているし,その人らの今後の展開と言うのが,頭の中の懸案事項となっている.
何故私がこんなにもがんばれるのかを,あらためて考えてみた. きっと私が幸福だからだ. 私は子供の頃から音楽が好きだったし,今でも,ある意味では子供の頃以上に好きである. 私は,何よりも好きな音楽を作りながら,その毎日を,自分と似たような世界が見えている,敬愛すべき人たちと一緒に過ごしている. これほどの幸福に支えられている以上,私はがんばらざるを得ないのだろう. 信じられた人が誠実であらざるを得ないように. 世間一般のいわゆるサラリーマンなどでも,愛する家族に囲まれた身と,天涯孤独の身とでは,同じような仕事を宛がわれても達成できる内容に違いが出る筈だ.
翻って,正反対の境涯について考えてみる. 不幸に過ぎる人は,当然ながら,がんばれないであろう. どんなに誠実であろうとか,がんばろうとか,歯を食いしばって思ってみても,自らを取り巻く境遇が呪縛かのように足枷となって,結局気持ちが折れてしまったりするのではないか. そういう人周りにいません? 家庭環境が劣悪な子ほど,非行に走りやすいとか言うのって,つまりはそういう事なのではないか. 因みに,がんばれる力ってのは,強迫観念に支えられた忍耐力では無いよ.
逆境をはねのけて大成した人,と言うのは確かにいる. しかし,そういう人は例えば,自分に潜在的能力があるのは知りつつも,家庭の経済状態によって不当な処遇下にあるだとか,そういう風に自身の置かれた境遇を総括しているのであって,きっと,必ずしも自分を全き不幸な人だとは思っていない.
素直にがんばれない人は,要するに不幸と言う理不尽さ(本当の原因がどこにあるかはさておき)に納得出来ないのだろう. その人は,自らを奮い立たせられず,この世界を呪い,当然周囲をも不幸の淵に引きずり込もうとする. 不幸の連鎖って,結局こういうところから起こる.
・11/24(火)
少し前に作っていた曲で,オケまでほぼ完全に仕上げていたヤツがあるのだけど,ここ数日間,それの歌詞を考えていた. それは良いのだけど,あれこれ思いを巡らせているうちに,アレンジを一部変えたくなってきた. しかし前述の通り,ほぼ完全にオケが上がっていたもので,バッキングいじるとなると,ほとんど(8割方)録り直しって事になる.しんどい.
今更言っても詮無いが,口惜しいのはそのアレンジの変更点,サビのリピート部にちょっとしたブレイクを入れる体のものなのだけど,それが分量にして一小節に満たないのだ(二拍ぐらい). もう目を瞑ってそのまま行こうかと,何度も思ったぐらいだ.
しかしこう言うのを妥協すると,絶対に後悔する事が身に沁みて分かっているので,結局今回も録り直す事にしている. 聴く人にとっては,その二拍なんて実にどうでも良かろうが,私は私の為に音楽を作っているので,これは仕方ないのです.
ついでに. 面倒臭いんでたまにしか上げないと宣言した動画なのだが,先週スタジオで試し録りしたものがいくらかあるので,せっかくだから上げてみる.
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・11/23(月)
小学四年生の頃のとある日,私は犬を飼う事になった. 子供だった私は,それまでにも様々なオモチャを手にした.プラモデルだの超合金ロボットだの.それらを並べて眺めるのが楽しかったし,色を塗ったり,オプションを装備させたり.小遣いをはたいても惜しくなかった.
しかし,私が手にした「犬」は,それまでのオモチャとは違っていた. 何が違うかと言うと,彼女(雌犬だった)には心が植わっていたのである. プラモデルに色を塗るように,洋服などで着飾らせようとしても,露骨に嫌がったり,食べ物に好き嫌いがあったり,散歩に行くのを喜んだり,水遊びを怖がったり. しかも彼女は言葉を喋らない.子供だった私は,常に彼女の思考・要求を,彼女の身になったつもりで想像し続けた.
世のとある親は,我が子を大切にし,きらびやかな服で着飾らせ,有名な学校に行かせる為に投資を惜しまず,世間での通りの良い就職先や縁談相手をあてがおうと努める. もしその子が,自分の想定したレールを逸脱したりでもしようものなら「私はこんなにあなたを大切に思っているのに,何故あなたは私の言う通りにしないのか」などと烈火の如く怒り狂う.
確かにその親は,子供を大切にしている.少年期の私が,プラモデルを大事にしたように. プラモデルと子供との違いは,そこに心が備わっているか否か,である. 上の親が子に望んでいるのは,単に自らの想定通り整然と存在してくれる事である. 子供が自由である事など求めていないのだから,それは愛ではない.
子供だって一人の人間なのだから,その子固有の感じ方や物の見え方がある. だから結果として,親の想定外の人間に育ってしまう事は当然あり得るのだけど,たとえ到底理解の及ばぬ人になり果ててしまったとしても,親御さんらは,その子の自由を愛してあげて欲しい.
愛されぬ子供たちは,がんばって君らの方から親を愛してあげて下さい. 「お母さんは私に,こういう大人になって欲しいのか」とか,「パパはこういう考え方をする人なのだな」とか,その程度で良いので,親に見えている世界を想像してあげて下さい. 勿論君は君なので,過不足無く親を満足させる人物になる必要など無い. 「私は私だけど,この人はこう感じているのだな」.これだけで十分です. あなたがそういう人でありさえすれば,親たちもきっといつか何かに気付いてくれる筈.
愛は物質じゃないから面倒ですね.指し示してあげる事が出来ないもの. 「あなたが今感じている,この気持ちこそが愛なのです」と言って説明するしかない. だから,大変だけど,まずはあなたから愛さなければならない. 汝の隣人を愛せよ.
子供の頃の私が出会ったその犬は,私より先にこの世から消えてしまったわけだけど,今でも私は彼女の残した何かを感じながら生きていて,例えば珍しいものを食べた時など「アイツはコレ,好きだったろうな」とか思ってしまったりする. 結局,今の私が欲しいものも,誰かに届けたいものも,みんなここで言う「何か」なのです.
・11/22(日)
「夢見る人」について,あらためて考えていた. 私が,夢について思いを馳せる機会を多く持ってしまうのは,私自身が夢見る人だからではない(夢見る人ではあるけど). 私の目の前には「夢見る人」を自称する若者がしばしば現れのるのだが,その人らの標榜する「夢」が,私の定義する夢と大きく異なっている事が多いからだ. その齟齬は,私に物を考させるきっかけとなっている.
例えば運動神経・体力に自信がある子供は,スポーツ選手になってやろうとて,部活動に励んだり,何らかの教室などに通ったりするのだが,そうやってその世界の片鱗を垣間見る事によって,逆に自分の限界を思い知らされる事がある. この「限界」は,ある程度の挑戦を試みた者にしか見えて来なかったりもする. 国立大学には受からないような気がするのに,芸能人にだったらなれるような気がしてしまう人は,要するに芸能の世界について,真剣に思いを馳せた経験が無いのかもしれない.
少年野球チームの,エースで四番バッターだった野球少年が,中学校の野球部に入り,野球の名門高校に特待生として招かれ,甲子園に出場したとする. その彼が「次はプロの世界で大暴れしてやりたい」と思うのは,即ち夢である. 彼にはやりたい事があるのだから. 夢とは勇気,もっと言えば自分に対する自信に裏打ちされる. 彼の公言する夢が「プロ野球選手になる事」であったとしても,彼の欲しいものは別に「プロ野球選手」の称号ではなかろう.
世に存在する「夢見る人」を自称する者の中に,上の野球少年と正反対の人間がいる. 自分に自信が持てず,勇気が消え入りそうな程にか細いが故に,その恐怖を覆い隠す為の「何らかの称号」が欲しくなってしまう人である. その人は本当の意味での「夢見る人」とは違って,自分に自信を持てないのだから,当然自分に可能性を感じていない. 自分自身に可能性を感じないのだから,自分が何者かになれる(成長出来る)と思えない.スケール・アップした自分像を想像出来ない. だから称号などと言った装飾品を持ってして,何者かになりすます方法を,無意識のうちにでも模索してしまう. 自分以外の何かでもって,自身の評価に下駄を履かせようとしてしまう.
上の「何者か」と言うのは,時に商業音楽家などであったりもするみたいだ. 有名大学には受かる気がしないが,歌手にだったらなれるかもしれない,と思っている. 有名大学に受からない気がしてしまうのは,過去に散々学校などの現場で他者と比較され,限界を思い知らせれているからだ. 要するに,商業音楽の世界などは舐められているのだけど,まあ仕方なかろうとも思う.
自分に自信が持てず,称号のみを欲して,オーディションなどにエントリーしてしまう人がいる. 一番自分と長く付き合ってきた自分自身が信用していない程度の人間なのだから,当然一般的な評価基準においても,能力が低いケースが多く,オーディションなどの選考には引っ掛からない事が多い. 仮に引っ掛かってしまったとしても,自分が自分を信用していないのだから,その評価も素直に受け入れられ難い. 「私のどこが良かったのだろう?」とか「この私を合格させるなんて,この相手は詐欺師なのではないか?」などと訝しまずにはいられない. そういう人が,何かの間違いで音楽や芸能の世界に足を踏み入れてしまっても,結局は自分に対する心許なさが原因で,その世界からもドロップアウトせざるを得ないだろう.
まあ確かに,全くもって魅力を感じない人間を合格させるような芸能事務所は存在する(私は別にそれが悪いとも思わないが). だから上の論理(「この事務所は悪徳業者なのではないか」と言う)も,100%否定されはしなかったりする. きっと多くの「自分を信じられない者」は,こういう脆弱な論理で自分を納得させていたりすると思われる. まさにこれこそが自己欺瞞であり,自分の限界を自分自身で設定してしまっているのに他ならないのだが,その人は本当に,その程度の人として人生を終えてしまうに相応しい人なのかもしれない.
断っておくけど,私はこのような「自分に自信が持てない人」の事を嫌ったり,軽蔑したりしているのではない. むしろ何とか助けてやれないものかと,日々思案に暮れている. みんな挫けるなよ.
自信が持てない人は,通りの良さげな称号などを安易に求めるより,我が心が何を求めているのかを真剣に問い詰めてみてはどうだろう. 自分がより楽しめる時間を模索するだけで良いのである. 私は,音楽が好きで,これからも作品を生み続けるだろうが,例えばこの先,名声や経済的見返り(要は金)と言った成果を得られる事に確信でもあるのかと問われると,正直に言って「無い」ぞ.本当に良く分からないからだ. ただ,この作業をこの先も楽しいと感じられる自信であれば,大いにある. 今までもずっと音楽を作る事が楽しかったのだから,これから先もこの作業を楽しめる筈だと,私は信じています.
・11/21(土)
神田優花からのコメントをUP.
Movie1
しかしこの動画と言うヤツは,写真に比べたら格段に処理が面倒なので,たまにしか上げないと思います.
・11/20(金)
今週のリハーサル風景.
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この間ちょっと触れた動画の件,こんな感じのちょっとしたモノを上げようと思ってます.とりあえず試しにUP(映ってるのは影山リサ).
Movie1
・11/19(木)
忙しいのに体調が悪い.ここ2〜3日頭痛がする. 昨日は仕事で一日外に出ていたのだけど,思考が鈍ってて,まともにモノを考えられなかった.
今は来年のリリース計画を練ってます. 来年は,今年よりたくさんの音源を出したい.やりたい事・作りたい曲がたくさんあるのに時間が無くて参ってます. しかし,ウチの財産は人だとあらためて思った. 販路やプロモーションなどと言うのは,コンテンツさえ面白ければ,いずれ開けてくるものなのだろうと思う. コンテンツってのは要するに人なのです.
・11/18(水)
お知らせ. 先週に引き続き,本日11/18(水),神田優花のシングル「JILL」発売です(詳細はInfo参照). 今回のタイトル曲「JILL」も,既に先行のアルバム「レイチェル」に収録されてますが,カップリング曲(brand-new world / blue)は,新曲となります. 色々なサイトで売られているみたいなので,是非チェックしてみて下さい.
・11/17(火)
例えば地方出身(在住)者が,東京(ニューヨークでも何処でも良いが)で一旗上げようなどと思い立った時,彼は無意識のうちにでも,今現在の自分の持ち物と将来の展望とを天秤にかけてしまう.
心に広がっている夢の分量が,その人の次の一歩を決定付ける. だからして,心に夢が膨らむ人にとって上京などが容易いのと同時に,今ある人間関係・立場と言った持ち物が大き過ぎると,それが足枷になってしまう事はあり得る. 人間の「選択」とは,この二者を,その人なりに秤にかけた結果,行なわれるものであると言って良い.
大した持ち物でもないのに,後生大事にそれに執着するあまり,踏み出す事を躊躇う人がいる.だがそれは仕方ない. その人の心に広がる展望が,その大した事ない持ち物以下なのだから. 逆に,これらと同じ意味で,あまりに持ち物の少ない(あるいは無い)人であれば,漂うクラゲのように,きっと土地などに縛られたりもしない.
本当は,失うものなど何一つ無いのに,人はそんなものがあるような気がしている. 自分がその場を離れたぐらいで消えてしまうものなんて,それは最初から持ち物ですら無いのだけど. 本当に欲しい物であれば,人は必ずやそれを手に入れに行くだろう. 模索する事を断念してしまうのは,実は欲しく無いからだ.
・11/16(月)
子供はよく「知らない人について行ってはいけない」などと,親や学校の先生から諭される. そう教えねば本当について行ってしまうからだ. 子供は,見知らぬ人に「悪い予感」を嗅ぎ取る論理力が育っていないから,親や教師は,それを常識程度には植えつけねばならない.
上の「刷り込み」の度が過ぎると,その子は世界を疑惑の目でしか捉えられなくなりかねないのだが,かと言って何の教育も行なわれなければ,本当に怪しげな人物について行ってしまうかもしれず,それは身を危険に晒す事をも意味する. やはりある程度,世に存在する悪意や,他者に対する猜疑を教え込む事も,生きて行く上では必要である.
では,この世の中をネガティヴに捉える事こそが大人になる事なのか,と言うと,そうではない. 上の懸念が常に脳裏を掠める程度の論理性を持ち,尚且つ人を信じる勇気を持つ人になる事は可能な筈だ.
世の親御さんらや先生達は,教育において,様々なprobability(蓋然性)を刷り込むのは結構なのだが,それだけでなく,その子の中に勇気・信心と言うものも同時に培ってあげて欲しい. 勇なき教養は,きっと単なる猜疑心となって,その子に映る世界を暗いものに変えてしまう. 明日がそれなりに美しいものである事も,どうせなら一緒に教えてやって下さい.
・11/15(日)
「Letters」(11/25発売)収録の「RACHEL -acoustic-」について.
・11/14(土)
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今週のスタジオにて.昨日の続きです. 因みに,上に何枚か写真(Photo1・5・6・7)が混じっている新人さんは,真央ちゃんって言う高校一年生の子で,活動する時の表記(アーティスト名)なんかがまだ決まってません. きっとこれから先,色々と動きがあるかと思いますのでよろしく.
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神田優花,今週は上がったばかりの新曲のマスターをチェックしたりなんぞしてました. まだまだ本人としては不満の残る点もあるみたいで,まあこの作業は大変ですね.拘り出すと切りが無い.
・11/13(金)
今週のリハーサル風景をUP. 残りは明日以降に上げます.
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・11/12(木)
先月歌入れした神田優花の新曲,やっと今日編集が終わった. 別に納期とかがあるような音じゃないので,適度にチンタラやらせてもらいました. しかし,音ってのは聴けば聴くほど弄りたくなるので,ある程度編集は時間的な余裕が欲しいところだけど,適当なところで終わらせないと本当に切りがなくなってしまう. まあ勿論,その時点で納得が行ってないものなんて,完成品とは呼べないわけですが.
・11/11(水)
本日,神田優花の「Tumble-weed」発売です(詳細はInfo参照). タイトル曲「Tumble-weed」は既に先行発売のアルバムにも収録されてますが,カップリングの3曲は,この度初のリリースとなります. 神田優花と言えば,アルバム「レイチェル」のダウンロード版も,本日より海外配信が始まります(時差があるみたいで,現時点では確認出来ませんが).こっちはあんまりこのページの読者には関係無い話だけど,まあ一応報告.
・11/10(火)
世間では,ミスが少ない人ほど有能で,逆にミスが多ければ無能だと単純に思われていたりするが,果たしてそうであろうか.
確かに人は,その固有の能力によって,ミスをせずにはいられなかったり,あるいはミスを犯さずに済んだりする. が,世の中はそんなに単純ではない. ミスをしない人の中には,ミスを許容してもらえる程度のヒューマン・スキルを身に付けられないが故に「ミスが出来ない人」もいる. 周囲の寛容さを引き出せる,と言うのも実は立派な能力なのである.
自分のミスすら許容してもらえないと怯える者よ,そんなに心配するな. 今のこの瞬間にも,私はこの程度にでも,あなたのような人に思いを馳せているではないか. あなたが誠実でさえあれば,失敗ぐらいしたって,きっと周りの人も許してくれる.
・11/9(月)
先日,商店街を歩いていると,ある食堂の店先に,犬が繋がれていた. おそらくは主人が,店内で食事中なのだろうと思われた.
通行中の私は,不意に彼(犬,性別までは分からないが)と目が合ってしまい,歩みを止め,側でしゃがんだ. すると,彼は嬉しそうに,私の方に歩み寄ってきた. それが何だか可愛くて,私はしばし彼の体を撫でた.
あの犬は,主人に大切にされているのに違いない.きっと愛されているのだろう. だから,歩み寄ってきた未知の人間,と言うサプライズを,「この人は何か良いモノを与えてくれるのではないか」と言った風に,希望的に捉えてしまう.
だからこそ,彼は一層他人に愛される. 自分の事を好意的に捉える相手を嫌う者は稀だろう. 彼の心に存在する,他人に対する期待・好意的解釈は,愛の萌芽とも言える.
もし彼が愛を知らずに育っていたら,世界に絶望し,目の前に現れる全ての存在は,自分に如何なる危害を及ぼすか分からぬ,いわば加害者予備軍となる.他者は常に警戒の対象となり,ややもすると先制攻撃の対象にすらなりかねない.
自分以外の存在を,そのように悪意で捉えている者は,その悪意が高じれば,むしろ加害者にすらなりなねないのだから,当然世間から祝福されぬ存在であるに相違なく,その事が彼の負の世界観をますます増強し,いつか確信と変えてしまう.
社会は,このような愛されぬ人を量産すべきでないのだが,一旦そういう人格が確立してしまった事について,今更誰かを責めるわけにも行かない. その愛を知らぬ人に,何かに気付いてもらうしかない. だって愛は,誰でも無条件に得られるものではないから.
・11/8(日)
日本の戦国時代,当時の老練な武将・武者達は,精悍な若者を見ただけで顔を綻ばせた,と言う話を聞いた事がある. きっと自分の若い頃を思い出すようで,気分が良かったのだろう.
人は,自分に自信があればこそ,優れた後進を手放しで歓迎出来る. 自分に自信が持てなければ,当然そうならない. 自信喪失の度合いによっては,優れた者を歓迎するどころか,全ての人間を認められなくなる.
私は優れた作品を残したいし,同時に今の仕事を通して,優れた表現者(アーティスト)を育てたいとも思う. そして,私の考える優れたアーティストとは,「自分以外の優れた表現者の出現を歓迎出来る者」でもある.
「Letters」収録の「Cage」について.
・11/7(土)
神田優花,今週のリハーサルにて.
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最近ちょっと嬉しかった事. 神田優花がニュー・アルバム「レイチェル」をリリースした事に付随して,ここ最近多少のプロモーションと言うか,宣伝活動を行なっていたわけだけど,その影響かどうか,2004年発表のファースト・アルバム「マインドスケープ」にいくらかバック・オーダーが入っているらしい(勿論そんなに大した数では無いのだろうけど). 既に結構な旧譜なので(リリースは5年前),店によっては取り寄せすら難しくなっているらしいが.
今頃「マインドスケープ」を買っているぐらいなのだから,その人はきっと「レイチェル」を聴いてくれているのだと思われる. 2004年当時,リアルタイムで神田優花を知らなかった人にとっては,前作も新譜も大して変わらないだろうけど,アーティスト本人(神田優花)も我々制作陣も,5年も経てばそれなりに成長するもので,前作の未熟な部分は,ご愛嬌って事で御海容いただきたい.
私がこの事を通してつくづく思うのは,音源と言うのは,出したその時に終わるのでなく,未来に向けて発信するものであり,我々にとっても,その作品を愛してくれる人にとっても,不滅の財産だという事. 一生懸命モノを作っていれば,きっといつか気付いてくれる人が現れるのだ. がんばろう.
・11/6(金)
今週のスタジオにて. 今回は新しい顔もあったりします.
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影山リサ. 年内に1タイトル出すつもりだったのだけど,無理になったっぽい. 色々とカリキュラムの変更があって,曲自体はかなり出来上がっているんですが,リリースは年を跨ぎそうだそうな. まあ年内に出すことより,我々が納得行く作品に仕上げることの方が大事なので,これは仕方ない. 以下,今週のスタジオにて.
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・11/5(木)
北斎の絵に表現されている「風」や「波のうねり」を見ていると,遥か時を隔てた存在である彼の,心のバイブレーションが伝わってくるような気さえする. 晩年の彼が描いたあのグロテスクな作品群の意味も.今の私には分かるような気がする.
ピカソがあの抽象画を描きたくなった気分も,今の私には何となく分かる. 創造とは,築き上げる事であるのと同時に,破壊する事でもあるのだ.
私が個人的に「つまらない」と感じるクリエイターは,そもそも作ることも下手なのだろうが,それより何より「壊す能力が無い」と感じる.
とりあえず作る事であれば,先行の様式を模倣しさえすれば,一応出来なくはない.例え,そこで上がった作品が不格好であったとしても. しかしながら,破壊は成し難い. ここで私が論じている「破壊」とは,言うまでも無く単なる未熟さでは無く,また,常にorthodoxyの逆を選んだだけのような,ハッタリとしての前衛でも当然無い. 壊せる人間なんて,そうザラにいるものではない.
多くの人には,創造と踏襲の区別が付かないから,「作れる」を公認されるのは割と容易い. が,壊すには,固有の感性の確立が不可欠となる. 上に挙げた二人(北斎・ピカソ)は,人類史上稀有な「本物の芸術家」である. 彼らは作れるのは無論の事,壊せる人だ.
・11/4(水)
人類の歴史がまだ,狩猟・採集生活の段階であった頃,おそらくは単に身体能力の高い男に異性からの人気が集中したろう. 理由は簡単で,生存条件に適っているからだ. 強いオスの方がより多くのエサを運んで来てくれる. この身体能力尊重は,潜在的には現代女性の感覚にも残ってはいると思われる.
事実ライオンは,強いオスが多くのメスを従えた群れ(ハーレム)を形成する. 我々の社会だって,近代的な一夫一婦制が導入される前には,側室制度が存在した. 特定の遺伝子を残そうと思えば,効率性においてあながちバカに出来ないシステムで,これを撤廃してしまっている人間社会は(まあ現代においても,未だに撤廃していない社会が濃厚に存在しているが),多くの不安要素を抱えていると言えなくも無い. ライオンと言う種が,強靭な肉体を維持し続けているのに,上のシステムの影響は実に大きかろう.
コドモ社会において,運動が得意であるとか,単に体力に自信があるような男の子がモテてしまうのは,要するに先祖がえりである. 文化度の未熟さを物語っていると言えるかもしれない. 実際現代においても,田舎に行けば行くほど,粗暴な少年が持て囃されると言う. それにしても昨今,人類社会における生存条件として,この「身体能力」の占める割合って実に低くなってしまった.
残る遺伝子の優劣云々だとかを論ずる前に,現在人類は,その数において,臨界点を超えるが如き飽和状態であると言う. 大抵の生物において,求愛行動は,オスがメスに対して行なうものみたいだが,要するに,オスの求愛をメスが受け入れるか,あるいは拒否するかに因ってcouplingの成否は決定されるわけだ.成功率はメス側が握っていると言って良い. 人口などを調整するのも女性の役割と言えるかもしれない.
昨今の晩婚化とか,婚姻率低下の原因って,要はメスがオスを必要としていない事なのではないか. 男にとっては,やや受難の時代と言えそうだ.
・11/3(火)
媚態について.
過剰な媚態を演じる女性は,あわよくば強者の庇護の下に置かれようとそれを演ずるわけだから,仮に少女のような猫撫で声で喋っていようと,彼女の精神は全き本物の少女のものではない. また,過度の媚態が,人間関係の上下を前提に生まれている振る舞いである以上,彼女はこの世界を,間違いなく力関係の水位で捉えている.
だからして,一旦自分より下だと見做した相手には,手の平を返すように尊大に振る舞う事もありえる筈だ. 私は過剰な媚態を演ずる人を目にした際,ある気分が擡げてくる. 誤解を怖れずに言うが,その態度が,私の中のある論理に抵触するのか,若干の不快を覚えてしまう. これは要するに,今に至るまでその態度で世の中を渡りおおせて来た,その人の世界観(もはや人格と言って良い)に対する感想である.
私は少女の振りをする人なんかよりも,本当の子供の方がまだ好きだ. 何より好きなのは「しっかりした人」だけど.
断っておくけど,ある程度の媚態と言うか,女性らしい所作と言うのは,マナーに属するもので,いわゆるヒューマン・スキルですらある. 私の論じているのは,あくまである種の「過剰な媚態」である.
・11/2(月)
性差について.
性差と言うものは厳然と存在する. 一般に男の方がスポーツに長けているとされるが,それは筋肉等の身体的運動機能の問題だけでなく,脳に原因があると思われる. 男の脳は運動に向いているのではないか. 運動は論理より,感覚に負う部分が大きい.
理数系には圧倒的に男の方が多いのだが,少数派である理数系女子は,ハッキリ言えば男性的であるケースが多い筈だ. あなたの近くにいる理系女子は,車の運転が上手だったりしませんか. 車の運転は紛う事なきスポーツだが,そこで問われているのは主に計量・計数感覚で,要するに数学の処理能力なのだ. 理系女子で運動が苦手だと言う人は,単に筋力が無いだけではないか.
数学と言うのはどうも,論理(言語中枢)だけでなく,スポーティーな感覚に因って解かれたりするらしい. 事実,私の知り合いに,国語が激しく苦手で,文章を書けばテニヲハすら怪しいのに,計数能力だけが異常に発達している人がいる.
私の仮説が正しいとしたら,言語力は女性において,感覚的処理能は男性において高い,と言う事になり,これこそがまさに性差と言う事になる. だからして,形而上的概念を理解する機能,具体的には,愛だとかを受容・発動する能力も,女性において高く,子育てなどと言う想像力を要する作業に向いていると言えるのではないか. 想像力とは,即ち言語力である.
・11/1(日)
もう11月か. 今月25日発売の「Letters」に収録される「Wave good-bye」について.
・10/31(土)
ここ最近,また俄かに忙しい.今日も面接の合間の更新. 11月の半ばくらいまで大体こんな調子なのだけど,12月はもう少しヒマになる予定. 年末年始はしっかり休ませてもらいます. 以下,今週のスタジオにて.
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・10/30(金)
本日10/30をもって,神田優花「RACHEL」のSPACE SHOWER TVにてのローテーション(ZAP),ひとまず終了です. いかがだったでしょうか.SPOT(CM)は来月のアタマまでオンエアされるみたいですが. 下は今週のスタジオでのカット.
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先週の神田優花のレコーディング(歌録り)は,実は物凄く急に入った予定で,全然対応がままならない状態(オケすら出来ていなかった)で臨んだものだった. なので,先週末から今週アタマに掛けては,ボーカルテイクの編集どころか,オケ作りからやらないといけなくて,現時点でもまだまだ全然マスターなんて上がってません. もう一〜二週間は掛かるかな.
・10/29(木)
私は,私を支えてくれた人・愛してくれた人にお礼が言いたい. 私は,自ら選んでこの世界に生まれてきたわけではないのだけど,あなたがいてくれたからこそ,この世界を呪わずに済んだ. ありがとう.
今目の前に広がっているこの世界など,言ってしまえば,我々の心が作り出した幻である. だからそれは,解釈一つで姿を変えてしまう. 人は,愛された記憶を頼りに未来を描く勇気を生み出す. 私が,この目の前に横たわる世界や,その未来を美しく感じられるのは,この心の中にある勇気のお陰です.未来が輝いているから曲が書ける. そして,私が今感じているこの光は,あなたがくれたものだ.
誰かと何かを分け合う時,その何かが物質であれば,自分の持てる取り分は当然減るのだけど,この喜びというヤツは不思議なもので,誰かと分かち合う事によって逆に増えたりする.
私は,この世界に恩を返さねばならないと,割と本気で思っている. 私は小さな人だから,自分の事でまだまだ精一杯なのだけど,私の作る音楽が,誰かの心に映るこの世界を,ホンの少しだけでも美しいものに変えていたら嬉しい.
・10/28(水)
前々からアナウンスしているのだけど,来月末(11/25)に,神田優花の配信限定シングル「Letters」が発売されます(詳細はInfo参照). 神田優花は,11月に3週連続でシングルを発表するのだけど,その中での最後のタイトルとなります.
神田優花は,旧作の再リリースも含め,年内はリリース・ラッシュになる予定です. 2週間後の11/11(水)には,上記の3作のうちの最初のタイトル「Tumble-weed」が発売されます. こちらもチェックしてみて下さい.
・10/27(火)
ふと思ったのだが,「音楽」が純粋にビジネスとして成立しているケースって,実のところどれくらいあるのだろう. 無論正確なところなど知る由も無いが,レアケースであろうことは想像に難くない.
例えば,クラシック音楽の世界などは,助成金とか,後進の育成とかそういった名目の,いわばお布施無しに成り立たない事が,一部では常識化しつつある. アカデミズムの一角であるという理由で保護される事によって,やっと存立し得ている世界である.
一方で,一見最も金回りの良さそうなポップスの世界を考えてみる. 例えばJ-POP最強クラスのアーティスト(誰とは言わない)は,無論相応の売上げもあろうが,プロモーション・制作に掛けるコストが大き過ぎて,たかだか一枚千円やそこらのCDなどチマチマ売って,収益があがろうとはとても思えない. そこそこのタイトルなら,調べようと思えば売上げ枚数などかなり正確な数字が出せるので,お閑ならロイヤリティでも計算してみるとよろしい.私の言うことが大袈裟で無い事が分かる筈だ.
J-POP最強クラスのアーティストは,CM契約とか,諸々のタレント業で収益を確保しているのであって,CDなどの音楽コンテンツは,商品と言うより,いわばノベルティ・グッズに過ぎないのではなかろうか. CM契約を確保する為には,上がりなど一先ずはさておき,世間的に「売れている人」感を維持しなければ,スポンサーである企業側が食指を動かさないだろうから,音楽商品なんて販促材と割り切って差し支えないのだろう. CM契約料の相場を考えると,CDのロイヤリティなどバカらしくさえ感じるのかもしれない.
売れていないアーティスト連中など(こちらが大部分だが)言うまでも無い.全て赤字である. 誰がその赤を担っているのか,赤字であるが故に消えて行く人,いくら赤を出そうが音楽活動を続けられる人,不明な点・ケースは色々あるが,ここでは深く詮索しない. ただ言えるのは,CDなどの音楽コンテンツを売る事によって商売が成立していないのは確実だ.
ついでだが,いわゆる「インディーズ」について. 日本には,流通上の区分としてのインディーズは存在する(厳然として)ものの,インディーズと言うマーケットは実のところ存在していないも同然だと思われる. そんなもの(インディーズ・ミュージック)を愛好するリスナーが,市場を形成出来るだけの数育って無いから. せいぜい,極々僅かの好事家が辛うじて点在すると言った程度ではないのか(私はそれすら怪しいと思っているが).
ではインディーズって何なのかと言うと,アマチュア・ミュージシャンが知り合いに音源(記念品)を売ったり,契約上フリーになっている,「昔メジャーのメーカーが宣伝した商品(アーティスト)」にまだ群がり続けている「残存消費者」の購買を当て込んだ商品とか(無論,大規模なプロモーションなどする気も無い),あるいは出す必要だけあって売る必要の無い商品(これはインディーズ・メジャーに拘らず存在する)とか.まあ本当に色々である.
ここまで不健康であるにも拘らず,音楽業界が持ちこたえている理由は,まだそこに,人々の羨望が集まっているからだろう. これもいつまで続くか分からないけど. この話については,またいずれ掘り下げたいと思っている.
・10/26(月)
残念な事だが,人間は往々にして自分でいられなくなる. 例えば,友人らとの会食の際,出された料理を「うまい」と感じても,同席者らが皆「マズい」と口を揃えただけで,人はしばしばその率直な感想を引っ込めてしまう.
世の中に存在する法律とか世間体とか,道徳とか,流行・風潮と言ったものに,時として人は抗えない. 進退を左右され,時に精神さえ支配される.
無論それを100%の悪とは言わない. 狂人でも無い限り,人は自分の意志のみで全ての行動を決したり出来ない. 私とてそうだ. 生きていかねばならぬ故,あるいは単に金をもらう為だけに,耐えてでも取らざるを得ない行動はいくらでもある.
ただ,私はそういう我が心のあり様を常に把握している. だからして,究極的には,自分が自分でなくなるぐらいなら,既存の規範ぐらい侵す事はありえる. 私は自由でいたいのだ.自由って無制約って意味では無いよ.
人はよく,時代の風潮だとか現行法だとかの,とりあえずの便宜的コンセンサスを盲信する. 確かに全く無根拠では無いものな. だが,それらは全て広い意味では虚仮である. 誰が何と言おうと,私は私であり続ける. それ故に誰かを傷付けてしまう事もあるかもしれないが,私は,私であり続けるからこそ,最後まであなたの味方でいられるかもしれないんだ.
・10/25(日)
続・人間の頭の良さについて. 何だか最近この事について考える時間が多い.
普通,学力と言うのは,いわゆる主要5教科だとかの総合得点をベンチマークとしていたりするのだが,このスタンダードに私は懐疑的だ. 例えば,算術的な解析能力の高さは,確かに頭脳の優秀さでもあろうが,ある一定の国語(論理)力が邪魔をして,特定の数式を解き難く感じる人はいる筈だ. また,国語力に付随する感受性が,勉学と言うルーティン・ワークを,常人以上に苦痛に感じさせてしまう事なども往々にしてあり得る筈だ.
今日は時間が無いのでここまでにするが,私はまた取り留めない事を考えてしまっている. これは結論が出るまでもう少し掛かりそうだ. と言うわけで,以下「JILL」収録の「blue」について.
・10/24(土)
今週のスタジオにて. 5枚目は差し入れの生キャラメルだそうだ.
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人間の頭の良さについて.
一般に人は,事務処理能力が高ければ有能と評され,逆に低ければ無能と評されたりするが,純粋に前者こそが頭の良い人なのだろうかと言うと,実のところ事はそれほど単純では無い. 時に人は,有能であり過ぎるが故に,無能者の思考のプロセスが忖度出来ない事があり,逆に無能者は,確かに有能者の能力をそのまま模倣する事は出来なくとも,無能であるが故に,自身の無能さだけは知っていたりする. だからして,それに起因する悪夢を,未然に察知出来る程度の世間知だけはあったりする事も多い. ソクラテスの言う「無知の知」を持っていたりする.
織田信長と言う人は,部下である明智光秀に本能寺で弑される. 結果的にそこで彼の命は絶えたのだが,その事件以前にも,前兆と言える事態は無数に起こっているし,光秀の反乱が成功せずとも,後に似たような事態に遭遇し,いずれ彼(信長)は絶命したろう. 彼は頭が良過ぎて,大多数である自分以下の者,いわば無能者の気分が体感出来なかった.
劣等生は無能で,優等生は有能なのだと思われがちだが,実はこれも微妙に違う. 不良少年などと言う劣等生は,精神のある部分が他の多数の同年齢者に比べ,発達し過ぎているが故に,置かれている日常を退屈,もっと言えば苦痛に感じていたりする.ある意味では人より早く成長してしまっているのである. 反面,パーフェクトな優等生になれるような人は,ある面,実に幼稚であったりもする.
このテキストに,結論と呼べる程の結論など無いのだけど,要するに人間の頭の良さとは,一概に評価し難いものである,という事. 一括りに判定するだけの基準が,この宇宙にまだ存在していない. だから,いつも言うようだけど,人間は自分の納得出来る自分に近づき続けるしかないのだろうと思う.
・10/23(金)
神田優花,今週は急遽新曲のレコーディングが入りました.
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神田優花は,配信限定シングル「Tumble-weed」を11/11(水)にリリースするのですが,その翌週11/18(水)には次のシングル,「JILL」をリリースする予定になってます. タイトル曲「JILL」はアルバム「レイチェル」に収録されているのですが,「Tumble-weed」と同じくカップリング曲は全て未発表曲です. 以下その解説.
・10/22(木)
今週の前半は,ずっと編集作業に没頭してました.
ウチにおいては,私がやる編集作業に一区切りがついた時点(大体のミックスが決まって,2Mixに落とす前)で,音のチェックが入る. そこであれこれと指摘された点を修正した上で,最終工程(マスタリング)に入るのだが,何だかそこで指摘されるポイントが,最近常に同じになりつつある.
指摘される点とは,具体的には,ボーカル類とそれ以外(バッキング・トラック)とのバランスと,ボーカルの音質的な処理である. どうも私はボーカルを小さめに,さらにエフェクティブに処理してしまう傾向があるっぽい. いつも「もっとオケを抑えろ」とか「ボーカルをドライに」とかばかり言われてしまう. 好みっつうか,癖なのでしょうな.
あと,私の仕上げた音は,曲終わりの無音部分が短い.これも私の好みで,要するにせっかちなのかもしれない. 最近は気分が変わったのか,ちょっと曲間のブランクを長めに取りつつあるのだけど,世間一般に流通している平均的音楽商品に比べると,それでも曲間が短いと思う. 私がリスナーとして音楽を聴く際に,ブランク短い方が好みなので.
・10/21(水)
鈴木サヤカの「LISTEN,」と言うアルバム(最初のリリースは2005年11月)が,最近また俄かに売れ出してて,先月末,iTunesUSA(アメリカ)のJ-POPチャートで瞬間的に3位まで上がってたみたいだ(如何なるデータを基に順位を付けているのか知らないが). 落としてくれている皆さんには,とりあえずこの場を借りてお礼が言いたい(多分アメリカ人はこの文章読めないだろうけど).
実は「LISTEN,」に限らず,鈴木サヤカの音源は,ここ数年来ロング・ヒットを記録中で,配信コンテンツ(パッケージ物以外)のダウンロード数を単曲ベースで計算すると,現時点で明細が出ているものだけでも,累計1万件をゆうに超えている(私はこの手の数字を公表する際に,いわゆるサバを読まない.だからして数に掛け値は無い).また,売上げのうちの9割方が海外でのものだ. 更には,これらの数字,現在進行形で増え続けているので,今後どの辺りで落ち着くのか読めない. たかがその程度の数字と思われる向きもあろうかと思うが,音楽の売れない昨今,何のプロモーションもしていないアイテムがこれ程出る事など,ほとんど奇跡に近い. 手前味噌で恐縮だが.
ついでに,売れているのはアメリカでだけでは無いみたいで,「LISTEN,」はiTunesUK(イギリス)を始め,多くのiTunes海外サイトで落とされている(無論,大した数字で動いているランキングでは無いにせよ). あの音楽に,外国人(特に欧米人)の琴線に触れる何かでもあるのだろうか. おそらく口コミとか,そう言う形で波及・伝播して行っているのだろうと思われるが,実のところ我々にも,何故売れているのかよく分からない. 何か知っている人がいたら教えて欲しい.
ここでお知らせです(ここからが本題だ). 鈴木サヤカの音源(アルバム7タイトル)は,現在海外ではiTunes Music Storeのみで販売されているのですが,この度IODA・Mnet・JapanFiles.com等をはじめとする,海外の複数の音楽配信サービスにて再リリースされる事になりました.正確な販売開始時期はまだ良く分からないのだけど,おそらく年内(12月中旬あたり)には開始されるかと.
因みに,上のリストの中のIODAと言うのは,特定の配信サイトの運営業者ではなく,音楽配信の仲介業者で,IODA経由にて,海外の多数の音楽ダウンロード・サイトの商品ラインナップに加えられるみたいです. とにかく今までに比べ,入手の手段が格段に広がる事になります. ここ読んでいる人の大多数であろう日本人には,あんまり関係無い話で恐縮だけど,とりあえず報告です. 因みに,神田優花(3タイトル)・影山リサ(1タイトル)も合わせて上記海外サイトにて販売開始される予定です.
・10/20(火)
今月7日発売の神田優花「レイチェル」ですが,11/11(水)より,海外の複数の音楽ダウンロード・サイトにて発売されます. 詳細はInfoをご覧下さい. あんまり私自身よく分かってないのだけど,どうやら11/11(水)から全サイトで一斉発売って感じじゃなく,リリース(解禁)日以降に,各サイトの判断にて逐次販売開始って形になるらしいです. どのみちこの文章読んでいる大多数の日本人にはあんまり関係無い話だけど.
話は変わる. 言うまでも無い事だが,我が日本は江戸時代まで,厳格な身分制社会であった. どういう世界かと言うと,社会の構成員(要するに全ての人間)が,上から下まで序列化され,よく士農工商などと言われるが,同じ武士や農民の中にも,家格・禄高・経済力・年齢などから巨細に格付けが行なわれ,隙間無く階級が定められていた.
江戸社会から,突如「身分」と言う概念が消滅したら,きっと彼ら(江戸時代人)は困ったろう. それは,上層に位置する者らが,享受出来る諸々の旨味を失うからではない. 上から下まで全ての人々が,自身の取りうる「態度」を決めかねるからだ.
現代のこの社会は「身分」を失ってから日が浅い. だからして厳密には,表面上身分が存在しないとされているが,実はその残滓が濃厚に残っている社会であると言える.
この社会に,平等を実現させるにはどうすれば良いのか. それは我々が自己を確立するしかない. 上層に位置する者が,その高位をかなぐり捨てる,だけでは絶対に平等など実現し得ない. 何故ならそれは,上層に位置していた者が下層に組み込まれ,下層に位置していた者が上層に組み込まれると言った,いわばランクの改編に過ぎないから. あなたが窮屈だと感じるなら,この社会もいずれは変わって行くだろうと思います.
・10/19(月)
信じる事について. 誰の事も信じられぬ人は,実は自分自身を信じられないのだろう. 「私ごとき必ずや人には裏切られるだろうし,世間から祝福されないであろう」と感じている. 要するに,自分自身やその判断を信じられずにいる. この世界を暗黒色で塗り潰していると言って良い.
一方,誰かを信じられる人とは,「他ならぬ私が信じたのだから,この判断,必ずや過たないであろう」と確信出来る者である. 無論,結果がどうなるかなど誰にも分かりはしないのだが,その人はそう信じられる程に物事を肯定的に捉えている. 世界を希望の色で塗り固めている.
確かに,信じると言う能動的作業は,そんなに容易なものではない. 何故なら,その信仰を成立さしめるに「勇気」が不可欠であるから. 要するに,よく言う「夢を見る」事とは,ここで言う「信じる」作業に他ならないのである. 自分や我が身に纏わる未来を希望的に捉えていればこそ,人は発展的な未来像も思い描ける.夢とは信じることだ. だから当然,信じられぬ人は夢も見られない.
騙されるとは一体どういう事なのか. 例えば,服を選ぶ際,とりあえず試着してみたらサイズが微妙に合わなかったとしても,人は,自分の目測がやや正確性を欠いたと思うぐらいのもので,「この服に騙された」とは言いませんね. 直後には「別のサイズの服を試す」という,次の判断を下すだけだろう. が,それは自らに主体を置いているからこそ成立する解釈なのだ. 他人に騙されると思う人は,要するに主体性が無いのである.
私は,仮に誰かと交わした約束が,相手側の事情によって一方的に反古にされたとしても,騙されたなどと努々思わない. 自分の判断と現実とに齟齬があったと思うだけだし,それは今後,より正確な判断を導き出す為の材料となる貴重な経験なわけで,むしろ財産だとすら思うだろう. 「自分が信じたのだから,地獄に落ちても後悔などしない」と言った親鸞の気持ちが,痛いほどに分かる. 私は,誰かに騙されるほど小さき人間ではない.
不幸な事に,人は,勇気が無ければ無いほど自分を信じられず,自身を信じられなければ信じられない程,他人を認められないし,この世界を信じられない. 従って,ますます周囲から歓迎されない存在に成り果てる.
実のところ「luck(幸運)」とは,道端に落ちているものではなく,自分の心の中にあるものなのである. だから我々が何よりも先ず涵養すべきは勇気であろうと. 私の作る歌は,誰かの心に届いているのだろうか.誰かの勇気に変わっていたら嬉しいのだけど.
・10/18(日)
笑わない人について. 私は電車・バスと言った公共交通機関を日常的に利用するが,当然その中では多くの人を目にする. にこやかに談笑する人らなどもしばしば見かけるが,笑っている人と,実は笑っていない人の違いは一目瞭然である. 多くの人は,実は笑わない.
「人は面白いから笑う」などと無邪気に信じているのは,実のところ子供ぐらいだろう. 多くの人は,社会生活において,笑うという所作を礼儀として体得させられる. 私とて例外でない.
私だって気違いではないので(まあ気違いかもしれないが),礼儀として笑みを浮かべる事がないわけではない. が,自分が笑っているのか実はそうでないのか,は常に認識している. 自分の心の在り処を知っていると言って良い.
私は,ここで言う「笑わぬ人」を憐れみこそすれ,憎いなどと努々思わない. むしろあの人たちが,心に任せて笑ったり,己の「心無き笑い」を自認出来るようになる為に私に何が出来るのか,を日々考えてしまう. やっぱり歌を作るしか無いんだこれが.
と言うわけで,「Tumble-weed」収録の「水底」について.
・10/17(土)
今週のリハーサル風景.
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「私は負けず嫌いです」などと表明する人をよく目にするのだが,あれは何なのだろう.
翻って自分自身を省みてみた. で,私はどう考えても「負けず嫌い」ではない. 何故なら,日々そんな事に執心していないから. そもそも私は,成果における他人との差異に関心すら持っていない.
まず,「負ける事が嫌い」と言うが,負ける事とは一体何なのだろうか. 例えば,学校の成績において誰かに後れを取ったとして,それは努力である程度挽回出来るにしても,遺伝子や家庭環境まで乗り越える事は出来ず,リカバーするにしても自ずと限界がある. もっと分かりやすい例えを出すなら,身長において他人に大きな後れを取っている人が,如何に努力をしたところで,遺伝を無視した成長など遂げられる筈も無い.
「負ける事」とは,ある成果において他人に引けを取ると言う事を言うのだろうが,そんなの回避出来る筈が無いし,出来なくても何ら恥じる必要は無い. 我々は自分以外の人間になどなれないのだ.
「負けず嫌い」と言う人は,単に周囲から抜きん出て目立ちたいだけで,要するに,自分にまだ十分な自信が持てていないだけではないのか. 自己の確立さえ遂げられれば,負けず嫌いなどと表明する必要も無くなるのではないのだろうか.
では,我々はどうすれば良いのか,と言うと,何度も繰り返すが「今より少しだけでもマシな自分になる」しかなかろう. だってそこにしか目標など設定しようがないから.日々それを自分に課しつつ生きて行くしかあるまいて. 別に良いじゃん,それで.
・10/16(金)
神田優花のニュー・アルバム「レイチェル」収録の「RACHEL」(タイトル曲)が,明日からSPACE SHOWER TVにてローテーション(ZAP)開始されます. 「レイチェル」はパッケージ・ダウンロード物(PC配信・着うた),ともに発売中です.是非聴いてみて下さい. 以下は今週のスタジオにて. 神田優花は,先週レコーディングがあったばかりなのですが,今週からまた次の曲の制作に入ってます.
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影山リサ. 今週からやっと新しい曲の制作に入っております. こっちも今週のスタジオにて.
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・10/15(木)
いくつかの音楽情報サイトで,神田優花「レイチェル」を扱ってもらってるのですが,せっかくなのでいくつか紹介.
「うたまっぷ」さんところのアーティストクリップでは,神田優花と新作「レイチェル」について紹介してもらってます. 他にも「歌ネット」さんなんかでもアルバム特集のページで紹介してもらってます. このサイトをチェックしてる人なんかには,そんなに新鮮な情報でもないかもしれないんですが,せっかく掲載してもらってるので,とりあえずリンクしてみた.
「Tumble-weed」収録の「One wish」について.
・10/14(水)
本日,神田優花「レイチェル」のダウンロード・コンテンツ版,国内の主要音楽ダウンロード・サイトにて配信開始しております. パッケージ版の方がオススメだけど,とりあえず報告. 一応海外でも配信する予定なので,おいおいそれについてもお知らせします.
・10/13(火)
11月にリリースする,配信限定のシングルについて.
まだInfoとかには載せてないのだけど,神田優花が11月に3タイトル,配信限定のシングルを発表します. タイトル曲(3曲)は,どれもアルバム「レイチェル」に収録されているのですが,カップリング曲(3タイトル計8曲)は全て未発表曲(あるいはニュー・アレンジ)となっております. アルバム未収録のその8トラックについて,私なりのコメントを上げてみる. 手始めに「Tumble-weed」収録の「Stars」から.
・10/12(月)
編集作業って,当然ながらいくつかの工程があるわけだけど,私はその中でも,とりわけピッチ(音程)の補正作業において大きな精神的疲労を覚えるようだ. 何故なのだろうか.他の音屋の意見も訊いてみたいものだ.
精神的疲労って,要は脳の酷使に不随するもんだと思うのだが,確かにピッチ補正って,他の工程より集中を要する作業だ.頭が疲れている時はちょっと出来ない. 編集って言うより創作に近いのかもしれない.
しかしピッチ補正って,まさに必要悪って感じだ. 音程が正しくない音源なんて,確かに商品としては問題があるのだけど,現状のピッチ補正技術って,如何なるツールをもってしても,結果として多少フォルマントの歪みを生じさせる. 使わずに済むならそれに越したことは無い.
それはさておき,「新卒採用」の意味の分からなさについて.
私が大学を卒業する頃,既に世間では就職氷河期とか言われていて,私などは碌な就職口が無かった(まあ真剣に探してすらなかったけど). レコード会社などもまともに人を採っている風でなく,辛うじて大手の数社のみが新卒採用を行なっていた. それ以外の殆どの会社は新卒・中途に拘らず基本的に採用活動自体しておらず,問い合わせても「欠員が出れば都度若干名を募集する可能性がある」とかそういうにべもない回答しか返って来なかった. 要するに採る気が全く無い. 採用試験に及第するとかしないとか以前に,門戸が開放されてすらいなかった.
今になって考えれば,音楽業界なんて,当時既に斜陽の兆しが見えつつあったろうから,現状の人員をどうやって整理するかに腐心こそすれ,新卒の採用など真面目に検討していられなかったのだろう. 新人アーティストの育成すらままならぬと言うのに.
しかし,それにしたってか細いながらも行なわれていたのは新卒採用である. 大学時代の私であればいざ知らず,今の私ではエントリーの資格すら持たない事になる. 音楽絡みの仕事をやらせる上で,当時(大学生時分)の私と現在の私のパフォーマンス,どちらが優位であるかなど比べるまでも無いのだが.
因みに,この新卒採用,言うなれば日本独特の習慣だそうだ. 欧米企業は,新卒を採る事も無論あるだろうが,キャリア・スキルを身に付けた人の採用により積極的だと言う.私などは当然の事のように思えるが.
多くの日本人は人間をモノだと思っているわけだが,仮に人がモノだったとしても,スキルや経験と言う付加価値は査定基準に含まれて然るべきだろうに. 何故に日本企業は,ここまで若さに価値を置くのだろうか. よく分からない. 何となく右に倣えで斯様に落ち着いているのだろうか.
ついでながら,私はあまり人の若さに価値を置かない人だが,「精神の衰え」は見逃さない. 精神の衰えが加齢とともに深刻化するケースは実に多く,私はそういう夢の無い人に魅力を感じないのである. これは,若さに価値を見出しているのとは根本的に違います. いくら実年齢が若くとも,若くして夢を無くしてしまっている人は多い.
・10/11(日)
7日に神田優花のアルバムがリリースされたばかりなのだけど,これから年末にかけて,旧作の再発も含めたリリース・ラッシュになりそうです. それ関係の事務処理がまだ全部終わってないわ,トラック作りや編集の作業が山積みだわで,私はしばらく休めそうに無い. 年末年始に休むためにも,今が正念場なのです.
しかし考えてもみると,リリース本数が増える理由は,詰まるところ1タイトル当たりの収益が少ないからってのもある(パッケージ物は赤字タイトルも多いので,本数増やせば良いってもんじゃないが). 一作当たりの収益が増えれば,もっと音源作りに集中できる筈なのだけど. まあ音作る作業って楽しいから別に良いんだが.
話は多少逸れるが,音楽コンテンツの制作業って,要は我々の頭の中から出てくる「発想」を売り物にしているわけだけど,それって実にスリリングな商売だ. 商品出てこなくなったらどうするんだろう.
なんて言ってみたけど,実のところあんまりリアルな心配などしていない. 楽しい事をやっていれば,いずれ道は開けてくるだろうと.楽観的なのだ. 私は私の為に,自分の中に眠っている新たな発想を探し求めているのだけど,気が付けば日々のその作業が,何となく商売に繋がりつつある,と言うのが偽らざる現状なのです. 楽しそうな道を選び続け,気が付けばこんにちに至っていた. だからこの先も,きっとこんな感じなのだろう.何とかなるよ.
・10/10(土)
今週のリハーサル風景. 昨日の続き.
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今週はレコーディングが二件あって,しかもそのウチ一件は,内容的には3曲分ぐらいのボーカル・トラックがあって,当然編集作業の量も3曲分ぐらいになりそうな感じです. このクソ忙しいのに.
神田優花のニューアルバムが7日にリリースされたのですが,その「レイチェル」,来週の水曜(10/14)にダウンロード・コンテンツ版が販売開始されます. こっちは¥2,000(単曲¥200)です.配信用にデータが圧縮されてたりするので,音質は多少変わってますが,基本的に同一音源です. 国内の主要音楽ダウンロードサイトにて,一斉発売されます.こっちの方が入手が楽だって方もいると思うので,一応お知らせしておきます. ついでに,「着うた」とかも同日に販売開始されるみたいです(こっちは1曲¥300).
・10/9(金)
今週のリハーサル風景.
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神田優花,今週はレコーディング(歌録り)でした. 神田優花と言えば,明日からPV(多分「What I want」)が,全国各地の街頭ビジョンで放送されるみたいです(Info参照). 街頭ビジョンって要するに,渋谷のハチ公前とか秋葉原のUDXとか,そういうところに設置されているあの大型スクリーンのことです. まあ,だからってわざわざ見に行くようなものでも無いわけだけど,一応報告. 以下は今週のレコーディングの様子.
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影山リサ. 今年中に1タイトル(シングル)を作ろうと思っているんだけど,スケジュール的には結構難しくなってきつつある.まだ諦めてないけど. まあがんばります.以下今週のスタジオにて.
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・10/8(木)
已む無き事かとも思えるが,昨今一部の会社では,社員やアルバイトを雇う際,健康診断の結果を提出させ,その内容如何によって採用を見合わせたりしているらしい. 要するに健康を含めた人間の価値を数値化している. 見も蓋も無い話だが,愛無き社会の帰結として,当然の現象かとも思える.愛が存在しなければ,人はモノになる. 今の日本がこのまま行けば,この手の傾向は今後顕著になる一方であろう.
人間を,数値化されたモノとしか捉えない集団が増え,モノとして扱われた人が社会に溢れかえる. その人たちは,当然のように対峙する人間らをモノと見做し,人をモノとしか捉えられぬ人を育てる. 愛されなかった人は,愛の意味が分からぬが故に人を愛する事が出来ず,愛無き人の連鎖を生み,愛の絶え果てた社会を作る.
愛が体感出来ない人は,愛の意味が分からないのだから,当然,愛する事も愛される事も理解出来ない. だからして,他人の気を引こうと思った際に,自分に纏わる,上で言う「数値上の価値」を上げようとしてしまう. 具体的には,どういう学歴だとか,どういう企業に属しているだとか,どういう身分であるとか,どういう資格を持っているだとか,年収や預金残高がいくらだとか,あるいはどれだけの容姿であるとか.どれだけ健康であるかなども,無論これに含まれる. これらは,全て人間の表層に張り付いた装飾の部分なのだけど,それこそが自分の価値だと思い込んでいる.
この社会にも,「愛」の具体化である福祉・社会保障制度などがあるではないか,と言った意見はあろう. しかし,ハッキリ言うが,現状それらの源泉となっているものの殆どは,愛とほど遠い. 「弱者救済は美徳である」などと言うフレーズだけを頭ごなしに植えつけられた人間が,自分でモノを考える事を放棄し,無批判にそういう道徳律を受け入れた結果の,愛の介在しない制度であるからこそ,弱者が権力になったりという,おかしな現象も起こる. 本当の愛であれば,きっとそんな事態を引き起こさない筈だ.
我々は音楽屋なので,日々,リハーサルを繰り返しているわけだが,そのいつものリハーサル時,スタジオに差し入れ(お菓子など)を持ってきてくれる人がいる. 私は,その一々の菓子の味や銘柄など覚えちゃいないが,それをスタジオに持って行きたい,みんなに食べさせたい,と思ったその人の心だけは永遠に忘れないだろう. 何故なら,その心こそが,私の勇気に変わるから. 私の作る音楽は,私の中にある勇気で出来ている.
私は,何かを感じたその人の,素直な心が好きです.
もしあなたが,愛無き社会をイヤだと感じるのであれば,渾身で憎んで欲しい. あなたが憎みさえすれば,きっとこの世界は変わる.
・10/7(水)
本日,神田優花の2ndアルバム「レイチェル」が発売されました. 前作「マインドスケープ」から実に5年半,我々の持てる全てでもって作り上げたアルバムです. 音楽を愛する全ての人に贈ります.
VMCって言う音楽ビデオ専門チャンネルがあるんですが,そのVMCのJUKE UPってプログラムで本日,神田優花の「What I want」がオンエアされるみたいです.時間は10:30〜11:30の間って事なので,今回は比較的見やすいかと.
・10/6(火)
本日19:00より,SPACE SHOWER TV「MUSIC UPDATE」に神田優花が(VTRにて)出演します. 良かったらチェックしてみて下さい. スペシャでは他にも,「More Music」ってプログラムにて同じ日に「What I want」のPVがオンエアされます(番組の放送時間が「26:00〜27:00」との事なので,正確には10/7になりますが).
話は変わるが,一般に,他人の短所・欠陥を指摘するのは簡単である. 完璧な人間などそうそういないわけで,自分の欠点など一切省みず,目を皿のようにして粗探しだけに努めれば,指摘出来うる他人の短所を見つける事など実に容易い.
程度の差こそあれ,人は普通,心に愛や想像力が備わっているので,他人に対し,度を越えた非難を浴びせない. また,自分を完全無欠の人間と思える程の狂信力も普通は無いので,他人の欠陥だけを無慈悲にあげつらう事も控えがちである. 狂信力と言うのは語弊があるな.自身の欠陥を認識出来る程度の論理性が備わっているからこそ,人は自分を完璧な人間だと思えない,と言うべきだろうな. 要するに,常に他人に対して苛立っている人は,想像力あるいは論理力に多少欠けているケースが多いと言える.
更に言えば,人間が,自身の立脚点にさしたる不安を抱えてなければ,過度に他人を貶める必要も無いので,心理上,自他に向かって「コイツはこんなに無能なんだ」と声高に主張する必要性も生じない. 他人を貶めずにいられない人には,そもそも自信が欠けているとも言える. そうでなければ,何かを指摘する際,相手を貶める必要までは無い筈だ.
ついでながら私は,他人の無能さを許容出来ないが故に苛立つ人と,他人を無能だと評価せねば,自身の存在基盤が危うくなる人,と言うのを別けて捉えているのだが,この話はまた別の機会に譲りたい.長くなりそうだから.
私も,他人に欠陥を指摘される事が無いわけではない. その指摘が納得出来るものであれば,反省すべき点は反省し,その教訓を今後の人生にも活かしたいと思っている. ごく稀に,度を越えた指摘をしてくる人を見かけるが,そういう人には「私も人間なのだから,いくらかの欠点ぐらい当然持っている」と,居直ってしまう. その程度には自分に自信があるし,私の中にある「度を越した人」のおかしさを察知出来る常識・平衡感覚,にも自信があるからだ.
他人の為す事に苛立って仕方ない人は,自分の心の健全さを一度疑ってみては如何であろうか. 「だって本当に他人が無能なんだもの」と言う人はいるだろう.その評価は確かに正しいかもしれない. が,人間とはその程度に無能であったりも当然するのだ. 能力に個人差があるのだから. しかし人が自負する有能さなんて,たかが標準偏差から割り出した相対値に過ぎないではないか. 有能な君なんて(事実有能であったとしても),その程度のものなのだ. 世間のコンセンサスである有能さなど,聡明なあなたもよくご存知な通り,全くもって大した持ち物ではない.
他者に対する寛容さとは,即ち自己に対する自信である.
他人を無能だと思う人は,その点において,ホンの少しだけその他人より恵まれているのだろうから,その好条件こそを,想像力涵養の為の奇貨とすれば良い. その想像力は,きっと自分自身を今より幸福にする筈だ. 他人の無能さをどうしても許容できない,あるいは他人の短所を声高に指摘せずにいられない人は,実はどうしても自分に自信が持てないだけなのではないのか. 他人の無能さに苛ついて仕方ない人は,その点において,まだ自分には改善すべき欠陥が残っている,と言う事ぐらいは知るべきだ.
蛇足ながら,この私において,他人に苛立つ事が無いのかと言うと,正直滅多に無いのだけど,全く無い事は無い.未熟者ですから. しかしながら,苛立った後に強烈な自己嫌悪に襲われたりするから,正直なところ,あんまり苛つきたくない. この自己嫌悪こそが,要は論理性のフィードバックなのだろう.
・10/5(月)
10/6(火),SPACE SHOWER TVの「MUSIC UPDATE」(19:00〜)と言う番組に,神田優花が(VTRで)出演します. 先日スタジオで録ったコメントと,「What I want」のPVを流してもらいます. 再放送も何回かあるみたいなので,時間が合えば是非チェックしてみて下さい. 詳細はInfoにのっけてますので,そちらをご覧下さい.
週末は休日返上でギター録りをしていた. 録らなきゃいけないギター・パートが溜まってたもので,一気に3曲分も録ってしまったのだけど,私はあんまり楽器が上手くないもので,ちょっとしたパートを録るだけでも一日作業になってしまう. 今回のギターは,クリーン・トーンあり,ディストーション系ありで,中にはチューニングを変えて録ったパートもある. ギター三昧の週末になってしまった.
・10/4(日)
私の敬愛する,ある先輩について.
私がまだ地元にいた頃に,バイト先で知り合った先輩の話である. もう知り合って10年以上経つのだけど,いまだに幼稚な私の良き相談相手でいてくれる. その人は,どうも学校の成績の良いタイプの人で,大して勉強などしている風でもなかったのに,知り合ったその頃は,地元で一番の難関であろう国立大学に通う学生だった. 普通にチンタラ学校に通って単位さえ取ってりゃ.そこそこの企業に就職出来たろうし,無難な一生を終える事など簡単だった筈なのに,ある時,彼はその人生に疑問を感じ,ついには,バカだから大学を辞めてしまった.
彼の選択が正しかったのかどうかなんて,私には分からない.が,当時の私は,彼のその「疑問を感じる心」に惹かれた. 人間は,苦しみを感じるにも,一定の感受性が必要になるのである. 滅多に酒など飲まない私なのだが,当時よく彼とは一緒に飲みに行き,下らない夢を語り合った. 私は,彼が夢を持っているように感じた.夢とは,肩書ではなく,やりたい事だ.
当時の彼は「中内功になってやる」とか,「官職について何やらをやってみたい」みたいな事をよく言っていたのだが,何らかの肩書が欲しいというより,その目は,何かが作りたそうだった. 私は,人材が不足している新興国家(例えばパラオだとか)などがあるなら,彼にその国の大臣なり高級官僚なりをやらせてみたいと思った. 彼にどれだけの仕事が出来るかなど,私には分からなかったけど,もしそんな話が舞い込んで来たりでもしようものなら,彼は地球の裏側にだって飛んで行きそうに見えたから.
その後,彼はある地方企業に就職し,何やら設計だとか,私にはよく分からない仕事をし出したのだけど,私は何となく,彼ならその仕事の中にも夢を見出し,それなりに楽しい人生を作って行けるように思えた.
現在の彼は,その仕事を続けつつ,地元の大学アメフトの審判員をしている. 彼は大学時代,アメフト部に所属していたのだ. 趣味の延長ではあるのだろうが,ローカル局で,彼が審判員をしている試合がTV放送されることなどもあるらしい.
彼の趣味である審判については,会社からの理解もあり,喜ばしい事に,仕事と審判との両立も,問題なく果たせているそうな. 彼は,電話口で私に「どっちが仕事なんだか分からない.一日五千円くらいしか出ないけど」などと笑っていたのだけど,私はそれを聞いて,あやうく涙が出そうになった.
その先輩がもし,やりたい事を無くし,ただただ食うために日々会社に勤め,給料日にヤケ酒を飲み,休みの日にパチンコ屋に通うだけの大人になっていたら,私はとても悲しかったろう. しかし,若かりし日の私が,何かを感じたその彼は,あの頃と変わらず,魅力的なままでいてくれた. それどころか,むしろ輝きを増していたのである. 私は彼に勇気をもらい,何だか,また新しい曲が作れるような気がした.
私にも彼にも,きっとゴールなんて存在していなかろう. ただ欲しい物を求め,自分が楽しめる時間を模索し続け,やりかけの仕事を残したまま前のめりに倒れたら,結果的にそこがゴールなのだろう. 私はそれで良いよ. この文章を読んでくれている皆さんも,どうか夢だけは見続けていて下さい.
・10/3(土)
神田優花. やっとニューアルバム「レイチェル」のCDが完成,我々の元にも届きました. 下の写真は,今週のリハーサルの様子とそのCD.
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神田優花と言えば,今日からSPACE SHOWER TVにて,「What I want」のローテーション(ZAP)が始まってます.
以下,今週スタジオで撮った写真. この日は雨でした.
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・10/2(金)
私は若い頃,よく周囲の人から「有言実行型の人だ」と評された. 私は別に,有言実行に努めようなどと,日々心掛けていたわけでもなく,「周りがそう言うのだから,自分はそういう人なのだろうか」とボンヤリ思っていただけだった.
今ならハッキリ分かる. 当時の私はただ単に,思ったことを口にしていただけだ. だからして,成果についての公言なら,外した事もしばしばあった筈だが,例えば「何かが好きである」と言うような,我が心のあり様を開示する作業において,誤差が少なかったのだろう. しかしこの社会においては,そこに誤差が少ないだけでも,結果として,多くの人よりは有言実行タイプの人間になってしまうらしい.
確かに世の中には,平然と前言を翻す人間が実在する. 「あの時君は,あんなにも○○を好きだと言ったではないか」と問い詰めても,「確かにそう言いましたが,私は何故そんな事を言ったのでしょう」などと平気で言えてしまう人はいる. きっと彼は,意図的に周囲を煙に巻こうとしたり,あるいは嘯いていたりするのではないと思われる.本当に気持ちを覚えていないのだろう. 気持ちを覚えてなければ,発言した事実だけは覚えていたとしても,それはあたかも,他人の言った事のようにしか感じられないだろう.
自分の感情を捕捉出来ない,あるいは感情そのものが捕捉し難い程に希薄である人が,事実存在する.感受性が弱いだのと形容されたりもするのだが,要は国語力に欠けるのだろう. 国語力と感受性,どちらが先かと言う点について,今の私にはまだ定見が無いのだけど,両者が密接に関係している事は間違いない.
この文章を読んでいる人の中に,もしかしたら,ある時の私を直に知っている人がいるかもしれないけど,私はあの頃と全く変わってないし,音楽を好きだと言ったあの時の私は,決して嘘を吐いていなかった.今の私こそが,その証拠でもある.
大人になれば,皆色々と大変なことがあるだろうけど,私は相も変わらず,子供の頃に愛した音楽を,今も追い続けている. 私みたいな人がここにいる事が,今日のあなたの勇気に変われば嬉しい事この上も無い. がんばって.あなたの心の中には,私が作った歌があるじゃないか. 私はそこにいるよ.
・10/1(木)
月刊Auditionその他の媒体にて,先月一日より告知してましたオーディション(アーティスト募集),昨日で締め切りとなりました. たくさんのご応募ありがとうございます. 今月中にも一次選考の結果が出ると思いますので,今しばらくお待ち下さい. 何度も言っているのだけど,選考作業は私の担当ではないので,代理でお知らせしてるだけですが.
神田優花の情報. Infoでも既にお知らせしていますが,神田優花が「SPACE SHOWER TV」10月のニューカマー(オススメ新人)に選ばれました. 今しがた確認したのですが,スペシャの公式サイトで画像入りで紹介されているみたいですね. あと,私はまだ見てませんが,携帯サイト(スペシャの)でも紹介されているらしいです. だからどうしたって話だけど,一応報告.
スペシャと言えば,本日(10/1)「SPACE SHOWER RECOMMEND JAPAN」と言うプログラムで,神田優花の「What I want」がオンエアされます. また直前の告知な上,時間が朝の4:30〜6:00の間との事なので,見られない(これ読んでる時点で見逃している)人が多いでしょうけど. オンエアって本当に直前に決まるんだもの.
それでは以下,アルバム(神田優花「レイチェル」)収録曲の解説です. 14曲分もあったもので,やっとこれで最後になります.
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