Staff diary  
業務日誌[2007]

[文 / 益田(制作)]

12/31(月)

大晦日ですね. 今日は月曜か.年末年始は曜日が分からなくなるな.

年の瀬なので,思うところあって,自身を総括していた. 私はハッキリ言って粗忽者である.仕事上のミスも多い. 今職場で顔を合わせる人は,年齢でいうと私より若い人も多いのだが,皆しっかりしていて感心させられてしまう. 私は今までの人生,好きなことばかりやってきたのだが,それで良かったと思うし,結局こういうことぐらいしか出来ない人間なのだと思う. これから先の残った時間も,基本的に今まで通り,好きなことをやらせてもらう所存です.仕事でお目にかかる方,今後も色々とご迷惑お掛けすると思いますが,どうかよろしく.

因みに,そんな粗忽者の私が,音楽制作などという,まあそれなりに緻密さを要求されるような作業を問題無くこなせるのか,不安に思われる向きもあろうかと思うが,私は音作りの時だけは,一応アタマのネジが締まるようだ.


12/30(日)

完全に休みモードの益田です. 先日カセットテープを作ったのだが(この話,しつこいな),その仕様説明がてらに実物の写真を上げてみる. こんな感じの商品になります.

Photo1 Photo2 Photo3


12/29(土)

以下は独り言みたいなものなので,興味無い方は読み飛ばしちゃって下さい. 休み中でヒマなんで,音楽制作の料金体系について,一人でダラダラ考えていた.

「音楽制作の料金体系」なんて銘打ったものの,実のところ相場なんて有って無いようなものなのだ. 業者なら,スタジオだの機材だのの維持コストが当然あるから,ある程度いただかないと普通はやってられないわけだが,その維持コストのほとんどは,客がいなくても掛かってしまう固定費用なのである.考え方によっては譲歩出来なくもないかもしれない.技術料みたいなものは無論のこと,叩こうと思えば叩けてしまう.

作曲や編曲に掛かる代金なんて,まさに技術料・ブランド料みたいなものなので,原価計算なんかもしようが無い.ほとんど言い値である. しかしながら,作曲家・アレンジャーや曲そのものにも因るだろうが,実際POPS一曲アレンジしようと思っても丸々数日ぐらいは平気でかかったりする.差し戻しなんかが入ったりもするから,正味一週間ぐらい拘束されることになったりもする. またそういう人ら(特にアレンジャー)は通常,マニピュレーターという奴を兼ねているが,個人所有レベルといえども,機材費はバカにならない. いくら相場が無いと言っても,ある程度もらわないと現実的に続かない.

レコーディングスタジオの使用料の相場,都内だと大体一時間一万数千〜数万円くらいか(こんなのも設備や立地等に差がありすぎて,一括りに言えるわけないが).まあ通常一コマ(1時間)だけなんて形で借りるものでは無いし,場合によっては,それプラス機材のレンタル代やエンジニアの人件費が掛かったりする. 録音するパート数などによって押さえる時間も物凄く変わってくるから,これも一概に言えないのだが,レコーディングスタジオ使って録音物を作ろうと思うなら,もうそれだけで,最低でも十数万ぐらいの出費は覚悟した方が良いだろう.

プレイヤーのギャラ.これも奏者によって物凄く変わってくるのだが,一応録音に耐えうるレベルの技術者を拘束するのだから,自給900円ってわけには行くまい. インペグとか制作屋に派遣を依頼するなら,一人が一日で数万円,下手したら十数万ぐらいは覚悟すべきか(直接ミュージシャンの懐に入るギャラの額では無い).

Mix・マスタリング.これが一番謎な部分だ. 例えば,比較的シンプルな編成のバンドなどの場合の,単に録音した各パートを,適度なレベル調整等を施した上でミックスダウンする,というだけのものと,J-POP的なエフェクト・ギミックを施しまくったトラックを作るのでは,全然かかる労力が違うわけだが,後者の料金体系ってあまり詳らかでない.というか,表立ってそういうサービスメニューを提示している業者なんているのだろうか.見たこと無いような気がする.従ってその相場も謎である. そういう技術屋の絶対数自体も少なそうだが,やってもらうなら結構なお値段だろう.おそらく. また,きっとあの手の装飾的な音作りって,クライアントがそれを欲したとしても,指示するのにも専門的知識が必要で,現実的には発注出来ないケースが多いのに違いない. 因みに,編集作業の中でもボーカルのピッチ(・リズム)補正なんかは,業者によっては別料金取られるみたいだ.単体のサービスとしてメニューに(「ボーカルトラック補正」が)並んでいたりもする.相場は,ちょっと調べた範囲では1トラックにつき1万数千〜3万チョイってところだった.確かにあの作業は面倒臭いからな.さもありなんって感じだ. ピッチ補正,工程としてはMixの領域(レコーディングとマスタリングの間)になるのだが,ウチの場合は,Mix・マスタリングのサービスにボーカルのピッチ補正も含んでいる.

マスタリングってのも何だかなあ.マスタリングという用語が,「マスター化する(完成させる)」というだけの,非常に定義の曖昧な言葉だ.どんな作業だ一体. まあ世間一般では,ミックス済みのトラック(2Mix)にコンプ・EQ処理を施す,といった程度の作業領域を指しているみたいなのだが,しかし,コトバの使い方としてはあんまり適当でない気がする.普及してしまっている用語だから,仕方なくウチも使っているが,何か他の言い方無かったのだろうか. で,マスタリング料金の相場だが,上記のいわゆるマスタリング作業だけの料金で,大体数千〜3・4万ぐらいまで,割と幅広い.仕上がりも結構違うのかもしれない. まあしかし,2MixにまでされてしまっているAudioデータに施せる加工なんて,どう考えてもたかが知れているけど.

で,これらを一括して請け負う代理店みたいな業者がある(ウチもそうだ).音楽制作会社なんて言われているところである. スケジュール管理だの何だのという面倒な作業一切をやるわけだから,当然幾らかいただかないと出来ないわけだが,実はこれが一番しんどい作業かもしれない(とにかく最初から最後まで振り回されるのだから). そして,その労働の価値が一番認められ難い. ウチが制作屋として外部から仕事を請ける場合,当たり前だが相応のギャラはいただく.相場(無いようなものだと言っておきながらナンだが)に照らし合わせて高いか安いかと言うと,多分ごく普通だろう(知っている範囲だと安い方だが).物凄く安くは無いし,ダンピング競争に参加する意志も無い.不当な利を貪る気は無いが,安定したサービスを提供することも,結構な優先事項だからだ.

色々述べたが,結局具体的な料金になんてほとんど触れてない.本当に何とも言えないからだ. だからして,「一曲作るのに幾ら掛かりますか?」などと問われても,「モノに因る」としか答えようが無い.それどころか,「アレンジ一曲分で幾ら?」とか「Mixは一曲幾ら?」などと問われても,一概に言えない.3分のPOPSでも1時間の交響曲でも一曲と言えば一曲なのである(長さだけでなく,編成もギターの弾き語りからフルオーケストラまで色々ある). 詰まるところ,音楽なんてその商品の性質上,画一的な料金体系を設定するのに無理があり過ぎるのである. 表向きの料金体系なんて,画家が一号幾らといっているようなもので,あくまで目安である.

余談だが,インターネットなどで業者のサイトと思しきものを色々見ていると,信じられないぐらい安い料金を謳っているところもある.録音物一作品作って(編曲・ボーカリスト手配・レコーディング込みで)4万ちょっととか.ハッキリ言って,どうやって採算取っているのか私にも見当がつかない.どんなものが仕上がるのかも分からないけど. 本当にそれなりのものが出来るのなら,半分本気で丸投げしたいぐらいなのだが,ちょっと試してみる勇気が無い.


12/28(金)

影山リサ,先週録った音のチェックを兼ねてスタジオ入り.今年最後のリハでした. 既に来年のリリースもいくらか決まりつつあります.今後もよろしく.

Photo1 Photo2


ステレオ録音用にと,ペアのマイクを購入した. ここ最近,コーラスワークが複雑な曲が多くて,(録音結果の)PANや位相をゴチャゴチャと弄ることが多かったのだが,マイクそのもののセッティングも色々試してみようと思って.

因みにそのマイク,コンデンサーマイクではあるのだが,いわゆるエレクトレット・コンデンサーマイクというヤツである. 私もあんまりマイク類に詳しいわけではないが,ダイアフラムに直接電流を送り込むタイプの一般的なコンデンサーマイクと,厳密には構造が異なるらしい. 試しに導入したヤツなんで,ハッキリ言ってそんなに高価なものでも無いのだが,音は結構しっかりしているようだ.まだ使い始めたばかりでよく分からない部分もあるけど. 早速年明けにでも,そのマイクを使ってレコーディングやってみます.


12/27(木)

Photo1 Photo2

一応ウチは今日で仕事納めです. というわけで,今週スタジオで撮った写真をUP. 広瀬沙希(下)は,スタジオで先週録った音のチェックをしてました.

Photo1

以下は片飛鳥. 今週はリハーサル無し,打ち合わせ中の写真です.

Photo1 Photo2


12/26(水)

私は今日もお休みだ. 今月は弦楽器の録りなんてのもあって,とにかくレコーディングの件数が多かった. 弦の録り,ウチとしては珍しいと言えば珍しい.しかし,単にウチが作る音にPOPS系のものが多いので,機会として生の弦の出番が少ないだけで,別に録音作業自体がそんなにシンドいものではない.マイクの本数も少ないし,ドラム録りなんかに比べれば全然楽な部類である. 重奏の一発録りとかだともう少し大変ではあるが,それもどちらかと言うと録音より編集の方が面倒なだけだ. とにかく今月は件数の多さに参った.


12/25(火)

先週,新作「CANDY POP」を発表したばかりの影山リサですが,またニューアイテムの話です. 年内最後のインフォメーションになりますかね.

影山リサの新作「ラッキー・スター」を,弊社サイト(ここ)にて販売開始しました. メディアは今時珍しくカセットテープ.

新作とは言っても,新曲(未発表曲)などは1曲も入っていない.既に発表済みの「LUCKY STAR」と「CANDY POP」の両シングル,タイトル曲をそれぞれA・B面に収めたものとなっているので,その両シングルを既に持っている人には,あまり食指の動かないアイテムになろうかと思います. 収録の2曲は,どちらもFMサウンドを施したキャッチーなナンバーで,影山リサというアーティストの入門編みたいな格好となってます.まだ影山リサの音を聞いたことが無い人なんかで,さらにCDプレイヤー持ってなかったりする方は,良かったら入手してみて下さい.2曲入り\1,050(税込)でございます.


12/24(月)

今日の昼間,サーバーが割と長いこと落ちていて,このページが暫く見られなかったらしい. それはさておき,今日は振替休日なんだと.昨日一昨日とずっと働いていた私なんだが,今日は珍しく休みを取らせてもらった.


12/23(日)

今月はとにかくキツかった.何曲録ったのだろうか.面倒臭いんで数えないが. しかし先週で一応は一山越えた. と言っても,リハーサルは来週まであるし,編集作業も山のように残っているので,まだ仕事納めというわけには行かないのですが,とりあえず大きめの仕事は終えました. 年末年始は,チンタラ読書と曲作りでもやりながら過ごさせてもらいます.残った編集作業も片付けないといけないけど.

そういえば,今週はヴァイオリンの録りもあった. 以前にも言ったのだが,通常このページには歌い手さん以外の写真を上げない.しかし,ヴァイオリンの録りというのも珍しい(この間のチェロほどレアでは無いが)ので,リハーサル時のカットなんてのを上げてみる. 因みに,弾いているのは外部の奏者さん.

Photo1


12/22(土)

神田優花,今週はレコーディング(2曲).今回の録った曲のうちの一つが四声だったので,実質3曲分ぐらいの録音量になったのですが,一応必要なテイクは録れました.今年はこれで最後のスタジオ入りになります. また,レコーディング終わったばかりの神田優花ですが,既に次の曲の制作にも入っています.録りは来年ですな.

Photo1 Photo2

影山リサ,新曲の歌録りでした. 影山リサも今週から次の新曲の制作に入ってます.

Photo1 Photo2 Photo3


12/21(金)

今週スタジオで撮った写真をUP.

Photo1 Photo2

広瀬沙希,新曲の上がりをチェックしてました. あと歌録りが一件,急遽入ったので,この日はレコーディングでもありました.

Photo1

佳乃.こちらも音のチェックを兼ねてスタジオ入り.まだMixが終わってない状態の音だったのですが,先週録った2曲のボーカルテイクをチェックしてました.

Photo1 Photo2

片飛鳥,こちらも新曲のチェックを兼ねてのスタジオ入り. 何かみんな上がりをチェックしているみたいですが,本当にここ最近,歌録りが多かったもので.


12/20(木)

先月,月刊Audition誌等で告知していたオーディション,一次選考の結果を今週発送しています. 通知の方は,審査通過者のみに出しているそうなので,ご了承下さい.

17日に「CANDY POP」を発表したばかりの影山リサですが,年内にもう1つアイテムを発売する予定です. タイトルの詳細は近いうちにお知らせします.


12/19(水)

毎年の事だが,一年を象徴する漢字一文字,みたいな年末恒例の企画がある.今年の一字は「偽」だそうだ. 相次ぐ食品偽装問題とか,そういうトピックスからの連想なのだろう. まあ私にとってはどうでも良い話だなのだが,その「偽」という字について.

漢字は表意文字,厳密には表語文字といわれる. 「人の為」と書いて「偽り」になるのだが,なんだか身につまされてしまうような気分だ. 確かに人の心を忖度出来ない人は,ある意味偽る(嘘を吐く)事も出来ない. 例えば,他人を傷付ける発言などの行為一つ取ってみても,自然,人は突かれたら痛いであろう事を想像しつつ論うわけで,まずベースに他人を慮る心理が働いている. 他人の心境が全く推量出来ない人は,結果的に他人の心を傷付けてしまう事はあっても,意図的にピンポイントで傷付ける事は出来ない筈である. 嘘も似たようなもので,状況や立場を把握し,他人の心情を察知する事から生まれる.基本的に想像力の産物だと言って良い.ただ大抵のケースは,単に未熟な想像力の副作用に過ぎないような気もするが.

因みに,漢字としての「偽」の本来の成り立ちは,「人の為」とかそういう意味なのか,私は知らない. 白川静の「字統」に拠ると,偽が人為(人の為の意でなく,artificialの意)を指すというのは後世の付会で,本来の意味はものの変化すること,との旨あった.


12/18(火)

昨日の事になりますが,CD通販サイトJETROBOTにて,影山リサの第二弾アイテム,「CANDY POP」が発売されています. 3曲入り,税込価格¥1,260です.良かったら聴いてみて下さい. 楽曲解説も上げてますので,よろしかったらこちらもどうぞ.


12/17(月)

故あって,今週2曲の予定だった歌録りが,急遽3曲になってしまった(正味4〜5曲分ぐらいの分量があるが). レコーディングが増えれば,当然編集作業量などもそれに比例するわけだが,今まさに仕込み中です.

何故歌録りが一件,急に入ったかと申しますと,事情を詳細に伝えるのが大変なのだが,早い話が機材の不具合で,録音済みのデータが一部ブッ飛んでしまったからだ. こんな事滅多に起こらないのだが,年末の忙しい時期に限って起きやがって.


12/16(日)

先週は平日に休みを(久々に)もらった.だからというわけでもないが,土日は働いてます. 溜まりに溜まった編集作業が,だいぶ片付いてきた.


神田優花,先週は新曲のリハでした.今週は歌録りの予定です. あと,先日のイベントのレポートに,当日のセットリストを加えました.というか,今まで入れるのを忘れてただけですが.

Photo1 Photo2 Photo3

影山リサ,新作「CANDY POP」のチェックを兼ねてスタジオ入り. 影山リサも今週は新曲の歌録りです.

Photo1 Photo2 Photo3

今月に入ってから,立て続けにレコーディングをやっているのだが,今週末あたりで一応は一段落,あとは来年以降になります. やっと本格的に休めそうだ.


12/15(土)

Photo1

今週は3曲も歌録りがあった.来週も2曲録る予定で,うち1つは4声の曲なので,手間としては3曲分ぐらいになりそうだ. 下はレコーディングの様子(写真は佳乃).

Photo1 Photo2


12/14(金)

カセットテープの話.昨日の続きといえば続きです.

一昔前(80年代後半ぐらいか?),アナログレコードとCDのちょうど過渡期にあたる時期だったと思うが,当時のアーティスト(メーカー主力級のアーティスト達だけだったかもしれない)は,新譜を出す際,CD・レコード・カセットテープの実に3種類のメディアにてリリースしていた. デザインなんかも,当然ながら3種類用意しただろうから,3倍とまで言わないにしても,それに近い労力を要した筈である. 当時はもうデータ入稿なんてやっていたのだろうか.多分版下作ってたんだろうな.

面倒なのは,デザインに限った話では無い.CD用のデジタルオーディオとアナログ用のそれとは,ダイナミックレンジや周波数特性等が違うのである. 専門的な話は省くが,要するに,厳密には規格が異なるのだ.平たく言うと「音が違う」のである(再生機による再現性の問題ではなく,音源自体が違う). ひょっとして別々にマスタリングしてたりしたんだろうか.まさかな.同じ音源(マスター)を無理矢理ダビングしてただけだろうな.きっと. 80年代なら,録音環境はもうデジタル・レコーディングだったろうから,それをアナログ音源化してたのだろうか.まあ無理矢理コピーすること自体は,少々乱暴だけど出来なくはない.ただ,再生時の音のニュアンスは結構違ったろうと思う. 今手元で検証出来ないのが残念だ. 因みにうちの音(カセット)は,CDDA用のマスターを強引にアナログにダビングしただけのものです.

その後の音楽業界の趨勢はご存知の通り,CDが圧倒的メインストリームとなった(現在,配信にやや押されつつある). つくづく私が思ったのは,あの時代に音屋をやってなくて良かった,という事.再生機のシェアがそんな(独占的に普及している再生機が無い)状態では,物を売るのも大変だったろう. メディアを言語だと考えてもらいたい. 日本人が日本語で書いた本が,どんなに名文・名作だろうと日本人以外は基本的に読めない.対象を最大に見積もっても,必然的に1億人程度が限界となる. J-POPでミリオン(100万枚)セラーを達成するなんて,容易な事では無いが,アメリカのアーティストのヒット作なんかは,1000万枚超えていたりする.文字通り桁違いの売上げなわけだが,人口だけで見ると,アメリカは日本のおよそ2.5倍程度に過ぎない. 詰まるところ,彼らの母国語が英語という「国際共通語」であることに因っている部分は大きい(無論,理由はそれだけでは無いが).マーケットが地球規模になってしまうから.

複数種のメディアにてリリースする,というのは,早い話が各国語版の翻訳を出すようなものだが,当然ながら,作者が本来意図していた繊細な部分は無視されてしまう.


12/13(木)

もう三年以上前になるが,ウチのレーベルの商品として,カセットテープを作ったことがある. ウチはレーベル(事務所)業務以外にも,いわゆる委託生産というか制作屋業をやっているのだが(というか,そっちが本業だ),当時,サービスメニューの一つに「カセットテープ制作」を加える事となり.その際に,商品見本があった方が分かりやすかろうと思って,1タイトル試しに作ってみたわけである. そして,それ以来作っていないのだが,理由は単純に注文が入らなかったからだ.典型的な失敗企画と言って良い. 内容にもよるが,普通メニューを一つ増やそうと思ったら,それ用の各種雛形・ラインの確保等々,立上げに掛かるコストって結構大きい. まあそれを長期的なプランで数字上は回収して行くわけで,初期投資とでも呼ぶべき性質のものなのだが,今回のウチの場合,ほとんど丸々掛け捨てとなった.無論トータルでも赤字である.

実のところこの「カセットテープ制作」,もうメニューからも削除しようかと考えていたぐらいなのだが,この度,実に三年振りに二作目を作ることになった(既に結構作業も進んでいる).世の中分からないものだ.

と言っても注文が入ったわけではなく,またしてもウチのレーベルからの販売用タイトルだ. 何と言うか,色々と事情があって作る事になった.きっとまた不採算です. 儲からない事ばかりやっているな.ウチは.


12/12(水)

いわゆる食品偽装事件という奴が相次いでいるそうな. 無論,一消費者としてはそんな事やってもらったら困るわけだが,私としては正直関心のあまり持てない話で,話題にもしてなかった. しかしながら,今回思うところがあったので書き留めておく.

槍玉に挙げられている,とある料亭の,若旦那と女将とやらが謝罪会見をしたそうなのだが,その席で女将は「先代に申し訳ない」と言っていたそうだ. その発言については,おそらく全国からの突っ込みが入っていると思われるし,私はあえてここで問題にはしない. そんな事より,私が身につまされて感じたのは,彼女を含め,人って意外なほど自分の役割というか,手を付けている作業の意味が理解出来ていないケースが多い,という事だ.上の女将の場合,自分が何故記者会見に臨んでいるのか,が理解出来ていない. 確かに私も子供の頃など,自分がやらされている行為の意味合いが分からずにいた事がしばしばあった.今パッと具体例が思いつかないけど.

ウチは事務所業を一応やっているので,たまにアーティストには,ラジオなどのブッキングを取ってきたりする. ウチのアーティストに限った話ではないが,一リスナーとしてラジオなんかを聞いていると偶に,自分が何の為にその番組に出て喋っているのか,の理解が曖昧な人を見受ける. 当然ながら,聞いている私は違和感を覚えてしまうわけだ.

言葉の一つや二つぐらい間違えたって問題は無い.滑舌ぐらい悪くても,聞き取れるのならまあ良い.しかし,作業の意味の無理解から来る「場違いな発言」をされたら,事務所としては非常に困る. これ,短い文章で簡潔に説明するのが難しいのだが,共感してくれる人も多いのではないだろうか.


12/11(火)

先週録った音の編集中,働いてばっかりだな私は.日曜も休んでない.

私の置かれた環境に制約が多いからなのだが,編集作業をやっていると,ファイルの転送だとかで,数十分〜一時間くらいの空き時間がすぐ出来てしまう. その時間,無為に過ごすのも勿体無いので,色々と暇潰しを試みるのだが,今回,FM音源(のみ)でドラムキットを作ってみた.

アナログ系のシンセドラム(アナログモデリング・サンプリング物を含む)なら,今も昔もPOPSでは結構頻繁に使われているのだが,FMのドラムってあんまり聞かない(アナログシンセに比べれば). で,自分で色々と工夫してドラムキットを作ってみたのだが,趣としては,アナログ系と似たような感じですね. 実に本物っぽく無く,かと言って,さして独自性があるわけでも無し.あまり使われない(商業用途で)理由が,何となく分かった. ついでながら,下にそのサンプル音を上げてみた. せっかく苦労して作った割には,実際に曲で使われる機会が少なそうな音なので,ここで披露してみる.

Sample(MP3)

本来こんな話をするなら,FMの音源方式(原理)から説明すべきなのだろうけど,大変なので割愛させてもらった.悪しからず.


12/10(月)

このページの内容などが,まさにそうなのだが,私は常日頃,物事をぶっちゃけて言い過ぎて,よく叱られる. 懲りもせず今後も忌憚なく述べるが.

イベント後記. つい二日前,私は神田優花の出演イベントに同行した. イベント自体,成功か否かと問われても,可も無く不可も無くとぐらいにしか答えようはない.無論収支で言えば赤字だが,まああんなものだろう. 歌が終わった後に,CDの直売会(&サイン会)があったのだが,そんなに大した枚数出なかった. まあ欲を言うからこうなるのだが,本来身の丈に不相応な結果など望むべくも無い.

「CDが売れなかったから,不採算だった」と言っているのではない.念のため. CDなんて少々売れようが不採算には変わりが無い.最初からそんなことは分かっていた. それでもやっただけなのである. よくよく考えるまでもなく,例えば1000円のCDシングルを直売で100枚売ったとして(ウチの場合はアルバムだったけど),アーティストロイヤリティが1%だったら,歌い手の取り分はせいぜい800〜900円ぐらいだ(ジャケット控除という奴を差っ引かれるから).事務所が原盤持ってたりしても,せいぜいその10倍(一万弱)ぐらいか. 当日,現場に(アーティスト本人も含めて)2〜3人程度でも人を出そうものなら,一日拘束分の人件費・交通費をまともに計算していたら,商売になる筈が無い(無論,事前に掛かる経費もある). ウチなんてPOPS系だから,衣装なども自前でもなんとかなるが,演歌歌手だったりしたら,CDの上がりなんて着付代にもならないだろう(よく知らないけど).

私は,物事が一筋縄で行かない現実に対し,憤ったり,嘆いたりする人ではない. むしろ逆だ. 人様の前で歌を歌ったら拍手喝采を浴びて,CDが飛ぶように売れ,忽ちスターになって大金持ちになる.なんて筋書きも,悪くは無いのかもしれないが,そんな事ばかりをアタマに想い描いていると結局,夢や人生や歴史や宇宙などというものが,全部平べったい紙芝居みたいに見えてしまうような気がするのである. 私はやはり,音楽(ビジネス)の世界,もっといえば目の前のこの世界そのものが,このしち面倒臭いところも含めて好きなのだ.この面倒さこそが,鮮やかさだと思っている. 物事は,そんなにトントン拍子でなくて良いのです.少なくとも今の私にとっては.


12/9(日)

神田優花,昨日はイベントでした. いわゆる神田優花のライブってわけでもなく,お店のイベントに出演しただけなのに,わざわざそれだけを見に来てくれた人もいたみたいで,みんなどうもありがとう. レポートを上げてみたので,良かったら見てみて下さい. 下はアーティスト本人からのコメント.

久々のライブだったけど、本当に気持ちよく歌えました。あまりリハーサルが出来なかったり、初めて店舗内でのライブだったりで、どんなふうになるのか不安もあったけど、ステージに上がったらそんなの吹っ飛んじゃいました。会場が吹き抜けだったので二階、三階から聞いてくれるお客さんもいてとても新鮮なステージでした。上に向けて歌うのもいい感じですね。 関係者の皆さん、歌を聞いてれた皆さん、本当にありがとうございました!!!

神田優花


そういえば,現場(イベント会場)で今回のイオンフェスティバルのチラシという奴を初めて見た.写真,結構大きなサイズで載ってたんですね. 30万部も刷ったらしいので,北戸田近隣の方には,多少なりとも膾炙してくれただろうか.


影山リサ,先週は新曲の上がりのチェックを兼ねてスタジオ入りでした. そういえば昨日のイベント会場で,BGMとして「LUCKY STAR」(instrumental)を流した.まあ誰にとっても知らない曲だったろうけど.

Photo1 Photo2 Photo3


12/8(土)

神田優花,リハーサルでした. イベント(Info参照),日付的にはもう今日になりますね.時間があったら遊びに来てやって下さい.

Photo1


12/7(金)

Photo1 Photo2 Photo3

広瀬沙希,今週は新曲のレコーディング(歌録り)でした. 上の写真はその時の様子.

以下はその他,今週スタジオで録ったカット.

Photo1 Photo2 Photo3 Photo4


12/6(木)

Photo1 Photo2 Photo3

昨日はピアノとチェロのレコーディングをやってました. 普段このページには,レコーディング・リハーサル共に,歌い手さん絡み以外のスタジオ風景をUPしないのだが(私のギター録りなど誰も見たくなかろうから),今回はチェロなんて珍しいもののレコーディングをやっていたので,録音風景を上げてみた. 因みに演奏しているのは,チェロ・ピアノどちらも外部のプレイヤーさん.

ついでに以下,神田優花のリハーサル.

Photo1 Photo2


12/5(水)

先日もこのページで触れた元防衛事務次官,結局逮捕された. 官僚や政治家が不祥事を起こす度に,その手の人たちに対する不信感が国民の中につのってしまうのは致し方ないとして,本当に彼らは社会悪なのだろうか.

私は,音楽なんて夢のようなことを考えながら日々生きている人間だが,実は意外と現実主義者である. 正直言って私は,自分を含む大多数の庶民は基本的に愚かで,彼ら(官僚など)は優秀だと思っている.「官僚なんてたかが試験秀才じゃねーか」とその辺のオヤジに腐されても,オヤジも認める通り,試験における高得点者であることは間違いない.試験秀才ですらない人たちに比べれば,その点において秀でている事は紛れも無い. 彼らのような事務作業におけるエキスパートがいなければ,こういう社会(広域国家)は成り立たないだろう.

何年か前,上野の博物館に「兵馬俑展」を見に行った.始皇帝が作らせたという,あの有名な「大量の人間像」である. その時の展示は,主には文官俑というヤツだったのだが,文官というのは早い話が官僚だ.よって,装飾等も簡素で,見世物としては武官(兵士)に比べると,やや魅力の薄い展示だった. 私がここで言いたいのは,秦という古代帝国には,大量の官僚が存在したという事である. 秦は,面積的には,今の中華人民共和国にほぼ相当する広大な地面をその版図とした.また,万里の長城や阿房宮の建造といった巨大規模の土木事業(公共工事)を行なっているのだが,そんな事が可能であったのは大量の文官がいたからだろう. この,官僚制度が存在する=広域の統治や大土木事業・大規模軍事行動が可能,という理屈をすんなり理解出来ない人は,まだ官僚制度を批判すべきでないと思う.

無論官僚制度に問題が無いわけではない. 中国では隋・唐の時代から科挙という官僚登用試験が行なわれるようになり,その後その制度は清代まで続く(秦代にはまだ無い). 試験に合格し,晴れて役人となった人は,ほぼ例外なく収賄し,結果的には国家ごと汚職の巣窟となっていたような印象である.「清官三代」(清潔な役人でも,三世代暮らせるぐらいの蓄財が出来る)などと言われたりした. まあ客観的に見れば,栄達欲・立身欲を原動力に,試験という生存競争に勝ち残った挙句その職に就いた人なら,いざ役人になったら,次は栄達・蓄財競争に執心するだろう.当然.

今の日本の官僚採用制度は,要するに科挙の一変種である.事務処理能力におけるスペシャリストを掻き集めようと思うなら,ペーパーテストにおける点数というのも,非常に有効な採用基準であろう. しかしこれまた当然ながら,その弊害・副作用として「汚職」が起こる.制度上の課題と言って良い. 社会制度も人間が作っているものだから不備もありますわな.


12/4(火)

Photo1 Photo2 Photo3

影山リサ,先週は新曲のレコーディングでした. ラジオなんかでもお知らせしてたんですが,影山リサは今月,新タイトル「CANDY POP」を発表します.既に収録曲は全部マスタリング済み,ジャケット類のデータも上がってまして,現在パッケージの製造中でございます.

因みに,収録される3曲,全て私が曲書かせてもらってます(アレンジも). タイトル曲の「CANDY POP」は,前作「LUCKY STAR」に引き続き,FMサウンドをフィーチャーしたPOPナンバーです(この路線もちょっと飽きてきたけど). がんばって作った楽曲達ですので,良かったら聴いてみて下さい. 収録楽曲の試聴用MP3なんかも,近いうちにUPします. 下の画像はその「CANDY POP」のジャケ.

CANDY POP


12/3(月)

片飛鳥,先週は新曲の歌録り. ここ最近,ラジオ等で告知していた新作音源の予定収録曲がこれで録り終わりました. ジャケ写とか撮らないといけないんで,発表は年明けになります.細かい事が決まってきたら,またお知らせします. 以下,先週のスタジオでのカット.

Photo1 Photo2 Photo3


12/2(日)

先週録ったボーカルテイクの編集とギター(アコギ)の録りで,土日は休み無し. 私はもう三週間ぐらい休んでないな.


神田優花,先週は新曲のオケなんぞをチェックしてました. 今週末にはイオン北戸田店でイベントもあります.本番前なので,今週は最終リハです.

Photo1 Photo2 Photo3


12/1(土)

もう12月か. 今週は歌録りを2件終わらせたのだが,来週はアタマからそれの編集と,別件でピアノとチェロの録りが入る予定だ.もしかしたらギターも録るかもしれない.とにかく来週は忙しそうだ. 下は今週スタジオで撮った写真.

Photo1 Photo2 Photo3


11/30(金)

今週から来週末にかけて,3件ほど歌録りの予定が入っていて,ここ何日かはその仕込みだけで終わってしまった.

今月,月刊Audition誌上にて告知してましたデモテープの募集,本日で締め切りとさせていただきます.たくさんのご応募ありがとうございました.


11/28(水)

ロダン(彫刻家)に「考える人」という有名な作品がある(元々は「地獄の門」というもっと大掛かりな群像で,その一部を抽出したものが著名な「考える人」だ). あの作品があのように感動的であるのは,モデルとなっている人物が「考えている」からなのではないだろうか.

芸術・創作の源泉となるものは,きっと「考える力」である. これを持たない人が,いくら高度な音楽理論を学ぼうと,演奏技術を身に付けようと,詰まるところ,芸術家としては肝心な何かが欠けたものにしかなれない. 音楽理論家・演奏家とでもいうべきか.それでも音大の教授や音楽教室の先生にならなれるかもしれない.

美術,とりわけ絵画についての話をする. 日本の学校教育の現場では,昭和のある時期まで,そのカリキュラムの基本が「模写」であったそうな.ある既存の絵画(古典)をどれだけ忠実に模倣出来るか,が評価基準であったらしい. 想像力の漲る子供にとっては,さぞかし辛い授業であったろう. 明治以降に大量に流入してきた欧州型の文明体系は,基本的に日本の歴史に根ざしたものではない.明治以降の日本国は,いうなれば俄か普請である.従って,様々な綻びや誤訳を含んでこんにちに至っている.芸術観などその最たるものだろう.

美術教育の現場に「模写」という課題を持ち込んだであろう,当時の文部省の偉い人(誰だか知らない)は,そもそも美術・芸術に対する理解が浅かったように私には思えるのだが,現場(学校)としては,一応の評価をせねばならないのだから,何らかの採点基準を与えてやらざるを得なかったのも,ある程度は已む無いことだったのかもしれない. それとも創造性を培うためではなく,単に画一的な人間を育てる事を目的としたカリキュラムだったのかもしれない.だとしたらこの上なく合理的な手法だ. そのカリキュラムを導入した人物は,さながら練達の精神科医だな.


11/27(火)

ここ二週間ぐらい,ずっと休み無しで働いている.いい加減疲れてきた.

曲を作るペースについてあらためて計算してみた. 私はここ5年間で大体150曲ぐらい作っている.断片的な曲想みたいなのは除いて,一応は編曲までとりあえず仕上げたもののみでこの数である.して,その150曲のうち約半数は,何らかの形で公表(リリース)している. 翻って考えると,半数は現時点でお蔵入りになっているわけだけど.

5年で150曲ということは,平均すると年30曲,月に2.5曲のペースだ. 他人の曲のアレンジやマスタリング作業のみを手がけたものとか,そういうのも無論全部除外しての上の数字である.ほとんどの時間を音楽に使っている計算になる.自分では寡作型だと思っていたのだが,結構作っているな.道理でヒマが無い筈だ. 好きなことをやっているだけだから,別に良いのだけど.


11/26(月)

ここ読んでいる人にとっては,ほとんどどうでもいい話だと思うのだが(私にとってもそうだ),防衛省の元事務次官が,出入り業者から過剰な接待を受けていた事が問題となっているらしい. 事の顛末は大筋把握したが,何と申しますか,本当にどうでもいい話だ.

その次官は,12年間で200回を超えるゴルフ接待を受けていたのだと.しかもバレたらヤバいんで,偽名まで使っていたそうだ.更にはそのゴルフ,ツアーだったりもしたらしい. 12年で200回超のペースなら,単純計算で2ヶ月に3回ぐらいの頻度になろうか.私はゴルフをやらないが,ゴルフってそんなに楽しいのだろうか.むしろそっちの方が気になる. とにかく余程楽しかったんだな.あるいは,楽しさって相対的なものだろうから,他に楽しい事が無かったのかもしれない.仕事が面白く無さ過ぎたとか. 200回超のゴルフツアーだなんて,私にとっては拷問以外の何ものでもない.

次官クラスにまで昇進するような官僚って,いわゆるエリートなのだろうが,驚いてしまうほどに俗っぽいことに関心があるみたいだ(無論ほんの一部の人間だけだろうが). そう言えば,以前にも大蔵官僚が銀行から受けた過剰な接待が問題となっていたが,その時の接待コースは「ノーパンしゃぶしゃぶ」だったな. 私は「ノーパンしゃぶしゃぶ」にも行った事がない.どんなところかぐらい知識としては大雑把に知っているが,何が楽しいのかは理解出来ない. 性欲と食欲を一遍に満たすといった趣らしいのだが,不気味な娯楽だ. 清潔ぶるわけじゃないが,エロスと食事は分けてくれ.

多分あの位にまで栄達する人は,ごく平均的な庶民と比べれば,物凄い努力の末にあの地位を得ているのだろう. 個人的にはゴルフぐらい行かせてやればいいと思ってしまうが,彼の立場では,接待一つ受けるにも無論ルールがある.ルールを逸脱すれば相応のペナルティを科されてしまうのも,これまた仕方ない.法治国家ですから. しかし人一倍努力して,次官にまで上りつめたというのに,娯楽が偽名を使わにゃならんような接待ゴルフで(そんなに心地の良いものでも無かったろう),しかも現在この有り様. 一庶民として,憤慨を覚えるどころか憐憫の情を禁じえない. もっと楽しそうな事すればいいのに.

私はゴルフや車(趣味性の),麻雀・パチンコといったギャンブル,風俗営業の類にも,一切興味が無い(本当に全く手を付けない).それどころか酒もタバコもやらない. ストイックだからではなく,単に好きでないからだ.好きならきっと全部やっている. いくらそれが栄華の象徴だと言われたところで,好きでないものは好きでないのだ. 私は自分の心の在処に迷ったりしない.

私は偉くないので,当然ながら私に過剰な接待の申し出など皆無だが,しかし,私のような精神的カタワ者が,もし偉い人だったりでもしたら,業者はきっと大変だろうな.何を施して良いか皆目分からないだろうから.


11/25(日)

あんまりしっかり見たわけじゃないが,先日某局でオヤジバンド(メンバーの平均年齢が高い)のコンテストなるものが催されていた. 番組の趣旨上,当然ながらエントリーしてくる人たちは,様々な本職を(音楽とは別に)持っているわけだが,この手のアマチュア志向ミュージシャンについて考えてみた.

アマチュア志向であろうと,演奏技術だけ見ればプロ顔負けのバンドぐらい世の中にはありそうである.無論探せば実在するだろう(上の番組は,どうやらそういう基準で出場者を選別していないようだったが). しかし私がその番組を見ていて感じたのは,プロになるような人たちは,ああいう人たち(アマ志向バンド)の延長線上にいるのではなく,あくまで「まるっきり別の人種」だという事.

私は個人的に,趣味の音楽活動を否定的に評価したりしない. 私自身も一時期,そういう生き方(別の本職を持ちつつ,音楽を趣味とする人生)を模索していた. だから,そういう人たちに,日頃の練習の成果を発表する場を設けてやるのも悪い事ではないと思う. で,私においては,そういう人生を選択することを結局断念したわけだが,今考えても,自分にはその選択が正解だったと思っている.

これ,大真面目に説明しようとすると,何時間掛かるか分からないので,とりあえず結論だけ言う. 表現の世界においては,アマチュアリズムの中では絶対に辿り着けない境地ってものがあるのである.だから,本気で自分の表現・創造を突き詰めて行くにはプロになるしかないのだ. 上の番組では,とある「学校の先生たちによるバンド」が紹介されていた.その人たちは,放課後の音楽室を利用して日々練習に勤しんでいるそうであるが,彼らがリハーサルに,絶対的な時間をどれだけ費やそうとも,私が言う「その境地」には,絶対に辿り着けない.

因みに,私の考える「プロ」の成立要件に,「幾ら稼いでるか」とか「どういう販路で商品をリリースしているか」などという事は全く関係して来ない. 従って上の話は,現時点で食えてなかったりするアマチュアバンドなどのことでは無論ない.あくまで「アマチュア志向」の人を指している.


11/24(土)

Photo1 Photo2 Photo3 Photo4

今週のスタジオで撮った写真をUP. 上が神田優花,下が影山リサです.

Photo1 Photo2 Photo3 Photo4


11/23(金)

よく考えたら今日は祝日だな.私には関係無いけど.

年末なので,世の会社は色々と忙しい. ウチとて例外でなく,私も昨日使いっ走りで税務署まで行ってきた. しかし東京は,ここ何週間かで一気に寒くなりましたな. いつもの事ですが,週末なので今週のリハーサル風景をUP.

Photo1 Photo2 Photo3 Photo4 Photo5

上の写真,最初の2枚は片飛鳥なのだが,先日出演した,「マミヨとHAAEMの音うたげ」番組HPに19日の収録後に撮った写真が載っているみたいです.


11/22(木)

某有名アーティスト(J-POP)が,配信限定で新曲を発表するらしい.曰く「デジタルシングル」だそうな. まあこの世界は,遅かれ早かれ販売方法を配信にシフトして行かざるを得ないのだが,今回の話はその事との直接の関係は無い. それ(配信)に纏わる「呼称」についてである.

実を言うと「音楽配信」という用語,コンテンツ屋にとっては半ば禁句とでもいうべきものなのだ. 業者間(コンテンツホルダーとディストリビューターなど)での事務的なやり取りの上で,この「音楽配信」という用語を使う事は日常茶飯事だが(概念を指す用語として普通に便利なので),ユーザー(リスナー)に向けた広告の文句などに使用するのは事実上御法度と言っていい.今回の「デジタルシングル」などは,その分かり易い実例といえる. 何故そうなっているのかと言うと,どうも「音楽配信」という名称が,ブランド力を失しているらしく,一部の人にとってはネガティヴに響くから,と言うのが,おそらくはその理由らしい. 無論あくまで一部の間でのことで,多くの人にはピンと来ない話だろうと思われる(私もそうだ).しかしながら,ごく一部にでもその感覚が共有され出すと,業者サイドとしては不味いらしい. 卑近な例だと,「ランニング」と「タンクトップ」だとか,「スパッツ」と「レギンス」といったものを想像されたい.両者をモノとして区別する明確な定義があるわけではなかろうが,名称が前者では,ある層には受けないのだと思われる.商品の訴求対象によって,業者が名称を使い分けていると言っていい. 多くの人は,物の良し悪しだけを判断基準に金を払う生き物でないらしい.厄介なことだが. どうやら「物を売る」というのはそういう事みたいである.


11/21(水)

もう年末って感じですな. 私は12月の後半に思いっきり休ませてもらうつもりで,仕事を通常より早いペースで片付けてきたのだが,どうも予定がまた崩れつつある. 既にレコーディングなど,12月に予定が何件か入ってしまっていて,下手したら普通の月と変わらないぐらいの仕事量になるかもしれない. せっかく休日返上でがんばってきたのに,仕事が前倒しになっているだけではないか.

月曜に片飛鳥の生出演がありましたが,とりあえずウチとしてはこの手の露出(ラジオ出演等),今年の分は今回で終了です. 次は来年以降ですな.もう今年は音作り等に専念させてもらいます. 本当は12/8(土)のイベント絡みで,ラジオでもう一本神田優花のブッキングをお願いする予定だったのだが,そっちは流れてしまった(アテにしていた番組がちょうどそのタイミングで終わってしまった). イベント自体は予定通り行なわれますので,良かったら遊びに来て下さい.


11/20(火)

昨日は秋葉原の「あっ!とおどろく放送局」にて,「マミヨとHAAEMの音うたげ」の収録(ゲスト・片飛鳥)でした. とりあえず収録現場の様子を「レポート」ととしてUPしてみました. 番組ご覧になってた皆さん,メールくれた方,どうもありがとうございます. 以下は,片飛鳥からのメッセージです.


音うたげ、とても面白かったです♪
パーソナリティーのお二人が凄くいい方だったので、私自身1視聴者のように楽しめました。
でも生放送って、やっぱり緊張しちゃって難しいですね(汗)。
見てくださった皆さん!どうもありがとうございました☆

片飛鳥



11/19(月)

いつだったか,とある名門高校・野球部の監督さんがテレビだかに出ていた. どうやら「優勝請負人」とでもいったような,その筋ではある程度有名な御仁らしく,選手育成については一家言あるようだった. その監督が「良いピッチャーは,入学したての一年生の時点から優れている.その時点で能力の無い奴は,その後も伸びない」みたいな事を言っていたのだが,その事について考えてみた.

上の監督さん的な意見は,きっと一般的な教育者には(建前上)嫌われる.事実であったとしても,みなまで言うなといったところか. 普通,教育者的な立場にある人は,「人は努力によって伸びる」みたいなことを言いたがるが,その事と上の監督の意見は,別に相容れないものではない. 野球の監督なんて別に喋りの専門家ではないのだから,多少誤解を招く表現があるかもしれないが,人間の能力が精神に支えられているという意味では,基本的に似たような事を言っているのだろう. 彼が現場で得たリアルな実感であるに違いない.

人より速い球を投げられる少年は,単に他人より筋力が強いだけなのだろうか.無論筋力も強かろうが,彼は「速い球を投げたい」のではないか. 高校一年生は,普通15〜16歳である.既にその時点で,少なくとも15年間は生きている. その15年の間,「速い球を投げたいと強く思わなかった人」が,高校一年生から努力したところで,筋力云々以前に,速い球を投げたくなる精神を涵養出来ないケースが多く,従って物になり難い. 上の監督さんは,このような事を四捨五入して言ってしまったのではなかろうか.

私は,ギター類と鍵盤楽器だけは自分で演奏・録音したりするのだが,ここ数年来,楽器を演奏する「腕(演奏技術)」に著しい鈍りを感じる. 特に鍵盤において顕著なのだが,以前問題なく弾けていたパッセージに詰まることもしばしばある.楽器を扱う頻度も落ちている. 何故そうなったかというと,私自身が,「楽器を上手に奏でたい」と然程思わなくなっているからだろう. 今の私は作品(音源)制作やプロデュース・ワークに忙殺されている上,プレイヤーとして人前で演奏する機会もほぼ無くなった.演奏も下手になって当然かもしれない. ただこれは,音楽に対する情熱が薄らいだからではない.昔に比べ,より明確に自分の守備範囲を把握出来ているからに他ならず,大学生に准えれば一般教養課程が終わったというところか.要するに,職務が専門的になってきているのである.


11/18(日)

影山リサ,先週スタジオで撮った写真をUP. いつもリハで,特にコメントは無し.今取り掛かっている曲は,今月中に歌録りの予定です.

Photo1 Photo2


今,私としては珍しくシャッフルの曲を作っている. 最近聴いたあるアルバムに,良いシャッフル・ナンバーがあったもので,それに触発されるような形で急に作りたくなったのだ.

シャッフルって,単にリズムがハネている曲というだけに過ぎないのだが,たったそれだけの制約でも,随分と曲の印象は決定付けられてしまう.少なくとも私にシャッフルは難しい. リズムがハネただけで,その曲は深淵なテーマに向かなくなる気がするのである.あくまで私の技量においての話だが. まだまだ勉強する事は多いな.


11/17(土)

昨日の続き,今週のスタジオ風景. 写真は片飛鳥.

Photo1 Photo2 Photo3 Photo4

片飛鳥は週明けの月曜に生出演(「マミヨとHAAEMの音うたげ」)を控えてます. 詳細はInfo参照.番組の方,良かったら是非チェックしてみて下さい.


11/16(金)

毎度の事ながら週末は忙しい.今日もついさっきまで来客中だったのだが,次の来客まで多少の時間があるので,その間に更新してます. 今週スタジオで撮った写真をとりあえずUPしてみる.

Photo1 Photo2 Photo3


11/15(木)

昨日のこのページに,アーティスト本人からのコメントが入ってますが,今後こんな感じで,たまにこのコーナーに私以外が登場することがあると思いますので,よろしく. 因みにこのコメント,手元に回ってきたテキストを私がUPしているのだが,また私の仕事が増えるのだろうか. あと,私以外のコメントで思い出したのだが,そう言えば以前,(このHP外の場所に)ウチの社長のブログというのが存在していた. 内容がちょっとマズくて,ここからのリンクなどは貼ってなかったけど.

来月予定しているイベントについて,地域のニュースとして扱ってもらえまいかと,某公共放送にコンタクトを取ってみたのだが,あんまり良い反応は得られ無かった. どうもイベントの趣旨が地域ニュース向けで無いみたいだ.主催者もウチも完全な民間企業なので,あちらさんとしても,特定の業者を露骨に優遇できないらしい. 致し方ないな.


11/14(水)

昨日はラジオの収録(出演・影山リサ)で,葛飾まで行って来ました. 番組内では,来月に発表予定の新曲「CANDY POP」と,来年リリース予定のアルバム収録曲「ジュヴナイル」の2曲をオンエア.「ジュヴナイル」は初公開となりました. あと,番組収録の様子をレポートとしてUPしてます.

レポート」(「焼肉もラジオも強火が一番」収録)

以下は本人からのメッセージ.


久しぶりのラジオ出演、楽しかったです。
最近は来年の春リリース予定のアルバムの音作り(制作)に専念してます♪
毎日が、新たな自分発見!!の連続で楽しいですね〜。
こちらもお楽しみに♪
影山リサでした。



11/13(火)

私事で恐縮だが,昨日,西新井大師(總持寺)というやつに行って来た. ついでに近くにオープンしたばかりの某ショッピングセンターにも寄ったのだが,かなり大きな規模のショッピングモールにもかかわらず,テナントにCDショップが入っていなかった. CDが売れないと言われ出して久しいのだが,あらためてそれを実感.

そういえば,昨日は平日の昼間というのに,そのショッピングセンターが随分混んでいた.ほとんどの店の前には長蛇の列,私は食事をとることさえ儘ならなかったのだが,平日であれなら休日はどんな状態なのだろう. あと,明らかに小・中学生と見られる子供が結構店内にいたのだが,あれは何なのだろう.学校はどうした.


11/11(日)

来月,イオン北戸田ショッピングセンターで神田優花が出演するイベントがあるのだが,会場のイオン北戸田SCにはタワーレコードがテナントとして入っている. で,有難いことに,そのイベントと連動してタワーレコード北戸田店では,神田優花のアルバム「マインドスケープ」のコーナーを拵えてくれるそうだ. まあ,あくまでイベントとの連動企画なので,そんなに長い期間ではないが. 因みに同店は,イベント当日にCD即売会などもやってくれるそうだ(タワーさんありがとうございます).

しかし気が付いてみれば「マインドスケープ」をリリースして,早3年も経ってしまった. そろそろ次のアルバムのリリースと行きたいところなのだが,まだ日程的な目処は立っていない. 前作のリリース以来,作った曲の頭数だけでいうと,実のところアルバム二枚分近くあるのだが,色々と事情があるのである. もう少し時間を下さい.

確かに「マインドスケープ」は3年も前に出したアルバムだけあって,今手元にある次回作収録予定のトラック達と比べると,やや色褪せて見えなくもない. しかし,あれも当時の我々としては精一杯良いものを作ったつもりだったし,個人的には今でも十分聴くに耐える作品だと思っている. 「マインドスケープ」は上記イベント会場でも売られています.まだお持ちでない方は,この機会にでも是非入手してみて下さい.


11/10(土)

影山リサ,今週スタジオで撮った写真.

Photo1 Photo2 Photo3 Photo4

影山リサは,来週(11/13(火))ラジオ出演が一本入ってます(かつしかエフエム「焼肉もラジオも強火が一番」). 番組はインターネット経由でも受信出来るそうなので,こちらも良かったら聴いてみて下さい.


11/9(金)

まずお知らせ. 再来週の月曜日(11/19),インターネット放送局「あっ!とおどろく放送局」の「マミヨとHAAEMの音うたげ」という番組に片飛鳥が出演します(詳細はInfo参照). お楽しみに.


神田優花,来月から制作に入る予定の新曲がありまして,その譜面のチェックを兼ねてスタジオ入り. 以下,今週のスタジオでのカット.

Photo1 Photo2


11/8(木)

ここ何日かの間,考えていたことのメモ.

タイムリーな話題でなくて恐縮なのだが,何年か前に,ある有名作曲家が「自分の曲が盗作された」とて,訴訟を起こした事があった. 事の顛末については,当時はそれなりに話題になったので,ご存知の方もおられるかと思う.裁判そのものは,訴えた側のほぼ全面勝訴に終わった.つまりは,被告側のその作品は「盗作」と認定されたわけである.

裁判官というものがどれだけ偉いのか知らないが,少なくとも神様では無いので,法廷でいくら盗作認定されようと,実際にその曲が剽窃行為によって生まれたのかどうか,私には判断がつかない. 争いの元となった二つの曲について,私はその両方を一応聴いた.その二つが似ているか,と問われれば「似ている」と答えざるを得ない. ただ,確かに似てはいるものの,音楽というものには一定の様式があるし,また「ドレミを並び替えて作るもの」という側面も間違いなくあるので,確率的に似たメロディー,あるいは全く同じ曲が偶然出来上がる可能性も100%無いとは言えない. この件で解ったことは,「自作曲と主張する作品が,既存の曲にあれぐらい類似していれば,日本という法治国家では盗作と見做される」という事だけだ.

私は上の訴訟沙汰において,原告・被告の双方どちらにもシンパシーを感じていないし,裁判の結果にもどうという程の感想も無い. しかしながら,この件に関して,私は少々気になった点があった. 当然かもしれないが,敗訴した側は判決内容に不服とみえて,結審後,ご自身のHPで反論らしき声明を発表していたのだが,考え込んでいたのはその声明の内容についてである.以下一部要約させてもらう.

『歌詞の情感にインスパイアされてメロディを作る時,既存の曲を参考にする(当てはめる)事は,無意味で,ナンセンスで,面倒臭い作業であり,音楽家はみんなそれを知っている』

との事である. まず,私も一応音楽家の端くれなのだが,このくだりがイマイチよく分からなかった. 上のような行為を,確かに私はしない.だが,無意味でナンセンスなのか,また通常の作曲作業に比べ,著しく面倒であるのか,についてはよく分からない.人によっては,何らかの意味のある作業だったりするかもしれないから. 現にゴッホという画家は,日本の浮世絵を油絵用の画材で模写しているし,ピカソもその晩年,ベラスケスなどの作品を,自己流の解釈で焼き直している(音楽でいうところのカバーやRemixみたいなもの)のだが,本人がそれなりに楽しかったりと,一応の意味があったと思われる. また私においても,既存の曲がアタマを回っていて,それ以外のメロディーが思い浮かばない時が偶にあるが,何に触発されてそのような状態になるか,自分では予測できない. そもそも音楽という分野では,替え歌やRemix・リアレンジだの,あるいはHIPHOPなどで多用されるSamplingだの,引用・改編(既存の曲想を発展的に継承する行為)がその表現手法の一つとして,大幅に取り入れられている.無論公表に制限はあるが.

『別れの曲を作るのに,元気な曲を参考にすることは無理である』

とのくだりもあったのだが,この主張についても,イマイチ釈然としなかった. 少なくとも私は,崩れた空模様よりも晴れた空を見た時の方が,より悲しみの感情が掻きたてられてしまうような人だ. 元気な曲を聴けば,別れの曲など作れないと仰っておられるのだが,作家のイマジネーションとは,一般にそのようなものなのだろうか.

上の主張(要約)は,実績等において,私など到底及びもつかない有名作曲家さんの認めたものである. しかし,作家の創作についての見解って,概ねこんな感じなのだろうか.他の人の意見も聞いてみたいところなのだが,とりあえず今回はここで終わる.


11/7(水)

ここしばらく,ずっと曲作ってます. 神田優花の次の新曲作りは,年明けからの予定だったのだが,来月に始めることになるかもしれない.


話は変わる. 私が子供の頃,塩化ビニール製の人形を集める事が流行っていた.小型の自動販売機に100円硬貨を入れて,レバーを回すとカプセル入りの人形が出て来る,という購入手段ごとある種のブームだったと言っていい. 今でも似たような販売機をよく目にするのだが,要するにあれだ.

「人形」は,その当時の子供向け人気漫画(アニメ)のキャラクターをシリーズ化したもので,やけに収集癖を刺激されるものでもあり,子供たちの間で爆発的にヒットした. 当時の私も例に漏れず,それを集めていた. 集めたからといって,どうなるというものでも無いのだが,手持ちのコレクションを,一列に並べて眺めるのが,当時えもいわれぬ快感だった.

音楽を作っている時,私は当時のことをよく思い出す. 完成した曲を並べて,眺めているのが楽しいのである.きっと同じツボを刺激されているのだろう. 子供の頃の嗜好がいまだに残っている,などという生易しいものではない.数奇者としての酔狂は当時の比ではないのである. 私が今集めているコレクションは,鋳型の意匠から自分で作れるのだ.手にした時の興奮も,出来合いの人形とは比べ物にならない.


11/6(火)

もう何年も前の事だが,何気なく読んでいた本に,坂本龍馬の暗殺事件の件があった. 殺害時の状況について割と細かく書いてあったのだが,刺客は,龍馬がいたとされる近江屋に乗り込む際,玄関で応対していた近江屋の使用人藤吉に,十津川藩士を名乗り名刺を手渡した,とあった. どの程度一般に普及していたのかまで分からないが,江戸時代のお侍さん達の中でも,既に名刺を渡す習慣が存在したみたいだ. これは私が坂本龍馬関連の本を読んでいたら偶々出てきた話で,別に名刺の歴史について調べていたのではない.従って当然,日本における名刺の歴史(発祥)は,上の幕末期より更に遡りうるとみて良い. 詳しくは知らないが,多分日本では江戸期からだろうか.

名刺はほとんど世界中で使われていて,いわば文明の利器と言っていい. まあ確かに,ビジネスとかいったものが普遍的な世界だから当然なのだが. 私もその便利さに,日々あやっているしな.


11/5(月)

フランスの国柄があのように穏やかであるのは,国民がフランス語を喋っているからではないのだろうか,などと取り留めも無く考えてしまう. 自国語の音韻的質感が,国民性に与える影響って少なくないのではないだろうか. 今のフランスという国家が,他国の一般人を誘拐したり,歴史的にも薄弱な根拠をもってして隣国と領土紛争を起こしたりするなど,ちょっと考え難い.

母国語が確立していく背景に,歴史的経緯は色々とあるだろうが,基本は地理的な事情が決定的に影響していると思われる.特に音韻面は. 例えば南方系,南太平洋の島々における言語では,母音が多用される(アロハオエの類)わけだが,温暖な気候下だからこそ出来ることで,シベリアなどといった寒冷地で,あんな大口を開けて喋ったり出来ないだろう. これは単に,口腔が粘膜質であることに因るだけの話だが.

膨大な信者数を誇る創価学会は,細かい事情はさておき,とりあえず日蓮宗系なのだそうな.あれだけの巨大組織になるだけあって,旺盛な膨張本能を持っていると言える. 私は日蓮と言う人の思想がイマイチよく理解出来ないのだが,折伏などの行為に象徴されるように,日蓮宗の性格は,非常に行動的というか,アグレッシブである. 何故そうなのか,という理由まで断言出来ないが,もしかしたらあの「お題目」というヤツに,その原因があるのではないだろうか. あのやたらに音楽的・リズミカルな節が,信者を能動的にさせるのかも,などと思わないでもない(半分冗談だが). ついでながら,ロシアは寒い国で,ロシア語もあんな感じなのだが,観念的な気分にあの抑揚は,合わなくもない気がする. ロシアだからこそソルジェニーツィンやドストエフスキーみたいな人物が出てくるのではなかろうか.ハワイやグアムといった,のどかな土地からは出て来なそうな気がする.


11/4(日)

日本には,何故ピカソやチャイコフスキーなどといった,人類史に残るような芸術分野における天才が現れないのか. 後世から,とりあえず「芸術家」と見做されている人物なら幾らでもいる.本阿弥光悦・俵屋宗達といった人々である.音楽でいうと(この分野は少々苦しいが)源博雅とか,○○検校などと呼ばれる人達など. まあ芸術家と言えば芸術家なのだろうが,狩野派の何某とか円山派の何某といった人達は,ハッキリ言って私のイメージでは「職人さん」だ.画家と言うより,画工と言った方がしっくりくる. 私に言わせれば,山田耕筰なんて人も,系統(ルーツ)を異にするだけで,上の狩野派何某と同様,職人である(話の便宜上,区別しているだけで,職人が悪いのではない).

幕末の頃の日本の話をしたい. 当時倒幕運動をしていた,いわゆる志士達の多くは書生とでも言うべきか,早い話が読書階級だ.従って漢籍には通じていたらしく,明治維新(倒幕)の革命スローガンも「尊王攘夷」である. 「尊王攘夷」は,言うまでも無く漢籍を典拠にしており,時代区分でいうと春秋の頃の言葉になる.要するに借用語なのである. して,その骨子はというと,単に「王を尊び,夷狄を打ち攘(はら)え」というだけの,言わばヒステリーの様な思想に過ぎない.

ご存知の通り,漢文には基本的に「助詞」が無い.なので,論理は構成できても,細かい情緒・心理の描写などには向かないところがあるのではなかろうか(この辺り,私は漢文に不案内で,正確なところについては良く分からないが). 少なくとも,読むに当たって,読み手が多量の想像力を援用せねばならないものではあろう.邪馬台国論争にケリが付かないのも,漢文に助詞が無いから,というのがその大きな理由の一つとなっている(「倭人の条(三国志)」の解釈について,意見が分かれている). とにかく,当時の読書人は漢籍と言う漢字の羅列に目を通しつつ,感動したり,何らかの教訓を得たりなどしていたわけだ. 無学な私が当てずっぽうで言うのも恐縮だが,当時の日本の平均的な読書階級というのは,現代や同時代のヨーロッパのそれと比べ,良く言えばシンプル,見も蓋も無く言えば古拙な思考回路しか持っていなかったのかもしれない. だとしたら上の革命原理についても,当時としては已む無しと思えなくも無い.

余談を挟む. 以前,明治の頃の国会の議事録を一部読んだことがあるのだが,細かい内容は失念してしまったものの,現代人が読めば,失笑を禁じ得ないであろう件も多かった. 当時の言語・言論状況を簡便に察しうる資料なので,興味ある方はご覧になっては. まあこんにちの国会でのやり取りも,後世に笑われているかもしれないが.

フランス革命は,幕末の動乱期から遡ること100年くらいの(昔の)出来事なのだが,革命の理念は,ルソーの社会契約説などを背景とした崇高なものだ. ロベスピエールの事績などを読んでも,彼が相当な論客であった事は疑いない. 幕末の志士といった書生らや明治の元勲達の中に,ディベートにおいてロベスピエールと互角に張り合えた人物など,おそらく一人もいないに違いない. ロベスピエールの言語能力について,今の私は詳述する気力がないので,良かったらこちらも調べられたし.

ヨーロッパの社会を支えている,自由・民主主義・博愛の精神・人権思想等々が,宗教(キリスト教)に根差していることは間違いないのだが,その思想的立脚点である聖書においても,神はロゴスだとある. 迂遠な言い回しになってしまったが,ピカソはそういった歴史的背景を土壌として出現した. 日本社会における言語環境は,ヨーロッパ型のそれに近付きつつあると思うが,ピカソ級の天才を生むには,もう数世紀ぐらいは時間を要するかもしれない.


11/3(土)

影山リサ,先週録った新曲の上がりをチェック. 影山リサは,早速次の曲の制作にも入っているのですが,この度初めての作詞にも挑戦しているみたいです. 年内の予定としては,今取り掛かっている曲を含め,もう2曲録る予定になってます. 以下,今週のカット.

Photo1 Photo2 Photo3 Photo4 Photo5


11/2(金)

神田優花. ここ最近のスタジオでは,ライブを想定したセットリストだとかMCとか,それ関係のリハに時間を割いている事が多いです. 以下,今週のリハーサル風景.

Photo1 Photo2

そう言えば,私は普段音周り以外の事について,あまり口を挟まないのだが,今回は演出面(主にMC)について色々と気付いた事があったので,珍しく注文を付けさせてもらった. 神田優花の新曲に関しては,今のところ次の予定(曲作りの)は立ってません.次は年が明けてからになるかもしれない. 


10/31(水)

明日発売の月刊Audition12月号に,ウチのオーディション情報(アーティスト募集告知)が掲載されます. あえてここで触れるような事でもないのですが,一応. たくさんのご応募お待ちしています.


そう言えばオーディションなんかの応募資料(プロフィール文)中に,「私は歳が歳なので(若くないから)焦っています」みたいな事を書いてくる人がたまにいるみたいなのだが,それってどういう意図なのだろう. オーディションに応募するという事は,当然審査を通過したい筈だろうから,選考担当者に好もしい印象を与えようとしての行為なのだろうが,ますますもって理解に苦しむ.

「私は焦っているので,人一倍がんばります」という表明なのだろうか.私にはそうは聞こえない. 「早く成果を出せ」と急かされているだけのように思えるし,即ち「長期的に音楽活動を続けて行く意志など無い」と自ら表明してしまっているように感じる. 少なくとも,一生音楽を続けて行く腹積もりの人間が,上のような事を言わないだろう.

こういう人は,他所の事務所やレコード会社にも同じようなことを書き送っているのだろうか. 他所さんの担当者が,どのような印象を持つかなど私には分からないが,上のような表明(要求)を好意的に捉える人もいたりするのだろうか.だとしたら世の中は広い.

潤沢な資金を持つ大手のメーカーやプロダクションなどと違って,ウチみたいなところが出来る事なんて限られている. 自分らが出来うる限りの良質な音楽を作り続けたり,ラジオや雑誌の小さいスペースで扱ってもらったり,たまにイベントなどにブッキングしてもらったり,そういった地道な作業をコツコツと続けて行くぐらいしか今のところやれる事が無い. 「それはお前のところがショボい事務所だからだろう」と,言われてしまえばまさにその通りなのだが,実際ショボいので,仕方が無い. 打つ手の限られているショボい事務所なりの事しか出来ないので,そのスキームの中で能力を発揮できる適性を持つ人を探すしかないのである.


10/30(火)

私は,たまに音楽についてのレビュー(批評・感想)に目を通す事があるのだが,今回そのレビューについて. レビューと一括りに言っても,プロの音楽評論家のものから一リスナーのものまで,色々とある. 評論家や音楽ライターというのは,どちらかというと,その音楽を売るための文句を捻り出すのがその職務なわけで,悪く言えば提灯持ちみたいなものである.だからそのレビューも,軽々に本心のみを表明出来るわけではなく,読み手としても常に内容を鵜呑みには出来ない. 私が目を皿のようにして見てしまうのは,どちらかと言えばリスナー発のものだ.

インターネットがこんにちのように普及して,我々は一般人の文章をそれ以前より多く目にする機会が出来た.素人の文章というのはそれこそ玉石混淆なのだが,であるが故に,そこから垣間見える何事かがあったりする. 私が最近関心を持っているのは,外国人(とりわけ欧米人)の言語能力,日本人との質的な違いである.

アメリカ人などは,銘々が思い思いのレビューを認めているわけだが,それが本当に「思い思い」なのである. 「自分で思った通りの感想を述べるなんて,当たり前のことではないか」と思われる向きもあるかと思うが,実はそうでもない.特に日本人というヤツは.

日本のリスナーによる,J-POP(国内)主力級アーティストの,特にシングル曲などのレビューを一読されたい.iTSその他,いくらでも見られる場所はある. その中に『○○(アーティスト名)の3ヶ月ぶりのナンバーは,本人出演の○○CMタイアップ曲.シングル「○○」以来のアッパーチューンは,○○のBGMに最適!』などとあったりする.これリスナーのレビューですよ. まるでCDショップのコメントカード宛らなわけだが,要するにこういう文章は,売り手側の売り文句を,そのまま受け売りにしているのだろう.「自分がどう思った」という部分が欠落している. 中には更に酷いものもあって,『この曲はこういう曲です.だってアーティスト本人がTVでそう言ってましたから』なんてのもある.結局彼らは「正解」を探しているのだ.だからアーティスト本人のお墨付きを引っ張り出してくる. また,評価の定まっていない音楽についての批評が極端に苦手である.然程売れていないアーティストのレビュー・コーナーなどは,一部関係者・知り合いと思われるような書き込み(いわゆるサクラ)を除くと,極端にレビュー数が少ない事が分かる. 無論,売れてないのだから出回っている数自体も少ないのだろうが,要するに何を書いて良いか分からないのだろう.

感想に正解など無い.「私はこう思った」というだけのものなのだから. 日本人はこの「受け売り」が大好きな民族だ.だから映画の宣伝などで,試写会帰りの一見素人風の人物が,「感動しました!」などという感想を述べたところを抜いたりする.正解を先に提示しているのである.そのCMを見た人は,その映画を見た後でその「受け売り」を行なうだろうと思っての宣伝方法だ.受け売りをしてしまう人は,自分をもその「受け売り」でもって騙してしまう.

何故日本人はそうなってしまうのか.原因の特定など難しいが,私が思うに,これはハッキリ言って学校教育の弊害だろう. あるいは宗教の違いもあるのかもしれない.心の中に懺悔すべき神を持っている人達は,自問自答を繰り返す内に「個」が確立されるのだろうから. 私の知る限り,少なくとも欧米人に上の「受け売り」の症状はあまり見られないようである. 文学の世界でも,ドストエフスキーと泉鏡花などは大体同時代人と言っていいのだが(生存年も一部重なっている),その精神に決定的な違いがあるように思える.別に鏡花の文章が良くないと言うのではないが,精神の練度というか,質感に大きな隔たりがあるのだ.きっと鏡花に「地下室の手記」みたいなものは書けないだろうと思う.


10/29(月)

Infoでもお知らせしてますが,12/8(土)にイオン北戸田ショッピングセンターで,神田優花のライブイベントがあります. 再来月の話でちょっと気が早いのですが,イオンさんのHP(イベント情報)でも既に発表されているので,こちらでも告知してます. お近くの方など,よかったら是非遊びに来て下さい.

因みに上記の12/8(土)は,イオン・フェスティバルというものの期間中だそうだ. オマケに年末なので,イオンの担当者の方も,お客さんの非常に多い時期だと言っておられた.セールみたいなものでもあるのだろうか. 当日,時間があったら私も店内を散策してみよう. 


10/28(日)

先週録った音の編集作業中.日曜なのだが,相変わらず私にはあまり関係無い. 余談だが,ウチは業種柄,土日に休めない事が多い.代わりに平日に休んだりするのだが,どこに行っても空いていて,人込みが嫌いな私としては非常に助かる.日曜しか休めなかったりする方が困るくらいだ.

そもそも何で日曜に休まねばならないのだろう. 日曜日を休日化するなんて,造物主が6日間でこの世の全てを作った後に休息を取った,と聖書にあるからだとか,キリストの復活の日がどうしたとか,要するにキリスト教徒的習慣である. 明治政府が欧米型の諸制度を導入したものだから,こんにちのようになっているだけで,江戸期以前の日本には日曜の休暇どころか,「週」という概念すら無かった. よくよく考えてみると,官公庁じゃあるまいに,ウチのような民間企業が日曜日を休みにせねばならない理由なんて無いな.


10/27(土)

神田優花,今週は歌録りでした. 今回は神田優花のレパートリーではなく,とある曲のコーラスを入れてました.

Photo1 Photo2

影山リサ,こちらも歌録り. 今週新曲を録ったばかりなのですが,また次の曲の制作に入ってます. 影山リサは,前作「LUCKY STAR」発表後,今回で4曲目のレコーディング.年内には次回作も発表予定出来そうです.

Photo1 Photo2


10/26(金)

今週も,後半は矢のように時間が過ぎた気がする.今日もスタジオ上がったら23時近かった. 以下,今週スタジオで撮った写真をUP.

Photo1 Photo2 Photo3 Photo4 Photo5 Photo6


10/24(水)

週末のレコーディングに向けての仕込みに追われている. 今回録る予定の曲は,随分前から温めていた作品なんだが,いかんせんパート数が多い上に,メロディーラインが物凄く複雑なのだ.予定している日程で録り終われるか心配だ.

そういえばここ最近,録りたての曲(試聴用サンプル)をこのページで公開しなくなった. というのも,会社の方針とやらで,未発表(発売前)の音源を公開しない事になったからだ.ちょっと前までは割りと無神経に音を上げていたのだが,多分今後は特別な意図が無い限り,リリースの予定の立っていない音は公開しないみたいです.


10/23(火)

今週末に2件ほどレコーディング(歌録り)があって,今週はアタマからその最終チェックでした. 下はそのスタジオでのカット(影山リサ).

Photo1 Photo2


数日前のこのページで,正直さについて述べたのだが,その後また思うところあったので追記する. 校長先生のスピーチには正直さが欠けている,というような事を述べたのだが,少々言葉足らずだったかもしれない. 私が言いたかったのは,校長先生が,生徒というナマの人間を相手に語りかけていないのではないか,という事である.概念としての「全校生徒」を相手に,いわば虚空に向かって喋っていやしないだろうか,と感じてしまうのである.

結婚式や朝礼などの場におけるスピーチや,諸々の挨拶には,一応の「型」が存在するのだが,それは基本的に「思い遣り」が様式化されたものと言っていい.先ず思い遣りありき,なのである. 「ただいま」という言葉は,自分を待っていてくれた人に,「只今帰りました」という報告をしているのだし,「お疲れ様」というのは,「長い時間,仕事で疲れたろう」という労いの言葉である.要するにベースに「思い遣り」が込められているのだが,いつの間にか,その様式を無批判に踏襲するだけの人が出てくる.当初その言葉に込められていた筈の,「思い遣り」という湿り気が乾き切ってしまうのである.

極端な例だが,子供が「お年寄りには席を譲りましょう」と言われて,何故そうせねばならないのか全く理解せずに,「ジジイやバアアを見かけたら,座席を交代せねばならいルールになっているらしい」と,思っていたらどうだろう. その程度の認識の子供でも,実際に席を譲ったりぐらいするかもしれないが,本当に子供に教えなければならないのは,習慣そのもの(作法)ではなく,その習慣が成立した背景に存在するであろう「思い遣り」の部分だ. 人は老いる.体もいつまでも若者のように頑健ではいられない. そこに思いを馳せる想像力こそが,「席を譲る」という習慣に発展した. 「ありがとう」・「すみません」などという言葉を覚えるのも大切だが,それに該当する感情の所在を掴ませてやる事の方が,先なのではなかろうか.

習慣や辞令といったものが宜しくないのではないが,そこに当初込められていた筈の思い遣りを失えば,言葉は無意味なスキャットになりかねない.


10/22(月)

最近仄聞したのだが,ある調査の結果では,新入社員の4割だかが,入社僅か半年で「会社を辞めたい」と思っているそうだ. それなりに優秀な人間には,私みたいな者には解らない悩みがあるようである.

会社を辞めたいとか,どんな仕事をしても長続きしないといった人は,どうしてそのようになってしまうのか. 要するにそれは,離婚したいとボヤいている人や,どんな相手とも恋愛関係が長続きしない事を嘆いている人と同じなわけだが,そういう人に私は,「そもそも,その相手を好きであった事が一度でもあるのか」を先ず問いたい. 仕事が好きでなければ,そりゃ辞めたくもなろう.

どうも殆どの人は,とりあえず自分は何が好きで,どういう気持ちで生きて行きたい,とかいう風に自身を総括しないみたいだ.だから往々にして,好きでもない相手と一緒になったり,やりたくない仕事に,人生の大部分の時間を費やしてしまったりするのではないだろうか. 自分が本当は何が欲しいのか,何がやりたいのか,自分自身しか教えてはくれない筈なんだが.


以下,今週のリハーサル風景(神田優花).

Photo1 Photo2


10/21(日)

昨日このページで,漱石の「則天去私」について触れたのだが,この則天去私,おそらくは「文学とは何か」という根源的な問いに対する,漱石なりの答えなのではなかろうか.

神田優花に「Mindscape」という曲があるのだが,この「Mindscape(心象風景)」は,「音楽とは何か」という問いに対する私なりの答えだ.私の音楽観,もっと言えば芸術・創作観と言える. 詰まるところ芸術作品とは,作り手にとって「この世界が,私にはこんな風に見えていました」というログなのだと思っている. それを後世に遺す意義がどの辺にあるかはさておき,私は日々,先人達が遺してくれたそのログを覗き見る事によって,彼らの世界観を朧げながら体感させて貰っている.無上の愉しみと言って良い.


以下,先週のスタジオで撮った写真(影山リサ).

Photo1 Photo2


10/20(土)

先日,神田優花とMC(お喋り)について色々と話す機会があったのだが,魅力的なトークとはどういうものか,について考えてみた.

魅力的なトークを考える前に,魅力の無いトークというものがどういうものか,について述べたい. 私は子供の頃に朝礼などで聞いた,校長先生のスピーチが大嫌いだった.失礼ながら,あれほど退屈極まりなく,魅力の無いトークというものも中々無いと思っている. それは何故か.彼(校長先生)には,正直さが欠けているからではなかろうか. 国会などでお役人さんがする答弁なども,ここでいう正直さに著しく欠けたお喋りで,しばしば聞いている者を辟易させる. 彼らのような職業においては,「その件については,私も迷ったのです」とか「どう考えても答えが出なかった」とかいう具合に,正直に喋ることが出来ないものなのだろうか.

私の言う「正直さ」とは,事実関係について偽りを述べない事,ではない.自分の考えた自分の言葉で喋られることだ. 「しょうじき」というのは坊さん読み(呉音)なので,おそらくはそれなりに歴史のある日本語なのだろう.日本人が,古来より美徳としてきたであろうその「正直さ」とは何なのか.

子供に,将来どんな大人になりたいか尋ねた時,その子が「何事にも積極的に取り組む,責任感のある大人です」とか何とか答えたとする. 一般論として,そういう大人はそれなりに立派な人なのかもしれないが,上の発言の中に,彼が自分で考えた事など,きっと一欠片も含まれていない. 私が考える「不正直さ」とはこれだ. 私は性格的に,こういう人のお喋りを長時間聞かされる事を苦痛だと感じてしまう.

私は,福澤諭吉が「瘠我慢の説」で述べた「私」と,夏目漱石の「則天去私」の「私」は,当時の日本語の限界だったのかもしれないが,それぞれ指しているものが違うのだと思っている. 福澤のいう「私」は,厳密には「個(個性)」なのではないか.また,漱石のいう「私」は,心の中の夾雑物というか,要するに「外連味」のことで,物書きの精神にとって,それは混入すべからざる病原菌のようなものなのだろう.漱石の「私」は,場合によっては習慣や辞令だのといったものも含まれるに違いない.漱石の言うところの「私」を捨て去った後に残るものは,それもまた純粋な「個」なのかもしれない. そしてその「個」というものの大部分を構成するのが,正直さではないのだろうか.

私がここで言いたい事は,人はどんな美辞麗句よりも,「正直さ」を好むものだという事.少なくとも私はそう思っている. 私は,一語一句誤りの無い官僚答弁なんかより,いくら不恰好であろうと,その人の体温を感じられる言葉が聞きたい.


以下,神田優花の今週のリハーサル模様.

Photo1 Photo2 Photo3


10/19(金)

週末は毎度の事ながら忙しい.今も来客の合間を縫って更新してます. 以下,今週スタジオで撮った写真をUP.

Photo1 Photo2 Photo3


10/18(木)

来年の春先あたりに出す(と言うか出したい)予定のアルバムがあって,今それについての企画を練っている. ウチの扱うタイトルなんて,イニシャル何万枚とか出るようなものでもなし,たかがその程度のものと言えばその通りなのだが,まあ収録曲の頭数揃えたり,販路や最低限の告知方法を考えるだけでも結構な手間なのだ. ウチはスタッフも少ないし,アルバムなんか出すとなれば,その前にどういうシングル作って,どういうタイミングで出してとか,そういう棋譜みたいなものをアタマの中で作って,場合によってはそれを書面(企画書)化しないといけない. 考えてもみれば,私は商談の時など,電話一本するのにも前もって話す内容を文章化していたりする.早い話,機転が利かないのだ. というわけで,ここ何日かはその企画とやらを少ない脳ミソを振り絞って練っている.少しでも先の負担を軽くする為に.


10/16(火)

先日行なわれたボクシングの世界タイトルマッチは,色々な意味で世間の注目をあつめたそうな.また,今だに一部その余熱が覚めやらぬようである(結構なボリュームで報道されている事柄なので,詳しくは調べられたし). ボクシングの事なんて,私は素人だしよく分からないのだが,その件についての一連の報道の中で,気になる一節があった.

敗者の側のセコンドから,試合中に「反則の指示」が出ていたとして,試合後,問題となっていたらしいのだが,それに対する申し開きとして,本人(指示を出したとされる)から「あれは我々流の言葉(暗号のようなもの?)であって,世間で受け取られているような意味では無い」といった内容の声明が出ていた.その後,彼に課せられた処分等を見るに,その言い訳は,全くと言って良いほどに酌量されなかったようだが.

私はそこで考えてみた. 例えば,私が誰かに「金を出せ!」と怒鳴れば,それは恐喝である.現行法の解釈上,揺るぎないものと思われる. しかし私がそこで「これは自分流の言語であって,世間で受け取られているような意味ではない.私の言う『金を出せ!』は,世間で言うところの『おはようございます』と同義だ」と強弁したとして,法廷などの場で,その言い分が通るだろうか. 答えは否.通る筈が無い.

詰まるところ,人の世は言語をベースとして成り立っているのである.言語が共通のプロトコルたり得なければ,科学・歴史・条約・法律・文学などの,あらゆる情報は無価値となる. 上の言い分が罷り通らないのは当たり前の事で,仮に通ったりでもしようものなら,大変な混乱を引き起こす事は想像に難くない. そもそも,法律そのものが条文という言語に拠っているのである.言語の紊乱は,法治体制の根幹を揺るがすに違いない. あらためて思うが,「必ずや名を正さんか」と言った孔子は偉大である. 言語は明晰であるべきだ.解釈が幾通りも成立するような言語は,言語としては未成熟と言わざるを得ない.私も,極力そういう曖昧さは排除すべきだと思ってしまう.

言語の紊乱は良ろしくないのだが,多少の例外もある.「正しい用法を守る」事と「明晰である」事というのが,必ずしも両立しないようだからだ. 前々から日本語の乱れの象徴として,「ら」抜き言葉というのが槍玉に挙げられているのだが,私はある意味必然のような気がしないでもない. 何故なら,「〜られる」という表現には,「カエルがヘビに食べられる」などといった『受動』と,「ワサビを抜いた寿司なら食べられる」といったような『可能』の,二通りの解釈が成り立ってしまうからだ. 因みに,世に蔓延している「ら抜き言葉」は,後者の意味しか為さない. 要するに,「ら抜き」を使う事によって,混同を回避しているのである.日本語の不備を俗語が補っていると言えなくも無い. 確かに現時点では誤用とされる表現なので,国語の答案用紙に書けば,不正解とされるだろうが,将来的には正しい日本語として定着するかもしれない.必要性に応じて自然発生した用法なのだろうから.


10/15(月)

ちょっと前に「RACHEL」(神田優花)のRemixを作ってみた. Distotion系のギターやドラムの音を殆ど抜いて,静か目の音に仕上げてみたのだが,作った時点で公開の目処は全く立っていなかった. 現在,年末に予定しているイベントのセットリストを考えているのだが,この「RACHEL」の別バージョン,日の目を見ることになるかもしれない(まだよく分からないけど). 原曲「RACHEL」は,2006年にファミリーマート等で限定発売した楽曲なんだが,割と周囲からの評判も良くて,私自身も好きなナンバーである. このRemix,いずれは音源の形でも発表出来ないものかと考えている.


10/14(日)

先週はあっという間に一週間が過ぎたような気がする. 何をやっていたかと言うと,ほとんどがデザイン関係.ここ暫く,アルバム用ブックレットの構想を練っていて,先週など,事務所にいる時間はほとんど四六時中画面に張り付いていた.多分今週もそんな感じになるんだろうな.

先週スタジオで録った写真,残りをUP(写真:片飛鳥).

Photo1 Photo2 Photo3 Photo4


10/13(土)

以下,今週のリハの模様.

神田優花,年末のイベントのセットリストなんぞ考えつつのスタジオ入りでした.

Photo1 Photo2

影山リサ,相変わらず新曲のリハーサル中.

Photo1 Photo2 Photo3


10/12(金)

今週のリハーサル風景をUP. 残りは明日以降に上げます.

Photo1 Photo2


10/11(木)

ウチが作ってる音源類って,一部のタイトルを除いては,基本的に限定生産に近い.リリース後,数ヶ月を経過したら追加製造をしないケースがほとんどなのである. 一般的にこの手の商品が売れる期間って,発売後1〜2週間,せいぜい長くても2〜3ヶ月なのだ.大抵それ以降は,オーダーが激減する.確かに,リリース後何年も経過しているタイトルに注文が入る事はあるのだが,そういう場合は,その時点で残っている在庫のみで対応しているケースがほとんどだ.そして,上手い事在庫が捌けたらそこで打ち止め,って感じになってしまう. 他所のレーベルさんでも,似たような状況のところが多いのではなかろうか.

いわゆるパッケージ物の音源売りって,如何にタイムリーにロットを調節し,不良在庫・廃棄を少なくするか,が勝負になってしまう. CDなんて,マキシをたった100枚発注しても段ボールで送られてくるのである.下手な捌き方していると,本当に置く場所も無くなってしまう.

今回何故こんな話をしたのかと言うと,最近この手のことでちょっとした問い合わせがあったからだ. 弊社のリリースタイトル・在庫完了品については,概ね斯様な状態なのであります.もちろん追加製造を行なう場合もあり得るのですが,ハッキリしたお約束は出来ない状況ですので,申し訳ありませんが,こちらご了承下さい.


10/10(水)

年末に予定しているイベントがらみで,あるCDショップとちょっとした交渉をしていたのだが,やはり年末はどこも忙しそうですね. 私はその年末(12月後半)を遊んで暮らす為に,今がんばって仕事を片付けている.


話は変わるが,自らの美によって立身した人というのは,その後の人生,大変そうだ.察するに余りある. ご存知の通り「美」というものは,若さに由来している部分が多い. どんな絶世の美女でも,寄る年波には勝てない. Audrey Hepburnはその晩年,あまり多くの人前に出たがらなかったそうだが,理解できなくもない.彼女の若かりし日の美貌が,負の遺産となって自身に重くのしかかっていたのだろう. Audrey Hepburnなどに比べると,老体に整形手術を施しまくって露出を続ける芸能人などは,そもそも持っている(自負している)美の程度が軽いのかもしれない. まあどちらの心持ちも,私には無縁の感覚だが.

私は,衰えゆく容色に鞭打って人前に出続ける人を「憐れだ」などとは思わない.それどころか,むしろ敬意を禁じえない. きっとその気概こそが,その人の美貌の源泉となっているのに違いない. 美とは,まず第一に,自らが自身の容姿を如何ほどに見積もるか,に始まる筈だ.自分に対する値踏みすら放棄した人間など,美しくあろう筈が無い.美とは精神が紡ぎ出すもの,とも言える.

美というものは,ほとんど100%天賦のものだと思われていたりするが,無論違う. 生まれ持った才能に努力で磨きをかける,どちらかと言えば,一般的に後天のものと言っていいかもしれない.ついでだが,ここで言う「才能」とは容姿のみを指すのではない.大多数の普通人にとってなら「努力」に相当してしまう部分を,無意識に補完する能力なども才能に含まれる. 例えば学生の頃などに,クラスのマドンナ的存在であった女の子(似たような扱いを受けていた男でもいい)を思い出して欲しいのだが,その人の顔ってそんなに端整な造作でした? 私の経験に限って言えば,違う. しかしながら,その程度の容姿で周囲を煙に巻いていたその子は,きっとある意味では「美」を備えた人であったのだろう. 少なくとも,分析の対象としては面白いと思う.


10/9(火)

日本語は言語学で分類されるところの「膠着語」なわけだが,古くから漢字・漢語を大量に輸入して来たにも拘らず,上の分類上,中国語と日本語は別の系統に属する. 因みに,原日本語ともいうべきアイヌ語も,上の分類においては現在の日本語と別系統の言語と言われる. 日本語はある分類法においては,孤立言語なのだそうな(アルタイ諸語などに属するとする説もある).

HIPHOPにあるようなfreestyle-rap(即興詞によるラップ)みたいなものに日本語は向かないのだが,これは致命的なものかもしれない. 日本語の語順は,ご存知の通りSOV型なのだが,rapは通常,SVO型の英語で表現される. 「I love you」のように主語の後にすぐ動詞(述語)が付く.日本語はオチというべき述語が最後にきてしまうので,メロディー(節)にrapを乗っける場合,フレーズの尺を把握した上で,その尺に相応する厳密なセンテンスを一旦脳内で完成させねばならない.

「私はずっと昔から,貴方の事をとても深く愛していました」

上のセンテンスでは,「愛していました」という結論まで言い終わらないと,全くもって文意が成立しないが,英語では主語(I)が来たら,すぐその後に述語(love)という結論が来る.それ以後の目的語(you)・修飾部(so much云々などという)は,極言すれば,無いなら無いでも大筋の文意は成立してしまう.また,尺が余れば適当に修飾語を一つづつ加えたりも簡単に出来る. freestyle-rapなんて芸当が出来てしまう一つの所以であろう. 因みに中国語の語形も英語同様,SVO型である.「我愛〜」といった形である. 多分それらの言語圏の人達から見れば,日本語あるいは日本人は,さぞかし回りくどいであろう.実際その通りだが.

人間の思考回路は,言語による拘束から逃れられない.日本語がこんにちのようである以上,日本語によるfreestyle-rapは難しいかもしれない. あるいは将来にでも,私の想像を絶するような脳の構造を持った人間が現れて,やってのけてしまうかもしれないが.


10/8(月)

影山リサ,先々週歌録りを終えた新曲の上がりをチェックしてました.既に次の曲の制作に入っているので,そのリハも兼ねて. 次の曲は何だか難しくて,まだ歌い回しを覚えている段階ですので,マイクを通してのリハーサルには入ってません.今月中にレコーディングに入れるかも微妙ですな.入りたいけど.

Photo1 Photo2

その影山リサなんですが,Infoで触れている通り,来月13日にはラジオ出演が決まっています.良かったらそちらの方も,是非聴いてみて下さい.


10/7(日)

英詞について. 私はソングライターなので,無論曲を書くのだが,必要に応じて已む無く詞も書いたりする. どちらかと言うと作曲の方が専門で,曲を単体で書くこと(詞は他人が書く)はあっても,詞を単体で書いたことは無い. 詞なんてのは,自分の曲に付ける場合以外,基本的に書かない. 作詞という作業は,やらずに済むならそれに越した事は無い,とさえ思っているのだが,曲に対する愛着が強くて,他人の書くものに納得出来なかったりするのである.

詞は日本語のものもあるが,英詞だったり,それら(日本語・英語)の折衷であったり.折衷の場合,英語が9割ぐらいを占めていたりもする.何故英語が多くなってしまうのかと言うと,私が英語に堪能であるとか,そういうわけでは無い(むしろ苦手だ).単に,音楽に乗せるという用途には,英語の方が向いている場合が多いと感じるからだ.日本語より英語の方が音楽的なのである.

日本では古代から,かなりの文章が漢文で書かれてきた.日本書紀や吾妻鏡などという史書も,無論全て漢文で記されている. おそらく当時の大和言葉(純粋日本語)は,精密な歴史記述といった用途に向かなかったのだろう.明治の文豪,森鴎外などに至っても,漢文による作品を残している. また,東南アジアの学者などは,ラテン語で論文を書いている人もいる,という話を聞いた.他にも母国語でなく,英語等の国際語で論文を書いている学者は世界中にいると思われる. 彼らの文章は,その対象が国際社会であるという理由もあるのかもしれないが,要するに,自国語が高度な学術論文などの構成に向かないのだろう.

日本書紀などの史書が漢文で書かれている事は既に述べたが,当時の漢文文化圏の中心地帯にいた読書階層が,日本人の手による漢文(日本書紀など)を目にしたら,無論全く判読不能の書物ではあるまいが,多少の違和感を覚えたに違いない. その「違和感」の事を,古くからある言葉で「和臭(倭臭)」と呼ぶ. 私の書く英詞は,和臭濃厚な英文である.全くもって英語圏の人を対象に作られていない. 無論明らかな文法上の誤りは無い(と思う)ので,英語圏の人にとっても,一定の解釈は成り立つ文章だろうと思うが,おそらく読後にある種の違和感が残る詞になっているであろう.

私が何を言いたいかというと,ある時代までの日本語が,歴史記述などに不向きであったように,現在の日本語はある種の声楽には不向きである,という事である. 私はそれを,日本語そのものが内包する致命的な欠陥では無いと思いたい. 現に今の日本語は歴史記述どころか,思想・哲学といった,高度な形而上的概念をも表現できるほどに洗練されている.言うまでもなく学術論文の作成にも耐えうる言語である.

英語圏,というよりアルファベット使用圏では,日本でいう書道にあたる芸術分野が存在しないと言われる.従って歴史上にも,唐の三大家だとか,日本の三筆・三蹟だのといった類の人物は存在しない. 文字を美しく描く,という事に美学を感じうる感性そのものが希薄なのである.しかし,いずれはそういった感覚も生まれるかもしれない. 日本人もそのうち,音韻に今と違った美質を求めるようになって,日本語そのものを変質させるかもしれない.させないかもしれないが.

ついでだが,上の文章は,日本語の音韻面についてのみについて述べているのであって,私は日本語が,情緒などを表現する機能において,英語その他の言語に劣っているとは決して思わない.


10/6(土)

神田優花,リハーサルと新曲(マスタリング)のチェックを兼ねてスタジオ入り. 神田優花は年末にイベント出演も決まりました.今セットリストを考えてます. イベントの詳細はまた後日お知らせしますので,こちらもお楽しみに.

Photo1 Photo2 Photo3 Photo4


10/5(金)

昨日は打合せで美女木まで行って来た. 10月になって,やっと日中の気温が落ち着いてきたみたいですね.

以下,今週スタジオで撮った写真をUP.

Photo1 Photo2


10/4(木)

先週末,9/18(火)に放送されたラジオ番組(片飛鳥出演分)を,ゲスト本人(片飛鳥)とスタッフその他数人で聴いてみた. 反省会を兼ねての収録内容チェックだったのだが,初めての生出演にしては,それなりにソツなく熟せてますね.聴いていても喋りのテンポが小気味良かった. その片飛鳥ですが,来月にも別の番組に出演する予定です.詳細はまた後日,このページでもお知らせします.お楽しみに.


10/3(水)

私は音屋なので,日常生活においても常に「音」に対して特殊なアンテナを張り巡らせている. 例えば,街中で耳にしたホンのちょっとした騒音でさえも「作品に活かせないだろうか」などと考えてしまうのである. これは私が異常人なのではなく,何らかの道におけるプロなら,大抵の人は理解してくれる感覚だろうと思われる. 写真家であるなら,街で目にした何気ない風景をも,常にフレームに収める事を想定して眺めてしまう筈だ.

プロの定義とは何か.それは絶対的な技術だとか,知名度だとか,商品がどれだけ広く流通しているかだとか,はたまたその道でどれだけ稼いでいるかだとか,そういう事ではない. 私が思うに,プロとは,自分の精神状態を上で述べたような境地にまでもって行ける人の事だ. 全神経を,何か一つの対象に向かって集中させようと思ったら,当然自分を「その道の人」だと規定せねばならず,歌を歌う人なら,まず自分を「歌手」だとアイデンティファイしなければならないだろう. プロになりたい人は,誰かにプロにしてもらう方法を模索するのではなく,何よりも先ず,プロとしての精神を涵養すべきなのだろうと思う.


つい昨日,「11月までには仕事を片付けたい」みたいな事を言っていたのだが,早速そのプランは土崩した.11月末に予定していたイベントが,12月にズレ込んでしまったのである. そのイベントは12月の初旬なのだが,それが事実上,ウチの仕事納めになりそうです. とは言っても,スタジオワーク(リハーサル)なんかは,年内ギリギリ一杯まで続きますが.


10/2(火)

影山リサ,先週は新曲のレコーディングでした. リリース等の詳細は決まり次第,このサイトでもお知らせしますので,お楽しみに. 以下,そのレコーディング風景をUP.

Photo1 Photo2 Photo3 Photo4

レコーディング終えたばかりの影山リサなんですが,早速次の曲の制作に入ってます. 次の曲は何だが小難しくて,覚えるだけでも骨が折れそうだ.10月中に歌録りに入れるだろうか.


ここ数日の間,年末の予定を組んでいるのだが,11月はイベントやらブッキングやらで,何だか忙しそうだ. 贅沢言えば,11月一杯ぐらいで大きな仕事は全部片付けて,優雅な年末を過ごしたいな.


10/1(月)

使っているミキサーのムービング・フェーダーがイカレてしまった.まだ完全に逝ってしまったのでは無いらしく,引っ掛かりつつ怪しげな動作をしている.また,時に思い出したように正常に動いたりもする. しかしもう限界だろうな.どうしよう.

生まれて初めてムービング・フェーダーというヤツを目にした時から,いかにも不具合が生じそうな機能に見えたし,「壊れるならまずココだな」と直感したが,見事に予想は当たってしまった.よりにもよって私の手元で.

ここで「ムービング・フェーダーとは何か」の説明を入れようと思ったのだが,そもそも「フェーダー」から説明すべきなんだろうな. 一応説明入れておくと,「フェーダー」というのはスライダー式の調節器(音量などの)で,その設定値(位置・動き)を時間軸に沿って一々記録してくれるのが「ムービング・フェーダー機能」である. この説明で分からなかったらごめんなさい.私には,これ以上上手い解説が出来ない.


※このページに記載された内容の転載や二次利用はご遠慮ください.

archives


   お問い合わせ先  
 


株式会社 エースミュージックエクスプレス


E-mail(Mailform) -> ClickHere
Tel/Fax -> 03-3902-1455

 
(C) Ace music, exp. Co.,Ltd. (Since2000) All rights reserved.