Staff diary  
業務日誌[2006]

[文 / 益田(制作)]

12/31(日)

大晦日というのに,相も変わらず音作りばかりやってます. 明日からの正月もずっと一人で音弄ってる予定です.それぐらいしかやる事無いんで.

2006年最後の更新になるので,個人的に今年の総括を. 神田優花は歌い手としてのスタイルをそれなりに確立しつつあると思っているのですが,それと同時に音の売れ行きも安定して来ました.そんなに物凄い売れ方をしてるってわけではありませんが,コンスタントに音源が捌け出している.一スタッフとしても非常に喜ばしい限りで,買ってくれている人たちに感謝したいところです, あと,鈴木サヤカの音が海外のiTMS(アメリカ)なんかで少しづつ売れたりしているらしい.まあ,どういうつもりで買ってくれてるのかよく分かりませんけど,有難いことには違いありません.これも素直に喜びたい. 来年は今年以上に精進したいと思ってます.2007年もよろしくお願いします.


12/30(土)

今月発売の月刊「Audition」掲載のオーディション情報,一応締切りが今日(消印有効)になってます.どのみちデモテープ聴くのは来年になると思うので,別に明日の消印でも構いません. 応募してくれた人,ありがとうございます.


12/27(水)

月並みな言い回しですが,今年もあと僅かです. 今年は本当に忙しかったのだが,来年はもっと色々やりたい事があって,既に今現在,その来年に向けての企画を練っている最中であったりもする. できれば来年中ぐらいには神田優花の2ndも完成させたいと思ってます.


12/26(火)

私の作る音楽はよく「分かり難い」と言われるし,「もっと分かりやすい音楽を作ってはどうか」などと忠告されてしまうことすらある. 何故そのように言われてしまうのか,実は私はその原因をあらかた知っているのだが,長くなりそうなのでここでは触れない.

申し訳ないのだが,何と言われようと私には作風を変えるつもりなど毛頭無い. ある周波数で音楽を感受する人が「分かる」と言ってくれればそれで構わないと思っているし,「分からない」と言う人も含めた,万人に分かってもらえるような音楽を作ることなど私の能力では無理だし,本意でもない. 有難いことにも,私の音楽を「分かる」と言ってくれる奇特な人がたまにいてくれるので,私は心の中で「貴方の為に作っているのです」といつも思っている.


12/25(月)

MaxMuseがサービスを終了するとの事.PC向け音楽配信サイトとしては,ORICON STYLEに続き今年二件目の閉鎖になりますね. 音楽配信は比較的新しい商売なので,言ってしまえば現在も試行錯誤の段階で,おそらくもう暫くはこういう感じで淘汰を繰り返すのでしょう.まあ残念な事ではあります. 他の業者さんにはがんばってもらいたいですね.


12/24(日)

「自分が本当に好きな事を仕事にしてはいけない」と若い頃よく言われた.理由はイマイチ分からなかったが,大人が言っていたことなので.一応はそれなりの根拠があるのだろうとぼんやり思っていた. 時は過ぎ,曲がりなりにも私は自分の好きな事を仕事にしてしまっているのだが,当時言われたことの真意がいまだ分かりかねている.結局あれって何だったのだろう. 以前,知り合いのカメラマンにこの話をしたところ,その人も若い頃,似たような事を言われた経験があるそうで,「あれは嘘ですね」などとにべも無く言っていた. とにもかくにも,何だか世間では支配的な意見だったりするみたいである.そして私にはいまだにピンと来ない.もっと言えば私にも「嘘」のような気がしている. ああいう言説が罷り通る背景には,人間の中に渦巻く何事かが潜んでいるような気がしないでもないのだが,面倒なのでそれ以上考えるのを止めた.

話は変わるが,浮世はクリスマス・イヴなのだそうな.街にはクリスマスムードが漂っているし,多少浮かれている人もいるのだろうが,無論私には関係無い. 「関係無い」などと無愛想に言っているが,別に何かのトラウマがあったりするわけでは無いので,こういう浮かれ気分も平和で悪くない気はする. 音楽の消費も伸びてくれれば良いですね.


12/23(土)

神田優花,新曲「JILL」をチェックしてました. 私はここしばらくこの曲のオケ作りで手一杯だったのですが,時間を掛けた甲斐あって,曲自体はそれなりに満足できるものになったと思ってます.あとは歌次第ですな.

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12/22(金)

今週のリハーサル風景をUP(写真は影山リサ). 因みに,うちは今週をもって今年のスタジオ入りは終了.まだ仕事納めってわけではありませんが,とりあえず一区切りになります. 私はこれから来年に向けて,音の仕込みに入ります.

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12/21(木)

神田優花の新曲,オケ作りに丸二週間ぐらい掛かってしまった. 私は曲想を練るのには時間が掛かるタイプだが,アレンジ・音録りなどの実作業は割とスピーディーにこなしてしまう方である.今回は予想以上に時間が掛かってしまった. 年が明けたら歌録りに入ります.


12/19(火)

歌について. 事務所の人間が言うのも変だが,私は神田優花の歌が好きである. 歌とは何なのか.歌は単なる声帯の振動ではない.歌い手が歌について考えた時間やその内容,歌に賭けているもの,そういったいわば「精神」を声に託して表現したものである.精神の宿っていない歌など単なる喚き声と変わらない. 音楽も同様,作者の精神を宿していない作品など単なる音響に過ぎない.これは芸術・創作全般に当てはまることかもしれない. だからして,歌というのは「音程が正しければ良い」などという単純なものではないのである.

私が神田優花の歌を聴きたいのは,そこに精神を感じるからである.同時に,彼女の歌に不満を感じる時も,その理由はまた精神の不在なのだが.

そして,つまりは,私が聴きたい歌だからこそ他人にも薦めたいし,延いては「売りたい」と思うわけである.言うまでも無く我々(事務所)が聴きたくないものを本気で売るのは難しい. 神田優花の音については,現在もいくつか入手できるものがあります.よかったら是非一度聴いてみて下さい.


12/18(月)

来年から取り掛かる予定だった新しい企画に手を付けている. 企画と言っても私のやる事の基本は音作りである.今はただひたすらに曲を書き溜めている. 私は現在に至るまで,神田優花というアーティストに曲を提供してきているのだが,今書いている作品群は,それら(神田優花の音楽)とは商品コンセプトにおいて全く違うものである. とにかく出来うる限り面白いものを作るつもりです. そういえば,神田優花の新しい曲も最近一つ書いたので,年が明けたら音録りに入ろうと思ってます.こちらもお楽しみに.


12/16(土)

今週のスタジオでのカット,昨日の残りをUP.下は神田優花.

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以下,影山リサ.

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歌手とその報酬について考えてみた. 歌手とは儲かる仕事なのだろうか.確かに長者番付に載るような歌手もいなくはない.しかし印税とかいう制度に象徴されるように,基本的に歩合・能力主義の世界である.その報酬も無論,人による.

よく,CDなんてほとんど赤字のタイトルばかりである,などと言われるのだが,実感としてまで世間に共有されていないような気がする.言っておくが,本当にほとんどのタイトルは赤字なのである.テレビで目にするような歌手でも実質的に食えてない人など山ほどいる. 例えば,オリコンという雑誌にはCDの週間売上げランキングが100位まで掲載されているのだが,各タイトルの累計実売(出荷だったかも?)枚数も同時に載っている.従って,各CDの定価とクレジット(作詞・作曲など)が分かれば,アーティストの取り分もある程度の幅で計算できてしまう(無論レコードメーカー・原盤権所有者の取り分も然り). これは私が業界の裏事情に精通しているから,などという理由では無く,ちょっと本などで調べれば一般的な印税の計算方式ぐらい簡単に知ることが出来る. また,取り分の話だけしているが,言うまでも無くCDを出すには,先行投資として相応の金が掛かる.ちょっとやそっとの「取り分」ではそれすらも回収できない.

結論から言ってしまうと,印税だけで食べていける歌手など,ごく一握りの特例のみである.それ以外の人たちはどうやって食べているのか(ビジネスを成立させているのか),それは私には分からない.営業仕事で食っているのか,CM契約など企業スポンサーによって成立しているのか,後援会などのパトロンによってなのか,芸能プロダクションなどが系列養成所の広告塔を作る為に赤字覚悟で有名アーティストを育てているのか,あるいは単に金持ちが道楽で歌なんてやっているのか.繰り返すが正確なところは私にも分からない.

ただ一つ言えるのは,「金儲け」をしたいのなら音楽など全くもって効率的では無い,と言う事. 歌手は歌が好きな人がなるもので,多分に「誇り」を糧に生きて行く人種たちである.結果的に富を得てしまうものも当然中にはいるだろうが,そんなものを目的に歌をうたう歌手などおそらく皆無に等しかろう. 芸術なんて本来そのようなものなのだろう.


12/15(金)

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今週のリハーサル風景をUP.上が片飛鳥・下は佳乃.

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以下,広瀬沙希.

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12/14(木)

つい最近このページで「多少時間に余裕がある」と言っていたのだが,本当に時間があったもので,予定を前倒しして来年の仕事に取り掛かることにした. あんまり半端な状態で年を跨ぎたくないので,またしばらく忙しくなりそうです.


12/13(水)

少し更新間隔が空いてしまいました. 取り立てて報告すべきこともありませんが,普通に仕事してます. そういえばここ数日,曲作りに没頭しているのですが,来年公開する曲を今仕込んでいます. 年が明けたら,今考えている神田優花の新曲の制作(レコーディング)に入ろうと思ってます.


12/10(日)

実はここ最近,多少時間に余裕がある.だからというわけでも無いが,一ヶ月ぐらい曲作りに集中したいと思ってます. 他の人はどうか知らないが,特に私の場合,曲を作る作業には極度の精神的疲労が伴う.頭の中でイメージを繰り返しているだけで脳が疲れきってしまって,その場で寝そうになってしまうこともある. 事務や営業仕事が山積している時などに,同時進行で曲を作るのに多少の無理を感じてしまうので,なるべくこういう暇のある時に作っておきたいのです.


12/9(土)

影山リサ.今週のスタジオでのカット. 影山リサは現時点でまだ作品を公開してないのですが,年明けぐらいから少しづつオリジナル曲を公開して行きます.

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実を言うとこの時のリハーサル,スタッフの一人(影山リサの担当・ウチの社長)が体調を崩して休んだもので,急に私が現場を仕切ることになった(はっきり言って何をやっていいかよく分からなかったが). みなさんも体には気を付けましょう.


12/8(金)

今週のスタジオ風景をUP.下の写真は広瀬沙希.

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神田優花,リハーサルやってました. 今,神田優花の次の曲の構想を練ってます.年末年始に多少オフが取れるので,その時にでも煮詰めようかと.

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12/7(木)

プロモーションというのはタイミングが非常に重要みたいです. うちは配信物(ダウンロードコンテンツ)をいくつものサイトに卸させてもらっているのですが,各サイトそれぞれに様々な特集ページが設けてあって,中でも無料ダウンロードのコーナーみたいなのは特に人気があるらしい.無料だからとりあえず落としてみるユーザーが多いのだろうが,その辺は想像に難くない. 因みに,「無料」で配信しているのだから,何件ダウンロードされようと,当然ながらレーベル側に取り分など一銭も無い.であるのに,エントリー(掲載希望者)は後を絶たず,実際大変な倍率だという.

以前,iTMSを運営しているアップルコンピュータの人が言っていたのだが,本当にこの「無料ダウンロード」は凄いらしい.iTMSでは,毎週ダウンロードランキングが出る.例えば上位にランクインしてくる楽曲は,J-POP最強クラスのアーティストのものが殆どで,オリコンチャートなんかと大体似たようなラインナップになっているのだが(そうでも無いか?),実のところ,集計には反映されていない裏1位とでもいうべき膨大なダウンロード件数を誇る楽曲があるとの事.それが「今週の無料ダウンロード」で毎週紹介される一曲なのである.詳しいダウンロード数など聞いていないが,それはもう桁違いの件数らしい. そこまで落とされるなら,いくら無料とはいえプロモーション効果も絶大であろうし,故に掲載希望者は殺到し,現状の高倍率となっている.

しかしこの「今週の無料ダウンロード」(iTMS),エントリーするだけでも必須条件があって,それは「新人」である事なのである. 一般のマーケットにおける実績がどの程度関係あるのか不明だが,とにかくiTMSでのリリース実績が過去に無い事が条件らしい.即ち,うちでいうところの神田優花などは,既にエントリーの資格すら無いのである.エントリーしようと思えば最初のアイテムをリリースする前から,入念な根回しをしておかねばならなかったわけだ. そんなこと今更知っても後の祭りで,うちとしては,今後全くの新人を出す機会(いつになる事やら)にでもエントリーを検討するぐらいしかない.

上でiTMSの例を出したが,他のサイトにおける特集コーナーもそれぞれに条件があって,大抵はタイミングを要するものばかりである. まだまだ勉強中だと痛感させられてしまいます.


12/6(水)

唐突だが,どこの学校にでもいるような「不良少年」は,果たして不遇なのであろうか.不良は粗暴だったりするが故に目立ち,自然周囲の関心を集めたりするが,一般に教師は,手の掛かる不良・非常識人が嫌いかと言えば決してそうでなく,むしろ好きなのではないだろうか. マザーテレサは愛の対極にあるのは憎悪では無く「無関心」というような意味のことを言っていたが,実際その通りだろう. 教師にとって無関心でいられる相手とは,適度に常識があって扱い易い人に違いないわけで,普通そういう人らがマジョリティである.そういう人らは,常識や理性があるが故に時に無視されるのである. 不良が問題行動を取りつくした後に,定職にでも就こうものなら「偉い」と社会に評価されたりする.やっと普通人のレベルに到達しただけに過ぎないのに. そういう意味では世の中は不公平である. 世の中を支えているのは普通人の方だが,世の中自体は好き放題やれる異常人の為にあると言えるかもしれない.

非常識人が異常であるが故に脚光を浴び,ある意味では社会に優遇までされてしまうので,そこで占めた「味」を忘れられずに,挙句芸能や音楽の世界を目指そうとするのなら,それはどこか無理があるように思う. 何故なら,ほとんどのお客さんや現場の人達は保護者や教師達では無く,むしろ無視されてきたマジョリティの方々だから.

今の私自身もそういう普通人の一人である. 仕事をしてても,時には理不尽な事を言い出す相手に閉口させられてしまう事があったりする.その都度,理性を持つと言うのは損な事だと思ったりしながら,ただヘラヘラ笑っている. 「いっそ異常人にでもなってしまおうか」などという甘えは,残念ながら普通人には許されなかったりもする.

私は,商業音楽の業界は普通人の世界であって欲しいと思っているし,事実そうなっていると思う. そして,そういう土壌が堅牢でなければ,本当の意味での天才(狂気と言えるような)などを受容できる素地も育たないのである.


12/4(月)

先日,とある営業上の交渉をしていた際のことである. 単刀直入に言うと,プロモーションのお願いをしていたわけだが,具体的には,相手先の持っているメディアにて,うちのコンテンツをフィーチャーしてもらえまいかという相談をしていた(「具体的には」と言いながら,あんまり具体的で無いのはお許しを.詳細に説明し過ぎてもマズいので). かなり一方的にうちにとって都合の良いお願いだったので,いわゆる「商談」とも言い難いような内容だったのだが,やはり相手側にとっても少々無理のある話だったみたいで,予想通りと言うか,難色を示されてしまった. 要するに「断られた」わけだが,こんな事私にとっては日常茶飯事で,一々落ち込んだり腹を立てたりなどするような事態では無い(これが日々の仕事なのだから当然だが). ここで敷衍したいのは,その「断わられ方」である.

相手の言ったことを,簡単にここで紹介するなら,「御社が希望するその枠は掲載希望者が非常に多いし,競合相手もメジャーどころばかりなので,オタクが持っているようなマイナーなコンテンツでは難しい(掲載するのが).」と,見も蓋も無く言えばこんな感じだった. 実際に話中,うちが持ち込んだその案件は,「そういう小さい話」みたいな言葉で形容されてしまっていた.相手もどうも口が滑ったと感じたのか,それを口にした直後,バツが悪そうだったが.

私は,「何と失礼な!」などという怒りをこんな場所でぶちまけたい訳では無い(そもそも私は,あまり物事を根に持ったりするタイプではない). それどころか,上のような言い方をされても全く不快では無いし,こういう事はぶっちゃけて言ってもらって全然構いませんよ,という表明をこの場を借りてしたいのである. その方が話も早いし,迂遠な言い回しをダラダラ突き合わせるより,結局のところ建設的な話になるような気がするからである. 私も社会人なので,いくら手っ取り早いからといって,どんな言動でもできる訳はない.しかし相手から「される事」に関する許容範囲を自ら表明する事ぐらい許されるような気がするので,ここで敢えて述べてみた. ついでながら,上の交渉相手その人は,全く印象の悪い方ではなく,単に性格が正直過ぎてつい口が滑ってしまっただけなのだろうと思われる.その証拠に,私の提案自体は蹴られたのだが,「その話は難しいのですが,それとは別にこういうプロモーションの手段がありますが,そちらを検討なさってはいかがでしょう?」というような,代案を親切にも提示してくれた(ここ読んでるかも知れないので,一応フォローを入れておく).

以上のテキストを打ち終わった後で,人を愉快・不愉快にさせるものとは一体何なのか,あらためて考えてみた. 結論としては,結局その人の「心」ではないかと.心に悪意が無い人なら,いくら言葉を誤ってもそんなに他人を不快になどさせないもので,逆に心が醜悪な人は,どんな美辞麗句を弄しても,むしろ相手に悪印象しか与えなかったりするのかもしれない.


12/3(日)

一日発売の月刊「Audition」誌を読んでみたのだが,記事では,うちのことが「音楽に関する全ての業務に対応した事務所」みたいな文句で紹介されている.このフレーズは掲載の度に毎度流用されているもので,特段の意図があるわけでも無いのだろうが,個人的には「うちも随分大きく出たな」という印象が拭えない. 一応断っておくと,こういう小見出しみたいなものまでうちがテキスト上げてるわけでは無いのだが,まあそんな言い訳通用しないでしょうな.読者の皆さん,どうぞお手柔らかに. しかし一般的に,事務所さんというのはあくまで人を登録・管理する機関で,音やパッケージまで作っているところ(特にうち程度の規模で)なんて少ないのかもしれない.だから多少物珍しく思われてしまうのだろうか.


12/2(土)

神田優花の今週のスタジオでのカット. 神田優花に関しては,色々と進めている企画があるのですが,現段階では事情があって触れません.年が明けてから,少しづつインフォメーションしていければと思ってます.

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他にも今週のリハーサル風景をUP. 早12月,今年も残り少なくなってきましたね.

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12/1(金)

本日発売の月刊「Audition」(白夜書房)新年一月号62ページに,うちのオーディション情報が掲載されています.因みに,締切日が12月30日(当日消印有効)になってますが,12月31日の消印でも結構です(要するに単なる書き間違いみたいなものです). とにかく,たくさんのご応募お待ちしてます.


11/28(火)

丸一日掛けてHP(ここ)の修繕をやった. リニューアルとかそういうものでは無く,リンク切れなどを直しただけの,あくまで修繕.なので一日掛けた割りには,どこをどう変えたのかほとんど分からないだろうと思われます.

Downloadのページに広告を入れてみた. 前にも触れたような気がするが,実を言うとこのHPのアクセス,いまだに半分ぐらいはVST(Download)関連なのである.何となく勿体無いような気がして,広告なんぞ入れてみました.基本的にうちが配布してるソフトって全部フリーなんで,多少宣伝ぐらい入れても罰は当たらないだろうと. 新しいVSTも気が向いたらまた公開しようと思ってます.


11/26(日)

一般に,音楽には「様式」がある. 私自身は音楽大学など,アカデミックな場所で音楽を学んだクチでは無いし,伝統和声や作曲法,ひいては更に高度な音楽理論を熟知し,それらの課題をやり尽くした,といったタイプの人間でも無い.要するに音楽理論など,自分の表現に必要と思しき最小限の能書きを知っている程度に過ぎない. もっと早い時点で一念発起して,「体系を学び尽くそう」などと思い立っていたなら,いくら私でもある程度のものにはなったろうと思うが,それに人生の膨大な時間を消費する気にはなれなかった.

音大の作曲科を出ているような知人が何人かいるのだが,確かにその人達の情報量は凄い.大袈裟な言い方だが,ドイツ和声やフランス和声などのあらゆるパターンを公式として記憶し尽くし,いかなる設問に対してもその解法を常にインプットしている,といった状態で,あたかも数学者のようである. ある意味尊敬に値するような気がしないでも無いが,しかし,私の求めている物はどうもその辺りに無さそうなのである.

音響などの知識についても,マニアのマニア振りは凄まじいが,私は全くもってそういったタイプに属さない. 私自身は,ProToolsの操作法に精通しているとか,あるいは熟練のサウンドプログラマーでMIDI検定試験を満点で及第するだのと言った,そういう普遍的なスキルを持っておらず,あくまで自分のイマジネーションを具現化する技術しか持ち合わせていない.

仮に「様式に添うものだけが音楽である」とするならば,私の作るものは必ずしも音楽では無いし,私の聴きたいものも音楽では無い. 要するに私は私の音楽を作りたい.自分が聴きたい音を自分で作っているだけなのかもしれない.


11/25(土)

とりあえず昨日の残り(今週のリハーサル模様)をUPしてます.下の写真は影山リサ.

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まだ11月と言うのに,もう来年の営業上の予定が幾つか入ってまして,私は年末もあまり休めそうにない雰囲気です.そしてその予定の殆どが神田優花絡みだったりする. 以下,神田優花の今週のスタジオでのカット.

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11/24(金)

週末恒例になりつつある,今週のリハーサル風景を一部UP(写真は佳乃). 今日は時間が無いので残りは明日以降に上げます.

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11/23(木)

今の仕事をやるようになって,初めて知って驚いた事がある. うちは音屋なので,音楽コンテンツを色々な媒体に提供するのが業務の一つなので,当然ながら,音に付属するジャケット等のデザインを,データで入稿する事なども割とあってしまう. 自分で言うのも何だが,私は音に関しては一家言ある.しかしデザインにおいては基本的に門外漢である. ジャケのデザインをやるようになった当初,データ入稿などを当然するわけだが,例えば12cm×12cmの正方形のジャケットを作る際に,12cm×12cmのデータを出して突き返された(再入稿させられた)事があった.相手曰く,上下左右に3mmの余裕を持たせろ(大き目のデータを寄越せ),との事.何故3mmのオーバースペースが必要なのか即座に理解できなかった私は,どうしてそんなものが必要になるのか,という素朴な疑問を投げかけてみた. すると,そこで返ってきた答えは「製造工程で,印刷(あるいは裁断)機がズレを起こすから」という,言われてみればごく単純なものだった. 実際に3mmもズレたりする事は殆ど無いそうだが,ホンの僅かではあるものの,ズレそのものは必ずと言っていいほど生じてしまうものらしい.一応3mmまでの誤差なら良品扱いという事なのだろう(本当に3mmもズレたら検品で撥ねるのかもしれないが). そう言われてみれば,確かに本などにも余白は必ずある.

しかしそこで思った.私が子供の頃に買ったCDのブックレットやマンガ本,あれも厳密には物によって微妙に違ったりしたわけだ.普通,一人の人間が同じタイトルを二部も買ったりしないし,そもそもそんなに細部まで凝視しないので,ほとんど誰も気付かないだけの話で. 私が持っていたCDと友人が持っていた同一タイトルのCDをよくよく見比べてみれば,ブックレットなどが多少違ったりしたかもしれないわけで,1mmもズレていれば,きっと目で見ても分かった筈である. 「だからどうした」と言われてしまいそうだが,この仕事をやってなければ一生気付かなかったかもしれない(言われてみればごく当たり前の話なのだが). どうも印刷物って,私が子供の頃に考えていたほどに厳密な代物でも無く,結構いい加減なものだったりするみたいです.


11/22(水)

「言いたいこと」について. 私はHIPHOPが好きで日頃よくその手の音を聴いているのだが,フェイバリット・アーティストに日本人は殆ど居ないと言っていい. 私は洋楽(とりわけ欧米のマーケット)至上主義者ではないので,アタマから日本人,あるいは東洋人のやる音楽を劣等なものとして認識しているわけではない(当たり前である.私はJ-POPが大好きだ).しかしHIPHOPを聴きたい情感に,日本人HIPHOPアーティストが作った作品はどうもそぐわない. 確かに日本語はああいったタイプの声楽には向かないが,ここで私が違和感を感じているのは何もそういった音楽的な部分のみではない(音楽面ではそれなりに面白いものも結構ある). 要するに彼ら(日本人HIPHOPアーティスト)には「言いたいこと」が無い,あるいは希薄だと感じるわけである.十把一絡げに断じて申し訳無いが,現時点で例外に遭遇した事が無いので,この際多少の誤差はお許し願いたい.

「言いたいこと」がある人間というのは,当たり前の話だがそれを言いたがる.衝動のレベルにこそ差異があるものの,皆心の底にマグマのような情念が渦巻いているのである.「言いたいこと」の内容が陳腐であったり,あるいは論理的に間違っていたり,思想上の立脚点が違ったりすることなどがあったとしても,「言いたい奴」の言いたさ,その「凄み」みたいなものは伝わるもので,場合によっては言語の壁さえ超えてしまう. 困ったもので「言いたいことが無い」人も,時に何事かを言いたがる.早い話が,一席ぶって周囲の耳目を集めたくなるようである.だからして,市場はこのように玉石入り混じる事となる.

例えば大学生なんかが,環境問題についてどんなに壮大なレポートを上げたところで,彼らが環境破壊の弊害などを身につまされて感じていないのであれば,それは「言いたい衝動」に裏打ちされていないわけで,そんなのきっと読者にとっては退屈極まりない読み物だろう. どんなに詩的でなくなろうと,就職について語ってくれた方が私の関心には適う. 「言いたいこと」は,正直さに裏打ちされていなければ輝かないものなのである.

これは何も「意見」に限った話では無く,例えば音楽一つとっても,表現したい世界観(作り上げたい作品・歌いたい歌)がある人と,「世間に芸術家・歌手だと認識されたい」と表層的な評価のみ求めている人では,作り上げるその作品の趣向において大きな違いが生じてしまうようである.私は一リスナーとして,前者を渇望し,同時に後者に全く興味が無い(人間の生理を知る上での,学術的興味みたいなものなら若干感じるが).だから作品に触れれば,その作者がどちらの類型に属するのかすぐに分かってしまったりする.独特の「臭い」みたいなものを嗅ぎ分けてしまうわけである.


11/21(火)

Infoでもお知らせしてますが,昨日より神田優花の「マインドスケープ」・「special selections」両タイトルに加え,鈴木サヤカの7作(「SWEET」・「SMILE」・「忍 -shinobi-」・「ドレミ」・「LISTEN,」・「MY STORY」・「chiptune special selections」),合計9つのタイトルがiTunesの海外ストアでも販売開始されています. …と,それはいいのだが,その海外ストアとやらを見てみたところ,日本と同じくやはりアーティスト・インデックス(一覧)が無い.しかも上記9タイトルは,日本のiTMSで先行配信しているからか,ニューリリース(新譜)扱いですら無いようである.国内でさえ大したプロモーションしてないのに,海外でなんて売れるのだろうか. まあ販路が広がった事だけは素直に喜びたいところではあるが.


11/20(月)

本日,CD通販サイトJETROBOTにて,佳乃「キミダケニ」・片飛鳥「LIFE」(両タイトルとも全3曲/¥1,260)の2タイトルが販売開始されています. 試聴なども出来ますので,よかったらチェックしてみて下さい.


11/19(日)

ここ最近,連日のように報道され,世間を騒がせている「いじめ自殺問題」についてである. 教育委員会や文部科学省などといった大の大人が右往左往しているのだから,厄介な社会問題なのだろうが,事態を論じる上での論点が基本的にズレているような気がするのは私だけなんだろうか.

例えば先日,何気なく目にした報道番組でまさにこの問題を扱っていたのだが,途中,番組の中で視聴者からのFAXが一通紹介された. 「いじめを苦に自殺を考えている貴方,もし貴方が死んだら周囲の人達はどれだけ悲しむと思いますか?ご両親の顔を今一度思い出して下さい」…ニュースキャスターが沈痛な面持ちで読み上げたFAXは,概ね以上のような内容だったのだが,私は聞いていて溜息が出そうになった. この文面をしたためた視聴者やそれを採用した番組制作スタッフは,失礼ながら,この問題を論ずるに当たっての真剣さに欠けている(無論,本心から出た言葉なのだろうが). 「オマエが死んだら周りがどれだけ迷惑すると思ってるんだ」というのは,あくまで周りにいる人間側のみの視点で,自殺後に残された人達が請け負うであろう事後処理の面倒さ(悲しみという感情の処理,も当然含まれる)を,クレームとして本人に突き付けているだけで,要は単なる「脅し」である.人生に絶望して,「人生を終わらせる」という最も消極的な問題解決策を採ろうとしている人間にそんな事言ったって,自身の殺害(自殺)という能動的な作業に対する足枷にぐらいなるのかもしれないが,何ら生きる希望など見出せるわけがない. 上の視聴者の意見というのは,いじめられて死のうとまで思っている人間に対し,更なる難題を押し付けているわけで,いじめている側の人間が「オマエに死なれたら騒ぎが大きくなって俺が迷惑する.だから自殺するな」と言っているのと,本質的な論旨に大した違いは無い.

もし私が,自殺しようと考えている人に何らかのアドバイスをせねばならないなら,「人生というものを,自分にとって愉快なものに作り変える事が,如何に容易であるか」を力説するだろう. 相手が小・中学生なら,君らが今いる地点が,如何に短く,退屈な局面であるか,というのも併せて伝えたい.無論,自分の経験も交えて.

人生は楽しもうと希求すれば,如何様にでも楽しめるのである.それが分からないのはイマジネーションが不足しているからに過ぎない. 例えば学校が心底嫌いなのであれば,如何にして学校など行かずに社会に出られるか,あるいは,学歴に頼らず生活を確立する方法,などを模索すれば良い. 勉強が嫌いなら,如何にして勉強をせずに生きて行けるか,教養と無縁の人生を支障なく歩むか,を考えれば良い.人付き合いが苦手なのであれば,どうすれば他人との接触を回避して生きて行けるかを考える. 人間は自由である.自分で人生を選択して良いのだ.

余談になるが,この自由という言葉について. 言うまでも無く,福沢諭吉が当てたfreedom(liberty)の訳語で,本来は仏教語だが,事実上,明治の頃に出来た日本語といっていい. 自由とは字面を見て分かる通り,「自らに由(よ)る」という意味である.単に制約が無いとか,のんべんだらりと言った状態を指すのでは無い. おそらく福沢は,当然の事として「自由」の本来の意味を理解していたのに違いない.

私は道徳的な理由を盾に「自殺をするな」などと言うつもりは無い.自ら人生を終わらせる事を勿体無いと感じるだけ.出来ることならその若さ・残された時間を譲ってもらいたいぐらいである. 私が今取り組んでいる「音楽制作」という作業は,私の残りの人生を全部使ったとしても大きすぎる課題なのである. そして,自分で選んだそのテーマに向き合う毎日は,筆舌に尽くし難い程に楽しい. 私には「好きでない事」をやっている暇など無い.

人は好きな事をやって生きて行けばいい,と私は思うが,人によっては,私の考えなどまるで理解に苦しむものでしか無いのかもしれない.また,もし子供相手にこんなことを言えば,彼らは宿題もやってこないかもしれない. サボタージュは単なる逃避だから,結局本人らの為にもお薦めされないわけだが,しかし彼らが本当に心の底から「勉強をせずに生きて行ける人生」や「テレビゲームばかりしながら生きて行く人生」を求めているなら,それはそれで結構なことだと私は思ってしまう. 少なくとも私自身はそういう生き方を選んだ.


11/18(土)

神田優花,今週のスタジオ風景をUP.新曲「clouds」を中心に,ここ最近録った曲のリハーサルやってました.下はその模様.

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以下は影山リサ,今週のスタジオで撮った写真.

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その他,今週のスタジオでのカット.

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11/17(金)

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片飛鳥.新作「LIFE」(全3曲/¥1,260)も近日公開予定です,上は今週のスタジオで撮ったカット.

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広瀬沙希,歌録りでした.前作「ハッピーバースデイ」公開後,初めてのレコーディングになります. 広瀬沙希はここ最近,表現したい世界みたいなものが固まってきた感じで,いわばアーティストとしての方向性が定まってきた状態です.次回作,ご期待下さい.

人は「歌が上手いから歌手になる」とかいうより,表現したい何かがあるからこそ,その衝動に引き摺られる形で,表現力を身に付けてしまう,という事の方が現実的なケースとしては遥かに多い気がする. 私が思うに,歌唱技術なんて,表現に対する情熱さえあれば後からでも付いてきてしまうようなものなのです.


11/15(水)

音楽コンテンツのオンライン配信は,技術的な意味でCDのパッケージ販売を既に凌駕していると言えなくも無いが,困った事にまだまだパッケージ販売に追いついていない面もある. 要するに認知度が不足しているのである.営業仕事をやっていると痛切に感じるのだが,「オンラインコンテンツを公開しました」という話題と「CDをリリースしましたよ」という話題とでは,トピックスバリューにおいて雲泥の差がある.早い話が,まだ前者はなかなかメディアで扱ってもらえないのである.特にメジャーな媒体では難しい. プロモーションって難しいですね.


11/13(月)

色々と事務仕事が忙しくて,ここ数日更新が滞ってました. 神田優花の楽曲を海外のiTMSでも配信することになりまして,現在それに伴う手続きを行なっております.このページ読んでるほとんどの人にとっては,おそらくどうでもいい話なのですが,まあ一応報告. 配信開始日とか決まったらまたお知らせします.


11/10(金)

神田優花,新曲「clouds」のチェックを兼ねてスタジオ入り. 下はそのリハーサル風景です.

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以下,今週のスタジオで撮ったその他のカット.

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11/8(水)

神田優花の新曲「clouds」,ひとまず完成.全く発表の予定(リリース計画)が無いので,試聴用のMP3をUPしてます.聴いてみてもし気に入ってもらえたら,リリースの際には是非入手してフル尺でも聴いてみて下さい.

clouds」(MP3/1:18)


11/6(月)

週末は神田優花の新曲「clouds」の編集作業で,予想通り全く休めませんでした.

以下は先週のリハーサル風景(写真は影山リサ).

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11/5(日)

「シャウト」について. まあ大抵の人は知っているだろうが,シャウトという歌唱法がある.単に叫ぶような唄い方を指すのだが,実はこのシャウト,歌手にとって非常に大切なものなのである.

人には音域がある.通常個人差があったりするものだが,オモテなら上のレまで出たり,あるいはミまで出たり.そしてそれ(オモテの限界)以上の高い音を発声する場合,方法としては二通りあって、基本的には声を裏返すかシャウトする(無理矢理オモテで出す)かのどちらかになる. この二種類の歌唱法は作品の解釈によって使い分けるべき性質のものだが,技術的に前者のみしか使えない人は多い. 何故か.それは,叫ぶという行為には「勇気」が必要だからである.人体の構造として,叫ぶ機能が備わっていない人などまずいない. 上で「技術的に」と述べたが,要は心の問題なのである.

歌を唄っていて,オモテで出そうにない音に差し掛かった際,上擦ってしまいそうで怖い人はとりあえず無難に声を裏返す.初めからその音が出ないような気がしているからである. 自分の音域外の高い音だけど「何だか今の自分には出せそうな気がする」という人は,オモテで出そうと試みる.そしてやはりキレイには出ないから,結果叫ぶ羽目になったりする. 上の局面において「叫べない人」が叫べないでいるうちは,自分がプロの歌手になれたり,更にはブレイクしてみせたり出来るような気も中々して来ないだろう. 逆に「叫べる人」は,何となく自分がプロになれたり売れたりするような気がしていたりする. こういうメンタリティというのは,一見無関係なようで実は全て一体なのである. この文章を読んでいる人の中にもし歌手を目指す人がいるなら,騙されたと思って一度シャウトしてみてはどうでしょう.


11/4(土)

神田優花,新曲「clouds」の歌録りでした.

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実はレコーディングの最中に機材のトラブルがありまして(レコーダーがフリーズした),前半に録ったテイクがほとんどパーになってしまったのですが,不思議と後半の方が神田優花の声の調子も良く,最終的にはそれなりに満足の行くものが録れました. 週末はこの曲の編集で休み無しです.リリース等の予定は今のところ全く無し.


11/3(金)

週末なので毎度の事ですが,今週のリハーサル風景をUP.

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片飛鳥.新しい音源が完成しました.タイトルは「LIFE」,3曲入りです.もうじき販売も開始する予定です.詳細決まり次第,このページでもお知らせします.

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11/2(木)

音楽コンテンツのダウンロード販売について. お隣の韓国(K-POPシーン)には,日本でいうところの「シングルCD」が存在しないそうである. アメリカではシングル自体は無論あるのだが,一種のスペシャルパッケージに近い扱いで,日本のマーケットほどそれに依存していない印象がある.J-POPでいうところのシングル盤の概念に相当するのは,どちらかと言うと『PV(プロモーションビデオ)』なのだそうな.先行発表のPVがウケたらアルバムも売れる,といった構図らしい.さもありなんという感じである. 知らない人も多かろうが,日本のマーケットにおいてもシングルは基本的に「販促材」で,アルバム売るためのチラシやポップみたいなものなのである.従って,余程の大ヒット作でもない限りシングルは赤字だし,作り手側も赤字覚悟でリリースするのが普通である. 日本のマーケットの商習慣上,チャート(売上げランキング)がアルバム・シングルの二本立てになっている上,圧倒的にシングルチャートの方がメディアでもクローズアップされる機会が多い(どう考えてもアルバムの方が金を産み出すというのに)ので,メーカーや事務所なども,本気でプロモーションやろうと思うならシングルを出さざるを得ないのだろう. ついでながら,アイドル・演歌歌手のようにシングルに極端にウェイトを置いているアーティストも中にはいるが,シングル盤の売上げによる利益をどうこうしようというのでなく,あくまでシングル曲の膾炙による知名度でもってCM契約や営業仕事を押さえる腹積もりなのだろうから,うちみたいなところとは商売のスタンス(と言うかスケール)が違いすぎて,一絡げに論じられない.

シングルもCDである以上,当然の事ながら制作費は相応に掛かる.原盤(音)を除くパッケージだけで言うと,コストにおいてアルバムと殆ど変わらない.うちみたいなショボいレーベルにとっては,チャートで上位にランクインして来ないようなタイトルをリリースする意味はかなり薄い(売れなければアルバムでも同じようなものだが). そこでうちにとってシングル・リリースの代わりとなっていたのが,Music Deliなどの配信による単曲リリースである.本当にシングル盤の代用となっていたかは別として,我々にとってそのような位置付けであったのは事実である. ダウンロードコンテンツも「音そのもの」の制作に要する手間・コストはパッケージ版と何ら変わらないのだが,CDをプレスするコストが掛からないだけでもトータルコストは随分抑えられる(画像データやそれのベースとなる写真類などは必要なのだから,音以外のコストがゼロになるわけではないが). 事実,業界全体としても,音楽コンテンツをパッケージ販売からデータ配信へ移行する傾向も顕著で,ここ最近はメジャーどころのレーベルも「着うた配信中」みたいなCMを打っていたりする.音楽業界における「コンテンツ販売のオンライン化」は,我々にとって「渡りに船」と言うべき現象なのだが,きっちりその波には乗らせてもらっている. しかしこの傾向(データ配信化)は,短期的にはとどまる事が無いだろうから,近い将来にはアルバム・シングルなどの概念も見直さざるを得ないような状況になるのかもしれません.アルバムの収録曲が大体十数曲になっている,などというのは,LP盤の名残もあるのだろうが,基本的にCD-ROMのデータ容量がおおよそ650〜700MBであるからに過ぎない.

今後ほとんどの新譜が配信によるデータ販売に移行したとして(その場合,CDはオプショナル・アイテムとなり,今でいうところのアナログ盤みたいな扱いになるに違いない),そこで浮いた制作コストは,おそらくゴッソリとプロモーションに廻るのではなかろうか.私はそれで一向に構わないと思っているが. そもそもCDとは「物」なので,倉庫や売り場面積を占有したり物流コストが掛かったりと,とにかく無駄なハードルが多過ぎて,システム上,店舗に陳列してもらうだけで一苦労なのである.消費者が楽曲に魅力を感じても,ショップに置いてなければ買えないだろう.私はこれが解消されるだけでも音楽配信には意味があると思っている. しかしiTMSを見て貰えば分かるとおり,コンテンツが物理的なスペースを占有せず,パッケージ製造に掛かるコストも大幅に削減されるとなると,当然リリースタイトルは増加し,売り場はあのようにカオスと化す(iTMSに関しては,アーティスト名の索引すら無い).クリアしなければならない別の問題も出てくるだろうが,それを差し引いたとしても音楽コンテンツ販売のオンライン化は大歓迎である.

蛇足ながら,8cmサイズのCDシングルについて. マキシシングルに押されて最近あまり見ませんが,あれ日本独自のものだそうです.アナログレコードからCDに移行する際,当時のレコードショップが使っていたEP(シングルレコード)用の商品陳列棚をそのまま利用出来るようにと,ああいう規格のCDをわざわざ作ったらしい.私にはアメリカ人(ハーフ)の従妹がいるのだが,そういえば8cmのCDを珍しがっていたような記憶がある. この事を思うと,音楽コンテンツがオンライン販売へ完全移行した後も,パッケージCDは相当長いこと存在だけはし続けるのかもしれない.


11/1(水)

オフィシャルサイトにもインフォメーション出ているので,ご存知の方もいるかもしれませんが,『ORICON STYLE 音楽ダウンロード』が今月末日をもって音楽配信サービスを終了する,との事.うちが提供しているコンテンツ(計9タイトル・延べ82トラック)も同日をもちまして配信終了となりますが,その他のダウンロードサイト(iTMS・Mora等)では引き続き販売されますので,購入の際はそちらをご利用下さい. それにしてもPC向け音楽ダウンロードは,今後も伸びてくる分野だと思うので,オリコンさんのような主力サイトが無くなるのは残念な事ですね.


10/30(月)

アーティストとそのルックスについて. バッハが男前だったという話など聞いたことが無く,本来音楽家に容姿など関係無い筈だが,私のような裏方はともかく,前に出る人に関して言えば「無関係」と言い切っては嘘になってしまう. 私も10年ぐらい前は「アーティストは良い音楽さえ作っていればいい.ルックスなど無関係」と無邪気に思っていた.「思っていた」と言うより,単にそこについて真剣に考えたことが無かっただけなのだが.

例えばあるラブソングを歌い手さんが歌う時,その歌い手の容姿によって,当然ながら歌の文句(歌詞)の説得力は変わってくる.容姿の背景に,その容姿を纏って生きてきた,その人のそこまでの人生も窺い知れてしまうからである.小学生に「人生」を唄われても,イマイチ共感出来ないだろう. 事務所やプロデューサーというのは,その歌い手の容姿を含めた「能力」に応じて作品を宛がっているのである.あるいは逆にある「作品」に対し,それを演じることが出来る歌い手を宛がっているとも言える.この場合,単に作品というより「企画」と言うべきか. 企画の規模によっては,その選定作業は困難を極めるだろう.

やってる音楽の内容にも多少は因る.ユルいPOPSなら少々の見た目の悪さも御愛嬌だが(「例えば○○などを思い合わせられたい」などと具体例(アーティスト名)を挙げようと思ったのだが,失礼なので止めた),いわゆるロックなどは,その音楽の「カッコ良さ」と演者のルックスは密接に関係している. ロックなどの場合,アーティストの容姿は,その商品の緊張感を消費者に伝える為の重要なファクターなのである.敢えてみなまで言わないだけで,きっとその業界の第一線にいる人なら,皆さん自明のこととして弁えているに違いない. あと,ジャンルに因ると断りはしたが,容姿の不味さが歓迎される音楽ジャンルなど基本的に無い.

「見た目の悪い奴は音楽なんて止めちまえ」と言いたいわけではない.「商業音楽の世界では,演者の容姿は不問とされない」と認識した上で臨めばいいだけの話である. テレビなどを見れば,偶にはルックスの良くないミュージシャンぐらい出てくる.単に「コイツ不細工じゃん」などと素人目線で感じるのでなく,見た目のマズさを補って尚余りある「何か」を持っているからこそ存在できている事を理解すれば,それが何なのか考える切欠にもなる.


10/27(金)

神田優花の今週のリハーサル風景. 引き続き新曲「clouds」のリハでした.来週あたりに歌録りやろうと思ってます.この曲はレコーディング以降の予定が全く白紙の状態なので,いつ頃公開(リリース)できるかも未定です.決まったらもちろんこのページでもお知らせしますが.

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影山リサ(下の写真)は,ここ一年ぐらいで随分歌も上達しました.来年あたりからオリジナル曲もボチボチ発表していこうと思ってます.

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10/26(木)

HMVさんのサイトでも音楽ダウンロード販売が始まったとのことです.うちのコンテンツも9タイトルほど置かれているので,今更の感もありますが,一応報告. 因みに神田優花鈴木サヤカのタイトルが販売されています.よかったら聴いてみて下さい.


10/25(水)

本日,とある説明会みたいなヤツに出席する為に,表参道まで出向いてました.ついさっき戻ったばかりなのに,休む間も無く早速私は別の仕事に取り掛かります.ここ最近また俄かに忙しいのです.


10/23(月)

先日,このページで著作権について色々と触れてみたのだが,やはり「著作権」という思想そのものが,歴史的に見ても日本人の体質に合わないのではないかと思い出している. 結局音楽なんて情報なわけで,CDというモノに値段は付くし,その感覚も容易に受容出来るが,楽曲(データ)に値段が付く・対価が支払われる,という一連の現象に,私を含め戸惑っている人も多いのかもしれない. 信濃前司行長も小島法師も印税など一銭も貰っていないのである.彼らに「この作品は俺が作ったのだ」と世間に触れ回りたい,という感覚すらあったろうか.自分が読みたいものを読む為に,自分で書き上げただけじゃなかろうか.


10/22(日)

神田優花,先週のリハーサル風景をUP. 特にお知らせする事も無く,スタジオでは,相変わらず新曲「clouds」のリハをやってました. 先日この曲に関して,「今月中に歌録りやるかも」みたいな事を言ってましたが,このペースではちょっと無理っぽいです.

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下の写真は影山リサ.影山リサのリハーサルでは,私は完全に雑用係で,本当にCDのアタマ出しぐらいしかやることが無かったりする(どんなレッスンをやっているのかすらよく把握していないことが多い).よってコメントも無し.

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10/21(土)

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今週のスタジオにのカットを一部UP(上は片飛鳥).片飛鳥は近い内に新しい音源が完成します.内容についてはまた後日お知らせしますが,とりあえず3曲入りになります. そういえば,今日は土曜と言うのに何件か来客があって,私は仕事の合間にこのページを更新してます.下は今週のスタジオで撮ったその他のカット(写真は広瀬沙希) .

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佳乃,レコーディングやってました.佳乃も一年半振りに新しい音源作ります.一応年内には完成する予定なのですが,まだ収録曲も完全には上がって無いので,公開に関してもよく分かりません.

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10/20(金)

とある漫画に出てくるフレーズと,ある歌謡曲の歌詞が似ている云々という,いわゆる盗作騒動が巷で持ち上がっているそうである. あらためて考えてみると,私自身は気持ちの上で,盗作(剽窃)行為に割りと寛容であることに気付いた.そこで例によって,歯を食いしばってその心持ちを説明するべく文章化してみた.

私は仕事上,色々な人から著作権について色々と確認を求められたり,あるいは相談を受けたりする事があるのだが,私とその人達の「著作権等に関する神経の尖らせ方」に温度差があり過ぎて,上手く気持ちが噛み合わないことが多い.著作権を侵害されない為にと「JASRACへの登録」についてあれこれと尋ねられた事もあるが,そもそもJASRACとは著作物(楽曲)の使用料を徴収したり,それを分配したりという作業を代行してくれるだけの民間団体である.著作権の所在を認定する機関でも何でもない.JASRAC管理楽曲だろうが何だろうが,盗作は盗作である.実際,当のJASRACもその手の勘違いに苦慮しているらしく,パンフレットにまではっきりと「我々は著作権の認定機関ではありません」みたいな事を明記している.その文言の背景に何があったのか想像に難くない. 余談だが,そういう機関(知的財産権の登録を受け付ける)も無い事は無いらしい.詳しくは失念してしまったが,確か文化庁(あるいはその外郭団体)か何かにそのような機関が存在すると何かで読んだ記憶がある.はっきり覚えていないのは,要するに私が「そんな事どうでもいい」と考えているからに他ならない(このテキスト打っている時点でも,物憂くて一々調べる気にすらならない).

創作とは何なのか. 私には好きな作家が何人もいるが,私はその人達の何がそんなに好きなのか.それは特定のセンテンスなどでは無く,その人固有の世界観であったり,独特な文章のリズムであったり,要するに「心」という無形のものなのである. 仮に私が,その人達の書いた文章から数行を拝借して自分の文章を完成させたところで,その人達の文才まで盗めるわけがない.作品の本質的な滋味まで盗もうと思ったら,もう他人の作品を自分の名前で発表するしかない.それにしたって二作目以降が続かないのだが.

音楽に関して言うと,極論してしまえば,作曲とは「ドレミファソラシ」を並び替えるだけ,という側面も確かにある.早い話,心など空っぽでも音楽は作れるのである.心で作品を描いていない人にとっては,創作なんてまさにそういうものに過ぎないのかもしれない. もしそんなサイコロを振るような感覚で作曲をしていたら,偶然にでも売れ筋の曲らしきフレーズなど産まれようものなら,そりゃ認定機関に登録したくもなるだろう.早い者勝ちなのだろうから. 著作権等に過度の執着を見せる人は,大変失礼ながら,要は本当の意味での「創作」をしていないのではないかと思ったりする. 

言語における修辞や音楽における諸技法などは,ある程度までは共有のものである.数行のフレーズに著作権など設定できてしまえば,いずれは創作そのものが大幅に制限されてしまい兼ねない.盗作なんかより,余っ程そっちの方が憂慮すべき事態である. 僅か数行のセンテンスに占有権(著作権)を主張し出す輩というのは,芸術を愛しているのではなく,作品を「財産」として愛しているだけなのではないか(これは単に換金性云々ということでは無い).あるいはもうこの先,自分の心の中から大した物が生まれて来ないような気がしているのではないか,などと勘繰ってしまう.

「盗作」にやたら神経質になっている作家と私との違いは,おそらく「芸術・創作観」だろう. 芸術とは心で作るものである.何よりもまず心ありきで,作品などその派生物に過ぎない(換言すれば「結晶」でもあるが). 私が自分の作品中の数小節を「どうぞご自由に引用して下さい」と言ったとする.そこから誰かが作品を上げたところで,それはもう私の作品ではない.どんな名作を作られようと,元の数小節の作者である私が著作権など主張出来るのか甚だ疑問だし,第一主張したくもない. リストは,パガニーニが作ったラ・カンパネラの主題を引用しているが(無論,引用元は明らかにしている),そのフレーズに痺れたリストの心が周囲を魅了した部分も間違い無くあるのである.

私の曲など盗用しようと思う人がいるか否かというのはさて置き,私にとってはそんな事どうだっていいのである(大体,自分の作品に他人の脳みそから産まれた何かがそのまま混入してしまうと,全体の整合性を欠くし,困る事も多いような気がする). 確かに著作 権には財産権も絡む.だからややこしくなっている部分もあるのだろう.私は芸術を愛すし,作品に拘りもあるが,作品を資産として大切に思っているわけではない. 私も当然ながら「盗作」は非とします.しかし現代社会は創作や著作物というものを,大きく誤って理解しているのではないかと思ってしまう.残念な事に.


10/19(木)

今は忙しくてそんなに聴かないが,昔はよくクラシック音楽を聴いていた.そんなにマニアックなわけでは無いので,はっきり言ってミーハーなものしか知らないのだが.

POPSのアレンジでも弦(ストリングス)などは結構多用されるのだが,大抵「嘘臭い弦」である. ここで私が言う嘘臭さ(の尺度)とは,生演奏であるかサンプルのエディットであるか,などという事ではなく,要するに管弦楽法にどの程度則っているかという事である. 自分の曲を聴いていても,キーボード(鍵盤)で弾いたフレーズ・コードにストリングス系の音色を被せただけのフレーズなどを聴くと,少々安っぽく感じてしまう時があるわけである.無論,求める完成品の趣向にも因る話だが(個人的に生演奏かどうかは然程気にならない.特にここ最近は).

神田優花の新曲「clouds」は弦・管のパートがあるのだが,一応各パートを一々作ったので,譜面でいうと木管と弦だけでも12〜13パートは作ったことになる. だからどうしたという訳でもないが,はっきり言って面倒臭かった.黙ってても誰も気付いてくれないかもしれないので,わざわざここで触れてみた次第です.この文章読んでいる人にも,もしかしたら聴く機会があるかもしれないと思って.


10/18(水)

いつも通り仕事をしているのですが,特にお知らせする事も無く,更新間隔が空いてしまいました. ここ何日かは,ずっとジャケのデザインばかりやってます.年内にリリース予定のタイトルがまだいくつかあるので.


10/14(土)

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神田優花,先週に引き続き新曲(「clouds」)のリハーサル.この曲は出来ればさっさと録ってしまいたいので,早ければ今月中にでも歌録りやるかもしれません.

以下は,今週のスタジオで撮ったその他のカット.

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10/13(金)

最近オーディション絡みの話題が多いのだが,今回もまたである. 事務所のオーディションに複数人数(グループ)で応募して来る人達が割といるのだが,そのことについて述べてみたい.

結論から言ってしまえば,その手の応募は歓迎されないケースが多い.理由は後述するが,事務所によっては,真っ先にこういう応募者を撥ねているかもしれない(募集告知の時点で明らかに,バンド・ユニット等の「集団」を募っているコンテスト・オーディションなどは,当然ながら例外である).

例えばテレビなどに,アイドルグループや音楽系のユニットなど,要するに集団で活動する芸能人が出ているわけだが,そのほとんどは事務所,あるいはテレビ番組などの企画に沿った人材を,一人一人入念に審査した上でグルーピングしているのである.当然の事だが,地元や学校のお友達グループがそのまま芸能集団になったわけではない(無論例外はあるが).

あるアーティストを売り出す際に,ソロで行くか,あるいはグループを組ませるか,組ませるなら何人で・どのような形態にするか,アーティスト・グループ名はどうするか,…こういう事は商品コンセプトを決定する上で非常に重要な部分で,これが最初から決められている(事務所に決定権の無い)商品が,事務所サイドにはどう映るか. ユニット名などを自分らで付けた「グループ」でオーディションにエントリーしてくる集団は,それがまず,初っ端から事務所に一つ条件を飲ませようとしている行為だという事に気付いた方が良い(分かっててやってるなら,それはそれで良いのである). 私は集団でのエントリーを「してはいけない事」だと言っているわけではない.その行為が何を意味するか,について語っているだけである.

勿論,既にそのグループが「商品」として完成されているケースだって,当然あり得る. 自分達のユニットを「成熟した商品」だと考えているなら,それをそのままプレゼンテーションにかける事はあっても良い.但し,演奏能力をはじめとする諸々のパフォーマンス・ヴィジュアル的な完成度,場合によっては実績・認知度等,求められるもののハードルは相応に高くなるだろうが,それは覚悟の上で臨んでいただきたい.「商品」としてプレゼンしている以上,素人特有の「詰めの甘さ」みたいなのは許されないのである. 基本的に商品価値の無い(グループである事による付加価値が存在しない)「ユニット」等でのエントリーは,そもそも自分らが主張するその「ユニット」を,相手側は「ユニット」だとすら認識出来ない.それだけでなく,履歴書に友達が一緒に載っていたりするなど,募集要綱すら満たしていない応募者だと見做されかねない(私は「グループでのエントリー」自体を否定的に捉えているわけでは無いのだが,これは単に起こりうる現象の可能性について言及しているだけなので許されたい). 「そんなに深い考えがあっての行為ではありませんよ」と,ほとんど場合,応募者達は思うだろうが,その「深い考えの無い行為」が,相手にどんな印象を与えるかを述べてみた次第である.

因みに,この文章は「集団でのオーディションへの参加」について述べているのだが,現時点での活動母体が「バンド」であったりする人が,個人としてオーディションに参加するのとは,全く別の話である. また,例え個人だとしても,「芸名」でのエントリーなどは,「グループでのエントリー」と似たような効果を生むのではないかと思う(本名すらプロフィールに載っていないことが,実際によくあるらしい).


10/12(木)

どこまで信用して良いのか分からないが,最近小耳に挟んだ話を紹介する. アフリカ奥地に,雨乞いの儀式によって『必ず(100%)雨を降らせることが出来る』という,とある部族がいるそうである.その方法とは,雨乞いの儀式を,何日掛かろうが途中でどんな事が起ころうが「雨が降るまで止めない」のだそうな. 雨が降って来ないのは「信心が足りない」せいで,雨が降れば「天に思いが通じた」ことになるらしい. これは一種の笑い話なのだろうが,はっきり言って私には笑えない.私もこの部族と基本的に考え方が同じだからである. 強い信念を持っていれば,目標は必ず達成できると思っているのである.

現状の私は,どう贔屓目に見たって「売れてない音楽家」なわけだが,「売れなかった音楽家」だとは決して思っていない.要するに「まだ売れる前の音楽家」だとしか思っていないのである(そもそも,商業的な成功を至上の価値だと考えているわけですら無いが).いつ売れるのかと問われても,そんなこと分からない.一応は売れるつもりで音楽を書いているが,その目標にタイムリミットなど設けていないから.

きっと私はこの先,死ぬ寸前まで音楽を作り続けるだろうと思うが,芸術作品の評価は,作者の死を以ってしてでも定まらない.無数の実例がそれを証明している. 結局,物事の「失敗」とは,当人がそれを失敗だと確信したことによって「揺るぎ無い失敗」となる.だから私は「売れなかった音楽家」に決してならないのです.


10/11(水)

私はPOPSが好きである.クラシックとPOPSではどちらが優位であるか?と訊かれたら,音楽ジャンルの序列付けなどしても詮無いことだとは重々知りつつも,個人的にはPOPSが上だと思う. 私が考えるに,POPSとは「文明」そのものなのである.POPSは厳密には音楽ジャンルですらない.単にポピュラーソングを指すので,売れてさえいればジャズでもロックでもそれはPOPSである. 「売れる」というたった一つの目的の為に,様々な音楽が融合され,無駄な(セールスに繋がらない)部分は次々に淘汰される. POPSは,他の音楽ジャンルにおける諸技法を包摂している,とも言える

POPSは,クラシックやジャズに比べ,明らかにマーケット的なニーズがある音楽なのに,それを体系的に教えるアカデミックな機関がほとんど存在しない.だから権威主義的な思想を持つ人などには軽んじられ易い(一応補足しておくと,表面的にPOPS制作者(コンポーザー・プロデューサー等)の養成などを謳い文句に開講している学校類も存在はしているが,専門的な養成機関とはとても言い難い気がする.無論,私の知る範囲での話だが).

詳細な制作技法が容易に体系化・テキスト化されていないのは,多分にそれが企業秘密であるからという側面もある.最先端の技術は簡単に共有されないのである. POPSを取り巻く諸々のメソッドは,ある意味では数百年も前のクラシックなどより,巨大かつ難解な体系である.人によってはその巨大さすら体感出来ない程に. 料理のレシピ本なら簡単に出版できるし,それを手にする読者にとっても易しいテキストだが,「金持ちになる方法」みたいな本が全くアテにならないのと同じで,POPSを作る技術は明文化できないのである.


10/10(火)

まず業務連絡.Infoにもありますが,本日,9月末日に締め切ったオーディションの一次選考,結果通知を発送しています.審査通過者のみに出しているので,ご了承下さい.

うちはここ最近,月刊Auditionをはじめとする雑誌,あるいはその他の媒体でいくつかオーディション告知を行なっていました.ありがたいことにも応募総数は回を重ねる度に増えているみたいですが,実はそのオーディション,ここ二年ぐらい採用はおろか面接すら一名としかしていない. 何故そうなっているのかについては,私の立場では何とも言い難い.しかし,歌手を目指すなんて行為は,その人の人生の軌道を,大きく数奇なものに変えてしまうかもしれません.やはりこういう事務所などと関わって生きていく人なんて,少ない方が健全なような気がします.


10/9(月)

世間では今日までお休みだったという事で,私もしっかり休ませてもらいました. 先週末までに録ったテイクの編集作業が山積しているので,明日から仕事再開します.


10/8(日)

「デモテープ」について. 送ったデモテープの出来によってデビューが決まる人,私はこんな人など現実にはほとんど存在しないと思っている.

仮に私がラーメン屋を始めようと思い立ち,銀行に開業資金の融資をお願いするとする.そこで何を話すべきか.現実には担保や自己負担できる資金について,からでなければお話にならないだろうが,もし資金・担保が皆無だったとして(既に無理のある仮定だが),それでもなお融資を引き出したければ,無謀とは思いつつも私なら自分の「情熱」を精一杯説明する.どれだけラーメンを愛しているか,をである.しかしそこで「ラーメンに対する情熱では誰にも負けません」などと言ったところで,それがもし本当だったとしても,そんな台詞は誰にでも言えてしまうので,自分の情熱を相手に理解してもらう方法にはきっとならない(仮に相手がその情熱を理解したとしても,たったそれだけを理由に,担当者レベルで大した出資などできまいが). せめて精一杯自分で考えた言葉を尽さないと,相手の関心を引き出せないだろう.そして,たとえどんな内容を語ったところで,おそらく現実的には金など出してもらえない(よく知らないが,この手の稟議書なんて,おそらくは殆ど銀行の内部規則に添った条件が揃って初めて下りるもので,その担当者なんてのは一般的にガチガチの前例踏襲主義なのだろう).

ここで私が銀行の融資担当者に,「私の作ったラーメンを食べて下さい」と言ってみる.一応,自分なりに味には絶大な自信があるわけである.商売を始めるなら儲からなければ話にならないのだから,当然「味」も一つの要件だろう(その他諸々の要素も当然重要なのだが). 担当者が,仮にそのラーメンを「うまい」と感じたところで,たかがそれだけの話である. 「私はこんなに絶妙なダシ加減でラーメンを作れるのだから,是非出資してくれ」なんて言われても笑止だろう.

デモテープとは,今挙げた「ラーメン」なわけで,ラーメンからは所詮ラーメンの味ぐらいしか分からないのである.それだけで他人の協力を引き出せる筈もなく,それだけが商品の売れ行きを決定するわけでもない. デモテープを送ったことによってデビューに至る人が,本当はほとんどいないと思うのは,つまりはこういうことである. 何かの切欠にぐらいなったりするかもしれないが,デモテープの出来・不出来が,その人の歌手人生の大勢を決定したりはしない. ついでに触れておくと,デモテープに同封するプロフィール(履歴書)は,せめてもの自分の言葉となりうる.か細いながらも「情熱」を伝えるツールではあるので,精一杯の言葉で紙数を埋めて欲しい.確かにそこに何をしたためようと,相手から何を引き出せる保証も無い.しかしその人の情熱が本物ならば,きっと誰かがその「情熱」にぐらい気付く筈である.もし「情熱が誰にも伝わらない」と嘆いている人がいるなら,まずはその情熱の方を,一度疑ってみてもいいかもしれません.

音楽事務所のオーディションは「歌手を目指す人」を募集しているのであって,「歌が上手い人」を探す「のど自慢コンテスト」ではないのである.


10/7(土)

今週のスタジオでのカットをUP.

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神田優花.新曲「sea of clouds(仮)」のチェックをしてました. そう言えばこの度,全国のブックオフでアルバム「マインドスケープ」(パッケージ版)が販売される事になりそうです.どの店舗にいつから置かれるとか,そういう事は全く分からないのですが,おそらく販売価格は定価に比べると若干ディスカウントされていると思われます.アウトレットみたいな扱いになるのでしょうか,とにかく中古品ではありません. 「マインドスケープ」まだお持ちでない方は,お近くのブックオフで是非探してみて下さい.

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上の写真は影山リサ.今はまだ何の作品も公開していないのですが,いずれ色々と発表して行きますので,応援してやって下さい.


10/6(金)

下は今週のスタジオでのカット.今日は時間が無いので拙速ながら写真だけをUP.

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10/5(木)

歌の上手い人について. うちみたいな小規模でも事務所業の真似事をやっていると,当然ながらデモテープなどが結構頻繁に送られてくる.歌手志望者がエントリーしてくるのだから,これまた当然ながら,中には歌の上手い人もいる.その上手さたるや,歌唱力だけを見れば,いわゆるプロ・シンガー達と比べても,さほど遜色ないレベルのものも中にはある. しかし歌が上手いぐらいで歌手にはなれない,というのが今回の主旨である.

私の考える「歌が上手い事」と「プロの歌手になる事」との距離を説明したい. 例えば,何らかの芸において他人より優れている人が,その属性を活かして興行団を作るとする.仲間を募り,芸を磨く.あるいは動物を飼い,芸を仕込む.さらには衣装やメイクを練り,移動手段や公演会場を押さえ,宣伝・広報の手段も考える.そして,その興行は世間からそれなりのリアクションを得,経費を興行収入で賄える,あるいは賄ってなお余りある収益を生み出す(早い話,採算が取れる),あるいは少々赤字でも,それを補填してくれるようなパトロンが付くようになるとしたら,とりあえず「商売として成立している」と見做したい. ここで言う「商売の成立」と「芸において優れている」とは,最早別の次元と言っていいほどの隔たりがある. また,採算性など完璧に度外視しても歌を続けていけるだけのバックグラウンドを持つ人もいる.厳密なパーセンテージなど分からないが,実はいわゆる歌手の中に,このタイプの人間がかなり混じっていると思われる.正確に把握できないのは,普通公開されない情報なので統計が存在しないからである.これもそういう条件が備わっている時点で,もう「歌が上手い」なんて事と別の次元にいるのである.

歌唱技術を提供するのがアーティストで,それを商売にするプランを提供するのが事務所の仕事だ,と言われてしまえば,確かにそういう側面も無くは無い. しかし音楽・アーティストなんて,言うまでも無くそんなに簡単には売れない.本当にやってて虚しくなるほどに売れない.そして,そんな絶望的な境遇に,自らの身を置いてでもただ歌を続けたい,と思うような奇特な精神の持ち主が志すのがこの世界である,と言うことぐらいは知っていても損は無いかと思う. 一般的に,事務所が一番に求めているのは「歌の上手い人」などでは無いと思う.うちもそうです.単に歌が上手い人なんかより,互いに知恵や力を出し合って,色々な事を模索していけるような相手を求めています(無論,大前提として「歌唱力」は,歌手に問われる能力の一つではあるし,時に大きなセールスポイントとなる). 事務所が神様に見えていたり,あるいは逆に敵に見えていたりする人が偶にいたりするのですが,それは紙の裏表と言いますか,物事がそんな風に見えているうちは,何をやるにしても上手く噛み合わないことが多そうな気がする.


10/4(水)

ここ何日間か,ずっと神田優花の新曲を作ってました.作曲と言うよりアレンジの段階なのですが,今回のアレンジは少々時間が掛かってます.弦・管のパートがかなりあるので,いつもより面倒なことになっているのです.フルオーケストラとかそこまで大したものではないのですが,弦楽四重奏と木管を足して,POPS風に味付けしたような音になってます. まだオケも完全には出来ていない状態なので,歌入れ・マスタリングまで終わるのは早くても来月ぐらいでしょうか.公開に関しても全く分かりませんが,多分年内には無理ですね.


10/3(火)

業務連絡. 先月の月刊Audition誌上で告知したオーディション,先月末日(当日消印有効)にて締切りました.書類・デモテープを審査した上,選考通過者には追って通知します.

閑話休題.以下はオーディションに関する余話です. 長いこと(と言っても,たかだか5〜6年だが)事務所業やってると気が付くのですが,オーディションの応募書類の中に見覚えのある顔が混ざっている事があります.うちのオーディションに何度もエントリーしてきている人の事なのですが,これ,うちとしては大歓迎です.何度でも遠慮なくデモテープ送って来て下さい(一応,募集している期間中にお願いします).歌唱力や容姿,音楽に対する気持ち,なんてものは時間とともに変化します.我々は今のその人を見たい. また事務所も会社としての状況が日々変化してますので,数年前では検討にも値しなかった企画を,今実際に進めている,なんてこともよくあります.

私はデモテープ審査の担当ではないので,残念ながら送られてきた全てのデモに耳を通したりはしませんが,事務所としては全てデモを入念にチェックしています. うちみたいな規模の小さい事務所は,大手と違って何万通もデモが送られてきたりするわけではないので,一度歌を聴いた人を割と覚えていたりします(担当者は「この人一年前より随分上手くなってるな」とか思ったりするそうです).


10/2(月)

現在うちが出しているダウンロード物のアイテムは,神田優花のレパートリーが1曲につき¥200,鈴木サヤカのレパートリーが1曲¥150とそれぞれ決まっています(「着うたフル」等一部例外あり).楽曲の定価は基本的にうちが決定しているわけですが,今回この50円の差について.

何故同じレーベルから出ているコンテンツなのに価格の設定を変えているのかと言うと,それを作るのに掛けたコスト(時間・労力・経費)があまりに違いすぎて,同じ値段を付けられなかったからです.これは会社としての良心とか言うよりも,制作している人間としての気持ちの問題かもしれません. 本来なら10倍ぐらい値段に差をつけたいところですが,我々が持たされている価格の設定権というのは,あくまである程度常識的な範囲の中でのことで,当然ながら際限無く保障されているものではないので,現実的には難しい. 音楽コンテンツは長い間再販制度に守られてきたからか,どうも価格に柔軟性が無い.「常識的な価格帯」という概念の方もそろそろ変わっても良さそうなものなのですが.


9/30(土)

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昨日に引き続き,今週のリハーサル風景をUP.上が神田優花,下が影山リサです.

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9/29(金)

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今週のリハーサル風景をUP.写真は上が片飛鳥,下が広瀬沙希です. 私は先ほどスタジオから上がったばかりなのですが,休憩も入れずに仕事です.

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9/26(火)

昨日,所用あって後楽園のあたりまで出たのですが,平日の昼間というのに人が多くて驚きました.何かイベントでもあったのだろうか.

その外回りの際,移動中の電車の中で考えた事を述べてみる. 芸能界には,単に「歌唱力」・「演技力」・「ユーモア・ウィット」などだけでなく,「料理が上手い」とか「野球に詳しい(特定球団の大ファンである)」・「怪談のレパートリーを多く持っている」など,ある種の「得意分野」を以って居場所を確保している人が数多くいる.

基本的に何の専門分野も持たず,ただ存在しているだけで価値がある,という人は芸能人としては稀である.うちは音楽事務所なので,うちで活動している人達には,とりあえずその専門分野を「音楽(あるいは単に歌)」として欲しいわけですが,一絡げに音楽と言っても,具体的な企画になると,これもまた色々とある. 音楽の世界にエントリーしてくる人の中に,自分のアピールポイントは「歌唱技術」である,と言う人は多い.単にカラオケ屋などで,周囲に「歌が上手い」と言われた程度の記憶を引き摺っているだけのケースも多々あるのだが,とりあえず話を進める. 歌手を目指す人なのだから,中には歌ぐらい上手い人がいて当然である(無論例外は無数にある).しかし,例えばそれが天才的なものでもない限り,歌唱技術だけを以って商売にするのは難しそうである.オーディエンスは「歌の上手さ」にも飽きる.ある特定の歌手の歌唱力に飽きるだけではなく,「歌唱技術をセールスポイントとする商品」自体にも飽きる. だから企画が要る.実はこの「企画」さえ秀逸であれば,歌唱技術なんてさして重要な採点基準では無くなったりもする. 私は若手のコメディアンなどを見た時,「コメディアンを目指した時点で既に一回スベっている」と感じる事がある(この辺,うまく伝わらないであろう事を承知で書いています).

ただひたすらに,売れ筋のPOPSの劣化コピー版といった録音物を作り続けているだけでは,はっきり言って現実的にはアピールに乏しい.が,一から歌を始めるも同然の人にとっては,自分の音楽的なスタイルなど容易には確立し難い.かと言って音楽活動(録音物の制作など)は,スタイルを確立してから初めて取り掛かるものでは無かったりする.大半の人には,その作業を通して模索して行ってもらいたい.


9/24(日)

このページの趣旨と全然関係のない話で恐縮だが,マルチ商法みたいなものに嵌まっている知り合いがいたので,その事について思いつくままに書き付けてみる. 「あんなもの要はネズミ講だからけしからん」などと頭ごなしに言うつもりは無いが,一口乗ってみないかと誘われたところで私は御免である. この手の商売や怪しげな新興宗教に引っ掛かるなとか,覚悟無く保証人になるなとか,そういう事って義務教育で教えても差し支えない内容だとすら私は思う.日本の教育にはある種のプラグマティズムが欠けているのか,どうもこういうのに脆い人間を量産しがちなようである. 私が物事を判断する基準はいつも「常識」である.儲け話を持ちかけられたところで,商法や経済の知識など無いので,何よりもまず「そんなにおいしい話なら,赤の他人である私なんかに教えるなよ」と思うわけである. この手の儲け話に易々と乗ってしまう人は,自分を貶めるかもしれない相手の悪意や過失にイマジネーションが十分に及ばないわけだから,きっとある意味ではかなりの善人なのだろう.私などは自分の心の中に詐欺師が棲んでいるので,体質的にその手の口車に酔い難い. しかし「善い人」というのが,必ずしも社会に益するだけの存在では無かったりするから,一面困ったもんです.善い行いも悪い行いも,結局はある種の作用ではあるので,当然何らかの反作用を生むし,時に世間を騒擾・攪乱させる要因となったりもする.基本的に私は,出来るだけ無害な人間でありたいといつも思っているので,悪人には勿論の事,善い人にもあんまり憧れません.


9/23(土)

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神田優花,リハーサルやってました.「close to you」を録って以来新曲に手を付けてないのですが,曲そのものを全く作っていないわけではありません.いくつか試しに作ってはいるのですが,イマイチしっくり来ないので全部お蔵入りしているだけなのです.次のアルバムなんて,一体いつ出来るのでしょうか. 下の写真は影山リサ,今週スタジオで撮ったカット.

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9/22(金)

以下は今週のリハーサル風景(写真は片飛鳥). 片飛鳥は現在,新曲の制作中.これが完成したら次のタイトル作ります.

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9/21(木)

まず音作りというのは,本来地味な作業である.世の中に無数に存在する他業種に比べ,取り立てて極端に退屈かというとそんな事は無いが,さしてドラマチックな仕事でもない.結局この作業が好きな人でないと続けられない程度の興趣しかない. だからして例えば,さして音楽を好きでもない人が,日々の退屈さを打開することだけを目的に音楽業界を目指す,というのは手段としてはあまり適当ではない.と言うか間違っている.

そこで「日々の退屈さを打開する方法」について考えてみる. 毎日が退屈な人とそうでない人の違いは,その人の日々に起こっている出来事のみによって決まっているわけではない.それよりむしろ,周囲に起こる現象を捕捉する感受性が決めている,と言っていい. だから毎日を面白くするには,感性を洗練する必要があり,日々何をやっていようが結局は本人次第と言えそうである.そしてその感受性ですが,こんなものを一朝一夕に鍛え上げる方法なんてあるわけ無いが,私が思うに「読書」が一番の身近で手っ取り早い方法かと.各々が感じるインスピレーションも,元を糾せば言語によって構成されているから.言語と感受性は,互いに不可分な関係にある. 私は学歴などを至上の価値とするような精神構造の持ち主ではないが,教養というのはあって良いものだと思う.世間にひけらかす為ではなく,あくまで自分の為に. しかしまあこの「読書」という奴も,これはこれで退屈さを打開する為に割り切ってやるものではなかったりする.そもそも「刺激を希求する本能」みたいなものが備わってなければ,何をやっても同じなのかもしれません. 私に関して言えば,常に「出来るだけ自分を面白がらせること」を心掛けながら日々生きています.


9/20(水)

ここ数ヶ月,色々と訳あって私が満足に動けなかった(営業的な面で)もので,しばらくアーティストのプロモーション上の動きが頓挫してます.そろそろ次のアクション起こしますので,しばしお待ちを. それにしてもスタッフが少ないので,一人動けなくなると途端に会社自体の動きが鈍ってしまいますね. まあ私は大企業などに勤めた事も無いし,スタッフ総数10人未満みたいな組織にしか属した経験がありませんので,私の感じる「正しい会社」のイメージって基本的にこんなものです. 常に,会社に「雇われる」というより「参加する」と言った状態で仕事してます.「自分がサボれば会社が傾く」というような環境にばかりいたので.自然,組織と自己とを同一視せざるを得ないのです.


9/18(月)

気が付けばもう9月も後半に差し掛かってますね. 近い内にリリースを予定している音源が2タイトルありまして,実のところ私は結構多忙なのですが,世間が連休との事で,あやかってオフを取らせてもらってました.明日から通常業務に戻ります.


9/15(金)

音楽を作っている「相手」について. 私は一応音楽家だから,無論音楽を作る.そしてその音楽は,常にある相手に向けて作っている.その相手とは,申し訳ないが音を買ってくれるお客さんやその曲の歌い手さんなどではない. 私が音楽作っている相手は,「子供の頃の自分」である.

私は子供の頃から堪らないほどに音楽に憧れていた. 子供って得てしてバカなものですが,私も例に漏れずバカでした.髪の毛を染めたら違う自分に出会えるような気がしたり,とにかく自分の心や目の前の世界を把握できずにもがいてばかりだった. そして私は,その子供の頃の憧憬・葛藤・混沌・得体の知れない不安・焦燥感,全てを今でも鮮明に覚えている. 要するに,歳を取って多少世間ずれしてはいるものの,基本的に情緒が子供の頃のままなのである.

いつも私は「自分はこんな大人になった」「今も音楽を作り続けている」「今でも夢は変わらない」と子供の頃の自分に語りかけている.混沌の中に居た子供の頃,目の前はいつも霧に煙っていたのですが,「このまま好きな事を続けていれば,いつかこの霧も晴れるかもしれない」と漠然と思っていました. もし今の私が,子供の頃の自分に出会えるなら,「お前の目の前のその霧は,いつか必ずや晴れる」と自信を持って言えます.


9/14(木)

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つい今し方リハーサルを終えて,このテキスト打ってます.今日は早めに仕事終わりました.上の写真は影山リサ.

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神田優花.新作「special selections」,お陰様で好評なようです.神田優花のここ二年半ぐらいの活動の集大成となっております.まだ聴いてない方は是非チェックしてみて下さい.


9/13(水)

ついこの間,福岡市東区で飲酒運転の車が事故を起こし,三人の子供の命を奪ったという事件があった.今でも頻繁に続報が出てくるので記憶にも新しいかと. どうでもいい話だが,私が少年期を過ごした地元は福岡で,その事故現場は,当時の私の住まいから自転車で行けなくもないぐらいの距離にある.

何の覚悟も無くただ人の命を奪った加害者に,全く同情の念など湧かないが,人を殺す事について考えるきっかけにはなった(えらく物騒な命題だが). 一昔前,やたらに少年犯罪が多発していた時期がありました.現在は事件の件数自体が減っているのか,マスコミがその手のトピックに割ける報道のボリュームに変化があったのか,その辺はよく分からないが,多少沈静化しているような印象がある. その頃,その社会現象に関連した一種の余話として,「どうして人を殺してはいけないのか」などと尋ねる子供が増えている,という話を聞いた.そんな話が出てくるぐらいだから,尋ねられたほとんどの大人は,皆狼狽していたのに違いない. しかしまあ,学校や家庭などでちょっと教えない内容なので,返答に窮する人がいてもこれは仕方ない気がする.

確かに「殺人」は,国内法的には犯罪に違いない.が,刑法の条文を読んでも,殺人を遂行した者に対するペナルティが謳ってあるだけで,「人を殺してはいけませんよ」というような道徳的見地からのコメントは無い.従って「人を殺していけない理由」なども勿論記載されていない. そりゃ法律も人が作ったものである.この宇宙に,あらゆる宗教・国家・民族・時間などを超越したような絶対的な真理なんてものが存在しない以上,物事における善悪の解釈なども相対的にならざるを得ないだろう. 「神が決めた絶対的な真理はコーランに書かれてあるじゃないか」「聖書にあるじゃないか」という人達は,おそらく現在の日本では少数派なので,ここでは一先ず例外とさせていただく.

私の敬愛する親鸞は,歎異抄の中で弟子の唯円(親鸞自身は弟子を持たないと言っているが)にこう語っている(現代語訳は私).

親鸞 「唯円,私の言葉を信じるか?」
唯円 「信じます」
親鸞 「嘘ではないな?」
唯円 「はい.嘘ではありません」
親鸞 「それでは人を千人殺してみなさい.そうすれば極楽往生できます」
唯円 「…仰せではありますが,さすがにそれは無理です」

親鸞 「これで分かって欲しい. 何事も心に任せた事なら,往生の為などでなくても,人を千人殺してしまう事だってあるでしょう.しかし,誰かを殺さねばならないような事態に遭遇せずに生きてこれたから,一人も殺していない.それは私が善人だからなどではない.いつも『人を害すまい』と思っていても,多くの人殺めてしまう日がいつか来るかもしれない. 物事の善悪も,私たちの心が決めるしかないのだから」


この親鸞の教えを学校教育に導入する事は,おそらく現実的には不可能だろう. 歴史的にも人間は,戦って相手を死に至らしめる,という行為を繰り返してきたので,それを悪とする感覚も,実は我々の日常から想像するほど普遍的なものではない. 私は幸いにも人を殺した事が無い.そして出来ることなら,このまま人を殺めること無く生涯を終えたい.大好きな音楽をやりながら,これからも能天気に生きて行けたらどんなに幸せだろうと思います.


9/12(火)

先週の水曜(9/6)からダウンロード販売が開始された,計8タイトルについての続報.その後,MOOCS(Nifty)・Listen Japan等でも販売開始されています(「Listen Japan」の方は,9/6時点では神田優花「special selections」のみリリース). せっかく商品を置いてもらっているので,一応ここでも宣伝しておきます.

そういえば涼しくなって来ましたですね. 私は暑いと,創作どころか事務仕事までやる気が無くなるタチですが,今年の夏は途中で長期に亘る体調不良に襲われたため,本当に碌な記憶が無い. 結局体調を崩していたその間,重要な仕事(納品や打合せなど)は一つも飛ばさなかったものの,音楽をほとんど作っておらず,結果的に会社に迷惑を掛けてしまった. ロスを少しでも取り戻すべく,これから年末にかけてがんばる所存です.


9/11(月)

久しぶりに曲を作っていたのだが,私は頭のネジが少し緩んできているのかもしれない. まず調性とかリズムの感覚がちょっと普通でない.前衛音楽を作ろうという意図など全く無く,単に浮かんできたメロディーなのに,譜面に起こすと拍子が7/8とか17/16だったりする. 特に調性がおかしいのに関しては,少し頭がボケ出しているのではないかと疑っている. 音楽家は自分の思うがままに創作を続けるのもアリだと思うが,今回の曲は,いくらなんでもこのままでは商品化出来ないような代物だったので,もう少し普通のPOPSにすべく微調整することにした. 私は曲がりなりにも商業音楽家の端くれなので,作品がある程度受けなきゃいけません.一応生活も掛かってたりするのでこれは仕方ありませんな.


9/9(土)

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上は神田優花の今週のスタジオでのカット. 先日,その神田優花の「special selections」と鈴木サヤカの7タイトルを一遍に公開しました. 色々なサイトで扱ってもらっているのは非常に有難い事なのですが,中でもiTMS(iTunes Music Store)・Mora辺りは,知名度・アクセス数などから見てもまず国内最大級と言って良く,我々も大変重要な販路だと考えています.以下そのiTMSについて.

今回初めて知ったのですが,基本的にiTMSって新規追加の音源全てをジャケ写付きで紹介してくれるようなコーナーというものが存在しないんですね(新作一覧表示はテキストのみ).前回の「マインドスケープ」の時はJ-POPのTOPに載せてもらってたので,新作はみんなあんな扱いなのかと思ってました(リリースされるタイトル数などを冷静に考えたらそんな事ありえないが).どうやら見る限り,数多ある新作の中から,サイト側がチョイスした数タイトルだけを載っけてるみたいです. と言うことは,リリース後一定期間を経過した後などに,例えば神田優花の音源をあそこで見つけるには,サイト内をアーティスト名で検索するぐらいしか方法が無く,早い話ユーザーが元々神田優花を知っている事が原則となる(五十音順のアーティストリストすら無い).要するに,客は基本的にアーティストそれぞれが連れて来い,って事なんですね. まあ致し方ありませんな.プロモーション,精進します.

以下は影山リサ,今週のスタジオでのカット.

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9/8(金)

もう二年ぐらい前になるのですが,カセットテープで1タイトル作ってみた事があります. その後,カセットテープ制作をうちの業務メニューの一項目としていたのですが,今後それを継続して行くか廃止するかで迷っています.理由はオーダー状況というのもありますが(そもそも積極的に営業なんてしていないが),原材料の調達など,生産ラインの維持が難しくなったためです. まあ,旧来のコストで生産できなくなったというだけなので,金に糸目を付けないというのであれば,無論作れない事はありません.しかし,それほど作りたいという人がどれだけいるだろうか,というのが悩みどころなわけです.

以下,今週のリハーサル風景をUP(写真は広瀬沙希).

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9/7(木)

昨日ニューリリースのお知らせをしましたが,iTunes Music StoreOngen(USEN)等でも神田優花鈴木サヤカのタイトル,公開されているようです.因みに上のリンク先には,iTunesがインストールされていないと行けないものがあります(Ongen以外). 「special selections」の方は,他にもYahoo MUSIC DOWNLOADなどでも販売開始されています.どこか使い慣れたサイトででも,よかったら是非チェックしてみて下さい.

ここ数日間,Downloadのページからzipファイル(mp3なども)が落とせなくなっていたみたいですが,どうもまたサーバーが落ちている模様.またしばらくすれば復旧するだろうと思って,とりあえず何日かほったらかしてたのですが,どうやら今回は重症のようです. 仮に後日復旧するとしても,ここまで不安定なサ−バーというのも如何なものかと思いまして,この度一応の対策を講じました. ファイル類を別の場所に移したのですが,もしかしたらまだ,リンク切れとか所々あるかもしれません.


9/6(水)

前々からアナウンスしてましたが,本日より神田優花「special selections」と,鈴木サヤカの7タイトルが同時発売されます. ボチボチ一部のサイトでは販売開始されているようですので,以下リンクを.

ORICON STYLE
Mora
Listen Japan

ついでながらダウンロード販売に関する情報に補足を. うちのリリースタイトルは,アナウンスしているダウンロードサイト(Info等参照)のその全てで発売されているわけではありませんし,アナウンスしている発売日(今回は9/6)に全てのサイトで一斉に販売開始されるわけでもありません.また,Infoなどで紹介しているもの以外のダウンロードサイトで販売されているケースもあります(「Any Music」等). どうしてこういう状態になるかと言いますと,実は私も正確には分からないのですが,要するに各ダウンロードサイトはCDショップみたいなものなのでしょう.基本的にどのタイトルをいつ仕入れるとか,どこに陳列するとか,そういうのは全て向こうさんの裁量になります.なので,ディストリビューションの契約(分配率等)自体は交わしているけど,商品が現時点で店頭に無い,という現象は起こり得ます. またうちで紹介していないサイトでも,例えば上記の「Any Music」などは,「Mora」の提携サイトだそうで,早い話「Mora」のバイヤーが仕入れる商品をそのまま,あるいは部分的に仕入れているような状態なのだろうと思われます. 要するに,どこでうちのタイトルが売られているかを,常に我々の側で正確に把握するのは困難で,また現時点でうちのタイトルを扱っていない業者が,いつ販売し出すかも分かりません. なので,このサイトで紹介している「音楽ダウンロードサイト」は一応の目安というか,「大体のそれらの業者が販売してたりします.一部例外あり.」ぐらいに捉えてもらえたら助かります.


9/5(火)

先月1日から15日までの間,神田優花の「Mindscape」がコンビニ(サークルK・サンクス・ヤマザキデイリーストア)店内でオンエアされていたのですが,今日そのBGMプログラムのテープをいただきました.特にヤマザキデイリーストアの方は生活圏内に店舗が無かったもので,オンエア用のテープも今日初めて聴きました. 「へぇ〜」って感じで,さしたる感想も無いのですが. 感慨に浸る暇も無く,神田優花のプロモーション,次の一手を考えています.


9/3(日)

先週末のリハーサル風景をUP.
神田優花.歌の練習してました. 6日(水)には「special selections」も発売されます.是非聴いてみて下さい.

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以下,影山リサ.

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9/2(土)

歌手と言う職業について. 歌手なんて職業,本当に存在するのだろうか.現に歌手として活動している人が山ほどいるではないか,と言われてしまいそうだが.

確かに世の中に歌手はいる.しかし,いわゆる職業として成立しているかと問われれば微妙なところである. 例えばある分野において,他人より秀でた能力があるとして,仮にそれが超人的なものだとしても,換金する手段が無ければ職業にするのは難しい. 世界一ケンカが強ければ格闘家にぐらいなれるかもしれないが,世界一あやとりが上手くても金にはならず,また健康でありさえすれば務まるような仕事もある.「健康」や「学歴」というのは換金し易いのである. 言ってしまえば,音楽なんて単なる娯楽に過ぎません.人間が社会生活を営む上で不可欠な機能を担っているわけでもない.「歌が上手く歌える」と言うのは,もしかすると上に挙げた「あやとりが上手い」程度のものなのかもしれません.

多分歌手と言うのは,職業としては成立していない.何らかの事情で,たまたま歌なんて歌いながら生きていける人が存在するだけである.あくまで特例として. そして特例故か,そういう人達は,場合によっては莫大な臨時収入を得たりもする.また目にする機会だけで言えば,大多数の失敗例より稀有な成功例の方が当然多いので,その成功例だけを見て「金回りの良い商売」などと誤解する輩も出てくる. 更にはその「特例」・「成功例」は,いわゆるショービジネスが宣伝・広告によって成立するという事情もあって,周知の存在になりがちである.当然ながらその辺の会社の営業マンや事務員などに比べれば,圧倒的な頻度で目にしてしまうので,あたかもそういう職業が実在すると錯覚しがちなだけである. だからしてそれらの「特例」に匹敵する,あるいはそれらを凌駕するような技能を持っていたとしても,ほとんどの人は歌手になれなかったりする.その他の事情がそれを許さないから.

公務員採用試験に受かれば公務員にしてもらえるように,「歌手にしてもらう方法」は多分無い. おそらく歌手にしてもらう事はほぼ不可能なので,自分で「歌手になる」しかない. 仕事を貰うというより,仕事そのものを創出しなければならないかもしれないし,ひょっとすると収益構造ごと一から作ることになるかもしれない.そしてその前にまず,ある日自ら歌手だと名乗らなければいけない. 西国立志編の冒頭に「天は自らを助くる者を助く」という件があります.詰まるところ,一番必要になるのは勇気とか,そういうものなのかもしれませんね.


9/1(金)

先ほどリハーサル終わったばかりで,一息ついたところでテキスト打ってます. 下は今日スタジオで撮った写真(片飛鳥).

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本日発売の月刊「Audition」(白夜書房)10月号にうちのオーディション情報が掲載されています. 実は今回のオーディションは予定外でして,本当に急遽開催する運びとなりました. とにもかくにも沢山のご応募お待ちしてます.


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